Last update:2021,Apr,3

自由と革命の時代

自然科学篇 ジェンナーと種痘法 詳細篇

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「さて、今回は「自由と革命の時代」の「自然科学篇 ジェンナーと種痘法」の「詳細篇」いうことで、本編では省略した、ジェンナーそして種痘法に関する、より深い話を紹介していくぜ!まだ本編を見ていない、っていう人は、まずはこちらに本編から見てくれよな。」

自然科学篇 ジェンナーと種痘法

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「詳細篇はいつもどおり、OLさんの代わりに私が聞き役になります。」

・ジェンナーよりも先に牛痘接種をした人がいるの?

・ジェンナーは自分の息子に最初に牛痘接種した、って読んだ記憶があるけどそれは嘘なの?

・ジェンナー あったかもしれないもう一つの人生

・種痘法論文 自費出版の経緯



ジェンナーよりも先に牛痘接種をした人がいるの?

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「これは簡単。いるぜ。ブリストル付近の農村に住んでいたベンジャミン・ジェスティという農夫が家族に牛痘を接種した、という記録が残っている。牛痘接種は1774年だから、ジェンナーがフィップス少年に牛痘を接種する22年前だな。」
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「よく勘違いしている人がいるのですが、ジェンナーが評価されているのは初めて牛痘接種をしたからではありません牛痘接種が天然痘を予防できることを実験して調べ、その普及に尽力したから、です。なので、史上初ではないからジェンナーは大したことない、というように価値が下がるわけではないんですね。ジェスティは牛痘接種を行ったものの、その後に天然痘を接種して痘疱ができないか、という検証まではしていないです。」
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「そのとおりだな。参考文献に上げた「小児を救った種痘学入門」の著者・加藤四郎氏はこの著書の中で「ジェスティは最初に牛痘種痘を試した勇気ある人」としている。ジェスティの墓碑には「最初の牛痘種痘者」と書いてあるそうだぜ。
正直なところ、実際に牛痘接種をした人は、ジェスティよりも前にいると思うぜ。証拠はないから完全な推測なんだが、そもそもバークレー付近では牛痘にかかると天然痘にかからない、という経験則は知られていたわけだ。それなら、あえて牛痘にかかったほうがいい、と考える人が出てきても不思議ではないよな。」
big5
「これに似たような話ですが、インターネットの様々な記事を読んでると、たまに「ジェンナーが種痘法よりも前から、トルコや中国で天然痘予防接種が行われていた。にも関わらず、ジェンナーが種痘法の発見者として教えられているのはおかしい」という論調の記事があるのですが、これらの主張は資料調査が足りてないですね。本編でも説明しているように、天然痘患者の膿などを使うトルコ式天然痘接種はジェンナー誕生以前からイギリスに伝えられており、ジェンナーも子供の時に天然痘を用いた接種は受けているんですよね。別に、新発見の事実ではないんですよ。ジェンナーは、危険性が高く問題点も多かった天然痘そのものを用いる予防接種ではなく、より安全性の高い牛痘接種の効果を実証して普及させたから評価されているわけですね。ネットには様々な情報が載ってますが、誤解に基づいた情報も多いので、気を付けないとダメですね。」


ジェンナーは自分の息子に最初に牛痘接種した、って読んだ記憶があるけどそれは嘘なの?

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「嘘というか、これは単なる間違いだな。本編にあるように、最初にジェンナーが牛痘接種を行ったのはフィップス少年だ。自分の息子ではない自分の息子エドワードに接種したのは、フィップス少年よりも8年前の話で、牛痘ではなく豚痘(軽症型天然痘)だ。もう少し言うと、上に述べたように牛痘接種だけならジェスティも行っていた。ただ、この誤解には経緯があるから、これも紹介しておくぜ。こういう誤解に基づいた「評価」も、ある意味では歴史」の一部だからな。
まず、日本では第二次大戦前、尋常小学校の国定教科書「修身」の中で
「ジェンナーが自分の息子に牛痘を接種して実験した、」
というエピソードを紹介しているんだ。この記述がそもそも事実と違っているよな。この間違いが意図して作られたのかどうかまではわからないが、「かわいい自分の子を実験台にしてでも、世の中のために尽くす素晴らしさ」という自己犠牲美談の話として使おうとした、という意図は読み取れるよな。ところが、この話を読んだ人が、後になって
「ジェンナーが牛痘接種したのは、自分の息子ではなく使用人の息子(フィップス少年のことだと思われる)だった。ジェンナーの美談は嘘なんだ」
という、「実は嘘の話」というノリで語られてしまうわけだ。このての話は、牛痘接種の部分だけを切り取って、その前後に行ったジェンナーの調査や実験には触れられていないことが多い。有名どころでは、池上彰氏もYou tubeの動画で、「実はジェンナーが牛痘接種したのは自分の息子ではなく使用人の息子だったんですよ。使用人の息子に接種して大丈夫なのを確認してから、自分の息子にやったそうです。ヒドイですよね〜」と語ってしまっている。誤解に基づいて誤った評価を下してしまっている典型的な例だな。動画を埋め込んでおくので、見てみてほしいぜ。ジェンナーのくだりは4:10あたりからだ。
もう一つ興味深いのは、「使用人の息子に接種して大丈夫なのを確認してから、自分の息子に接種したそうです」というところ。おそらく1797年に誕生した次男・ロバートのことだろうな。次男・ロバートは、1798年に行った人から人へ牛痘を植え継ぐ実験の被験者の一人になっている。ただ、ここで注目すべきはロバートの生まれた年だ。1797年は、フィップス少年への牛痘接種の翌年だな。つまり、ジェンナーは牛痘を人から人へと植え継ぐことでも効果を発揮する、という実験に1歳の次男・ロバートを参加させているわけだ。なので、池上氏の「使用人の息子に接種して大丈夫なのを確認してから、自分の息子にやったそうです。ヒドイですよね〜」という評価は、難癖に近いな。生まれていない子供にはどうがんばっても接種はできない。それに、牛痘の人から人への植え継ぎは、当時誰も試したことが無い初めての試みだった。フィップス少年と同じことを次男・ロバートに行っていたわけでないんだぜ。これは「事実の一部だけを切り抜いて、それだけで評価を下す」という、典型的な誤認識の一例だな。最近の報道でも、視聴率や発行数を稼ぐことを優先してこの手の手法を取ることが多いから、要注意だぜ。」

結論
ジェンナーは、自分の2人の息子を豚痘の接種、人から人への牛痘植え継ぎ実験に参加させた。牛痘の接種ではない。




ジェンナー あったかもしれないもう一つの人生

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「これは、ジェンナーがハンターのところで研修していた頃の話なんだが、18世紀の探検航海で有名なクック(James Cook:キャプテン・クックの通称が有名)が第1回探検航海からロンドンに帰ってきた時に、クックから
「次の探検航海に一緒に行かないか?」
と誘われたことがあるそうだ。」

Captainjamescookportrait
クック肖像画  画:ナサニエル・ダンス=ホランド  作成:1775年

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「クックの航海に同行していた博物学者ジョセフ・バンクスが持ち帰った、様々な生物の標本整理を手伝う機会にジェンナーは恵まれた。その時のジェンナーの働きぶりや、博物学への好奇心を見たクックがジェンナーを第2回探検航海に誘ったそうだぜ。1770年、ジェンナーが21歳になる年のことだ。」
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「もし、この時ジェンナーがクックの誘いに乗って探検航海に出ていたら、牛痘種痘の開発はだいぶ遅くなったことでしょうね。代わりに、ジェンナーは博物学の歴史で名前を残すことになったかもしれないですね。」
small5
「だろうな。だが、ジェンナーはクックの誘いを断った。医者としての修業がまだ途中だったからな。もしもの話だが、もしジェンナーがクックに誘われたのが、ハンターの元での研修をほぼ終える頃だったら、答えは変わったかもしれない。本編にもあるように、ジェンナーはカッコウや渡り鳥の研究も熱心に行っている。まだ見ぬ新種生物を探す旅、という話はかなり魅力的だったんじゃないか、と思うぜ。」


種痘法論文 自費出版の経緯

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「本編でも紹介したように、ジェンナーの牛痘による予防接種の論文は、最初は王立協会にも受理されなかったので、自費出版したんですよね。実際、他のサイトでも同様の説明がなされていることが多いですね。これは、加藤四郎氏の「小児を救った種痘学入門」でも紹介されていますね。」
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「自費で出版した、というのは確かに事実なんだが、そうなった経緯はどうやら違うようだぜ。山内一也氏の「近代医学の先駆者 ハンターとジェンナー」には、論文自費出版に至るまでの経緯を下のように記載しているぜ。

(1) 1796年:フィップス少年の牛痘接種実験 これまでの調査結果もまとめて王立協会へ論文提出するも差し戻し

フィップス少年の牛痘接種実験に満足したジェンナーは、友人であるガートナーへ喜びの手紙を書いている。そして、これまでの研究結果をまとめて論文にし、ロンドンに赴いて王立協会のバンクス会長に提出した。審査を担当したのはエヴァラード・ホームという人物だ。エヴァラードは症例数が少なすぎる、と報告した。バンクスもそれに同意した。わずかの実験例だけで斬新すぎる結果を発表することは、これまでのジェンナーの名声を傷つけかねない、という理由で差し戻した。とな。実際、牛痘接種で天然痘の発症を防いだことを確認している事例はフィップス少年の一例だけだった。画期的な結果であることは間違いないが、一例だけでは説得力に欠けるのも仕方ないな。」
big5
差し戻しの理由はハッキリしてますね。「何のコメントもつけずに差し戻した」わけではないんですね。」
small5
「これを受けてジェンナーは実験症例の追加を試みるが、問題があった。それは「牛痘がバークレー地方で流行っていない」ということだった。実験したくても、そのための材料が無かったわけだな。だが、機会は訪れた。2年後の1798年、バークレー地方で牛痘が流行り始めたんだ。これを第2段階としよう。

(2) 1798年:牛痘の人から人への植え継ぎ実験&馬痘(グリース)を用いた実験

本編にもあるように、1798年にジェンナーは牛痘を人から人へと植え継いでも、同様の予防効果を発揮することを確認する実験を行った。実験は第五代までの植え継ぎを行い、症例数は23例になった。ジェンナーは、この23例を論文に追加し、友人のガードナー、ヒックス医師と相談しながらまとめて、まずは別の4名の医師の前で発表。好評を得たので、論文発表することにしたのだが、王立協会に提出するのではなく、自費出版することにした。
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「なんで自費出版することにしたんでしょうね?もう1回、王立協会に提出して審査してもらえばいいのに・・。」
small5
「そこが俺も謎なんだぜ。山内一也氏の「近代医学の先駆者 ハンターとジェンナー」にも、なぜ自費出版の選択肢を取ったか、については説明がない。だが、経緯は具体的な日付と共に記載されている。4月24日、ジェンナーは家族と共にバークレーを出発。2日後にロンドン到着し、それから約3カ月間滞在。この間に、出版のための作業が行われていたと思われる。そして1798年9月17日、ロンドン・ソーホーの出版社サンプソン・ローから7シリング6ペンス、四つ折り版の75ページ冊子で4枚の原色の挿絵付きで発売された。」
big5
「う〜ん、やっぱり王立協会に再提出しなかったところが気になりますね。何か、他の要因があったのように思いますね。」
small5
「そのあたりの詳細を解説した日本語資料は、今のところないかもな。山内一也氏の「近代医学の先駆者 ハンターとジェンナー」には、根拠とした英語資料も紹介されているから、もっと調べるならここを起点にして調べたら、真相が見えてくるかもしれない。興味がある人は、是非調べてもらいたいぜ。」


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参考文献・Web site
・国立感染症研究所(NIID) 天然痘(痘そう)とは



small5のオススメ
全体で143ページで、ジェンナーを扱った第1部が101ページ、残りの第二部で、幕末日本で種痘の普及に尽力した緒方洪庵ら医師たちの話を扱っている。小学校高学年くらいでも読めるように、フリガナと理解しやすい解説と豊富な挿絵でコンパクトに説明されている1冊。



small5のオススメ
2015年1月20日第1刷発行。全体で202ページで、天然痘の歴史から始まり、ジェンナーの師匠であるハンターの話、ジェンナーの話、その後の天然痘撲滅宣言までの話がまとめられている。筆者の山内一也氏はウィルスを研究している医師で、豊富な歴史史料を調査がまとめられている貴重な一冊だ。