big5
「さて、今回のテーマは「インドのイスラム化」、です。インドは広大なエリアに様々な民族と宗教が混在していますが、イスラム世界が広まると共に、外国王朝によるインド侵入と共にイスラム教が広まっていきました。ただ、インドは広いので、イスラム教が特によく広まったのは主に北部です。これが、第二次大戦後にパキスタンがインドから分離独立する布石になっていますね。」
名もなきOL
「インドって、本当にミステリアスな国ですよね。私はインド旅行に行ったことがあるんですけど、本当に「雑然としている」というか、キレイなところは凄いキレイなのに、汚い所はビックリするくらい汚くて、街並みも人も実に様々だった、という印象でしたね。」
big5
「インドは外国王朝の侵入も多かったので、それが「多様性」の一因になっているんだと思います。今回も、王朝の名前がたくさん登場しますよ。さて、それではいつもどおり、まずは年表から見ていきましょう。」
年月 | インドのイベント | 他地方のイベント |
962年 | アフガニスタンのガズナを首都としてガズナ朝成立 | |
1001年 | ガズナのマフムードがインド侵入 | |
1019年 | ガズナのマフムードが北インドのプラティハーラ朝の首都・カナウジを占領 | |
1066年 | ヘースティングスの戦い ⇒ ノルマン朝イングランド成立 | |
1095年 | 第1回十字軍 | |
1148年 | ゴール朝興る | |
1186年 | ゴール朝がガズナ朝を滅ぼす | |
1192年 | ゴール朝がラージプート諸侯の軍を破る | 源頼朝が征夷大将軍に任命される |
1204年 | 第4回十字軍がコンスタンティノープル占領 | |
1206年 | ゴール朝の将軍・アイバクがデリーを首都とし奴隷王朝を建国 ⇒デリー=スルタン朝の始まり |
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1221年 | モンゴル軍がインドに侵入するも撃退される | |
1290年 | ハルジー朝 成立 | |
1320年 | トゥグルク朝 成立 | |
1333年 | 鎌倉幕府 滅亡 | |
1336年 | 南インドのヴィジャヤナガル王国が独立 | |
1339年 | 百年戦争 開戦 | |
1348年 | ヨーロッパで黒死病(ペスト)流行 | |
1398年 | ティムールの遠征軍がインドに侵入 | |
1414年 | サイイド朝 成立 | |
1451年 | ロディ―朝 成立 | |
1453年 | コンスタンティノープル陥落しビザンツ帝国滅亡 英仏百年戦争 終結 |
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big5
「最初はガズナ朝(Ghaznavid Dynasty)の話から始めます。今日のテーマは「インドのイスラム化」ですが、ガズナ朝はインドの王朝ではなく現在のアフガニスタンの辺りにできた国で、北インド方面に勢力を伸ばしました。↓の地図を見てください。」
名もなきOL
「現在の国でいうと、パキスタン、アフガニスタン、それからイランの辺りを勢力圏としたんですね。インドだと北西部が、ガズナ朝の勢力圏に入っていますね。」
big5
「はい。なので、インドから見るとガズナ朝は外国王朝であるわけです。ガズナ朝が成立したのは962年。当時、西アジア方面を支配していたサーマーン朝でマムルーク出身の親衛隊長・アルプテギンがガズナを首都とした独立政権を樹立したことから始まりました。民族としてはトルコ系で、宗教はもちろんイスラム教です。
ガズナ朝は勢力を拡大し、北インドにもたびたび侵攻していましたが、998年にマフムードがガズナ朝の君主となり、1001年頃からインドへの侵入が本格的に行われるようになりました。マフムードはラージプート諸侯と呼ばれる、北インドを領国としていたヒンドゥー教徒の諸侯を激しく攻撃し、1018年にはラージプート諸侯の中でも有力だったプラティハーラ朝の首都・カナウジを攻略しました。上の地図では、茶色の破線と茶色のエリアで囲われているエリアですね。字が小さいですが、一番右の"Kannauj"が「カナウジ」です。」
名もなきOL
「こうやって見ると、かなり遠いところまでマフムードは侵攻していったんですね。でも、茶色で塗られていないということは、この辺りはガズナ朝の領地にならなかったんですね?」
big5
「そのとおりです。マフムードのインド遠征は、領土拡大というよりも、金銀宝物の略奪が主目的だったようですね。征服地では酷い略奪を行ったと伝えられており、今でもインドでは「ガズナのマフムード」という、恐るべき暴虐な異国の征服者としての呼称が残っているそうですよ。
なので、ガズナ朝は北インドに侵入したものの、この時点ではイスラム教はあまり普及しませんでした。ですが、ヒンドゥー教徒諸侯の国を大きく弱体化させ、後で登場するゴール朝による支配への道筋となりました。」
big5
「次はゴール朝(Ghurid dynasty)の話ですね。ゴール朝もガズナ朝と同じく民族系統はトルコ系、宗教はイスラム教です。マフムードの死後、ガズナ朝は後継者争い等で衰退していきました。その結果、これまでガズナ朝に従っていた諸侯が離反して独立するようになります。ゴール朝も、衰退するガズナ朝から独立した王朝の一つでした。1148年に独立王朝となり、1186年にガズナ朝を滅ぼして事実上の後継国家となりました。全体的に見てゴール朝はガズナ朝よりも広く、また北インドも領有しているところが重要です。↓の地図を見てみてください。」
名もなきOL
「横に長いんですね。現在の国で言うと、イランからアフガニスタン、パキスタン、インドをへてバングラデシュまで至っていますね。確かに、北インドのほとんどを領有していますね。」
big5
「1192年、日本では源頼朝が征夷大将軍に任命された年、ゴール朝のムハンマド王は北インドのラージプート諸侯の連合軍を破り、1193年に北インド統一に成功しました。1203年には、さらに東のベンガル地方を治めていた仏教を信仰するパーラ朝を滅ぼしています。この時ナーランダー僧院も破壊され、以降、インドにおける仏教はまったく振るわなくなり、ごく一部の人だけが信仰する宗教となりました。」
名もなきOL
「そういえば、仏教って元々はインド発祥ですもんね。」
big5
「このように、ゴール朝は一時的に大国にのし上がったのですが、それも長続きしませんでした。1206年にムハンマド王が暗殺されると、たちまち内乱が勃発して分裂状態になり、北インドではゴール朝の将軍・アイバクが事実上の独立を果たしました。アフガニスタン方面に残っていたゴール朝も1215年にはホラズム朝に滅ぼされています。」
big5
「さて、ここから北インドを支配した奴隷王朝、ハルジー朝、トゥグルク朝、サイイド朝、ロディー朝の5つを見ていきます。この5つの王朝は、どれも北インドの都市・デリー、を首都としたイスラム教国だったので、デリー=スルタン朝、とまとめて呼ぶこともあります。」
名もなきOL
「あら、たくさん王朝の名前が出てきたわ。これは覚えられそうにない・・・」
big5
「私はこの語呂合わせで覚えています。
どれ?春を継ぐサイロ?
どれ?:奴隷王朝 春:ハルジー朝 継ぐ:トゥグルク朝 サイ:サイイド朝 ロ:ロディ―朝
他にも覚え方はあると思います。」
名もなきOL
「それにしても、奴隷王朝って不思議な名前ですね。奴隷が国王になって王朝を開いた、ということなんですか?」
big5
「はい、奴隷王朝の名前の由来は、創始者のアイバクをはじめ、歴代のスルタンは奴隷orその直系の子孫であるから、という理由で名付けられたそうです。英語でも昔は"Slave Dynasty"でした。ただ、近年ではこの名前は適切ではない、という意見も強くなってきました。というのも、アイバク=奴隷というのは正しくないからです。アイバクは元奴隷でしたが、その後解放されて軍人となったマムルークだからです。奴隷そのものではなく、「解放奴隷」なんです。なので、最近ではインド・マムルーク朝(英語では"Mamuluk Dynasty")という名前で呼ばれたりします。
大事なことは、奴隷王朝の頃から北インドでイスラム教が普及し始めた、ということです。ガズナ朝、ゴール朝はともにアフガニスタン方面が根拠地だったので、インドは征服地の一部に過ぎませんでしたが、奴隷王朝以降は北インドが根拠地になりました。それに伴って、イスラム教も普及しはじめたわけですね。」
名もなきOL
「なるほど、こういう経緯でインドにイスラム教徒が増えていったんですね。」
big5
「ただ、この1200年代という時代はモンゴル帝国の時代でもありました。奴隷王朝が治める北インドにも、しばしばモンゴル軍が攻め込んできましたが、奴隷王朝はなんとかこれらを撃退しています。しかし、奴隷王朝の時代は長続きはせず、1290年に後継者争いの混乱の中で滅びました。」
big5
「奴隷王朝の次に成立したデリー=スルタン朝の2代目となった王朝はハルジー朝です。ハルジー朝も、ガズナ、ゴール、奴隷王朝と同じくトルコ系イスラム教の王朝です。創始者はジャラールッディーン・ハルジーです。ハルジー朝の特徴は、南インドを一時的に征服して南北インドの大部分を領有した、ことですね。」
名もなきOL
「領土が南インドにも広がったので、さらにイスラム教が広まるきっかけになったんでしょうね。」
big5
「しかし、ハルジー朝は政治の乱れが進んだ結果、内乱が生じてわずか30年で滅ぶことになりました。短命王朝でしたね。ただ、ハルジー朝の時代に税制改革が行われました。イスラム教国なので、ヒンドゥー教徒などの異教徒からはジズヤ(人頭税)を徴収するのですが、納税者の財産に応じて3段階に分けて課税するという、累進課税の原型となる制度を採用しました。納税手段も物納ではなく貨幣としたことや、納税業務はこれまで村長などの村の有力者が担当していたのを、納税者本人にさせるなど、現代の税制に近いシステムになっていました。この税制は、ムガル帝国にも引き継がれています。」
big5
「ハルジー朝が滅んだ後、デリー=スルタン朝の3代目となった王朝はトゥグルク朝です。トゥグルク朝も、これまでの王朝と同じくトルコ系イスラム教の王朝です。創始者はギヤースッディーン・トゥグルクです。ギヤースッディーンはハルジー朝の有力な将軍の一人で、内乱を制して新たな王朝を開きました。ギヤースッディーンは息子に南インド遠征を行わせて領土を拡大し、支配領域をさらに広げています。
こちらの地図を見てください。」
名もなきOL
「領土がかなり広がっていますね!インドの7割方くらいを支配していたんですね。」
big5
「ただ、トゥグルク朝の広大な版図は長続きしませんでした。1336年に南インドでヴィジャヤナガル王国が独立するなど、各地で反乱・独立が相次いで南部の領土を失ってしまいました。ヴィジャヤナガル王国では軍事力強化を目的として、インド洋交易で西アジア方面から馬を大量に輸入したそうです。
さらに、1398年にはティムールの軍がインドに侵入。デリーが陥落し、壊滅的な損失を出してしまいます。ティムールは配下のヒズル・ハーンをインド方面の統治者に任命。ヒズル・ハーンが残っていたトゥグルク朝を1414年に滅ぼしました。」
名もなきOL
「デリー・スルタン朝の中でも、トゥグルク朝は栄枯盛衰の浮き沈みが激しかったんですね。」
big5
「トゥグルク朝が滅んだ後、デリー=スルタン朝の4代目となった王朝はサイイド朝です。サイイド朝も、これまでの王朝と同じくトルコ系イスラム教の王朝です。サイイド朝を開いたのは、上述の通りティムールの配下であったヒズル・ハーンです。」
名もなきOL
「あれ?サイイドという名前の由来はなんですか?ヒズル・ハーンさんの名前には入っていないですね。」
big5
「サイイドというのは、イスラム教の教祖・ムハンマドの子孫、という意味なんです。ヒズル・ハーンは「サイイドである(ムハンマドの子孫である)」と自称したのが由来ですね。
その一方で、サイイド朝はこれまでのデリー・スルタン朝と比べると領土も小さく、あまり強い国ではありませんでした。1451年、アフガニスタン系のバフルール・ロディ―によって滅ぼされました。」
big5
「サイイド朝が滅んだ後、デリー=スルタン朝の5代目(つまり最後)となった王朝はロディ―朝です。ロディ―朝は、これまでの王朝と違いアフガン系イスラム教の王朝です。ロディ―朝は3代75年の治世で領土を再び拡大し、北インドを支配しました。こちらの地図を見てください。」
名もなきOL
「これまで登場したガズナ朝、ゴール朝、トゥグルク朝と比べるとこじんまりしたかんじですが、確かに北インドの大部分を領有していますね。まさに「北インドの国」というかんじですね。」
big5
「時を経て1526年、ロディ―朝はムガール帝国を建国するバーブルに敗れて滅亡するのですが、それはまた別のページで扱います。
こうして、ガズナ朝、ゴール朝による侵略から始まり、歴代のデリー・スルタン朝の支配によって、インドではイスラム教徒が少しずつ増えていきました。元々多様だったインドの民衆に、新たに「イスラム教」という宗教が混じることで、さらに多様性が増すことになったわけです。これが、後にインドがイギリスから独立する時の重要ポイントの一つになるわけですね。
と、言ったところで今回はここまで。ご清聴ありがとうございました。次回もお楽しみに!」
名もなきOL
「今日もありがとうございました。」
big5
「大学入試共通テストでは、中世のインド(インドのイスラム化)のネタはよく出題されていました。令和3年以降、試験の形式が一部変更されてからは出題されていませんが、試験前に復習しておけば運よく出題されるかもしれません。」
平成30年度 世界史B 問題3 選択肢2
・アドリアノープルは、ガズナ朝によって征服された。〇か×か?
(答)×。ガズナ朝はアドリアノープルまで征服していません。アドリアノープルではなく「カナウジ」などでしたら正しくなります。
平成31年度 世界史B 問題16 選択肢4
・ヴィジャヤナガル王国は、インド洋交易で大量の馬を輸出した。〇か×か?
(答)×。輸出ではなく「輸入」になります。かなり細かい論点なので、これが×だとわかった受験生は少ないでしょう。
令和2年度追試 世界史B 問題22 選択肢2
・エフタルの侵入により、ガズナ朝が衰えた。〇か×か?
(答)×。ガズナ朝の衰退とエフタルはまったく関係ありません。時代もだいぶ異なります。
令和2年度追試 世界史B 問題31 選択肢3
・セリム1世が、奴隷王朝を建国した。〇か×か?
(答)×。セリム1世ではなく、アイバクです。
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