Last update:2021,Feb,13

18世紀欧州戦乱

文学篇 ペストの記憶 詳細篇

small5
「さて、ここは詳細篇ということで、デフォーの『ペストの記憶』について、より歴史的にディープな話題を検証していくぜ!「『ペストの記憶』って何?」という初心者は、まずこちらの本編を見ることをオススメするぜ。」
big5
「他の詳細篇と同様に、ディープな話になるので、OLさんの代わりに私がお相手します。」

<お題>
・新聞はいつから普及した?
・ペスト流行時の庶民の仕事は?
・当時のモノの値段、経済感覚は?




・新聞はいつから普及した?

small5
「これは基礎的なようで、なかなか奥の深い話だぜ。こんなところにも目が行くとは、この質問者さんはかなり注意深い方だとお見受けしたぜ。『ペストの記憶』の冒頭で、こんな記述があるんだ。
「当時(1664年)は事実や噂を広く知らせるための新聞は存在しない。後日の世界とは違う。新しい情報は国外とやり取りする貿易商人などが仕入れ、あとは口伝えで広まるだけだ。」
とな。これはつまり、1664年時点では新聞というものはないが、『ペストの記憶』が発行された1722年、もう少しいうと1722年のロンドンでは、新聞にあたるものが存在した、ということになるな。」
big5
「現在のような「新聞」がヨーロッパ世界で刊行されはじめたのは17世紀頃みたいですね。フランスのストラスブールでは1605年に週刊新聞が、1650年にはドイツで日刊新聞が刊行されたそうです。イギリスでは、ピューリタン革命や名誉革命の頃に、ニュースが出版されるようになりはじめました。ロンドンで新聞を普及させるのに一役買ったのが、コーヒー・ハウス(Coffehouse)です。これは名前の通り、現在の喫茶店みたいなお店で、お客さんはコーヒーとかを飲みながら新聞を読んで楽しんでいたそうです。1666年のロンドン大火以降、ロンドンではコーヒーハウスが増え始め、集まった客が新聞を手に政治談議などを楽しむようになったそうです。コーヒーハウスが、後の市民革命の下支えとなる「世論」を形成する場になった、と考えられています。実際、市民たちが政治を談義することに危機感を感じたジェームズ2世は、1675年12月にコーヒーハウスの閉鎖宣言を出しています。ただ、これは多くの反対にあって取り消されたのですが、それだけコーヒーハウスが重要な役割を果たした、と言える証拠の一つだと思います。」
small5
「となると、1664年時点で新聞があまり普及していなかった、というのはほぼ当たりと言えるな。そして、1722時点ではコーヒーハウスが十分普及しているから、客たちが集まって新聞を読んでいただろう、と考えることもできるぜ。なので、この質問の答えは
ロンドンでは1666年以降、コーヒーハウスの普及とほぼ連動して新聞が普及し始めた。
と考えられるぜ。」


・ペスト流行時の庶民の仕事は?

small5
「これは『ペストの記憶』の記述の中でも特に興味深いところだ。デフォーは、本書の中で「ペスト流行時に仕事を失うことになった職業」について記述しているんだ。つまり、これは当時のロンドン庶民がどのような仕事をしていたのか、を知ることができる資料にもなるわけだ。」
big5
「庶民の暮らしぶりや、仕事内容を詳しく述べている本って、意外と少ないですからね。とても貴重な情報だと思います。」
small5
「業種ごとに分けると、以下のようになるな。

(1)製造業(もちろん、家内制手工業)
リボン職工 金銀モール編み 金線・銀線の紡ぎ手、裁縫師、靴・帽子・手袋職人 椅子類の布張り職人、木工、指物師、鏡職人
それぞれの職業に、親方とそれに付いている職人・奉公人という職位がある。

(2)サービス業
水夫 荷馬車の御者 荷揚げ作業員 教会の下働き(墓堀と死体の運搬など) 看護婦

ちなみに、ここで上げた「看護婦」は現代の看護師さんとは違うぜ。教育訓練を受けて試験に合格した看護士ではなく、知識や経験は不問で患者の身の回りの世話や掃除をメインで行う仕事だ。現代のような看護師が職業として広まるのは、19世紀にナイチンゲールが活躍した後の時代だ。

(3)公務員
臨時雇いの税関職人

税関職員の臨時職員が具体的にどんな仕事だったかはわからないが、おそらく雑用一般庶務なのではないか、と思う。ペストで貿易はほぼストップし、テムズ川をさかのぼってくる貿易船が無くなって解雇されたんだ。

(4)建築業
煉瓦職人、石工、大工、指物師、左官、塗装業者、ガラス業者、鍛冶屋、鉛管工

(5)海運業
船乗り、はしけの船頭、はしけ大工、船大工、水漏れを防ぐ職人、縄職人、乾物用の樽の職人、帆を縫う職人、錨その他の鍛冶工、滑車の製造工、彫り師、鉄砲鍛冶、船具商、船首像の彫刻工など

(6)奉公人
ここでいう奉公人とは、家業を持つ市民の家や比較的裕福な家に住み込みで働いている召使いのようなものだ。別の言い方をすると、従僕とか下男、といったところか。女性の場合は、買い物係や帳簿係、家事一般手伝いなどの仕事をしていたようだぜ。

(7)娯楽関連業
居酒屋 熊いじめの見世物 詩歌の朗唱 刀剣試合
「熊いじめの見世物」というのが具体的に書かれていることが興味深い。本書には詳細が書いていないので不明だが、『ロビンソン・クルーソー』には、従者のフライデーが彼の故郷での熊いじめを見せるシーンが描かれている。当時は、熊をいじめる見世物がはやっていたのかもな。」
big5
「実際には、もっといろんな職業があったと思いますが、『ペストの記憶』に明記されているものだけでも興味深いですね。」


当時のモノの値段、経済感覚は?

small5
「これも基礎的なんだが、かなり奥が深くて難しい質問だ。『ペストの記憶』にもいくつか記述があるが、そんなに多くはない。」
big5
「どんな内容が記述されているんですか?」
small5
「まず、H.F自身の話として、以下のような記述がある。
「1ペニーや半ペニーの安い買い物は、ペスト流行以前と同様に奉公人に買いに行かせていた。」
これはH.Fにとっては1ペニーは安い買い物、ということだ。「単位の話」のように、当時の1ポンド=1万6000円とすると、1ペニーは66.6円になる。これなら、安い買い物、というもうなずけるな。」
big5
「ただ、現代だとむしろ安すぎる気がしますね。60円70円で買えるもの、というと駄菓子やスーパーでばら売りされているジャガイモや玉ねぎを1個買える、ってところですよ。」
small5
「それを補足できる情報が一つある。物価の変動について述べている部分で
「ありがたいことに小麦パンの値段は上がらなかった。1665年3月時点で、1ペニーで買える小麦パンは300gだった。ペスト最盛期は270gになったが、11月には300gに戻った。」
とある。」
big5
「面白いですね。その小麦パンというのが、現代のどんなパンに相当するかがわかれば、小麦パンベースの換算ができますね。」
small5
「せっかくだから、計算してみよう。現代のスーパーで売っているパンは、1斤がだいたい300g少々で値段は140円くらい、としよう。この前提には「うちが食べているパンは180円だ」とか「パン屋のパンはもっと高い」とか、異論はいろいろあるだろうが、それを議論し始めると進まないので、現代のパンを140円とする。そうすると、当時は1ペニーでパンが買えたのだから、1ペニー=140円となる。そうなると、1ポンド=20シリング=240ペニー=3万3600円となるから、「単位の話」の換算よりも2倍くらいポンドの価値が変わることになるな。
ここで上げたのは、一つの換算の例だ。前提が変われば、いくらでも計算結果は変わるので、あくまで目安の1つに留めておいてほしいぜ。

あともう一つ、平井正穂訳のペストには、布告が定めた外科医の患者1名の診察料として12ペンスと定められたことが記録されている。原則、患者負担となるが、患者がどうしても支払えない場合は教区の負担とする、とのことだ。これを1ペニー=140円で換算すると、12ペンスは1680円になるな。」




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