big5
「今回の主題は13世紀のイングランドと議会の始まりです。いわゆる中世イギリスの後半ですね。十字軍時代の後、イングランドは歴代の王がフランスとの戦いや国内貴族との争いを繰り返していました。有名なお話であるロビン・フッドに悪役として登場するジョンや、映画『ブレイブハート』に登場するエドワード1世などが登場する時代です。なので、聞き覚えのある人名や出来事も登場すると思いますよ。
まずはいつもどおり、年表から見ていきましょう。
| 年月 | 本編のイベント | 他地域のイベント |
| 1199年 | ジョン王 即位 | |
| 1214年 | ブーヴィーヌの戦い ジョン王がフィリップ2世に大敗 | |
| 1215年 | ジョン王がマグナ・カルタ(大憲章)を承認させられる | |
| 1216年 | ジョン王死去 ヘンリ3世即位 | |
| 1226年 | (仏)聖王ルイ9世即位 | |
| 1258年 | オックスフォード条項 | |
| 1265年 | モンフォール議会 開催 | |
| 1272年 | エドワード1世 即位 | |
| 1274年 | (日)元寇1回目 文永の役 | |
| 1281年 | (日)元寇2回目 弘安の役 | |
| 1284年 | ウェールズ併合 | |
| 1285年 | (仏)フィリップ4世即位 | |
| 1295年 | 模範議会 開催 | |
| 1302年 | (仏)三部会 開催 | |
big5
「さて、まずは何かと評判の良くないジョン(1166-1216年)王の話から始めましょう。」

big5
「ジョンの父はヘンリ2世、母はアリエノール・ダキテーヌで、兄は獅子心王リチャード1世です。リチャード1世は第3回十字軍の後、フランスでの戦いで戦死したため、1199年にイングランド王となりました。ジョンの異名は欠地王(失地王)です。元の英語では"Lackland"なので、意味としては「土地が欠けている」という意味で欠地王の方が相応しい、と私は思います。ただ、失地王というあだ名もハズレではないです。そもそもなんで「欠地王」なのかというと、父のヘンリ2世から
「兄たちに土地を分けてしまったからお前に与える土地はもう無い」
と言われたことに由来しているそうです。そんなジョン王ですが、即位して間もなくフランスのフィリップ2世と戦うことになりました。
1200年(この年ジョン34歳)、最初の妃が男子を産まないという理由で離婚し、別の貴族の娘と結婚するのですが、この娘には婚約者がいました。婚約者は怒り、フランス王フィリップ2世に訴えます。形式上、イングランド王はフランス王の臣下にあたるので、フィリップ2世はジョン王を法廷に呼び出しましたが、ジョンはこれを無視。それならば、ということで両者は戦争となりました。
ジョンの失敗は続きます。1205年にカンタベリ大司教が死去した後、誰が次の大司教になるのか揉めていたので、教皇インノケンティウス3世が選んだ人物がカンタベリ大司教となりました。しかし、ジョンは司教叙任権は国王にある、とこれを拒否。それならば、ということで1213年にインノケンティウス3世はジョンを破門しました。ジョンは、自分が破門されてもあまり気にしなかったようですが、これは大きなダメージとなりました。フィリップ2世にとっては、破門者を攻撃する正当な理由となりましたし、イングランドの聖職者多数が大陸に逃れていくなど、イングランド国力は大きく低下しました。結果として、ジョンは領土を差し出して(形式的に)教皇に屈服。さらに毎年多額の寄進を行うことを約束してようやく破門を解かれました。その後、ジョンは神聖ローマ皇帝オットー4世と同盟してフィリップ2世と戦いましたが、ジョンが南仏で戦っている間、ブーヴィーヌの戦いでオットー4世がフィリップ2世に大敗したため、ジョンも敗退。フランス側のイギリス領はギエンヌ地方のみとなりました。
長引く戦争の結果敗北という結果は、イングランド国内の貴族の不満を爆発させます。ジョンは、戦費調達のために貴族から「軍役代納金(戦争に兵を出すことを免除されるために支払う金)」の制度を濫用していたのですが、これに貴族の不満が爆発して反乱となりました。結果、ジョンが1215年に貴族らに認めさせられたのがマグナ・カルタ(大憲章)です。マグナ・カルタはラテン語で書かれていたため、当時読める人はかなり限定されていたのですが、国王といえども貴族の同意なしに課税はできないなど、王権を制限する内容が書かれていました。そのため、マグナ・カルタはイギリス憲法の基本的な部分として有効になっています。」
big5
「ジョン王はマグナ・カルタを認めさせられた翌年の1216年に死去し、息子のヘンリ3世(1207-1272年)が当時9歳でイングランド王となりました。」
big5
「幼少で即位したヘンリ3世は56年間王位にありましたが、治績は少なく、高校世界史ではほぼ省略されます。ただ、以下の2点は基本用語として登場しますね。
・オックスフォード条項 1258年
ヘンリ3世は、次男のエドマンドをシチリア王につけるためにシチリア遠征を企画するなど、マグナ・カルタを無視して課税を強行しました。しかし、レスター伯のシモン・ド・モンフォール(1208-1265年)らは、課税を認める代わりに、貴族の代表による国王監視機関の設置や議会の定期開催を求めるオックスフォード条項を認めさせました。特にシモン・ド・モンフォールの名は試験でも登場する頻度は高いので、覚えておくべきです。
・モンフォール議会 1265年
しかし、時が経つとヘンリ3世はオックスフォード条項も無視するようになってしまいました。もう我慢ならない、ということでシモン・ド・モンフォールとそれに同調する貴族らは1264年に反乱を起こし、なんとヘンリ3世とその息子で王太子のエドワードを捕虜にする、という大勝利を飾ります。その結果、1265年、貴族・聖職者・各州の中小領主と都市の代表を召集して議会を開催しました。この議会はモンフォール議会などと呼ばれています。
このように、国王の政治に対して貴族や高位聖職者らが制限を加えるという目的からイギリスの議会制度が始まりました。ただ、シモン・ド・モンフォールは翌年の1266年に、脱走した王太子エドワードと反モンフォール派の貴族達に攻撃されて死去したため、モンフォール議会は定着しませんでした。議会が定着するのは次の世代になります。」
big5
「ヘンリ3世の後継者は、先ほど王太子エドワードとして登場したエドワード1世(1239-1307年)です。身長が190cm近くあるというかなりの長身だったため、長脛王(ロングシャンクス)というあだ名がついています。また、映画『ブレイブハート』には主人公ウィリアム・ウォレスの敵のイングランド王として登場しています。余談ですが、映画『ブレイブハート』は迫力があり映画としても面白いですが、ストーリーはかなり脚色されていますので、あくまでエンターテインメントとして楽しみましょう。
エドワード1世の時代は、イングランドの領土拡大のための戦争が多く、フランスだけでなくウェールズやスコットランドとも戦いました。ここでは、主だった戦いを紹介します。
1.ウェールズ併合 1284年
ブリテン島西部のウェールズでは、ノルマン・コンクエスト以前からブリテン島に住んでいた民族が多数住んでいました。そのため、言葉も文化もイングランドとはかなり異なっています。この頃は、数ある貴族の中でもグウィネズ家が強くなっていました。グウィネズ家の当主・サヴェリンは、イングランドに臣従することをやめて、エドワード1世に対抗する構えを見せたため、エドワード1世はウェールズにたびたび攻め込みました。結果的に、当主・サヴェリンは戦死し、1284年にウェールズはイングランドに併合されました。ただ、ウェールズの主である「プリンス・オブ・ウェールズ」の称号だけは残され、エドワード1世の息子のエドワード(後のエドワード2世)に授与されました。以後、イングランド王太子はプリンス・オブ・ウェールズの称号を持つことが、この時から慣例になっています。
2.スコットランドとの戦いと模範議会 1295年
エドワード1世以前から、スコットランドはイングランドの宗主権を認める保護国のような立場でしたが、エドワード1世がフランスと戦う兵を確保するために、スコットランド人も徴用していたことから、イングランドに対する不満が高まり、ついにスコットランドはフランスと同盟。共にイングランドを倒すべし、ということでイングランドとスコットランドの戦争が始まりました。
エドワード1世は戦費を調達するため、いつものように課税を強化したのですが、この時に議会を開催しました。議会は大貴族、高位聖職者、各州2名の騎士、各都市2名の代表で構成されました。この議会が模範議会です。模範議会の特徴は、騎士や都市の代表者が加わっていることです。当時の騎士は、封建制における騎士というよりは、ある程度の財産を持っている富裕な農民というのが実態でした。都市の代表者も、富裕ではありますが階級は庶民(コモンズ)でした。庶民も参加している議会の承認を得ることで、国王の政策はより正統性が増すことになったわけですね。この後、議会は定期的に開催されて政治に関与するようになりました。しばらくの間、議会は国王と共に政治を担う機関として定着し、現代イギリスの議会政治の基礎となっているわけですね。」
余談ですが、模範議会の後に行われたスコットランドとの戦いが、映画『ブレイブハート』の舞台となっています。具体的には、1297年のスターリングブリッジの戦いでウィリアム・ウォレス率いるスコットランド軍がイングランド軍を撃破しています。映画には橋は登場せず平野部での戦闘でしたが、実際には戦場の重要拠点としてスターリング・ブリッジがありました。その後、ウォレスは捕えられ1305年に処刑されていますが、スコットランド独立の志はロバート・ブルースに引き継がれ、ロバートは1314年にバノックバーンの戦いでイングランド軍に大勝し、スコットランド王国の独立を達成しています。
こうして、イングランドは議会という政治装置を加えることになりました。この後、フランスのカペー朝が断絶したことをきっかけに、中世最後の山場となる百年戦争が始まるのですが、この話はまた別の機会にしましょう。
ここまで読んでいただきありがとうございました。」
この解説は、管理人の趣味で作成しております。解説が役に立ったと思っていただければ、下記広告をクリックしていただくと、さらなる発展の励みになります。