big5
「今回のテーマは宗教改革の第2回、カルヴァンの宗教改革です。ルターの宗教改革が始まると、その影響を受けてスイスでも宗教改革が始まりました。最初に改革を指導したのはツヴィングリですが、ツヴィングリはカトリック派との戦いで戦死。その後、フランスから逃れてきたカルヴァン(カルバン、カルビン、とも)が実権を握り、厳格な神政政治を実施しました。カルヴァンの死後も、カルヴァン派と呼ばれる新宗派は西欧各地で信者を増やしました。フランスではユグノー、オランダではゴイセン、スコットランドではプレスビテリアン、イングランドではピューリタンと呼ばれ、その後の歴史に深く関わっていくことになります。」
名もなきOL
「カルヴァン派はルター派よりも広がった範囲が広いんですね。」
big5
「そうですね。カルヴァン派は特に商工業者の支持を集めました。カルヴァン派は「自分の職業に忠実に励むべき」という教えでした。商業を軽んじるカトリックとは異なる教えに励まされ、やがて経済的な富裕層が生まれ、これが資本主義を形成する基礎になった、と考えられています。なので、カルヴァン派が歴史に与えた影響はとても大きいんですね。
さて、まずはいつも通り年表から見ていきましょう。」
年月 | 宗教改革のイベント | 他地方のイベント |
1517年 | ルターが95箇条の論題を掲示 | |
1519年頃 | ツヴィングリがチューリヒでカトリック批判を開始 | |
1523年 | チューリヒ市がツヴィングリの宗教改革を受け入れる | |
1524年 | ミュンツァーが指導するドイツ農民戦争 始まる(~1525年) | |
1526年 | 第1回シュパイエル帝国議会 ルター派容認される | モハーチの戦いでスレイマン大帝がハンガリーを破る |
1529年 | マールブルク会談 ツヴィングリとルターが会談 | 第2回シュパイエル帝国議会 ルター派が禁止される ルター派は抗議 「プロテスタント」の始まり |
1531年 | カッペルの戦いでツヴィングリ戦死 | ルター派がシュマルカルデン同盟 結成 |
1536年 | カルヴァンが『キリスト教綱要』を著す | |
1541年 | カルヴァンがジュネーヴの実権を握り神政政治を開始 | |
1544年 | イタリア戦争 終結 | |
1545年 | トリエント公会議 始まる | |
1555年 | アウグスブルクの宗教和議 | |
1564年 | カルヴァン死去 | |
big5
「さて、カルヴァンの宗教改革の話を始める前に、ツヴィングリ(1484~1531年)の宗教改革の話をします。ルターやカルヴァンに比べると知名度は低いですが、ツヴィングリはルターと同様にスイスにおける宗教改革の先鞭をつけた人物です。ツヴィングリの重要ポイントは、
・ルターと同じく、聖書至上主義の考え方を持って、スイスの都市・チューリヒで宗教改革を開始した。
・ツヴィングリの考え方はルターよりも徹底した聖書至上主義で、修道院やミサも聖書に記述がないという理由で廃止した。
ことがです。」
名もなきOL
「ルターさんも聖書を信仰の拠り所にしていましたが、ツヴィングリさんはさらに一歩踏み込んでるんですね。」
big5
「はい、実はルター派は他のプロテスタントと比べると、聖書を第一に掲げながらもカトリック的なところが混じっているんです。ここでは、そこまで詳しくは踏み込みませんが、興味のある方は是非しらべてみてください。
さて、ツヴィングリはルターの宗教改革に触発されて、1519年くらいからカトリック教会批判を始めたそうです。そして、1523年にはツヴィングリの主張がチューリヒ市の参事会に受け入れられ、修道院やミサの廃止など、プロテスタント改革を推進していきました。スイスはいくつかの州に分かれており、それぞれが強い自治力を持っていました。なので、ツヴィングリの考えを受け入れる州もあれば、従来通りカトリックに残る州もあったんです。両者は戦争になりましたが、1531年、カッペルの戦いでツヴィングリが戦死したことで、宗教改革の熱は大幅に低下。スイスにおける宗教改革はいったん頓挫することになりました。」
big5
「ツヴィングリの死後、スイスにおける宗教改革を推進することになったのが、今回の主役であるカルヴァン(Calvin 1509~1564年)です。カルヴァンに関して覚えておくべき重要ポイントの一つが
代表作『キリスト教綱要』を著して注目されるようになった(1536年)
です。『キリスト教綱要』はヨーロッパ世界で広く読まれ、当時27歳になるまだ若いカルヴァンは新教派の論客として注目されるようになり、同志と共にジュネーヴで宗教改革に取り組み始めました。」
名もなきOL
「活躍の場がジュネーヴに移ったんですね。ツヴィングリさんはチューリヒ、カルヴァンさんはジュネーヴ、と。。」
big5
「当初は反対派も多く、カルヴァンは一時的に追放処分とされたこともあったのですが、カルヴァンの宗教改革は確実に進んでいきました。カルヴァンの重要ポイントの2番目が
1541年からジュネーヴの実権を握り、厳格な神政政治を開始した
ことですね。」
名もなきOL
「厳格な神政政治。。なんとなく、聖書に基づいた理論が支配する政治、みたいなイメージがありますが、どんなかんじだったんですか?」
big5
「だいたい、そんなイメージで合っていますよ。カルヴァンの思想は、ツヴィングリと似ていて、ルターよりも厳格に聖書に基づいていました。聖書が法律、みたいなかんじですね。例えば、以下のような人々が処罰されています。
・教皇は素晴らしい人だ、と教皇をほめた人
・説教中に居眠りした人
・カルヴァンの思想に反対した人
・放浪の占い師に占ってもらった人
・・・などなどです。また、カルヴァンが下した処罰は火刑など厳しいものが多く、現代人から見ると「そんなことで死刑?」と思うような事例も多いですね。」
名もなきOL
「最後の「放浪の占い師に占ってもらった人」が処罰されたのはなんでなんですか?他は、納得はできませんけど処罰される理由は理解できるのですが、これだけ理解できません。」
big5
「いい質問ですね。そこが、カルヴァンの重要ポイントの3つ目になります。
・カルヴァン派の信仰の特徴は予定説。つまり、人が救済されるかどうかはあらかじめ決まっている。人にできることは、今の仕事に真摯に取り組むこと。その結果、富裕になっても何の問題もない。
というものです。カトリックは「人は善行で救われる」とし、ルター派は「人は信仰によってのみ救われる」としたのと比べると、何だか投げやりな感じにも聞こえますが、これは人の救済は人為的なものでは変えられない、ということを意味しています。なので、人にできることは、与えられた仕事に忠実に励むことである、と教えたわけです。その結果、例えば商売がうまくいって人が羨むようなお金持ちになってもOKなわけですね。当時、カトリック世界では商人は蔑まれていたこともあり、カルヴァン派は商工業者にどんどん普及していきました。そして、これが西ヨーロッパにおける資本主義社会の礎になった、と考えられています。」
名もなきOL
「なるほど。カルヴァン派が与えた影響は大きかったんですね。」
big5
「もう一つ、カルヴァン派が後の時代に大きな影響を与えたポイントの一つが
・西ヨーロッパに広まり、信者は各地で様々な名前で呼ばれた。
ということです。具体的には、以下のようになっています。
・フランス⇒ユグノー
・イングランド⇒ピューリタン
・オランダ⇒ゴイセン
・スコットランド⇒プレスビテリアン
この中でもフランスの「ユグノー」は後のユグノー戦争、イングランドの「ピューリタン」はピューリタン革命(清教徒革命)という大事件の名前にも使われていますね。」
名もなきOL
「面白いですね。でも、用語が増えてちょっと面倒でもあります。。「カルヴァン派」という名前で統一してくれればいいのに・・・。」
big5
「そこもカルヴァン派の特徴の一つですね。カルヴァンは、自分は決して新宗派を作るのではなく、イエス・キリストの教えを実践しているだけ、という立場を貫いたため、自分たちの信仰が「カルヴァン派」などと呼ばれることを嫌っていました。また、自分が教祖のように崇められることも拒否しました。そういう背景もあったので、カルヴァン派の信者は「カルヴァン派」と呼ばれることはなく、各地でそれぞれの名称がつけられたそうです。
カルヴァンは1564年に亡くなりましたが、カルヴァン派はその後も現在に至るまで各地で存続しています。カルヴァン派の組織は「長老制度」などと呼ばれるもので、カトリックのようなピラミッド型の組織ではなく、信者の中から互選で長老(信者代表)や牧師を選ぶ、という組織形態をとっていました。「聖職者」という専門職を置いていないことが特徴ですね。
と、言ったところで今回はここまで。ご清聴ありがとうございました。次回もお楽しみに!」
名もなきOL
「今日もありがとうございました。」
big5
「大学入試共通テストでは、カルヴァン派のネタはたまに出題されています。試験前に復習しておけば、運よく出題されるかもしれません。。」
令和2年度追試 世界史B 問題16 選択肢A
・ツヴィングリが、『キリスト教綱要』を著した。〇か×か?
(答)×。ツヴィングリではなく、カルヴァンです。
令和5年度 世界史B 問題8 選択肢A
・ドイツ農民戦争が、ツヴィングリの指導の下で起こった。〇か×か?
(答)×。ドイツ農民戦争を指揮したのはツヴィングリではなくミュンツァーです。
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