Last update:2017,Oct,23

預言者ムハンマド

ムハンマドの誕生

big5
「イスラム教の開祖は、みなさん知っての通りムハンマドです。」
日本史好きおじさん
「いきなり基本的な質問で申し訳ない。私が学生だった頃は、マホメットと習ったのですが、ムハンマドもマホメットも同一人物ですよね?」
big5
「はい、同一人物です。昔は「マホメット」と表記していましたが、これはフランス語での名前なんだそうです。イスラム教開祖のムハンマドは、もちろんフランス人ではありません。アラブ人です。アラブ人の名前を、日本人がフランスの呼び方で呼ぶって変ですよね。そこで、ある時点からよりアラビア語に近い「ムハンマド」という表記に変わったそうです。」
高校生A
「それで、ウチの両親はムハンマドを「マホメット」と言うんですね。別人なんじゃなくて、呼び方が違うだけなんですね。」
big5
「そういうことです。さて、イスラム教開祖のムハンマドですが、その前半生はあまりよくわかっていません。生まれた年は570年頃、メッカ(Mecca)で生まれたと考えられています。ムハンマドの話に進む前に、まずはメッカの歴史について簡単に触れておきます。
メッカはアラビア語では"Makkah"(マッカ)ともいい、荒涼とした丘陵地帯のオアシス都市でした。アラビアというと、砂漠地帯を連想する人も多いと思いますが、まさにメッカは砂漠地帯に位置するオアシス都市でした。5世紀末頃、アラブ人の中でもクライシ(Quraysh)族と呼ばれた遊牧生活をしていた部族が、伝説的な英雄クサイイに率いられてメッカに定住し、当時信仰されていた多神教の聖地としてカーバ神殿が築かれ、発展していったそうです。」
名もなきOL
「カーバ神殿って、イスラム教が生まれる前から存在していたんですね。意外です。」
big5
「オアシス都市メッカを、この地方の中心的な都市に成長させたのは、カーバ神殿の他にもう一つありました。それは、隊商貿易(caravan キャラバン)でした。キャラバンというとどんなイメージを持っていますか?」
高校生A
「ラクダに荷物を積んで、数名の人が一緒に砂漠を進んでいく、こんなイメージがあります。」

人 Danmir12 - Freepik.comによるベクターデザイン

big5
「そうですね、キャラバンというとこんなイメージですね。みなさん知ってのとおり、砂漠は人間にとってたいへん厳しい環境です。水がなくて暑いだけでなく、夜はかなり冷え込みみますし、何より道の目印になるものが少ないんですね。なので、知識のない人が砂漠を横断しようとすると、たいていは砂漠の中で迷子になってしまうそうです。
砂漠のキャラバンは、人とラクダが集団になって水・食料などの旅の必需品を装備し、それに商品をたくさん積んで砂漠を渡り、目的地で商品を売る、という商売をしていました。この隊商貿易を発展させたのが、クライシ族のハーシムという人でした。隊商貿易により。メッカの経済力はメキメキと成長し、この地方の一大都市にまで発展したそうです。というわけで、メッカは
@カーバ神殿による、宗教上の中心都市
A隊商貿易の拠点である経済都市
と、いう一大都市に成長したわけです。隊商貿易を発展させたハーシムとその一族はメッカの名門「ハーシム家」として、例えて言えば有力貴族のようなものですね。
さて、この地方の一大都市となったメッカですが、裕福な都市は外国に狙われる、というのがこの時代の常識です。繁栄しているメッカを占領しようと、エチオピア(当時の名前はアビシニア)方面から侵略軍が攻めてくるという事件がありました。これに対して、メッカ防衛の指揮を執って勇名を挙げたのが、ハーシムの子であるアブドゥル・ムッタリブでした。またしてもハーシム家の人ですね。このように、ハーシム家はメッカ繁栄の基礎を作り、繁栄したメッカを外国の侵略から守るといった実績を基に、クライシ族の中でも最も名誉ある名門として栄えていました。そして、本編の主役であるムハンマドは、このハーシム家の出身です。ムハンマドから見ると、ハーシムは曽祖父、ムッタリブは祖父にあたります。」
日本史好きおじさん
「そんな名門の家の出身なんですね。もっと貧しい階級の出身かと思っていました。」
big5
「そうそう、そこなんですが、不思議なことにムハンマドの前半生はほとんど記録が残っていないそうです。生まれた年も、実は正確にはわかっていません。おそらく570年頃ではないか、と考えられているので、こちらでは570年頃としておきます。ハーシム家の出であるならば、何かしら記録がありそうなものですが。。なんでも父はムハンマドが生まれる前に亡くなり、母もムハンマドが6歳くらいの時に亡くなったそうです。両親の代わりにムハンマドを育てたのが、叔父のアブー・ターリブ(生年不詳)でした。羊飼いや、シリアまで行く隊商の仕事をしながら、生活していたそうです。」
名もなきOL
「そんな名門の家なら、一族内での主導権争いとかがあったのかもしれませんね。幼い頃に両親が死別しているなら、親族がそれにつけこんでムハンマドを追い落とした、とか。」
big5
「ありそうな話だと思います。さて、そんなムハンマドに転機が訪れたのは25歳の時でした。富豪の未亡人であるハディージャ(生年不詳)と結婚します。ハディージャの生年が不明なので、この時何歳だったかはわかりませんが、ムハンマドよりも年上だったそうです。結婚のきっかけは、ハディージャが取り扱う商品をシリアまで運んで売りさばく仕事をムハンマドが引き受け、その仕事ぶり、人柄、才能に感じ入ったそうです。」
名もなきOL
「貧しい有能な青年が、富豪の奥さんをもらうなんて、完全に逆玉の輿です。」
big5
「そうですね。実際、ハディージャと結婚したことにより、ムハンマドの生活はかなり裕福になったそうです。自分自身があくせく働く必要もなくなりました。そして、彼は深い思索の世界に入ることになります。メッカ近郊の山に引きこもって瞑想したり、お祈りをしたりしていたそうです。また、ハディージャとの間には3男4女の子どもにも恵まれました。ムハンマドの子どもの中でも、特に有名なのがファーティマです。彼女は後のイスラム社会の発展において重要な役割を果たすことになります。」
日本史好きおじさん
「他の子たちはどうなったんですか?」
big5
「残念ながら、男の子たちはみんな幼いうちに亡くなったそうです。歴史的にはここが重要ポイントになります。ムハンマドには、後継者たりえる直系の男子がいなかったんですね。そんな生活をしていた結果、610年、ヒラー山で瞑想していた時、ムハンマドは神アッラーから啓示を受けました。その時は、ムハンマドはジン(霊鬼)に取りつかれたのではないか、と思い、帰宅して妻のハディージャにこのことを話しました。ハディージャは夫ムハンマドを励ますために、従兄弟でキリスト教徒のワラカのもとへムハンマドを連れていきました。話を聞いたワラカは「それはジンではなくまさに神の啓示である。あなたは神に選ばれたのだ!」とムハンマドを励ましたそうです。その後、自分は神の言葉を聞くことができる「預言者(※将来起きることを伝える「予言者」ではありません)」であることを確信し、613年頃からアッラーの啓示を他の人にも伝える活動、いわゆる布教活動を開始しました。ムハンマドの布教活動は、奥さんのハディージャには受け入れられましたが、それ以外はなかなか時間がかかりました。幼少のムハンマドを育てた叔父のアブー・ターリブは、ムハンマドの活動を支持したものの、本人はイスラム教には改宗しませんでした。代わりに、アブー・ターリブの息子のアリー(生年:600年頃)は、有能な秘書として活躍したそうです。アリーは、後にファーティマと結婚して、ムハンマドの後継者(第4第カリフ)となる人物です。他には、後に初代カリフとなる中規模商人だったアブー・バクル(生年:573頃)などが、ムハンマドの活動を支えていました。ムハンマドの活動は、メッカの中でも貧乏人や奴隷といった、低階層の人々には受け入れられたそうですが、商人や富豪など上階層の人々からは激しい反発を受けました。」
高校生A
「なぜ反発を受けたんですか?」
big5
「理由はいろいろとあります。ムハンマドの布教内容のポイントは
(1)唯一神アラーだけを信仰すること
(2)ムハンマドを預言者として認めること
(3)人間はみな平等であること
(4)偶像を崇拝してはならないアブー・スフヤーンです。メッカの上階層の人々はムハンマドの活動を批判し、弾圧を加えるようになりました。
状況が大きく変わったのは619年。この年、ムハンマドを支えていた妻のハディージャと、叔父のアブー・ターリブが亡くなりました。622年、ムハンマドはついにメッカを捨てる決意をします。70人ほどの信徒とその家族らと共にメッカを捨てて、北方の都市・メディナに移住することを決めました。これを「ヒジュラ」と呼んでいます。日本語訳では「聖遷」という訳語が使われることもあります。」
高校生A
「学校でも、ヒジュラは重要事項として太字で書かれていたりして、先生も「試験によく出る」と言っていたんですけど、引っ越したことがそんなに大事だったんですか?」
big5
「これは私見ですが、ヒジュラが歴史上の重要事件とされる理由は「622年がイスラム暦の元年とされているため」だと思います。ちなみに、イスラム教では西暦ではなくイスラム暦が使われています。そのイスラム暦の始まりが、このヒジュラなんですね。まさに、イスラム教徒にとっては、ヒジュラは始まりの年だったわけです。ちなみに、7月16日がイスラム暦の元日です。」

預言者ムハンマド 略年表              
570年頃

ムハンマド誕生
595年頃

ハディージャと結婚
606年頃

ムハンマドの娘・ファーティマ誕生
610年

ムハンマドが神アッラーの啓示を受ける
613年頃

神アッラーの預言者として、アッラーの啓示を伝える活動を始める
619年

ハディージャ死去 アブー・ターリブ死去
622年7月16日

ムハンマドらがメッカからメディナに移住 (聖遷(ヒジュラ))

次へ進む(2.メッカとの戦い)

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