Last update:2019,MAY,6

18世紀欧州戦乱


1683年 第二次ウィーン包囲

big5
「みなさんこんにちは。管理人のbig5です。こちらのコーナーでは、『18世紀欧州戦乱』と題しまして、18世紀(1701年〜1800年)のヨーロッパを中心とした歴史を学んでいきたいと思います。」
名もなきOL
「はーい!今回もよろしくお願いします。最初の話は何ですか?」
big5
「最初にとりあげる事件は1683年の第二次ウィーン包囲、です。」
名もなきOL
「ウィーンって、オーストリアの首都のウィーン?」
big5
「そのとおりです。当時、オーストリアはヨーロッパ屈指の名門貴族であるハプスブルク家が支配していました。そして、ウィーンはハプスブルク家の本拠地です。そのハプスブルク家の本拠地が、総勢約15万ものオスマン帝国の大軍に包囲されて、陥落寸前まで追い込まれたんです。」
名もなきOL
「名門中の名門であるハプスブルク家を追い詰めるなんて、オスマン帝国は強かったんですね。」
big5
「はい、この頃のオスマン帝国はまだまだ強力な国で、ヨーロッパ諸国に恐れられていました。第二次ウィーン包囲は、オスマン帝国の恐ろしいイメージが変わるきっかけになった歴史事件なんです。」 名もなきOL
「だから第二次ウィーン包囲は重要な歴史イベントだ、ということですね。・・・ちなみに、1683年なら18世紀じゃないんじゃ・・?」
big5
「まぁ、細かいことは置いておきましょう。第二次ウィーン包囲は18世紀のヨーロッパ情勢の重要な転換点であると同時に、18世紀前半に活躍する英雄が登場するので、外したくはなかったんですよ。それでは、詳細を見ていきましょうか。」

ヨーロッパの人口増加

big5
「イギリスの歴史家・J.M.ロバーツ氏はその著書『世界の歴史6』によると、18世紀になると、ヨーロッパでは様々な統計資料が残されるようになり、それ以前の時代とは比べ物にならないほどの情報を知ることができる、と述べています。その例の一つが「人口」です。ヨーロッパ史の研究者が、人口推移を知るための基礎資料としてよく利用されるのが教会の洗礼台帳で、それらを集めると、1500年時点のヨーロッパの人口は約8000万人1700年時点で約1億5000万人で、1800年には約2億人まで増えていたそうです。これに伴い、全世界の人口に占めるヨーロッパの割合も上昇しています。1700年頃は約20%、1800年頃には約25%を占めるようになりました。」 イサオン
「人口が「億」を超えるなんて、私が生きていた古代ギリシア時代と比べると、随分と人が増えたものですね〜。」
名もなきOL
「イサオンさんが生きていた時代は、何人くらいいたんですか?」
イサオン
「わからないです(キッパリ)」
名もなきOL
「え!?わからないんですか?」
イサオン
「はい、わかりません。私は「自分が知らない」ということを確かに知っています。これが「無知の知」です。」
big5
「それはソクラテスの有名な考え方ですね。それはさておき、イサオンさんが「わからない」というのも無理はありません。なぜなら、そのようなデータがおそらく存在しなかったから、です。現代では、人口に関するデータはほぼ整備されているので、おおよその人口を調べようと思えばわりと簡単に調べられますが、そうなる前の時代では、人口が何人だったか、というのは簡単なようで、とても難しい情報でした。」
高校生A
「ヨーロッパで人口が増えた理由は何なのでしょうか?」
big5
「イギリスの歴史家・J.M.ロバーツ氏の著書『世界の歴史6』によると、やはり医学知識の進歩、特に解剖学が大きかったようです。進歩を支えたのは、活字印刷術とルネサンスの画家たちです。例えば、オランダの画家で有名なレンブラント。彼は1632年に「解剖学講義」と題された絵を描いています。解剖学に関する本が、挿絵入りで数多く出版され、医療技術の進歩と普及に陰から貢献しています。それらにより、感染症を避けるために港で検疫する、などの対策も取られるようになってきました。」
日本史好きおじさん
「現代日本では少子化が社会問題となっていますが、その辺りの事情はどうだったのですかな?」
big5
「イギリスの歴史家・J.M.ロバーツ氏の著書『世界の歴史6』にこのような例が示されています。18世紀のフランスでは、農民の子どもの平均寿命は22歳。
日本史好きおじさん
「え!?いくらなんでも22歳は低すぎませんか?」
big5
「大人まで育つ確率が少なかったのが主要因みたいです。幼児期を過ぎるまで生き残るのは、なんと4人に1人、という割合だったそうです。これは、ローマ帝国時代のイタリアや1950年頃のインドの農民と同じ水準だそうです。また、現代と異なるのは、女性の平均寿命は男性よりも短かった、そうです。そのため、男性の多くは複数回結婚していたそうです。また、ヨーロッパ人男性の初婚年齢は20代後半くらいと、短い平均寿命の中で考えると遅めの結婚だったようです。」
名もなきOL
「人口が増えたといっても、まだまだそのような状況だったんですね・・・。」
日本史好きおじさん
「さらに医療技術が発展したことで、人口は爆発的に増加して今に至る、というわけですな。」
big5
「せっかくなので、国ごと、年ごとの人口情報も。オランダのアムステルダムは18世紀に約20万人、フランスの1700年頃の人口は約2100万人で、ヨーロッパ諸国で断トツのトップでした。首都のパリは1700年頃に約50万人。なお、パリの人口は1500年頃から約2倍に増えているそうです。同じく1700年頃のイギリス(イングランドとウェールズ)の人口は600万人ほどで、首都のロンドンは約70万人でした。なお、ロンドンの1500年頃は約12万人だったので、なんと5倍になっています。
ただ、人口爆発の大都市に比べると、地方の中小都市はまだまだ発展途上でした。1700年時点でも2万人以下の中小都市がほとんどだったそうです。参考ですが、1521年にスペインに征服されたアステカ帝国の首都・テノチティトラン(現在のメキシコ市)の人口は約30万人で、ヨーロッパのどの大都市よりも多い人口を抱えていました。」


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