big5
「今回のテーマはエーゲ文明です。一言で言うと、古代ギリシアよりも前にギリシア方面で繁栄した古代文明です。まず、「世界の歴史まっぷ」さん作成の↓の地図を見てください。」
big5
「地図の中央よりも少し上に現代ギリシアの首都・アテネがありますね。こちらがギリシア本土です。その右にあるのがエーゲ海。地図には描ききれない小さな島も多いので日本語では「多島海」と呼ばれることもあります。ギリシア本土からエーゲ海を東に渡ったのが現在のトルコの一部で、歴史では「小アジア」とか「アナトリア半島」と呼ばれる地域です。地図の下にある横に長い島がクレタ島です。このあたりが、エーゲ文明の中心地となる地域です。
エーゲ文明は主に下の3つの文明で構成されています。
1.クレタ文明(ミノア文明、ミノス文明、とも):水色で塗られているエリア。クレタ島が中心地
2.ミケーネ文明:赤色で塗られているギリシア本土のエリア。ペロポネソス半島にあるミケーネが中心地
3.トロヤ文明:地図の右上、トロヤの周辺。中心地はトロヤ
古代史で古代ギリシアというと、ポリスやアテネ、スパルタ、ペルシア戦争やペロポネソス戦争の話がメインですが、それよりもかなり前から、この辺りには文明が繁栄していたんです。」
名もなきOL
「古代文明というと、大河の流域にあるイメージですけど、エーゲ文明は大河流域ではないんですね。」
big5
「そうですね。それでは、いつもどおりまずは年表から見ていきましょう。古代の年表なので、年代は本当にざっくりとこれくらい、という程度の精度です。」
年月 | エーゲ文明のイベント | 他地方のイベント |
前2000年頃 | クレタ文明 成立 | エジプト中王国時代の始まり メソポタミアにウル第3王朝成立 |
前1600年頃 | クレタ文明滅ぶ ミケーネ文明始まる | |
前1250年頃? | トロヤ文明滅亡 | |
前1200年頃 | ミケーネ文明滅ぶ 前1200年のカタストロフ | 海の民の侵入 ヒッタイト滅亡 |
big5
「さて、まずは3つのエーゲ文明の一つ、クレタ文明から見ていきましょう。クレタ文明は名前の通り、クレタ島を中心に繁栄していたので「クレタ文明」と呼ばれます。ただ、別名が2つあります。1つは、伝説でクレタ文明の王としてミノスという人物が登場するので、その王の名をとって「ミノス文明」とも呼ばれます。あるいは「ミノア文明」とも呼ばれますね。ここではクレタ文明で通します。
クレタ文明がいつ頃から成立していたか、そしていつ頃滅んだかについては、詳しいことはわかっていません。ここでは、紀元前2000年頃としましたが、それよりももっと前から文明として存在していた、という説もありますね。クレタ文明を構成していた民族は、クレタ島に住んでいた「クレタ人」とされますが、クレタ人はギリシア系というよりも、地中海のどこかしらの民族と小アジアの民族の混血ではないか、とも言われており不明点が多いです。中心地はクレタ島のクノッソス、他にファイストスという遺跡もあります。クノッソス宮殿は発掘調査が進み、下のように一部は保存されています。」
名もなきOL
「白い壁に赤い柱がキレイですね。良く晴れた青空によく映えそう。」
big5
「クノッソス宮殿は、かなり高い建築技術で作られたことがわかっています。基本的に石を使っているのですが、石は切り石と呼ばれる、人間が長方形や正方形に切って形を整えた石が使われています。特徴的なのは、大広間などはなく、小さな部屋がたくさんあることです。壁画も多く残っており、幾何学的文様や動植物を描いたものが発見されています。例えば、こんなかんじです。」
名もなきOL
「色合いが明るくてキレイですね。なんか、平和な印象があります。」
big5
「そうですね。クレタ文明の特色として、よく「平和的」と言われます。その理由として「クノッソス宮殿に城壁が無い」、ということがよく挙げられていますね。城壁が無い⇒攻め込まれることが無かった、という考え方ですね。あとは、後述するミケーネ文明が戦闘的なものが多いから、比べると尚更そう見えるんでしょうね。
また、クレタ文明で使われていた文字として、クレタ絵文字と線文字Aが発見されています。どちらもまだ未解読です。線文字Aが解読できたら、エーゲ文明の研究はかなり進むだろう、と期待されているのですが、今も未解読のままです。」
名もなきOL
「クレタ文明はどうして滅んでしまったんですか?」
big5
「わかりません。謎です。昔は、後述するミケーネ文明を築いたギリシア人の一派であるアカイア人が南下して滅ぼした、と言われていましたが、決定的な証拠はまだ見つかっていません。
クレタ文明を発掘したのは、イギリス人のエヴァンズで、1900年から発掘調査を始めました。クレタ文明にまつわる有名な伝説に、ミノタウロスの伝説があります。ミノタウロスは、牛と人間が合わさったような体で、人間をはるかに凌駕する力を持つ怪物でした。ミノタウロスは、クノッソスの迷宮の奥に閉じ込められていたのですが、若い人間の男女を生贄として差し出していました。そんなある日、アテネから来た英雄・テセウスが、お姫様からもらった紐で自分がたどった道を記録しておきながら迷宮を進み、ついにミノタウロスを斬る、という話ですね。エヴァンズは、ミノタウロスの神話の舞台となった古代文明が実在したことを証明したわけですね。」
名もなきOL
「ロマンがありますね。クノッソス宮殿も小さな部屋が数多くあるという、迷宮みたいな作りになっていますし。エヴァンズさん、よく発見できましたね。」
名もなきOL
「これはいかにも立派そうな門ですね。ライオンを使っているのも、力強さを感じさせますね。」
big5
「そうなんです。クレタ文明と比較して、ミケーネ文明は戦闘的、と言われることが多いですね。ミケーネ文明が発掘されたのは1876年で、後述するトロヤ文明を発掘して有名になったシュリーマンが発掘を始めました。シュリーマンが発掘した中でも有名なのが、こちらの黄金のマスクですね。黄金のマスクは、ミケーネ城内の墳墓から発見されたそうです。」
big5
「これらの発掘品をもとに、シュリーマンはミケーネ文明の存在を提唱。ミケーネ文明の研究が熱心に進められるようになりました。その結果、ミケーネ文明で使われていた線文字Bが1953年にイギリス人のヴェントリスによって解読されるなど、かなりの進捗を見せています。」
名もなきOL
「文字が解読できたら、もっといろいろなことがわかるようになりますよね。」
big5
「そのとおりです。ミケーネ文明は、ポリス社会である古代ギリシア文明とは異なり、専制的な権力を持つ王が支配する国でした。王に従う周辺のギリシア人の中小集落は農作物などを納める納税義務がある貢納王政と呼ばれる政治体制を取っていた、ということもわかってきました。
そんなミケーネ文明でしたが、前1200年頃を境に、突然痕跡が消えてしまいます。いわゆる前1200年のカタストロフです。以前は、ギリシア人の一派であるドーリア人によって滅ぼされたのではないか、と考えられていましたが、最近では海の民によって滅ぼされたのではないか、という説もあります。詳細は不明です。」
名もなきOL
「海の民とか前1200年のカタストロフって、古代オリエントのページでも出てきましたけど、本当に何がったんでしょうね?私は、海の民に滅ぼされたんじゃないか、と思います。」
big5
「というお話です。このお話はたいへん有名でしたが、トロヤ戦争も木馬の話も、全部神話の類だと思われていました。それを「トロヤは実在する!」と実証しようとしたのが、ドイツ人のシュリーマンだったんです。シュリーマンは子供の頃から聞いていたトロヤは実在するのではないか、と考えました。独学で10か国語を学び、貿易商として大成功したシュリーマンは、自分の財産を使って発掘活動を行いました。そして1871年にトロヤ遺跡を発見したんです。このニュースには、世界が驚きました。」
名もなきOL
「シュリーマンって、私財を使って発掘をしたんですね。凄い行動力です。」
big5
「ただ、純粋な考古学者ではなかったので、シュリーマンの発掘方法には問題点があった、と指摘されています。ただ、シュリーマンの発掘によってエーゲ文明研究の先鞭がついたことは間違いありません。シュリーマンは、さらにミケーネ文明の発掘も始めて黄金のマスクを発見していますから、先駆者として果たした役割は大きいでしょう。
と、言ったところで今回はここまで。ご清聴ありがとうございました。次回もお楽しみに!」
名もなきOL
「今日もありがとうございました。」
big5
「大学入試共通テストでは、エーゲ文明のネタはたまに出題されています。古代史は、最初の方で習うので試験前には内容を忘れがちです。他の分野に比べて優先度は低いものの、エーゲ文明については試験前に復習しておけば、運よく出題されるかもしれません。」
令和2年度 世界史B 問題4 選択肢1
・ギリシア人によってミケーネ文明が築かれた。〇か×か?
(答)〇。上記の通り、ミケーネ文明はギリシア人の一派、アカイア人によって築かれました。
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