Last update:2017,Sep,25

日本の牛肉の歴史

big5
「このコーナーでは、本編とはだいぶ趣向を変えて、もうちょっと身近にあるものの意外な歴史について見ていきたいと思います。第1回となる今回は「日本の牛肉の歴史」です。」
名もなきOL
「私、牛肉大好きです!でもどうして牛肉にしようと思ったんですか?」
big5
「たまたまなんですけど、最近牛肉を食べる機会が多かったんです。おまけに、懸賞で国産牛肉が当たるという幸運にも恵まれたからです(笑)」
日本史好きおじさん
「おぉ、それは羨ましいですな。どこのブランド牛が当たったのですかな?」
big5
「仙台牛です。すき焼きにして美味しかったですよ〜。というわけで、今回のテーマは「日本の牛肉の歴史」にしました。」
高校生A
「そういえば、牛っていつから日本にいるんでしたっけ?」
big5

「日本にも牛は古くからいました。平安時代の貴族がよく使っていた乗り物に「牛車(読み方は「ぎっしゃ」)」があります。 みなさん見たことがあると思います。こんなのです。」


高校生A
「あ、これ見たことあります。」
名もなきOL
「おじゃる丸が乗ってるのですよね。」
big5
「そうです。これは平安時代によく出てくる貴族の乗り物ですが、車を引っ張るのは馬ではなく牛なんですよね。これ以外にも、農村では畑を耕す労働力として、牛は使われていました。このように、牛自体は古くから日本に存在していたわけですね。」
日本史好きおじさん
存在しなかったのは、牛を食べるという食文化、ということですな。」
big5
「日本に牛肉が食文化として根付かなかった理由はいくつかあると思いますが、特に大きな要因はやはり仏教の影響でしょう。飛鳥時代後期にあたる667年、天武天皇が「殺生禁止令」で肉食を禁止して以来、朝廷はたびたび同様の肉食禁止令を出しています。このため、公的には肉食は禁止されていました。ただ、これはあくまで表向きの話。都から遠く離れた地方では、肉食禁止令はあまり徹底されなかったようです。また、都に住んでる貴族達も、薬餌として肉を使うことがあったようです。」
名もなきOL
「話を聞いていると、江戸時代の「生類憐みの令」とかアメリカの禁酒法を思い出します。そんなに簡単に食習慣を変えることはできないですよね。」
big5
「それからしばらく経った戦国時代後期、イエズス会宣教師らが日本にやって来ると、彼らはキリスト教と一緒に牛肉食の文化も広めていきました。キリシタン大名らは進んで牛肉食文化を取り入れていったのですが、豊臣秀吉がキリスト教弾圧を始めると、再び廃れていきました。さらに、江戸時代になってキリスト教が再び弾圧されると、キリスト教由来の牛肉食は、表向きは完全に影を潜めることになりました。」
日本史好きおじさん
「ただ、これにもやはり例外はありますな。江戸時代中期、近江の国は井伊家の彦根藩では、牛肉の味噌漬けを考案し「養生肉」として将軍家に献上された、という記録が残っていますぞ。」
big5
「このように、表向きは牛肉食が広まらなかった日本でしたが、現在のように牛肉食が食文化として根付いたきっかけは、幕末の開国と明治政府の肉食奨励策でした。
1865年(慶応元年)、開港された神戸の港で商売を始めた外国人たの中には、近畿方面の牛を神戸に集めて、そこから同じく開港された横浜まで運び、横浜の外国人の食卓に乗るようになりました。これが『神戸牛』の始まりとなりました。」
名もなきOL
「『神戸牛』って、そういう由来だったんですね!元は外国人用だったとは・・」
big5
「徳川幕府が崩壊し、明治政府が政権を握ると、政府は富国強兵策の一環として、牛肉をはじめとした肉食奨励策を打ち出していきました。これにより、東京を中心に牛肉販売店や牛鍋屋などがどんどんオープンし、明治10年頃には東京の牛鍋屋は558軒もあったそうです。」
高校生A
「すみません、富国強兵策の一環として、肉食が奨励されたのはなぜですか?富国強兵と肉食はあまり関係ない気がするのですが・・」
名もなきOL
「A君、わかってないわね。食べ物は重要よ。昔の人は、現代日本人よりも小柄だった、っていう話は知ってるでしょ?理由の一つは食べ物よ。現代人と江戸時代の日本人では、食べているものが全然違うわ。」
日本史好きおじさん
「そうそう、それに国民の体格は、当時の富国強兵策では基本です。標準的な日本人と肉食で体格が大きい欧米人では、白兵戦になった時の戦闘力に大きな差が出ると考えられます。外国と戦争になった時に、主力となる歩兵が体格で負けると不利になるわけですな。」
big5
「そんなこんなで、牛肉食は日本の食文化として根付いたわけです。食文化として根付くと、やがて神戸だけでなく日本各地で牛肉が食べられるようになり、生産地も増えていきました。当初の牛肉は、老廃牛を使っていたので、あまり脂がのっていなかったそうなのですが、やがて食用に牛を肥育するようになり、各地で高級な和牛として、畜産事業の柱として成長していったわけです。」


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