Last update:2022,FEB,19

しのぎを削る列強


文学篇 セヴァストーポリ

small5
「「しのぎを削る列強」の文学篇へようこそだぜ!ここでは、たいへん有名なロシアの文豪・トルストイが1855年〜1856年に刊行した『セヴァストーポリ』について紹介していくぜ!」
名もなきOL
「トルストイは私でも知ってます。とっても有名なロシアの小説家ですよね。でも、『セヴァストーポリ』っていう作品は聞いたことないですね。。」
small5
「そうだよな。トルストイと言えば、一番有名なのは『戦争と平和』だな。他には『アンナ・カレニーナ』や『イワンの馬鹿』も有名だな。これらの有名作品に比べると、影が薄いのが『セヴァストーポリ』だな。」
名もなきOL
「どうして影が薄い『セヴァストーポリ』を選んだんですか?」
small5
「理由は2つだ。一つは、『セヴァストーポリ』はトルストイ自身のクリミア戦争での体験を基にして書かれたから、だ。実際、トルストイは砲兵将校としてクリミア戦争に従軍し、セヴァストーポリ攻防戦に参加しているんだ。筆者自身の回顧録のような描き方はしていないのだが、主人公格の人物はトルストイと同じ砲兵将校になっている。自分自身の体験が基になっていることは間違いないだろう。しかも、刊行されたのは1855年で、これはセヴァストーポリ陥落と同じ年だ。実際の戦争が起きてからほとんど時間を置かずに書かれているところを見ると、文学上の価値だけでなく、歴史史料としても見ることができると思うぜ。
もう一つは、あまり長くないこと、だ。俺が読んだ岩波書店の文庫本で198ページだ。早い人なら、1日あれば十分読み終えられる長さだな。名作とされる『戦争と平和』は確かに評価は高いんだが、非常に長い。トルストイ自身も5年かけて書いている大長編だ。読む方も、読破してそれを記事にしようと思ったら、かなりの時間と根気が必要になるからな。
「トルストイの作品には興味があるけど、『戦争と平和』は長いからちょっと・・」
と思っている人には、この『セヴァストーポリ』を読んでみることをオススメするぜ。」


セワ゛ストーポリ 訳:中村白葉 1954年3月25日 第1刷発行 2015年2月18日 第4刷発行 198ページ
small5のオススメ
『セワ゛ストーポリ』とワに濁点を付けた題名になっているとおり、わりと古い版。変換するのが面倒なので、ここでは『セヴァストーポリ』で統一する。おそらく、日本語訳されている唯一の『セヴァストーポリ』。漢字がほぼすべて旧字体を使っているので、現代人にはやや読みにくいのが残念。セリフ回しも、やや時代を感じる。
今後、ブームが来た時には、現代語に直したものや、別の人の翻訳本が出ることを期待。


あらすじ

small5
「まずはあらすじを見ていこう。ネタバレにならないように、重要な部分は書かないし、概要がつかめるように簡略化しているので、まだ読んでない人も安心して読んでくれてOKだぜ。

『セヴァストーポリ』は3部に分かれている。第一部はセヴァストーポリ攻防戦が始まる1854年12月、第二部は1855年5月、第三部はセヴァストーポリ陥落が迫った1855年8月の話だ。序章では包囲下におけるセヴァストーポリの街の様子を、旅人が読者に紹介するように描いている。」
名もなきOL
「街の様子?セヴァストーポリって、要塞なんじゃなかったでしたっけ?」
small5
「そうだな、要塞で守られた街、というのが正しい表現だな。まずはこちらの写真、一番下の写真を見てほしい。」

Sevastopol Collage 2015

名もなきOL
「おもしろい地形ですね。湾が山に囲まれてます。右側が湾の奥で、このあたりに街が広がっているんですね。」
small5
「セヴァストーポリは天然の良港で、古代から街があったそうだ。山に囲まれた湾内で、船が安全に停泊できるからな。ロシアはこのセヴァストーポリの山を要塞化して、敵軍の攻撃を防ぐようにしていたんだ。そのため、セヴァストーポリは約1年間にわたる攻防戦になったんだ。
第1部の1854年12月では、日常と異常が入り混じった独特の情景を描いている。街で、人々が普段と同じように過ごしている一方で、要塞で負傷した兵士が担架で運ばれていったり、牛馬の死体が転がったまま放置されている、とかだな。
そして第二部、1855年5月の話が始まる。主人公は二等大尉のミハイロフ。彼の視点から、当時のロシア軍の内部事情が描かれている。だが、ここで注目すべきは人間心理の描写だろう。包囲下にあるセヴァストーポリという特殊な状況下で、将校や兵士がどんなふうに過ごして、何を感じていたのか、がリアルに描かれているんだ。これは俺の推測だが、おそらくトルストイ自身の心情、そしてその変化を、登場人物を通して描いているのだろう。それくらい、リアルに描かれているんだ。戦場にいる軍人というのは意思を持たぬロボット等ではなく、雑多な思いを抱えた人間なのだ、ということが生き生きと描かれているな。」
名もなきOL
「そんなの当たり前ですよね。みんな人間なんですから。」
small5
「印象的なのが、第二部の締めの部分だ。締めの部分でトルストイは「主人公は真実だ」と書いている。良い悪い、ではなく、セヴァストーポリの軍人の真実を描いた、というのがトルストイの意図なんだと思うぜ。
そして、最後の第三部、1855年8月の話が始まる。主人公は、砲兵将校のコゼリツォーフ兄弟だ。兄はミハイル、弟はウラジミールという。ここでロシア文学一般にいえる注意点なんだが、ここから2人の主人公は愛称で表現されることが増える。特に弟のウラジミールは愛称の「ウォロージャ」と呼ばれたり書かれたりするんだ。これを知ってないと、読者は「ウォロージャという新しい人物がいつの間に登場した」と誤解して、意味がわからなくなるだろうな。」
名もなきOL
「ウラジミールの愛称が「ウォロージャ」なんですね。うん、これは知らないとわからないです。」
small5
「1855年8月は、セヴァストーポリ陥落間近の頃だ。この頃になると、第一部や第二部と比べて、明らかに状況が悪くなっていることが読者にもよくわかる。そんな中、興味深いのが戦場へ向かう途中の将校らを描いていることだ。」
名もなきOL
「途中というと、セヴァストーポリへ向かう途中の馬上とかですか?それとも、歩いて行ったのかな?」
small5
「交通手段は馬車なんだが、描いているのは馬車での道中と言うよりも、馬車の駅舎なんだ。ここで、セヴァストーポリ行の馬車を待つ将校らを描いているのだが、ほとんどの人物が戦場へ行くことを恐れて、なんだかんだと動こうとしない、という状況が描かれているんだ。ところが、誰も「自分は戦場へ行きたくない」とは言わない。そんなこと言ったら臆病者だからな。だから、賭け事に興じたり、自分たちにはとうてい関与できない戦略の話を熱心にしたりしているんだ。これは決して彼らが楽しんでいるのではなく、死が待っている戦場の手前で震え上がるくらい怖くなっている自分を、なんとか落ち着かせようとしている、という状況が描かれているんだ。」
名もなきOL
「へ〜、それはけっこう珍しい描き方ですね。そういうところを描いた戦争もの、って少ない気がします。」
small5
「だろ?俺もそう思う。だが、トルストイはこの場面を描くことで、当時のセヴァストーポリの戦況の悪さ、人間の虚栄心、名誉欲、そして死を恐れる恐怖心を描いているんだ。さすがはロシアの文豪、と思ったぜ。
そして、やがて攻撃側のフランス軍の攻撃が始まる。これまで、上から降ってくる大砲の脅威に怯える日々だったのが、銃撃戦、そして白兵戦へと移っていく。ここでも、軍人の心境の移り変わりが詳細に描かれているんだ。これまでの恐怖の対象は、頭上から降ってくる砲弾だった。言い換えれば「見えない相手に対する恐怖」だったわけだ。だが、フランス軍が迫ってきたことで、恐怖感は「見えないもの」に対する恐怖ではなく、「見えるもの」に対する恐怖に変わる。そして兵士としての役割に目覚めるわけだ。」
名もなきOL
「恐怖感って、見えないものに対しての恐怖感と、見えるものへの恐怖感は種類が違いますよね。」
small5
「そうだよな。戦場では、頭上から降り注ぐ砲弾も、敵兵が撃ってくる銃弾も、そして白兵戦でも怖いことに変わりはない。でも、恐怖に対して取れる行動は違ってくるはずだ。頭上から降り注ぐ砲弾は、ある意味では運任せだが、銃撃戦や白兵戦では、自分の立ち回り次第で命拾いできることもあるかもしれない。可能性が見えれば、人は行動できるものなんじゃないか、と思うぜ。
そして最後は、セヴァストーポリ陥落後に退去していくロシア軍を描いて、この小説は閉幕だ。」




しのぎを削る列強 目次へ

トップページへ戻る

この解説は、管理人の趣味で作成しております。解説が役に立ったと思っていただければ、下記広告をクリックしていただくと、さらなる発展の励みになります。