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中世(後半)

中世のフィンランド

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「今回の主題は中世のフィンランド。あまり知られていない、中世時代のフィンランドの歴史を見ていきます。と言いましても、正直なところ、詳しいところはあまりよくわかっていない、というのが現状です。というのも、当時の事が記された文字史料が乏しく、後世になってからまとめられた史料などに頼るしかないからです。ただ、はっきりと言えることは、中世のフィンランドはまだ国家としてまとまっておらず、スウェーデンやノヴゴロドなどの周辺の大国の開拓地となっていた、ということです。

まずはいつもどおり、年表から見ていきましょう。」


現在のフィンランドの国章 スウェーデン王が使った紋章(獅子)が由来
投稿者自身による著作物, based on image from The Finnish Heritage Agency. Colours are Pantone 186 C for red and 123 C for yellow as defined in the Finnish flag law, パブリック・ドメイン, リンクによる
年月 フィンランド その他
8世紀半ば 南西からスウェーデン、東からノヴゴロドが植民開始
1095年 (欧)第一回十字軍
1155年頃 スウェーデン最初のフィンランド遠征十字軍
1192年 (日)源頼朝が征夷大将軍となる
1236年 (蒙)バトゥの征西 始まる
1249年
(1239年?)
2回目のフィンランド遠征十字軍
1258年 (中東)フラグがアッバース朝を滅ぼす
1293年 3回目のフィンランド遠征十字軍
1323年 パハキナサーリ条約 フィンランド方面はスウェーデン統治下に
1333年 (日)鎌倉幕府滅亡
1339年 (欧)英仏百年戦争 開戦
1362年 フィンランド司教区がスウェーデン王選出権を獲得
1392年 (日)足利義満が南北朝統一
1397年 カルマル連合成立
1419年 (チェコ)フス戦争 開戦
1442年 一般ランド法がスウェーデンで成立 フィンランドにも適用される

異教の地・フィンランド

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「冒頭でも話したとおり、中世になってもフィンランドは一つの国としてまとまっておらず、各地に小さな部族が散らばって住んでいました。そのため、8世紀くらいから周囲の国の民衆がフィンランドに少しずつ植民していきました。南西方面は主にスウェーデンが、東方面は主にノヴゴロドから開拓民が少しずつ住居を増やしていったそうです。
宗教も、その土地に昔からある土着の宗教が信仰されており、中世ヨーロッパを支配するキリスト教はまだ伝わっていませんでした。カトリックであるヨーロッパの目から見ると、フィンランドは辺境も辺境、田舎の異教の地だったわけですね。なので、カトリックの宣教師が布教にやってきます。フィンランドで有名になったのは、スウェーデンのウップサーラ(ウプサラ、とも)のイングランド人司教・ヘンリクでした。伝説によると、1155年頃にスウェーデン王エーリクは異教の地であるフィンランドを目標とした最初の十字軍に出発し、ヘンリクはこれに同行。フィンランドでカトリックの布教に励みました。ところが、現地フィンランド人のラッリという男に恨まれて殺されてしまったそうです。後に、ヘンリクはフィンランドの都市であるオーボ(トゥルク)の守護聖人に列せられました。と、これはあくまで伝説なので、どこまで本当なのかはわかりません。ただ、当時はこの伝説が実話として信じられており、カトリック布教の原動力となったのは事実でした。


ラッリによる聖ヘンリー(ヘンリク)の殺害 作者:Anders Ekman (1833-1855)

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「第2回のフィンランド遠征十字軍は1249年あるいは1239年に、スウェーデン貴族のビルイェル・ヤールがリーダーとなって実施された、と考えられています。この頃、南部のハメーンリンナに築城してノヴゴロドの戦いに備えた、ということは事実として確認されているそうですが、それ以外の詳細は不明とのことです。
第3回のフィンランド遠征十字軍は1293年に行われ、東カレリアまで拡大したことは確実視されています。史料不足で謎が多い、ということですね。
このように、異教の地であったフィンランドは十字軍遠征の対象となり、やがてキリスト教が支配的な宗教となりました。その一方で、フィンランドで古来から信仰されていた神々も民話や口承で残されて、後の時代にフィンランドナショナリズム高揚に一役買うことになりました。」

スウェーデン領フィンランド

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「1323年、スウェーデンとノヴゴロド間でパハキナサーリ条約が締結され、フィンランドは正式にスウェーデン領となりました。といっても、この頃の「フィンランド」が意味するのは現代のフィンランド共和国の領域ではなく、南西の沿岸部の都市と集落であったそうです。スウェーデン領となったことで、スウェーデンの統治機構がほぼそのままフィンランドにも持ち込まれたそうです。1362年にはフィンランド司教区にスウェーデン王の選出権が与えられ、実際にスウェーデン王選出会議に参加していました。
1397年にデンマークの(実質)女王・マルグレーテが北欧諸国をまとめたカルマル連合(カルマル同盟、あるいは単にカルマル、とも。ここではカルマル連合と表記)を結成した時も、フィンランドはスウェーデン領の一部として加入しており、カルマル連合の会議にも代表団を派遣していました。カルマル連合は肯定的にとらえていたようです。」


マルグレーテの肖像 作者:不明 作成年:不明

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「その後、スウェーデンとロシアの間で何度も戦争となり、フィンランドが戦場となった国土が荒れたこともありましたが、スウェーデン国土の一部として発展していき、1809年にロシアの同君連合国「フィンランド大公国」となるまでのおよそ500年の間、スウェーデンの一部としての歴史を歩むことになりました。


1560〜1658年 バルト帝国と呼ばれていたころの全盛期スウェーデンの領土 フィンランドは中世からスウェーデン領だった

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「というわけで、今回はここまで。ここまで読んでいただきありがとうございました。」




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参考文献・Web site

・物語 フィンランドの歴史 北欧先進国「バルト海の乙女」の800年 中公新書 石野裕子著


・フィンランドを知るための44章 明石書店 百瀬宏・石野裕子等著