センター試験 世界史B 2013年

第1問 A

問1(通し番号:1)
「世界史上の法ついて述べた以下の文の、アとイにあてはまる用語を選べ。」

秦の始皇帝は(ア)を登用して全国統一と支配確立を進めた。唐代には律令が整備されたが、そのうち律は、今日の(イ)に相当する内容を主とする。


@(ア)李斯 (イ)民法
A(ア)李斯 (イ)刑法
B(ア)筍子 (イ)民法
C(ア)筍子 (イ)刑法


big5
「第1問は古代中国の秦の問題ですね。実質的に2択×2問になっています。まず、(ア)に入るのは李斯と筍子(じゅんし)、どちらでしょうか?」
高校生A
「この頃の中国って人名がたくさん出てくるから、誰が何だったのか、ごっちゃになりやすいんですよね。あと、名前は知っていても、何をした人なのか思い出せないこともあります。」
big5
「いわゆる「諸子百家」(しょしひゃっか)ですね。この時代の中国は周王朝は存在していても、事実上は力のある諸侯が覇権を競い合う時代でした。例えて言うなら、日本の戦国時代のようなかんじでしょうか。天皇や将軍はちゃんと存在していたのですが、実際には各地で諸大名が覇権を競っていたのとよく似ています。そのような時代に、諸子百家はどのような政治が良いのか、あるいはどのような戦略が良いのかを研究し、様々な説が生れたわけです。
そんな時代の最終的な勝利者が秦の始皇帝です。秦は諸子百家の中でも「法家」(ほうか)と呼ばれる人々の考え方を採用しました。法家は、「法」という名前が示すように、法律をもって国と人民を統制する、という考え方です。言い換えると「ルール」を作って国をまとめる、という考え方です。始皇帝は、法家の李斯を丞相(じょうしょう:宰相のような役職で、現代日本で例えると総理大臣)に任命し、秦による統一事業を進めていったんです。なので、(ア)は李斯が入ります。」
高校生A
「筍子はどんな人だったんですか?」
big5
「筍子は儒家の一人で、性悪説を唱えた人です。孟子の性善説と対照的な説を展開しました。と、いうのが試験用の知識になりますが、せっかくの機会なのでもう少し詳しく説明しておきましょう。
筍子が唱えた性悪説というのは、「人間は欲望を持っているから、儒教が教える「礼」で教育するのが重要だ」という考えです。」。この考え方は、法家の源泉となりました。この考え方が発展すると「国と人民を法律でコントロールする」という考え方になり、筍子の弟子たちによって「法家」と呼ばれるグループが生れました。ちなみに、筍子は李斯の師匠だったんです。筍子とは日本語で言うと「筍先生」という意味で、尊称なんです。元々の名前は「筍況」といいます。センター試験とか、一般的な本でも、今回のように「筍子」と書かれることが普通なので、みなさんも「筍子」と覚えておけば大丈夫でしょう。さて、続いては「律」の意味ですね。これはやや難しい問題だったと思います。刑法と民法、どちらに相当するでしょうか?」
高校生A
「刑法というのは、犯罪者を処罰する時の法律ですよね。民法は、なんとなくしかわからないですけど、例えば相続の取り決めとか、戸籍の取り決めとか、社会の一般的なルールですよね。ということは、たぶん刑法なんじゃないか、と思います。秦の法律って、確かすごい厳しくて、ちょっと違反しただけで死刑だった、と聞いた覚えがあります。」
big5
「そのとおりです。律とは、刑法に相当するもので、犯罪者に与える罰則を定めるものでした。昔の法律は、「○○したら、△△の刑になる。」というような、刑罰を決めたものなんですね。言い換えれば、国家が国民を処罰するルールです。民法とは、A君が出した例のように、取引をした時の権利関係とか、相続の取り決めなどの社会の運用ルールを決めたものなんです。律は、刑罰を決めたものなので、刑法に相当するんですね。A君のような発想で「刑法かな?」と思って問題ないと思います。」

問2(通し番号:2)
「中国の歴史について、正しい説明の選択肢を選べ。」

@山東半島のフランス利権をめぐって五・四運動が起こった。
A五・四運動は、上海での学生デモから始まった。
Bパリ講和会議に参加し、ヴェルサイユ条約に調印した。
Cワシントン会議に参加し、九カ国条約に調印した。


big5
「中国の歴史について、となっていますが選択肢はすべて20世紀の話ですね。この問題はやや細かい知識が試されているので、難しかったと思います。」
高校生A
「たぶんAが正解かな、って思います。五・四運動が学生主体だった、という話を聞いたことがあるので。」
big5
「そう思ってAを選んだ人が多かったかもしれません。が、実はAは誤りなんです。何が違うかというと、「上海」という部分です。五・四運動が起こったのは、上海ではなく北京の学生だったんですね。なので誤り。この部分で正誤判定させるというのは、センター試験にしてはやや難しかったと思います。この問題は、五・四運動についての知識が問われているので、この機会に五・四運動の要点をおさえておきましょう。五・四運動の要点を箇条書きにすると、以下のようになります。
(1)ヴェルサイユ会議では、第一次大戦中に日本が占領した山東半島のドイツ利権を、日本利権とすることで話が進んだ。
(2)中国民国政府はこの内容を認めたため、北京の大学生らが政府を批判。親日政策を採る政治家の罷免などを要求した。
(3)学生らの要求はおおよそ認められ、親日政治家が罷免された他、中華民国はヴェルサイユ条約に調印しなかった。

というわけで、上記の要点を基に各選択肢の内容を見てみると、まず@は誤りです。山東半島はフランス利権ではなくドイツ利権で、第一次大戦後は日本利権となったからです。ちなみに、山東半島にある有名な都市が「青島(チンタオ)」です。青島の名産の「青島ビール」は、ビール大好きのドイツが支配していた時に、ビール工場を作ったのが始まりなんです。「山東半島⇒ドイツ利権」という関係は、青島ビールに関連させると覚えやすいと思います。さらにちなみに、後で説明に出てくるワシントン会議で、日本の山東半島利権は中国に返還することが決まりますので、ほんの2年弱で日本利権は終わっています。Bは、(3)の説明のように、中華民国はヴェルサイユ条約には参加していないので誤りです。まぁ、もっとも、中華民国は第一次大戦でドイツと戦ったわけではないので、ヴェルサイユ条約に参加していないのは当然と言えます。以上より、残ったCが正解となります。
答えを出すだけなら、これで終わりですが、せっかくなので九カ国条約についても、試験前にはポイントをおさえておきましょう。九カ国条約の正式名称は「中国に関する九カ国条約」といいます。名前が示すように、中国に関して9の国が取り決めを交わしたんですね。どういう取り決めだったのか一言で言うと「中国は独立国である」という内容です。九カ国条約は、1921年からアメリカが開催したワシントン会議で締結された条約の一つですが、その狙いの一つは、中国に勢力を拡大しようとしている日本を牽制することにありました。中国に利権を持つアメリカ・イギリス・フランス・日本の他に、イタリア・ポルトガル・ベルギー・オランダ、そして中国自身を加えた9カ国が、利権争いをいったん終息させる、という名目で結ばれた条約です。この条約は、世界恐慌の後に日本が満州事変を勃発させることで、事実上効力を失いました。」

問3(通し番号:3)
「第二次世界大戦中に起こった出来事を選べ。」

@フィンランドが独立
A日本軍がシンガポールを占領
Bアジア=アフリカ会議がバンドンで開催される
Cコミンテルン結成


big5
「第二次大戦中に起きた出来事を選ぶ問題です。この問題も、やや細かい知識が含まれているので、難しかったかもしれません。」
高校生A
「第二次大戦中の出来事っぽいので、Aを選びました。他の選択肢はよくわからないのですが。。」
big5
「はい、それで正解です。Aが正解です。第二次大戦における日本は、中国、東南アジア、そして太平洋の島々などを一時的に占領しました。シンガポールも、一時日本が占領したんですね。シンガポール占領自体は、第二次大戦の中の細かい知識になりますが、第二次大戦中の日本のおおよその軍事占領エリアを知っておけば、予想できたと思います。
他の選択肢も見ていきましょう。まず@のフィンランド独立。これは第一次大戦中、ロシア革命の混乱の真っ最中のできごとでした。北欧3国(スウェーデン、ノルウェー、フィンランド)の中では、国としての歴史が最も短いのがフィンランドです。フィンランドは「フィン人の国」という意味で、フィンランド語を話すフィンランド人の国です。国土は広いのですが、人口は500万人ほどなので、日本の北海道や福岡県と同じくらいの人口です。そのためか、中世・近世・近代の歴史でフィンランドが独立国になったことはなく、当初はスウェーデンの支配下にあり、北方戦争後はロシアに支配されていました。フィンランド人としての独立意識が芽生えさせたのは、ヨーロッパだけにやはりナポレオンでした。ナポレオン戦争以降、フィンランド人の独立へ向けた運動が始まり、ロシア革命という混乱期に独立を達成した、という歴史を持っています。フィンランドの歴史は、残念ながらセンター出題頻度は高くないので、ロシア革命の影響の一つとして覚えておくといいと思います。
Bのアジア=アフリカ会議、別名は開催地の地名からとった「バンドン会議」(バンドンはインドネシアにある都市の名前)は、1955年に開催された、名前のとおりアジア、アフリカ諸国が集まって開いた会議です。年号は覚えなくてもいいと思いますが、「冷戦の最中に開かれた第三勢力の会議」と覚えておくといいと思います。中心人物はまず開催地インドネシアのスカルノ、それから中国の周恩来、インドのネルー、エジプトのナセルです。ちなみに、日本もこの会議に参加しています。バンドン会議の結果、「平和十原則」が発表され、相互の内政不干渉や平和共存、領土主権の尊重が謳われました。戦後の国力バランスの変化を象徴した会議、と位置づけられています。
最後のCのコミンテルン結成ですが、1919年なので、第一次大戦終結の年と同じです。今回、問われたのは結成の時期ですが、コミンテルンについて重要なのは、そもそも誰が何のために作った組織なのか、ということになります。コミンテルンは、ロシア革命のレーニンが世界全体における共産主義革命を目指すために作った国際的な共産党組織です。ただ、レーニン死後は、独裁者スターリンによって、ソ連の外交政策を支持することが目的の国際共産党組織になっています。コミンテルンなど、共産党関連の歴史は毎年何かしら出題されていますので、合わせて覚えておくのがオススメです。」

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