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「今回のテーマは第一次大戦後のアメリカです。第一次大戦後、アメリカは好景気が続いて経済は著しく発展。アメリカ国民の所得は増え、冷蔵庫、洗濯機、ラジオなどの家電製品が一般家庭にも普及し、国民生活も大きく変化しました。資本主義諸国の代表格といえます。
資本主義だけでなく、民主主義の代表国らしく、1920年には女性に普通選挙権が付与されました。イギリスはこれよりも一足早く、第一次大戦末期の1918年に女性参政権が認められましたが、一部制限付きでした。アメリカは1920年時点で普通選挙が認められましたので、普通選挙という括りではアメリカの方が先ですね。」
名もなきOL
「日本で女性に参政権が認められたのは第二次大戦後ですもんね。その辺りは、やはりイギリス、アメリカに遅れを取っていたんですね。」
big5
「その一方で、人種差別問題や禁酒法に伴う裏社会の発展など、繁栄の裏側で現代にも尾を引く社会問題が生じた時代でもありました。
と、あらすじはこれくらいにしておいて、本編に入りましょうか。まずは、いつもどおり年表から見ていきましょう。」
年月 | アメリカ合衆国のイベント | それ以外のイベント |
1919年 | 禁酒法制定 | ヴェルサイユ条約調印 |
1920年 | 5月 サッコ・ヴァセッティ事件 8月 憲法修正第19条 女性に参政権付与 K.K.Kが急激に台頭する ラジオ放送開始 |
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1921年 | 5月 最初の移民割当法施行 農業不況が深刻化 |
ワシントン会議始まる |
1923年 | 共和党のクーリッジが大統領に就任 | |
1924年 | 3月 農産物価格安定法案 否決される 5月 移民制限法(日本人移民禁止法) ボブヘアーが流行 |
ドーズ案発表 |
1925年 | ロカルノ条約 締結 | |
1927年 | リンドバーグが大西洋無着陸横断飛行に成功 | ドイツが国際連盟に加盟 |
1928年 | ウォルト・ディズニーのミッキーマウスのアニメ映画が制作される | パリ不戦条約 締結 |
1929年 | 1月「永遠の繁栄」宣言 2月 聖ヴァレンタインデーの虐殺 6月 農場市場法制定 10月24日 暗黒の木曜日 世界恐慌始まる |
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1930年 | エンパイア=ステートビル完成 | |
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「さて、まずは1920年代にアメリカ合衆国が繁栄を謳歌した、という「光」の部分から見ていきましょう。まず、第一次大戦の後にアメリカが大きく変わったポイントが、債務国から債権国になった、ということです。債務国というのは借金をしている国のこと、債権国とはお金を貸している国のことですから、アメリカは「借金している国」から「お金を貸している国」に変わった、ということですね。」
名もなきOL
「どうしてアメリカは債務国から債権国に変わったんでしたっけ?」
big5
「それは第一次世界大戦です。途中まで中立を保っていたアメリカは、イギリスやフランス、イタリアが発行した戦債を買う、つまり彼らにお金を貸すという経済的支援をしていたんです。この結果、第一次大戦が始まる1914年時点で、総計35億ドルの債務(借金)を抱えていたアメリカは、第一次大戦が終わった1919年には総額で125億ドルもの債権を持つに至りました。
一方、イギリス、フランス、イタリアはアメリカにお金を返さなければなりません。1924年時点での債務残高はイギリスが45.8億ドル、フランスが41.4億ドル、イタリアが21.0億ドルとなっています。彼らの返済資金はドイツからの賠償金なので、賠償金問題はアメリカにとっても重要なんですね。ドーズ案やヤング案(ワシントン体制とロカルノ体制参照)が出たのもそのためなんです。」
名もなきOL
「国にとってもお金って大事ですもんね。」
big5
「まさにその通りです。アメリカは回収したお金を使って、ドイツの戦後復興に投資したり、他にはカナダや中南米諸国への投資を行いました。好景気を迎えアメリカ経済は大きく発展することになります。」
big5
「アメリカが1920年代に発展した一つの大きな要因は好景気です。自動車生産台数、アメリカ人口、一人当たり所得などは右肩上がりです。この頃のアメリカ大統領は、共和党からハーディング、クーリッジ、フーヴァー、と3代続けて出ています。彼らが共通して行った経済政策は自由放任主義政策と呼ばれる、経済は民間企業にお任せして政府はほとんど介入しない、というものでした。当時は好景気だったので、政府としてはそれで十分だった、というわけですね。」
名もなきOL
「資本主義経済の基本ですね。」
big5
「この頃のアメリカ民衆の生活も変わっていきました。代表例は、まずラジオの普及です。1920年にペンシルヴァニア州で公共ラジオ放送が始まったことをきっかけに、一般家庭にどんどん普及。1929年には全家庭の40%はラジオを持っていたそうです。時代は後になりますが、1940年には80%の普及率となっています。
また、家電(冷蔵庫や洗濯機など)が一般家庭にも普及し始めました。日本では、これらの家電が普及し始めたのは第二次大戦後、高度経済成長期の頃ですが、アメリカではこの時期に既に普及が始まっていたわけですね。
そしてもう一つ、普及し始めたのが自動車です。自動車王として有名なフォードが大量生産方式を確立して、これまで最先端技術を用いた高級品であった自動車を、中流階級でも買える価格まで下げることに成功したことも重要です。1926年時点で、T型フォードと呼ばれる量産型自動車は1台350ドルで販売されていました。」
名もなきOL
「この車の形、映画とかに出てくる初期の頃の車ですよね。」
big5
「1926年時点で、資本主義諸国における自動車の登録台数を見てみると、アメリカ合衆国が2205万台でダントツ1位。2位のイギリスは104万台なので、なんと約20倍の差が出ていました。3位はフランスで89万台、4位はドイツで32万台です。アメリカがずば抜けていることがわかりますね。」
big5
「続いて文化面を見ていきましょう。ただし、文化と言ってもこれまで登場した絵画や音楽、文学作品ではなく、もっと一般に広まった大衆文化と呼ばれるものですね。いろいろあるのですが、個人的に一番1920年代っぽいのはチャールストンというダンスですね。サウスカロライナ州の都市・チャールストンで大流行したのをきっかけに全米で大流行したそうです。これは、動画で見るのが一番いいと思います。」
名もなきOL
「チャールストンはヒップホップダンスでも出てきますよ。足を上げるのがカワイイですよね。」
big5
「続いては映画、ハリウッド映画です。今では映画の代名詞的な存在のハリウッド映画ですが、ハリウッド映画が流行しはじめたのもこの頃なんですね。初期の作品の中でも特に有名なのは、1925年に作成された喜劇王・チャップリンの黄金狂時代や帝政ローマ時代を描いたベン・ハー(有名なベン・ハーは3作目で1959年制作のもの。この時代のベン・ハーは2作目の音無し映画)がヒットしています。1929年にはアカデミー賞も始まり、映画界という一つの業界が確立されました。」
名もなきOL
「ハリウッドもこの時代に流行しはじめたんですね。ということは、もうだいたい100年くらいの歴史があるわけですね。すごいなぁ〜」
big5
「同じ映画でもアニメ映画では、ウォルト・ディズニーが1928年(この年27歳)にミッキーマウスのアニメ映画を制作して大ヒットしました。いわゆるディズニーの始まりですね。」
名もなきOL
「ディズニーもハリウッドとだいたい同じ頃に始まったんですね。ということは、ミッキーマウスもそろそろ100歳なんですね。記念イベントとか盛大に行われるんでしょうね。」
big5
「また、音楽界ではジャズがニューオーリンズで誕生し流行しました。ジャズは西洋音楽にアフリカ音楽やカリブ海諸島の音楽が組み合わされた音楽です。大流行したジャズは多くの人々に演奏されたのですが、とくに有名なのはアフリカ系アメリカ人のルイ・アームストロング(Louis Armstrong)ですね。ちなみに、ニューオーリンズにある国際空港の名前は2001年から「ルイ・アームストロング・ニューオーリンズ国際空港」となっています。」
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「最後に、文化とはちょっと違いますが、この時代のアメリカを象徴するかのような記録が樹立されているので、これも紹介しておきます。一人乗りの飛行機で大西洋を横断したリンドバーグです。1927年(この年リンドバーグ25歳)、ニューヨークから出発してパリまで無着陸で飛ぶことに成功しました。飛行時間は約35時間、飛行距離は約5,810kmです。」
名もなきOL
「約35時間も一人で飛行機で飛び続けるって、徹夜で1日半も飛んだ、ってことですよね!凄いなぁ。25歳という若さも感じますね。」
big5
「リンドバーグは作家としての能力も高く、この時の回想録を第二次大戦後の1953年に出版しています。書名は「The Spirit of St. Louis」、スピリット・オブ・セントルイスというのはこの時飛んだ飛行機の名前です。この本が日本語に訳され、その題名が「翼よ!あれが巴里の灯だ」となっています。このセリフがけっこう有名ですね。」
名もなきOL
「そのセリフは私も知ってます。この時代の話だったんですね。
こうして見ると、1920年の時点でアメリカはかなり現代っぽくなってきてるんだな、と思いました。」
big5
「そうですね。1920年代のアメリカの発展には目を見張るものがあります。さて、次は忘れてはならない、繁栄の裏側である「影」の部分を見ていきましょう。」
big5
「繁栄するアメリカの「影」の中でも、現代まで尾を引いているのが人種差別問題です。特にわかりやすいのがクー=クラックス=クラン(KKK)です。名前が長いので、以降は略称の「KKK」で表記します。KKKについては、まずこちらの画像を見てください。」
名もなきOL
「え!?目だけ出した白い頭巾をかぶってる異様な人がたくさん・・・犯罪者集団みたい。」
big5
「これはKKKのプロパガンダイラストの一つです。KKKは南北戦争で敗れた南部アメリカで組織されたのをきっかけに、黒人が諸悪の根源として猟奇的殺人を繰り返すなどの人種差別集団として有名になりました。KKKはその後衰退したのですが、皮肉なことに1920年代に再び盛んになり、会員数は約500万人にもなった、と言われています。
1920年代のKKKは、黒人はもちろん、アジア人などの有色人種、さらには黒人を擁護する白人までも標的として暴力と殺人を繰り返し、たいへん恐れられていました。」
名もなきOL
「こんな集団が堂々と活動しているなんて・・怖すぎです。」
big5
「ただ、KKKの指導者的立場にあったデイビッド・カーティス・スティーブンソンが強姦殺人事件で逮捕されて終身刑を宣告されたことをきっかけに、急速に衰退していきました。
1920年代のKKKの活動はこれでほぼ終わりですが、現代のアメリカでもKKKを名乗る集団が活動を続けており、人種差別問題の一翼を担っています。
KKKが全盛期を迎えていた1924年、移民法が制定されました。これはアメリカ合衆国に入ってくる移民を制限する法律で、アジア系人種は移民として入国できない、とされました。移民として拒否されたのはアジア系人種となっていますが、中国人移民は1882年に既に禁止されていたので、実際の狙いは日本人移民の排除にあった、と考えられています。そのため日本人移民禁止法と呼ばれることもあります。他にも、東欧、南欧諸国からの移民も数の制限が設けられました。」
名もなきOL
「どうしてアメリカは移民を制限したんですか?」
big5
「一言で言うと、アメリカ人の職を奪うと考えられたから、です。この話をするときに登場する専門用語がWASP(ワスプ)です。WASPとは、White(白人)、Angro-Saxon(アングロ・サクソン)、Protestant(プロテスタント)の頭文字を取った造語で、その言葉通り、アングロ・サクソン系の白人プロテスタント、となります。アメリカ合衆国建国の時に支配者層にいた人々のことですね。WASPの多くは、アメリカ合衆国は自分たちの国、という意識を強く持っており、移民は自分たちの下層に位置する外来民族、と考えていました。しかし、アメリカが繁栄するにつれて移民の数が増えてくると、数の優位を取れなくなってきたWASPは危機感を持ち始めたわけですね。そこで、これ以上WASPでない人種がアメリカ合衆国に入ってこれないように、としたわけです。日本人が移民禁止とされた理由は、アメリカが今後の仮想敵国として日本を考え始めた、ということが挙げられます。太平洋の東側は日本領となり、中国でも権益の拡大を狙っている日本は、アメリカにとって競争相手だったわけですね。これが、後の太平洋戦争の下地になります。」
名もなきOL
「アメリカって自由の国と言われていて、確かにそういう部分はありますけど、まだまだ人種差別問題は残っているんですね。」
big5
「また、アメリカは資本主義諸国の代表国となりましたので、非WASPに対する差別意識に加え、ソ連と反共産主義の思想も強くなりました。その象徴ともいえるのが1920年のサッコ・ヴァセッティ事件です。」
名もなきOL
「サッコ・ヴァセッティ?変わった名前ですね。」
big5
「サッコもヴァセッティもイタリア系の人の名前です。イタリア系移民であるサッコとヴァセッティが強盗殺人事件の犯人として逮捕されたんです。」
名もなきOL
「そうなんですね。あれ?でも、そんな事件だったら世界史に出てこないような・・・」
big5
「そのとおり。世界史に残った理由は、サッコとヴァセッティは社会主義思想を持つ労働運動の指導者で、しかも証拠不十分であるのに死刑判決が下され、1927年に死刑執行されてしまったから、です。
1921年はまだソ連が確立してから日が浅く、資本主義の権化ともいえるアメリカの支配者層にとっては危険極まりない思想の国家でした。そのため、サッコとヴァセッティは危険な労働運動指導者とみなされていたんです。証拠不十分で死刑判決が下されたのは、純粋な司法判断ではなく、政治的な意図がしっかり反映されている、と見るべきでしょう。サッコとヴァセッティは、反移民、反共産という典型的なWASPによるアメリカ政治の被害者、と見ることができますね。」
big5
「さて、次の「アメリカ繁栄の影」は禁酒法です。名前のとおり、アメリカ国内でお酒を作るのも買うのも飲むのも禁止、という本当にそんなことあったんですか?と思うような法律です。」
名もなきOL
「現代日本でこんな法律ができたら、大ブーイングですよね。私も守れる自信ないです。というか、絶対反対します。そもそも、なんで禁酒法が成立しちゃったんですか?」
big5
「禁酒法成立の要因としては、いくつか挙げられています。第一次大戦中の食料不足に対応するためとか、反ドイツ感情、とかですね。というのも、アメリカでビール醸造業を担っていたのはドイツ人やドイツ系民だったので、敵国ドイツに痛い目に合わせるため、という見方もあります。他には、酒を飲んで酔っ払う一般労働者は良くない、という風潮が広まった、というのもありますね。
そんなかんじで成立してしまった禁酒法ですが、もちろん守れない人々が続出しました。しかし、公的にはお酒は犯罪です。そこで、どうしてもお酒が飲みたい人たちは、高いお金を払って密輸したり、あるいは裏社会が営む闇酒場に行ったりして隠れてお酒を楽しみました。これが、ギャングなどの裏社会を発展させてしまいます。禁酒法を利用した裏社会で有名になったのが、アル・カポネです。」
big5
「アル・カポネはイタリア系アメリカ人です。若い頃から裏社会で生きるようになり、下積みをへて犯罪組織のボスになります。恐喝、売春、賭博といった原始的な稼業はもちろん、高級ホテルを経営したりもしました。そして、禁酒法が施行されてからは、当然のように酒の密造と販売を行うようになります。こうして、アル・カポネはシカゴの暗黒街のボスとして君臨するようになりました。」
名もなきOL
「人間の欲求を無理に規制すると、裏社会が発展してしまうんですね。アル・カポネはどれくらいの間、君臨していたんですか?」
big5
「1925年(この年、アル・カポネ26歳)に組織のボスとなりましたが、1931年に逮捕されました。なので、およそ6年間ですね。アル・カポネ逮捕のきっかけとなったのは、1929年2月14日に発生した聖ヴァレンタインデーの虐殺という事件です。」
名もなきOL
「どんな事件だったんですか?」
big5
「アル・カポネのギャングとそれに敵対するギャングの抗争事件です。アル・カポネの部下たちが警官に偽装して、敵対ギャングがウィスキーの闇取引をしているところを抑えて、有無を言わさずショットガンで7人を射殺した、という事件です。「虐殺」というには大袈裟だと思いますが、これもアメリカの特徴の一つです。
この事件はアメリカでも大々的に報道され、アル・カポネも取り調べを受けましたが証拠不十分で逮捕されませんでした。また、実行犯たちも取り調べを受けたましたが証拠不十分で無罪となり、この事件では誰一人処罰されませんでした。しかし、これをきっかけにアル・カポネは警察の標的となり、1931年に脱税で起訴されて11年の懲役刑が確定しました。
余談ですが、その後アル・カポネは刑務所内で若い頃に感染した梅毒が悪化し、精神異常をきたすようになってしまいます。1939年に釈放されて病院で治療を受け、フロリダの自宅で過ごしていましたが、1947年に脳卒中に伴う肺炎で死去しています。」
名もなきOL
「繁栄していたアメリカの裏社会を象徴するかのような人生ですね。」
big5
「そうですね。なお、禁酒法は1933年に廃止されています。施行期間は14年になりますが、アメリカ国民に与えた影響はかなり大きかった、と言えるでしょう。
と、言ったところで今回はここまで。ご清聴ありがとうございました。次回もお楽しみに!」
名もなきOL
「今日もありがとうございました。」
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