Last update:2022,NOV,12

絶対主義国家と国王たちの戦い

美術篇

ロココ美術

あらすじ

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「今回のテーマはロココ美術です。ロココ美術は、それまで流行していた荘厳で格調の高さと形式ばったバロック美術の後に、主にフランス宮廷で大流行した美術のスタイルです。言葉で表現すると「軽妙、お洒落、繊細」というかんじです。ロココ美術の代表作品と言えば、おそらくこれが一番有名なんじゃないか、と思います。」

Fragonard, The Swingぶらんこ 制作者:フラゴナール 制作年:1767-68年

名もなきOL
「これ、見たことあります。でも、これって「軽妙、お洒落、繊細」なんですか?」
big5
「これは絵の構図を知ることが大事ですね。これはブランコに乗っている女性の絵ですが、左下に貴族の青年がいます。この青年は茂みに隠れているんですね。女性はスカート姿なので、ブランコに乗って揺られるとスカートがめくれて足が見えたりします。当時、女性が足を見せることはかなり色っぽい(エロい)仕草でした。それで、貴族の青年は「ウホ!」と嬉しくビックリしていますし、女性も視線を青年に向けていて、その存在に気付いているようです。つまり、女性もわざとらしく足を見せているわけですね。当時、フランスの宮廷ではこのような男女関係が面白がられており、この絵はそのようなフランス宮廷文化の一端を示している、と考えられています。これがロココ美術の特徴です。
『教養として知っておきたい名画BEST100(監修:山内舞子)』ではロココ美術を「エロかわいい」と表現しています。ロココ美術は女性の美しさを表現したものが多いです。なので、裸婦も多く描かれています。そんなロココ美術は、一言で言えば「貴族趣味」だと私は思いますね。ちなみに、ロココの語源はフランス語の"rocaille"(ロカイユ:人造石、貝殻装飾という意味)から来ています。
それでは、いつもどおりまずは年表から見ていきましょう。」

年月 ロココ美術のイベント それ以外のイベント
1715年 ルイ15世即位
1717年 ヴァトーが「シテール島の巡礼」を完成させる
1721年 ヴァトー 死去
ポンパドゥール夫人 誕生
大北方戦争 終結
1732年 フラゴナール 誕生
1740年 ブーシェが「ヴィーナスの勝利」を制作 オーストリア継承戦争 開戦
1745年 ブーシェが「水浴のディアナ」を制作
1745年 ポンパドゥール夫人がルイ15世の公妾となる
1748年 アーヘンの和約 オーストリア継承戦争 終結
1752年 フラゴナール ローマ賞受賞
1756年 ブーシェが「ポンパドゥール夫人」を制作 七年戦争 開戦
1763年 七年戦争 終結
1764年 ポンパドゥール夫人 死去
1765年 ブーシェが「国王の主席画家」に就任 イギリスが印紙法制定
1770年 ブーシェ 死去
1774年 ルイ15世 死去
1775年 アメリカ独立戦争 開戦
1789年 フランス革命 勃発
1804年 ナポレオンが皇帝に即位
1806年 フラゴナール 死去

ロココ美術

ヴァトー ロココ美術の始まり

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「ロココ美術が流行しはじめたのは、だいたいフランス王・ルイ15世が即位した1715年くらいから、と考えられています。先代のルイ14世の時代は荘厳で格調高いバロック美術が流行していましたが、ルイ15世の時代になってからその反動を受けたかのように、「軽妙でオシャレで繊細」がキーワードのロココ美術がフランス宮廷で流行し始めました。」

Louis XV France by Louis-Michel van Loo 002ルイ15世 制作者:Louis=michel van Loo 制作年:18世紀

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「ロココ美術のはしりとされているのがヴァトーです。代表作は「シテール島の巡礼」です。この作品が完成したのは1717年、この年ヴァトー33歳です。」

L'Embarquement pour Cythere, by Antoine Watteau, from C2RMF retouched
シテール島の巡礼 制作者:ヴァトー 制作年:1717年

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「この絵は、男女のカップルが甘い雰囲気を漂わせながら、シテール島(愛の女神アフロディーテが海の泡から生まれた後、最初に上陸した島)に来て愛を語らう、という絵です。このような絵は「雅宴画(がえんが)」と呼ばれ、一時期流行しました。」
名もなきOL
「確かに「荘厳で格式高い」というバロック美術っぽくはないですね。そもそも題材も、バロックに似つかわしくないし。でも、この絵なら「エロかわいい」ということはないですよね。」
big5
「確かにこの絵は「エロかわい」くはないですね。ただ「軽妙でオシャレで繊細」というのは当てはまりますよね。ロココ美術のはしりとされるヴァトーですが、その4年後の1721年に若くして病死しました。37歳になる年でした。」

ブーシェ ロココ美術全盛期

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「ヴァトーの後、ロココ美術の全盛期に活躍したのがブーシェです。ブーシェはルイ15世の公式愛妾であるポンパドゥール夫人に気に入られ、宮廷画家として多くの作品を残しています。」

Boucher par Gustav Lundberg 1741ブーシェ 制作者:Gustaf Lundberg 制作年:1741年

名もなきOL
「この顔、ロココ美術を描いてそうな軽い感じがします。」
big5
「いやいや(笑)、ブーシェは決して軽い遊び人だけの男ではなく、仕事はかなり精力的にやってるタイプです。ブーシェの絵画作品は非常に多く、約1,000点くらいあるそうです。ブーシェの絵の中でもロココ美術の代表作とされているものは、ギリシャ神話などをモチーフにして、女神たちを美しく描いたものが多い、というのが共通点です。早速見ていきましょう。まずは、1740年の作品で『ヴィーナスの勝利』です。」

The Triumph of Venus, by Francois Boucherヴィーナスの勝利

名もなきOL
「ああ、なるほど。ハッキリと「エロかわい」くなってきましたね。これがロココ美術なんですね。ヴィーナス達は色白で本当にキレイですね。」
big5
「もう一つ、女神を描いた作品で有名なのがこちら、1742年の作品で『水浴のディアナ(Dianna Bathing)』です。」

Boucher Diane sortant du bain Louvre 2712水浴のディアナ ルーヴル美術館蔵

名もなきOL
「だんだん、ロココ美術の特徴がわかってきました。女神たちの美しい姿を裸体で美しく表現しているんですね。これは「格式高い」とはバロック美術とはまったく別の種類の絵ですね。フランス宮廷では、こんな種類の絵が流行っていたんですね。」
big5
「そうですね。当時のフランス貴族の生活は、この絵から連想されるような、ヒマで退屈で「今日は何か楽しいことないかな〜〜?」って思いながら遊んで毎日暮らす、というものなので、このような絵は彼らの生活にピッタリあっていたことでしょう。ちなみに、ブーシェは多作の画家です。裸婦ばかり描いていたわけではありません。庇護者であるポンパドゥール夫人の肖像画もきちんと描いています。こちらが1756年の作品『ポンパドゥール夫人』です。」

Madame de Pompadour

名もなきOL
「さっきの女神が緑の凄い派手で立派なドレスを着ているみたいですね。」
big5
「ブーシェはポンパドゥール夫人の庇護を受けて、宮廷画家として活躍しました。1764年にポンパドゥール夫人が亡くなった後、1765年にルイ15世から「国王の主席画家」という称号をもらっています。まさに、ブーシェはロココ美術を代表する画家、と言えるでしょう。」

big5
「」

フラゴナール ロココ美術の終焉

big5
「ロココ美術の最後に、冒頭に紹介した『ぶらんこ』の画家・フラゴナールの話で締めましょう。」

Jean-Honore Fragonard - Self-portrait in a Renaissance costume自画像

big5
「フラゴナールは1732年に生まれ、短期間ながらもブーシェに師事していたこともあります。庶民の家に生まれたフラゴナールでしたが、1752年にアカデミー主催の絵画コンクールで1等賞である「ローマ賞」を受賞し、国費でイタリアに留学する権利を得たくらいの実力者でした。」
名もなきOL
「この自画像、やっぱり色白ですね。男の人がここまで色白だと、私はイマイチかな。」
big5
「OLさんの好みはさておき、フラゴナールはよく「最後のロココ画家」と呼ばれます。というのも、ロココ美術はルイ15世とブーシェの時期に全盛期となりますが、啓蒙思想や自由主義の思想が流行し始めると、退廃した貴族趣味のロココ美術は非難されるようになってきたんです。フランスの一般庶民が、毎日のパンにも事欠く有様だという時に、貴族たちはブランコに乗って足を見せて男を誘ったり、男女の駆け引きを楽しんだりと、遊び暮らす毎日だったわけですから、フランス革命が起きるのも納得です。ロココ美術は、そんな時代の貴族を象徴するかのような美術と言えますね。
フラゴナールは、フランス革命の後もしばらくはルーヴル美術館などで絵画の仕事をしていました。ロココ美術は下火になりましたが、元々画力の高い人だったので、ロココ美術しか描けない、というタイプではありません。しかし1805年(この年、フラゴナール73歳)にフラゴナール一家は他の芸術家と共にルーヴルを追い出され、高齢だったこともあって失意のうちに1806年に死去しました。時代の大きな変わり目を経験したフラゴナールは、まさに「最後のロココ画家」とだったわけですね。」
名もなきOL
「ファッションに流行り廃りがあるように、美術にも流行り廃りがあるんですね。そして、美術はその時代の状況を反映したものでもあるんですね。ロココ美術は革命の時代に批判されたということですが、現代人の私から見たら、けっこうキレイでいい絵だと思いますよ。」

ロココ建築とロココ調家具

big5
「さて、ロココ式といえばやはり美術が一番有名ですが、建築様式にもロココ建築があります。ロココ建築の特徴は「曲線を多用、天井のロカイユ装飾が多く、壁と天井の境界が明確でない」といったものです。例えば、下のような感じです。」

Ottobeuren-basilika flickr-2

名もなきOL
「うゎ凄い立派。明るい色調で白がキレイですし、装飾もたくさんですね。宮殿みたい。」
big5
「建築のロココ式も、形式や格調、重厚感を感じさせるバロック式とは違う、繊細で優美な感じがしますね。ただ、厳密に考えるとバロック式と似ているところも多く、後期バロック建築と呼ばれたりもします。ロココ建築を取り入れた、歴史上有名な建築物として、プロイセンのフリードリヒ大王が建てたサンスーシ宮殿が有名です。」

Schloss sanssouci potsdam von innenサンスーシ宮殿音楽演奏室の内装

big5
「ロココ式は、建築だけでなく家具にも使われています。最近では、ロココ調家具などアンティークとして人気がありますね。例えば、こんな感じで曲線が使われた椅子なんかが代表例です。」


名もなきOL
「カワイイ。これは女性に人気がありそうなデザインですね。」
big5
「繊細で優美、という特徴が「ロココ調」ですね。

と、言ったところで今回はここまで。ご清聴ありがとうございました。次回もお楽しみに!」
名もなきOL
「今日もありがとうございました。」

大学入試 共通テスト 過去問

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「ロココ美術やロココ建築などの話は、大学入試共通テストにはあまり出題されません。受験生は、この分野は後回しにしてもいいのではないか、と思います。」

令和2年度 世界史B 問題3 選択肢C
・サンスーシ宮殿は、ゴシック様式を代表する建築である。〇か×か?
(答)×。上記の通り、サンスーシ宮殿はロココ様式建築の代表例です。






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参考文献・Web site
教養として知っておきたい名画BSET100 監修:山内舞子
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