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「まずは見た目にわかりやすい美術の話から始めましょう。イスラム教では偶像崇拝が厳しく禁止されていました。キリスト教も本来は禁止なのですが、ゲルマン民族など異民族への布教のために絵の力を使ったので、偶像崇拝は事実上認められたのとは大きな違いです。その違いが、美術にも表れています。イスラム文化では絵画や彫刻は発達しなかった代わりに、アラベスクとミニアチュールが発達しました。まずはアラベスクから見ていきましょうか。」
アラベスクの一例
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「これは植物をモデルにしたアラベスクです。他にも、幾何学的な模様もあります。次に、ミニアチュール(細密画)を見てみましょう。」
ミニアチュールの一例
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「この絵は写真でイスラーム様で紹介しているミニアチュールの一部です。ミニアチュールの凄いところは、狭い範囲に細かい絵を描いていることにあります。↑の写真の1目盛りは1mmです。1cmではありません。ぜひ、定規を持って来て、いかに小さい面積にこれだけの細かい絵が描かれているのか、を実感してみてください。
ミニアチュールは本の挿絵などに使われましたので、絵を描く紙はかなり小さいんですね。その小さい紙の中で、もの凄く細かい絵を描いていることに特徴があります。ちなみに、高校世界史では「ミニアチュール」と言えばイスラム文化のミニアチュールですが、ミニアチュールはフランス語(日本語訳は「細密画」)であり、イスラム世界に限らず、フランドル地方の絵画などでも細密画が描かれていました。」
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「次に建築を見ていきましょう。イスラム建築といえば、ドーム(円屋根)とミナレット(尖塔)が特徴です。これも実物を見た方が早いですね。」
有名なエルサレムの「岩のドーム」
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「このような球形の屋根がドームです。ドームはほぼ日本語化しているので、想像つきやすいと思います。続いてミナレットはこちらです。」
世界遺産 マルウィヤ・ミナレット(イラク)
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「既に本編のブワイフ朝の件でも話したように、中世イスラム世界では商業・交易が発達しました。アフリカ北岸から中東、西アジアにまたがる広大なイスラム勢力圏では、人や物資の移動が盛んでした。それを示す代表的なものがキャラバン(Caraban)とバザール(bazaar)です。農村による自給自足経済を基本とした中世ヨーロッパとは大きく違うところです。キャラバンもバザールもほぼ日本語として定着した感がありますが、あらためて写真と共に確認しましょう。」
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「キャラバンは日本語では「隊商」という訳語が使われています。たくさんのラクダに荷物を載せて、商人が団体になって砂漠を越えて遠くへ商売に行く、というものですね。バザールの日本語訳は「市場」です。街の中心の広場に商人が集まって様々なものが取引されました。当初は不定期でしたが、やがて常設市場となり、バザールの周辺には様々な商店や手工業者、宿などが並んで街が発展していきました。」
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「そして、バザールで取引されていた商品として重要なのが奴隷です。イスラム教でも、非イスラム教徒を奴隷とすることは公然と認められていました。そのため、アフリカの黒人、アジア方面のトルコ人、ヨーロッパのスラヴ人が奴隷とされ、市場で売買されていた、という歴史があったことは知っておくべきことです。主にトルコ人の奴隷は戦士として使われ「マムルーク」と呼ばれました。868年に成立したエジプトのトゥールーン朝を創始したトゥールーンはマムルーク出身ですし、アフガニスタンのガズナ朝もマムルークが築いた王朝です。1250年にエジプトを中心に強大な勢力を持った王朝名はマムルーク朝です。マムルークは世界史用語ですね。」
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「意外に思われるかもしれませんが、中世イスラム世界では、古代ギリシアで発達した学問や哲学が継承されて発展しました。これはよくある誤解なのですが、古代ギリシア・ローマ時代に発達した学問を受け継いだのは、キリスト教圏のヨーロッパ諸国ではなく、イスラム世界でした。
イスラム世界では学問は2つに大別されます。1つ目は固有の学問と呼ばれる、コーランとハディース(ムハンマドの言行録)の研究です。これが神学、法学、歴史学として発展していきました。もう一つが外来の学問と呼ばれる、ギリシア、インド由来の哲学、医学、数学などです。イスラム教固有の文化に留まらず、広くなったイスラム教圏に残っていた古代の文化を引き継いでさらに発展させたことが特徴的です。アッバース朝のカリフが830年に、バグダードに築いた知恵の館には、ギリシア語文献がアラビア語文献に翻訳された文献が大量に所蔵されました。ここで多くの人々が学び、多くの優れた学識者が輩出されました。
特に、中世イスラム世界で盛んに行われたのが錬金術(Alchemy)と天文学です。
錬金術は中世ヨーロッパ世界と同様で、何とかして金を作り出そう、というものでした。現代では、金は金の原子でできているので、他の原子でできている物質をどう加工しても金にはならない、ということがわかっていますが、当時はかなり本気で金の生成方法が考案されました。その中で、蒸留・濾過・昇華などの、化学の基本的な操作方法や実験器具が発達していきました。なお、現代英語にもアラビア語由来の化学用語が残っています。
<例>
Alcohol:アルコール Algorism:算術 soda:ソーダ sugar:砂糖 sirup:シロップ など
また、天文学もよく研究されました。本編でも登場したセルジューク朝のウマル・ハイヤームはジャラール暦を作っています。それだけでなく、天体観測機器としてアストロラーベが使われました。アストロラーベは、後に六分儀が登場するまで、航海の道具として使用されました。」
オックスフォード大学所蔵 1480-81年の記載があるアストロラーベ
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「さて、ここからは中世イスラム世界で活躍した学者たちを紹介していきます。まずはブハーリー(Muhammad al-Bukhari 810〜870年)です。ブハーリーとは「ブハラ出身の」という意味です。ブハラは中央アジアの都市でサーマーン朝が首都とした街ですね。ブハーリーの功績は、『真正集』と呼ばれるイスラム教のハディースを編纂したことです。ハディースとは、ムハンマドの言行録のことなのですが、ブハーリーが生きていた時代には、各地で様々なハディースが語られており、中には作り話のようなまがい物も混じっていたそうです。そこでブハーリーは、各地を旅してハディースを収集し、その中から「間違いなく正しい」と判定したハディースをまとめて「真正集」としてまとめました。「真正」とは「正しいハディース」という意味ですね。
ちなみに、現代ではサマルカンドの近郊にブハーリーの廟が建設され、観光地となっているそうです。」
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「フワーリズミーの数学の特徴の一つは、インド起源の0の概念を初めて数学理論に取り込んだ、ということにあります。数字としての0の概念は前述の通りインドで既に存在していましたが、それを数学理論として使用したのはフワーリズミーが最初、と考えられています。後の時代に数学がさらに発展する礎となった、ということでフワーリズミーの功績は地味ながらもたいへん大きい、と評価されています。」
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「次は天文学者のウマル・ハイヤーム(Omar Khayyam 1048〜1113年)です。既に本編にも登場したとおり、セルジューク朝の名宰相・ニザーム・アルムルクに招かれて、従来の暦よりもだいぶ正確なジャラール暦を作りました。
ただ、ウマル・ハイヤームはヨーロッパ世界ではまず詩人として有名になりました。ウマル・ハイヤームが残した詩集(四行詩集、とも)ルバイヤートが1859年にイギリスの詩人・フィッツジェラルドに紹介されたことで、ヨーロッパ世界からも注目を浴びるようになりました。」
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