Last update:2021,Jan,23

大戦後の文化

文学篇 ペスト (LA PESTE)

small5
「「大戦後の文化」の文学篇へようこそだぜ!ここでは、ノーベル文学賞を受賞したフランスの作家・アルベール・カミュの作品『ペスト』について紹介していくぜ!」
名もなきOL
「『ペスト』って、前にも出てきましたよね?確か、『ロビンソン・クルーソー』で有名なデフォーが書いた小説でしたっけ?」
small5
「OLさん、その通りだぜ!実際、カミュの『ペスト』では、扉ページにデフォーの小説の一節を抜粋しているんだ。同じ感染症のペストを扱った小説だから、カミュもおそらくデフォーの『ペストの記憶』を読んだんだろうな。デフォーの『ペストの記憶』は、こちらでも紹介しているから、まだ見ていない人はこちらも読んでみてほしいぜ!」



ペスト 訳:宮崎嶺雄 1969年10月30日 初版第1刷発行 新潮文庫 458ページ
small5のオススメ
日本語に訳されたカミュの『ペスト』で一番普及していると思われるぜ。2020年の新型コロナウィルスの蔓延をきっかけに読んでみた人も多いと思う。だが、正直なところ、やや難しい作品だ。原文がそうなのか、日本語訳の問題なのかは俺にはわからないが、何度読んでも理解できない箇所もいくつかあった、というのが正直なところ。有名作品ではあるが、途中で読むのをやめてしまった人もけっこういるんじゃないか、と思うぜ。



あらすじ

small5
「まず、最初に言っておくが、カミュのペストはやや難しい作品だ。第二次大戦が終結してから2年しかたっていない1947年に刊行され、フランスはもちろん周辺諸国に翻訳版が瞬く間に広まり、カミュの作家としての名声を高めた作品なんだが、「途中で挫折してしまった人も多いのではないか」と正直に思うぜ。読みやすさ、という点ではデフォーのペストの方がだいぶわかりやすい。
なので、あらすじはなるべく簡略化して紹介するぜ。」
名もなきOL
「私、頭弱いから難しい文章だと間違いなく挫折しちゃいますね。あらすじ、よろしくお願いします。」
small5
「まず、時は194x年。場所はアルジェリアのオラン市だ。オランは実在する街で、地中海に面した港街だぜ。作者のカミュも、2番目の奥さんの実家がオランだったので、第二次大戦でフランスがドイツの電撃戦で早々に降伏した後は、オラン市に滞在していたんだ。このオラン市で、突然ペストが流行しはじめたので、オランが都市封鎖(ロックダウン)されることになったんだ。封鎖されたオランの街に取り残された人々が何を考え、どう思っていたのか、数人の登場人物を通して、ペストとロックダウンに直面した人間達を描いているんだ。」
名もなきOL
「実際にオラン市でペストが流行したんですか?」
small5
「してないぜ。これは完全にカミュの創作だ。登場人物も、おそらくほぼすべて架空の人物だろう。だから、ここからの話はすべて「小説」として見てほしいぜ。」
名もなきOL
「わかりました。カミュのペストはフィクション、っと。」
small5
「主人公である医師のベルナール・リウーは、病院でネズミの死体につまずいた。最初は気にしなかったが、普段病院でネズミの死体につまづくなんてありえない。嫌な予感がしたが、いつもの仕事を続けた。だが、オランの街でネズミが大量に不審な死を遂げる事件が続出し、人々は「何かの前触れではないか」と不安を感じ始めるんだ。これが、ペスト流行の前兆だ。」
名もなきOL
「ペスト菌って、ネズミとかによく付いているノミが運んでるんですよね。だから、最初に被害が出るのがネズミだったんですね。」
small5
「やがて、人間がペストを発症する。患者はリンパ腺が大きく腫れあがり、高熱を発してうわ言を言ったりする。そして、苦しんだ果てに死んでしまうんだ。リウーは、これはペストに違いない、と考えた。医師会や知事に対して、緊急対策を取るように要請するが、役人たちはなかなか重い腰を上げようとしない。その間に、感染者は増え続け、死者も増加し始めると、市民たちはますます不安になった。そして、ついにオランの街は「ペスト感染区域」と認定され、街そのものを封鎖するロックダウンを発令するんだ。」
名もなきOL
「役人の腰が重い、というのは古今東西共通の原理なんですね。」
small5
「ここからが、『ペスト』の本編になる。『ペスト』では、数人の登場人物に焦点があてられる。まず、主人公である医師のリウー。リウーの友人になり、特徴的な記録を書き残すタルー、たまたま仕事でオランに来ており、ロックダウンでパリの恋人のところに帰れなくなった新聞記者のランベール、ペスト流行は神の怒りである、と説く神父のパヌルー、そしてペスト流行を喜ぶ小悪党のコタール、だ。他にも名前を持つ登場人物はいるのだが、この5人が『ペスト』の主要登場人物だ、と俺は考えているぜ。」
名もなきOL
「いろんなタイプの人にスポットライトが当たっているんですね。」
small5
「おそらく、カミュが扱いたかった社会のテーマを描くために、この5人を作ったんだろうな、と思う。この5人はペストがきっかけとなって交流を深めていくのだが、封鎖された街とペストに関する考え方はそれぞれ違うんだ。多くの人が亡くなっていく中、主要登場人物にも命の危機が迫ってくる。最終的にペストは終息するわけなのだが、それぞれの登場人物の変化と結末に至るまでのプロセスが、『ペスト』の肝になるぜ。ここからは、主要5人のエピソードをざっと紹介しよう。」


個人の幸福を求めたランベール

small5
「5人の主要人物の中でも、一番わかりやすいのはランベールだろうな。ランベールは新聞記者で、仕事でオランに来ていた。パリには彼女がいる。オランのロックダウンにあたり、ランベールはなんとかして街を脱出して、パリに逃げようとするんだ。」
名もなきOL
「そりゃそうですよね〜。私でもきっとそうするだろうな。」
small5
「俺もだぜ。なんとか方法を見つけて、脱出しようとするだろうな。だが、ロックダウンは厳しいルールで、例外は認めなかった。役所に掛け合っても無駄だと悟ったランベールは、ロックダウンの決定にリウーが関わっていたことを知り、リウーに「健康証明書」を書いてもらおう、とリウーを訪れた。しかし、リウーは「ペストに感染していないと証明することはできない。」と断わる。ランベールは憤って「あなたには愛する二人が引き離されている辛さが理解できないんです。あなたの言葉は理性の言葉だ。あなたは抽象の世界にいるんです。」とリウーに言うんだ。」
名もなきOL
「「抽象の世界にいるんです。」。。。うーん、なんか、わかるようでわからないような・・・」
small5
「ここは解釈が難しいところだ。だが、おそらく「個別の具体的な話」ではなく「一般的な話」、ということだろうな。リウーは一般的に言って「感染を証明することはできない」とか「感染が広まるのを防ぐためには封鎖が必要」と言っている。全部正しいだろうが一般的(抽象的)な話だ。ここに、一人一人異なる事情は考えられていない。ランベールは、彼の個人的な事情をリウーがわかってくれない、と思ったんだろうな。」
名もなきOL
「なるほど。ランベールさんの言い分も気持ちもわかりますけど、私はリウーさんの言い分の方が正しい、と思いますね。」
small5
「だよな。第三者の視点からすると、正しく見えるのはリウーなんだ。それに対してランベールの言い分は「自分勝手」と感じる人もいるだろう。もし、ランベールがペストに感染していたら、次はパリでペストに感染する人が現れる恐れもあるからな。
だが、ランベールはあきらめずになんとか脱出しようとする。そのためには、小悪党のコタールに頼んで金を使って非合法の裏ルートを使うんだが、これもなかなかうまくいかない。そんなランベールに、リウーとタルーが「保険隊」に入らないか?と誘うんだ。」
名もなきOL
「「保険隊」?」
small5
「ペストの感染拡大を防ぐためにタルーが提案して作った組織だ。患者の運搬や事務手続き、消毒作業などを担当するボランティアだな。ランベールは保険隊の活動は評価するが、やはり自分は早くパリに帰りたい、と答えた。この時は、コタールが仲介した裏ルートの可能性がまだ残っていたんだ。しかし、裏ルートの取引はうまくいかずに失敗してしまう。意気消沈したランベールは、客であふれるバーでリウーとタルーと酒を飲んで話をするんだ。実はランベールは、スペイン内戦に義勇兵として参戦していたんだ。「負けたほうについた」と言っているので、共和派人民戦線について、フランコの指揮するファシストと戦ったと考えられる。この時の経験で、ランベールは「正しく偉大なことを成し遂げるヒーロー」が、戦争という殺し合いの場で殺し殺される現場を見て、英雄気取りな行動がまったく信用できなくなった、と言った。つまり、ペストと戦うリウーやタルーの行動は、英雄的で素晴らしいものであるように見えても、ペストと戦う最中に自らも感染して死んでしまう、というリスクを持っているわけだ。そんな英雄観念に引かれてペストに罹って死ぬよりも、自分は愛を信じて愛のために死にたい、と語るんだ。」
名もなきOL
「・・深いですね。」
small5
「深いよな。こういう男の考えを的確に表現できるカミュの描写力には脱帽だぜ。
さて、そういうランベールに対しリウーは「ランベールの考えは間違っていないと思うし、それでいいと思う。ただ、自分がペストと戦い続けるのは英雄になりたいからではない、自分の職務に誠実でありたいからだ。」と答えた。それを聞いたランベールは、自分自身にとっての誠実さとは何なのかがわからない、と悩む。リウーとタルーは仕事に戻るので席を立つのだが、その時にタルーが「リウーの奥さんは遠く離れた療養所にいるんだ」とランベールに教えた。その一言が、ランベールの意思を決めた。ランベールは、街を出ることができるようになるまで、保険隊に入ることに決めたんだ。」
名もなきOL
「リウーさん、カッコイイですね。まさにプロフェッショナル、ってかんじですね。そして、タルーさんのサポートもうまいですね。リウーも、ランベールと同じく「愛」を知っている人間なんだ、ということを伝えたわけですね。」
small5
「この話は、多くのフランス人はドイツに対するレジスタンツ活動を思い起こしただろう。第二次大戦から。まだそれほど時が経っていないからな。戦争を望まない人や、家族を残してレジスタンツ活動に参加するのをためらう人もたくさんいたはずだ。それでも、レジスタンツ活動に参加した人々はどういう気持ちだったのか。その時の思いを重ねて、このシーンは多くのフランス人の共感を呼んだのではないか、と思うぜ。
保険隊に入った後、ランベールは自身の気持ちをこう語っている。「自分一人が幸福になることは恥ではないか、と思う。最初は、自分はこの街には何の関係もない人間で、巻き込まれるのはまっぴらごめんだと思っていた。しかし、望む望まないに関わらず、自分は関係者になってしまった。」と。元々ランベールは、「個人の幸福」だけを求める人間ではなかった。スペイン内戦に義勇軍として参加しているからな。この時のランベールは「個人の幸福」よりももっと大きな「社会の正義」を考えて行動したはずだ。おそらくその時の思いが、「保険隊」の活動によって呼び覚まされたのではないか、と思う。」


ペストで幸福を感じるコタール

small5
「ペストで個人の幸福を奪われたランベールに対して、ペストという状況で幸福を感じる男がコタールだ。コタールは、序盤で自殺未遂をしたことでリウーと知り合うことになる。コタールは小悪党で、過去の犯罪がバレて警察に捕まりそうになっていたんだ。絶望から自殺しようとするが失敗してしまう。そんな矢先に、ペスト流行が始まったので、警察もコタールの問題は後回しになってしまったんだ。」
名もなきOL
「タイミングよく、ペストに救われたわけですね。」
small5
「人々がペストにおびえて過ごす状態を見て、コタールはこう思ったんだろう。「怯えているのは俺だけじゃない」と。ペスト流行前は、コタールは孤独で警察におびえる惨めな存在だった。そんなコタールにとって、平然と街で生活している一般の人々は、なんとも羨ましい身分の人間に見えたのだろう。そして、わが身の不幸を呪っていた。ところが、ペスト流行により、街の空気は一変する。コタールが羨ましがっていた人々は、コタールが警察に怯えて暮らしていたように、ペストに怯えて暮らすようになったわけだ。その一方で、コタールはランベールの脱出に便宜を図ったりと、裏の世界の商売に手を出してけっこうなお金を稼いだ。他人の幸福度が落ちて、自分の幸福度は上がったから、相対的に見るとコタールはペストのおかげで大幅に幸福な存在になったわけだ。」
名もなきOL
「ペスト流行を喜ぶなんて、最低の人間ですね。」
small5
「道徳的にはそうだよな。だが、人間はコタールのような考え方もできる、というのは古今東西共通の原理だと思うぜ。新型コロナの時も、初期はマスクの転売で儲ける人たちがいて問題になった。マスク転売で儲けた人々は新型コロナを喜んだと思う。
そんなコタールを、リウーとタルーは保険隊に入らないか、と勧誘するんだ。だが、当然のようにコタールは拒否する。自分は、むしろペストが続いてほしい、と言ってな。」
名もなきOL
「ハッキリしてますね。」
small5
「そんなコタールを、詳細に観察したのがタルーだった。タルーは、ペストを喜ぶという、かなり特殊な反応を示すコタールを理解しようとした。そして、タルーはコタールの上機嫌さを「不幸をみんなよりも先に痛感している先輩としての優越感」と考えた。ペストに怯える人々に対して「みなさんは、いま怖くて恐ろしい日々を過ごしているんでしょうが、私はもう一足先に経験済みなんですよ。」というかんじなのではないか、ということだ。」
名もなきOL
「中年の病気自慢に通じるところがありますね。健康診断の結果の良さではなくて、悪さを自慢するアレですね。一番数値の悪い人が勝者、みたいな、あの奇妙な空気ですね。」
small5
「そうだな。これは「人間は自身の幸福度や地位を相対的に判定しがち」という事を表現したいのではないか、と思う。コタールの場合、見ず知らずの街の人と自分を比較して、ペスト以前は自分だけが警察に怯える日々を過ごしていたから、街の人々よりも不幸だった。ところが、ペスト流行により、街の人々も毎日怯えて暮らさざるを得なくなったから、コタールと同じようになったわけだ。つまり、比較する相手の幸福度が下がったので、コタールの幸福度が上がったように感じるわけだ。むしろ、自分の方が不幸の経験者なんだから、みんなの先輩なんだぜ、という優越感も持った、ということだろう。中年の病気自慢で、一番不健康な人が勝者のように感じる原因は、同じ飲み会に参加しているという一見すると平等な環境の中で、一番不幸な背景を抱えている人が、そうでない人よりも相対的に幸福感を感じやすいんだろうな。「俺はみんなよりも一番肝臓の数値が悪いのに、みんなと一緒にお酒を楽しめているんだ。」とか「俺の肝臓はこんなにボロボロなのに、酒を飲んでいるんだぜ(楽しんでいるんだぜ)」っていうことなんだろうな。」
名もなきOL
「なるほど。そうなると、コタールのような考え方は、人間誰しも持っているもの、なのかもしれないですね。」


信仰と現実 神父のパヌルー

small5
「次に、カトリック神父のパヌルーを見ていこう。パヌルーはイエズス会士という設定で、かなり博学だが戦闘的な説教をすることでオラン市では有名人物だった。このパヌルーが、ロックダウンが宣言された後、教会で演説をするんだ。ペストは、人々のこれまでの退廃的な生活に対する神の怒りであり、今こそ悔い改め神に祈りを捧げる時なのだ、と。」
名もなきOL
「デフォーの『ペストの記憶』でも、同じような説教をする聖職者がいた、と書いてましたね。」
small5
「だが、そんなパヌルーは「保険隊」に参加したある日、衝撃的な現実を目の当たりにする。4,5歳の男の子がペストに罹り、一晩中もだえ苦しんだ後に絶命する、という悲惨な現場だ。何の罪もない幼児が、こんなにも苦しんで死ぬのはなぜなのか?この子に何の罪がある、というのか。それでも、教義に敬虔なパヌルーは「それでも我々は理解できないことを理解しようとしなければなりません。」と言う。幼児の看病で疲れ切っていたリウーは、それを聞いて憤慨するんだ。「僕は「愛」をもっと別のものだと考えている。子供たちが責めさいなまれるこんな世界を肯定することは、到底できない。」とな。」」
名もなきOL
「そうですよね。もしもペストが本当に神の怒りで、無垢な子供の命まで奪うものだとしたら、あまりにも残酷だと思います。。」
small5
「パヌルーにとっても、自分が目にした現象をどう解釈すべきなのか、信徒たちにどう説明するのか、かなり悩んだことだろう。数日後、パヌルーは教会で演説を行う。いつものように長い演説なのだが、後半で衝撃的な発言をするんだ。
「みなさん、その時期が来ました。すべてを信じるか、すべてを否定するか、です。」
そして、またいくつか長い話を経てこうも言った。
「神への愛は困難な愛です。この愛は、自我の全面的な放棄と我が身の蔑視を前提としています。しかし、この愛のみが、子供の苦しみと死を消し去ることができるのであり・・(以下略)」
この演説は「ペストは神の怒り」とした最初のころとは、まったく違う内容なんだ。彼の演説の内容を補足するかのように、リウーは
司祭が医師の診察を受けるのは矛盾がある、ということなんですよ」
と言い、タルーは戦争中に信仰を失った司祭を知っている、と言ってから
「パヌルーの考えは正しいね。罪なき者が目をつぶされるとなれば、キリスト者は信仰を失うか、さもなければ目をつぶされたことを受け入れるかだ。パヌルーはとことんまで行くつもりだ・・(以下略)」」
名もなきOL
「うーん・・・なんだかわかるようでわからないな・・。要するに、キリスト教を信じるか辞めるかを決めるのは今で、信じることはかなり大変な道のりだっていうこと?」
small5
「だいたい合っているが、補足が必要だな。ここを理解するのは、キリスト教の教義の基本を知らないと難しいぜ。
まず、キリスト教徒が信仰するのは、唯一絶対の全知全能の神だ。この世界を作った者は神である。つまり、神が創造主だな。そして、全知全能の神はこの世界で起こったことすべてを把握している、とされている。良いことがあっても、悪いことがあっても、すべては「神の思し召し」ということで、人間は神の感謝の祈りを捧げ、悪いことをした時は悔い改めなければならない、ということだ。
ところが、『ペスト』に描かれた4,5歳の少年の悲惨な最期は、キリスト教はどう説明するだろうか?4,5歳の幼児に、あんな悲惨な最期に相当するような罪があったとは思えない。だから、それは幼児が犯した罪に対する罰ではない。ではなんだろうか?パヌルーは「神を信仰するのであれば、これも受け入れなければならない」と言ったわけだ。そして、受け入れられないのであれば、キリスト教を捨てるべき、と言ったんわけだ。」
名もなきOL
「なるほど。タルーの言っていることがわかりました。リウーが言う「司祭は診察を受けると矛盾」っていうのは?」
small5
「ペストも神の思し召しである、ということは司祭(パヌルー)がペストに罹ったことも神の思し召し、ということになる。医師に診察してもらって治療してもらおうとするのは、自分で神の意思を退ける、ということになるわけだ。それがパヌルーの結論だったわけだ。
演説の後、パヌルーはペストのような症状を発して苦しむんだが、周囲の薦めを聞かずに一人で病気を克服しようとするんだ。」
名もなきOL
「それは・・凄い信念ですね。私はキリスト教徒じゃないけど、自分の信念でペストに耐えようとするなんて、とてもできません。」
small5
「そうだよな。パヌルーの信仰心の強さが示されているんだ。そしてこれは、筆者であるカミュ自身のキリスト教に対する考え方を示しているんじゃないか、と俺は思うぜ。」


人を理解し共感する人・タルー

small5
「さて、俺が一番いろいろ考えたのが主人公・リウーの友人となるタルーだ。タルーは元々はフランス本土に住んでいたんだが、旅の途中でたまたまオラン市に立ち寄った際に、ペストとロックダウンに巻き込まれた、という設定だ。タルーは、オラン市で見た様々なことを記録しているんだ。」
名もなきOL
「歴史家みたいですね。」
small5
「そうだな。だが、タルーの視点は一般的な歴史家のものとは違って、もっと別の点、どちらかというと記録に値しないような些細なことや、見ず知らずの人間の言動とか、そういう歴史の表舞台には出てこないような小さなことを記録しているのが特徴なんだ。」
名もなきOL
「ちょっと視点が変わってるんですね。」
small5
「一風変わった視点を持っているが「保険隊」の提案をしたのはタルーなんだ。リウーら医療関係者の手伝いをすることで人々を少しでも救いたい、というわけだ。」
名もなきOL
「いい人じゃないですか、タルーさん。」
small5
「そうだな。タルーには、他に人にはあまり見られない、少し変わった信念を強く持っている男だった。タルーが最も大切にしていることは「他人を理解すること」と「共感すること」だ。」
名もなきOL
「やっぱりタルーさん、いい人じゃないですか!そうですよ、「理解」と「共感」、これってとっても大事です。ウチの上司に言ってやりたいですね。」
small5
「そこはいいんだが、タルーはなぜ「理解」と「共感」を大事にしているんだと思う?」
名もなきOL
「え・・それはやっぱり、コミュニケーションの重要性を理解しているからじゃないかしら?」
small5
「いや、そうじゃない。理由は「人はみなペスト患者のようなもので、知らず知らずのうちに人を殺してしまっているから」なんだ。」
名もなきOL
「は?」
small5
「よくわからないだろ?俺もすぐにはわからなかった。これは、一読しただけではわかりにくいと思う。
まず、タルーが「人はみなペスト患者のようなもの」と思うようになったきっかけだ。まず、タルーの父は検事の仕事をしていた。タルーが10代半ばの頃、父は自分が働いているところを見せるために、職場、つまり裁判所にタルーを呼んだ。ここでタルーは、父が被告人に死刑を求刑するのを目にして、大きなショックを受けた。父が、人の命を奪う殺人者である、と感じたんだ。」
名もなきOL
「うーん、タルーさんの気持ちはわからないでもないですが、裁判で犯罪者に死刑を求めることと、金目当てや感情で人を殺すのは違うと思います。」
small5
「そうだよな。俺もそう思う。そして、一般的にはOLさんのように思われると思うぜ。しかし、タルーにとっては、それは別物ではなかったんだ。その後タルーは、銃殺刑の現場を見ることになる。想像していたよりもずっと悲惨な現場を見たタルーは、これまで間接的であっても、この死刑を認めていた自分自身をものすごく恥じた。このような死刑がある社会の一員として生きて、間接的に殺人に加担していたことは、極めて恥ずかしいことだ、という具合にな。」
名もなきOL
「なんかタルーさん、ずいぶん思い詰めているような・・・」
small5
「ずいぶん悩んだタルーは、心にこう誓った。自分は、絶対に殺人を正当化する側には立たないこと、と。今の社会では、知らず知らずのうちに殺人を正当化してしまっている。それはまるで、肺ペスト患者のように、知らず知らずのうちにペスト菌をばらまいて周囲の人を殺してしまうのと同じである、と。
そんなタルーの生き方は「周囲の人々を理解すること」だった。些細なことを詳細に観察していたのは、「理解するため」だったんだな。そんなタルーに、リウーは尋ねた。「心の平和に到達するために取るべき道はあると思うか?」タルーはハッキリ答えた「共感だね」とな。」
名もなきOL
「これも深い話ですね。簡単に言うと、タルーさんは死刑廃止論なんですね。ただ、他の人と違うのは、その社会に生きているだけで「殺人に加担している」ととらえたことですね。」
small5
「そうだな。そして、オラン市のペストに遭遇して気づいたわけだ。平時であっても、人はペスト患者と同じだ、と。」


まとめ

small5
「さて、ここまでカミュの『ペスト』を主要登場人物に視点を置いて解説してきたぜ。省略した部分もかなり多いから、気になった人はぜひ読んでみてほしいぜ。ただ、最初に言ったようにやや難しい作品だ。俺のオススメは、「わからない部分は後回しにする」だな。」
名もなきOL
「内容的には、けっこう重いですしね。ところで、カミュは「不条理の文学」と言われていますけど、どういうことなんですか?」
small5
「「不条理」というのは、よく「理不尽なこと」と説明されるな。だから「不条理の文学」というのは、ペストなどの疫病や戦争、自然災害など、自分の力だけではどうにもできない災厄をテーマに置いた文学のことだな。「不条理の文学」では、災厄自体の描写よりも、不条理にさらされた人間を描き、生きる意味を考えさせる作品になっているものが多い。例えば、デフォーの書いた『ペストの記憶』は、ペストという災厄とそれに苦しんだ人々の姿を克明に描いているドキュメンタリーのような作品だな。それは、マルセイユでペストが流行し、不安に感じているロンドン市民に役立つ情報を提供する、という目的があるから、だろう。それに対してカミュの『ペスト』は、ペスト自体やそれに苦しむ人々に視点はあまり置かれていない。そうではなく、ペストにさらされた環境に生きる登場人物の考え、価値観、行動の違いに重点を置いて描くことで、人間が生きる意味を考えさせる作品になっている、と俺は思うぜ。だから、テーマは決して軽くないな。だが、これは人生を考えるきっかけをくれる作品になっている、と思うぜ。」


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