big5
「今回のテーマは古代ギリシアの後編です。前編では古代ギリシアの代表であるアテネとスパルタの発展を見てきましたが、後編は古代ギリシア世界の没落へと繋がっていく戦争の話がメインになります。」
名もなきOL
「民主政治を実現させたアテネにはもっと頑張ってほしかったんですけど、今回で終わりになるんですね。」
big5
「後編は、主にペルシア戦争とペロポネソス戦争の2つのイベントで成っています。ペルシア戦争は、強大なアケメネス朝ペルシア帝国に対して、ギリシアの諸ポリスが連合して対抗した戦いでした。ギリシア人はこのピンチをなんとか乗り切るのですが、その後は内部抗争が発生するようになり、その最たるものがペロポネソス戦争です。これ以降、古代ギリシアは力と影響力を落とし始め、新たな時代を迎えることになります。まずはいつもどおり、年表から見ていきましょう。」
年月 | 古代ギリシアのイベント | 他地方のイベント |
前500年 | イオニアの反乱 ペルシア戦争 開戦 | |
前494年 | イオニアの反乱 鎮圧される | |
前492年 | アケメネス朝ペルシアの第1回遠征 | |
前490年 | アケメネス朝ペルシアの第2回遠征 マラトンの戦いでアテネが勝利 |
|
前480年 | アケメネス朝ペルシアの第3回遠征 テルモピュライの戦い サラミスの海戦 |
|
前479年 | プラタイアの戦い 第3回遠征失敗 | |
前477年 | デロス同盟結成 | |
前449年 | カリアスの和約 ペルシア戦争終結 | |
前443年 | ペリクレス時代始まる | |
前431年 | ペロポネソス戦争 開戦 | |
前404年 | ペロポネソス戦争 終結 スパルタがギリシアの覇者に | |
前371年 | レウクトラの戦いでテーベがスパルタを破る テーベがギリシアの覇者に | |
big5
「前500年、エーゲ海東岸のイオニア地方にあるギリシア人植民都市が、強大なアケメネス朝ペルシア帝国の支配に対して反乱を起こしました。これをイオニアの反乱といいます。そして、このイオニアの反乱が、後に本格化するペルシア戦争のきっかけとなりますので、イオニアの反乱をもってペルシア戦争の始まり、とすることが多いですね。」
名もなきOL
「イオニア地方のギリシア人植民都市って、どこでしたっけ?」
big5
「有名なのはミレトスとエフェソスですね。イオニア反乱も、ミレトスが中心となりました。ミレトスは、アテネと同じイオニア人が築いた植民都市ですから、アテネとは縁が深いです。そのため、アテネは同胞を助けるためにミレトスに援軍を送ったりしたのですが、強大なアケメネス朝ペルシアにはかなわず、前494年にイオニアの反乱は鎮圧されます。ミレトスは徹底的に破壊され、その後復興することもなく、今も遺跡として残っています。
時のアケメネス朝ペルシアの王・ダレイオス1世は、反乱を支援したアテネを始めとしたギリシア人たちをこの機に征服しようと考え、前492年、大規模な遠征軍をギリシアに送ることを決めました。この第1回遠征を「第一次ペルシア戦争」と呼ぶこともありますが、ここでは「第1回遠征」と記載します。」
<年号暗記語呂合わせ>
欲に(492)溺れたダレイオス ペルシア戦争 遠征開始
名もなきOL
「アケメネス朝はペルシア方面からメソポタミア、エジプト、小アジアまでの広大な領域を支配する大帝国ですもんね。これはギリシアにとって大ピンチだったことでしょう。」
big5
「第1回遠征では、ギリシア北部のトラキア方面に遠征軍が送られたのですが、海軍がアトス岬で暴風のために壊滅。海軍無しで遠征を続けるのは困難と判断され、遠征軍は撤退していきました。第1回遠征は、本格的な戦いが起こらないで終わったわけですね。
しかし、これで諦めるダレイオス1世ではありませんでした。前490年には再び遠征軍を送ります。第2回遠征です。第2回遠征軍は、エーゲ海の島々を制圧しながら、アテネの北東にペルシア陸軍が上陸し、これを迎撃するアテネ軍と本格的な戦闘になりました。前490年、マラトンの戦いです。」
big5
「ヘロドトスの「歴史」によると、ギリシア軍はアテネ軍9,000とプラタイアの援軍1,000の合計1万に対し、ペルシア軍は2万6千と数の上ではペルシア軍がかなり優勢でした。しかし、ギリシア軍を率いたストラテゴス(将軍)のミルティアデス(この年60歳)の指揮により、数的不利をひっくり返してギリシア軍が大勝利をおさめました。この敗北でアケメネス朝ペルシアの遠征軍は意気消沈して撤退。第2回遠征も失敗に終わりました。」
名もなきOL
「凄い!ミルティアデスさんはきっと英雄として迎えられたんでしょうね。」
big5
「そうですね。ただ、ミルティアデスのその後はあまり幸せではありませんでした。この話は長くなるので詳細篇で触れましょう。
なお、このマラトンの戦いの勝利を、アテネに一刻も早く伝えるべく、死者がマラトンからアテネまで約50kmを走った、というお話が残されています。これが元になってみんなが知っているマラソンというスポーツが誕生しました。」
big5
「第2回遠征までも失敗したダレイオス1世は、再度遠征を計画したそうですが、ペルシア軍が遠征先で大敗したことをきっかけに、エジプトで反乱が勃発。これに対処せざるを得なくなり、前485年には亡くなりました。代わって、クセルクセス1世が王に即位し、反撃の機会を伺います。
前490年、クセルクセス1世は自らこれまでにない大軍団を率いて第3回遠征に出発しました。ペルシアが支配するメソポタミア、エジプト、フェニキアなどの各地方から兵が集められ、その数は20万近くに膨れ上がり、そして国際色豊かな大遠征軍になったそうです。大遠征軍はダーダネルス海峡を渡って第1回遠征と同じように北部ギリシアから陸路を進み、海軍も陸軍と歩調を合わせて進軍していきました。ここに、ギリシアは史上最大のピンチを迎えます。あまりの敵軍の多さに、降伏するポリスも現れ始める中、スパルタ王・レオニダス(この年60歳くらい)率いるスパルタ戦士300人を主力とするギリシア軍は、テルモピュライという隘路を利用して防衛することを決定。前480年8月、戦史、特にスパルタ戦士の強さと勇敢さを伝えるテルモピュライの戦いです。」
名もなきOL
「これって、映画「300」で描かれた戦いですよね?」
big5
「はい、そうですよ。迫力ある映画でしたね。実際のスパルタ戦士は、上半身裸にマントを羽織る、という格好ではなく、きちんと鎧を着て戦いましたが、大きな円形の盾と手槍を標準武装とし、密集陣形(ファランクス)をとって戦うところは、記録に則っていましたね。あと、ペルシア軍にモンスターみたいに描かれている部隊がいましたが、決してそんなことはありません。人間です。
狭い地形を活用し奮戦するスパルタ戦士とギリシア兵に、ペルシア軍は思わぬ苦戦を強いられますが、衆寡敵せず、スパルタ戦士は全滅、レオニダスも戦死してテルモピュライの戦いはギリシア軍の敗北に終わりました。」
big5
「しかし、ギリシア軍はまだ諦めずに反撃の機会を伺いました。アテネのテミストクレスは海戦でペルシア軍を破る作戦を提唱し、ペルシア海軍をサラミス島近くの水域に誘導することに成功。ここで、アテネを主力とする海軍がペルシア海軍に襲い掛かりました。前480年9月、サラミスの海戦です。
サラミスの海戦でアテネ海軍の主力となったのが三段櫂船と呼ばれる船です。この三段櫂船の乗組員は、漕ぎ手が170人、士官20人、水夫4人、戦士10人となっており、敵船に乗り移って戦うというよりも、軍船の先端に取り付けた衝角という角みたいなものを、敵船の横っ腹にぶつけて破壊する、という戦法が取られました。この戦法で、ペルシア海軍は次々と破壊され、サラミスの海戦はギリシア軍の大勝利となります。この海戦を見晴らしのいい丘から観戦していたクセルクセス1世は、大敗北した自軍艦隊を見て肝を冷やし、そのままペルシアに帰って行きました。」
名もなきOL
「マラトンに続いて大金星を取ったんですね。」
big5
「そのとおりです。テミストクレスはこの戦勝でアテネの英雄となりました。しかし、その後のテミストクレスは陶片追放されてしまい、あまり幸せな人生を歩んでいません。この辺の話は「詳細篇」で取り扱います。
また、サラミスの海戦には、もう一つ大きな意味がありました。それは、無産市民も軍船の漕ぎ手として戦闘に参加した、ということです。前編で見たように、アテネでは戦闘に参加する者に参政権が与えられるという原則があります。武具を自前で用意できない無産市民に参政権はなかったのですが、軍船の漕ぎ手として参加できるということで、無産市民もある程度の発言力を持つようになりました。
さて、海軍は壊滅したペルシア遠征軍でしたが、陸軍は健在でした。しかし、年が明けた前479年、プラタイアの戦いでアテネ・スパルタを主力とするギリシア連合軍がペルシア軍を破り、ついに遠征軍は壊滅。激戦となった第3回遠征は、ペルシアの敗北で幕を閉じました。なお、プラタイアの戦いで指揮を執ったスパルタのパウサニアスも英雄となりましたが、その後の人生は不幸でした。これも「詳細篇」で触れましょう。
こうして、強大なペルシア帝国の侵攻を受けて滅亡の危機にさらされたギリシアでしたが、勝利を掴んで生き残ったわけです。しかし、ペルシア帝国は滅んだわけではなく、遠征に失敗しただけです。いまだに広大な領土を保有しており、ギリシアにとって脅威であることに変わりはありませんでした。」
big5
「前478年、ペルシアの侵攻をなんとか防いだギリシア諸ポリスは、アテネを盟主とした対ペルシア同盟を結成しました。デロス同盟です。デロス同盟は、同盟の金庫をデロス島というエーゲ海に浮かぶ島の一つに置いたことから、この名がついています。デロス同盟はペルシアの侵攻に備えることを目的としており、約200のポリスが参加しています。アテネのような大きなポリスは軍船を提供し、小さなポリスは軍資金を提供して運営されることになりました。しかし、デロス同盟は当初の目的とは異なった使われ方をしてしまったんです。」
名もなきOL
「対ペルシア用ではなく、他のことに使われた、ということですよね?」
big5
「はい、アテネが他のポリスを力で服属させることに、デロス同盟の軍事力が使われたんです。ペルシアとは、その後も小さな戦闘などはありましたが、前449年に和平が結ばれ(カリアスの和約)、ペルシアの脅威は去ったのですが、デロス同盟は解散されることはなく、アテネを盟主として存在し続けました。」
big5
「前443年、アテネでペリクレスがストラテゴスに選出され、以後毎年、ペリクレスはストラテゴスに選出されました。上手な弁舌と政治力でペリクレスは民会の支持を得て、民主政治アテネの黄金時代を築いた、と評価されています。そのため、ペリクレスがストラテゴスに選出され続けていた時代を「ペリクレス時代」と呼んだりします。」
名もなきOL
「それはきっと、平和でいい時代だったんでしょうね。」
big5
「ところが、そうでもなかったんです。確かに、表面上はアテネは繁栄していました。世界遺産にもなっているパルテノン神殿が建設されたのもこの時代です。しかし、デロス同盟の継続によってアテネに反対するポリスもち力で従わされ、アテネに対する不満が積み重なってきました。今度はギリシア世界内で新たな火種がくすぶり始めたんです。」
big5
「前431年、アテネに対する不満が爆発し、スパルタはペロポネソス同盟を率いてアテネに攻め込みました。ペロポネソス戦争の始まりです。一方、アテネはデロス同盟を率いてスパルタと戦いました。開戦間もなく、アテネでは疫病が流行して人口が大きく減少し、その戦力を大きく損ねてしまいます。高齢だったペリクレスも死去してしまい、アテネは混沌としてきました。そんなアテネで、民衆を指導したのがデマゴゴス(日本語訳は「民衆扇動家」)です。デマゴゴスは「デマ」の語源となっていますが簡単に説明する、簡単で分かりやすい話で民会で民衆の感情に訴えて支持を得た人々のこと、を言います。主張はわかりやすいので、政治や軍事の素人である民衆の支持を得やすく、また感情に訴えることが多かったので、熱烈な支持を得たりもしました。しかし、デマゴゴスの主張が、政治的に正しいのかは別問題です。このように、理論や合法的な手段よりも、一時の感情を煽って重要な物事を決めていく政治を衆愚政治と言います。」
名もなきOL
「そんな状態だったら、アテネは勝てなかったんでしょうね。」
big5
「はい、いろいろとあったのですが、その話は「詳細篇」に譲ります。最終的には前404年にスパルタが勝利してアテネは敗北。27年に及んだ戦争はようやく終結しました。デロス同盟は解体となり、ギリシア世界の覇者はスパルタとなりました。しかし、この勝利には問題もありました。それは、スパルタはペルシアと同盟し、その支援を受ける代わりにイオニア地方のギリシア人都市の支配権を認めた、ということです。この頃、アケメネス朝ペルシアも力が衰えていたのですが、ギリシア世界への干渉は続けていました。それが、ペロポネソス戦争である程度の結果を出してているわけですね。」
big5
「ペロポネソス戦争でギリシア世界の覇者となったスパルタですが、その天下が長続きすることはありませんでした。前371年、有力ポリスの一つであるテーベのエパメイノンダス率いるテーベ軍が、レウクトラの戦いでスパルタ軍に大勝利する、という事件が起きました。これは、古代ギリシア世界では衝撃のニュースでした。なにしろ、最強の陸軍と恐れられていたスパルタ軍が、ほぼ同戦力の戦いで大敗したわけですから。レウクトラの戦いでテーベ軍を率いたエパメイノンダスは、ファランクス戦法の新たな活用方法を見出した、ということで戦史上はたいへん有名な人物です。政治的には、スパルタの覇権は揺らぎ始め、代わってテーベがギリシア世界の覇者となります。ただ、テーベも政変が続き、その力は失われていきました。
こうして、古代ギリシア世界は有力ポリスの抗争で疲弊していきました。かつて、ペルシア戦争で強大なペルシア帝国を打ち破った古代ギリシアの輝きが復活することはなく、新しい時代を迎えることになるわけです。
と、言ったところで今回はここまで。ご清聴ありがとうございました。次回もお楽しみに!」
名もなきOL
「今日もありがとうございました。」
big5
「大学入試共通テストでは、古代ギリシアのネタが時折出題されています。古代史は、最初の方で習うので試験前には内容を忘れがちです。古代ギリシアについては試験前に復習しておけば、運よく出題されるかもしれません。」
平成31年度 世界史B 問題28 選択肢1
・ペロポネソス戦争で、スパルタはペルシアの支援を受けた。〇か×か?
(答)〇。上記の通りです。スパルタ勝利の一因はペルシアの支援にありました。
平成31年度 世界史B 問題28 選択肢3
・テミストクレスが、アクティウムの海戦でペルシア軍に勝利した。〇か×か?
(答)×。上記の通り、テミストクレスがペルシア軍を破ったのはサラミスの海戦です。アクティウムの海戦は、共和政ローマの末期、アウグストゥスがアントニウスとクレオパトラの連合軍を破った海戦です。
平成31年度 世界史B 問題28 選択肢4
・スパルタを盟主として、デロス同盟が結成された。〇か×か?
(答)×。上記の通り、デロス同盟の盟主はアテネです。スパルタではありません。
令和2年度 世界史B 問題32 選択肢1
・アテネでは、ペルシア戦争後、軍船の漕ぎ手として活躍した下層市民(無産市民)の発言力が高まった。〇か×か?
(答)〇。上記の通りです。
古代 目次へ戻る
この解説は、管理人の趣味で作成しております。解説が役に立ったと思っていただければ、下記広告をクリックしていただくと、さらなる発展の励みになります。