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18世紀欧州戦乱

大北方戦争(Great Northern War) 詳細篇

big5
「ここでは、大北方戦争詳細篇ということで、歴史ファン向けに、より詳細な内容を見ていきますね。」
small5
「ここはかなりマニアックな内容もあるからな。検索で飛んできた大北方戦争の初級者たちは、まず本編を見たほうがいいぜ。」

できごと 他地域のできごと
1700年 デンマークがスウェーデンに侵攻開始するも敗北
ナルヴァの戦いでスウェーデンがロシアを破る
1702年 カール12世がポーランドに侵攻しワルシャワ占領 赤穂浪士の討ち入り
1703年 ピョートル1世がサンクトペテルブルクの建設を開始
1704年 カール12世がポーランド王としてスタニスワフ・レシチニスキを擁立 スペイン継承戦争 ブレンハイムの戦い
1706年 フラウシュタットの戦いでスウェーデンがロシア・ポーランド連合軍を破る
アウグスト2世がポーランド王位から追われる
1707年 スウェーデン軍がロシア遠征を開始
コサックの首長マゼーパがロシアに反旗を翻す
1709年 ポルタヴァの戦い ロシアがスウェーデンを破る
カール12世はオスマン帝国に逃亡
アウグスト2世がポーランド王に復位
1710年 ロシアがオスマン帝国に宣戦布告
1711年 プルート川の戦い オスマン帝国がロシアを破る
1713年 カール12世がオスマン帝国に捕らえられる ユトレヒト条約
1714年 カール12世がオスマン帝国を脱出してスウェーデンに帰国
ロシアがフィンランドに侵攻開始
ラシュタット条約 スペイン継承戦争終結
1715年 プロイセンが同盟側で参戦
スウェーデン領のシュトラールズントが陥落
ルイ14世死去
1716年 カール12世がデンマークに侵攻するも撤退
1717年 アウグスト2世がポーランド王に復位。ポーランドはロシアの保護国となる
1718年 カール12世がノルウェーで何者かに狙撃され死亡
ピョートル1世の長男アレクセイが獄中で死去
1721年 ニスタット条約締結
ピョートル1世がロシア皇帝に即位

1.カール12世の異名・評価・性格

big5
「最初の論題は、「カール12世の異名」です。本編で見たように、カール12世はかなり軍事面に特化した国王でした。戦争に強く、生涯独身で、長いこと戦場に身を置いていたため、日本の戦国武将・上杉謙信に似ている、と日本では言われることもありますね。」
small5
「そうだな、融通が利かなくて頑固なところ、とか似てるよな。それに、「正義」を貫こうとする姿勢も立派なもんだと思うぜ。ポーランド王アウグスト2世を絶対に認めないところなんか、その傾向がよく表れているな。実際、アイツは不正と強引さでポーランド王を獲得した奴だからな。カール12世が憤るのもわかるぜ。」
big5
「カール12世の異名には、10歳の時に銃で熊を打倒したことから「熊殺し」とか「熊撃ち王」がありますが、日本では「北方の流星王」というのが、使われることがあるみたいですね。」
small5
「なかなかセンスのいいネーミングだと思うぜ。調べてみたところ、これは第一次大戦の時ぐらいに、日本でカール12世を紹介する本が出版されて、その時に「北方の流星王」というタイトルが使われたようだぜ。それが日本で広まったようだな。『銀河英雄伝説』の著者・田中芳樹氏が、その著書の中で「17世紀の北欧に、北方の流星王と呼ばれた小国の王がいた。」という記述があるそうだ。『銀河英雄伝説』はけっこう売れた小説だから、これで「北方の流星王」という異名が広まったんだろうな。ただ、この異名は日本だけ、だぜ。」
big5
「さて、異名の次は評価に移りましょうか。本編のとおり、カール12世は優れた軍事指導者であることは間違いないでしょう。ポルタヴァの戦いに敗れた後は、苦しい戦いが続いていますが、その原因はカール12世の軍事指揮力の不足というよりは、スウェーデンの国力の限界、と言えるでしょう。」
small5
「そうだな。大北方戦争の主戦場は、すべてスウェーデン本領であるスカンジナヴィア半島から離れたヨーロッパ大陸で行われているからな。補給は頭の痛い問題だったことは間違いないぜ。」
big5
「その一方で、プロイセンの軍人であるクラウゼヴィッツは、『戦争論』の中で、あまりいい評価をしていないんですよね。」

Carl von Clausewitz
クラウゼヴィッツ http://www.nodulo.org/ec/2007/n066p13.htmより

small5
「あぁ、「天才と呼ぶには値しない」というところだろ。俺もそれは同感だぜ。優秀ではあるが、天才ではないだろうな。天才というのは、例えばアレクサンドロス大王、ハンニバル、カエサル、ナポレオンだよな。ただ、こうも書いているんだぜ。「舞台がアジアであれば、アレクサンドロス大王のような活躍をしただろう」と「ナポレオンの先駆者」ともな。
これは俺の評価だが、カール12世はAランクの優秀な将軍だったと思うぜ。ハンニバルやカエサル、ナポレオンのような天才はAランクより一つ上のSランク、といったところだな。」
big5
「次に、カール12世の性格について。その人生が示すように、カール12世は大北方戦争が始まってから、かなり長期間にわたって「戦陣」の中で過ごしています。そんなカール12世は寡黙で意志が強く、独身を貫いたことについては「余は軍隊と結婚したのだ」と言ったそうです。他には、マスケット銃の一斉射撃音を「これぞ我が音楽」と言ったとか・・・」
small5
「正直なところ、だいぶ極端な思考回路だよな。そこが、ナポレオンやハンニバル、カエサルとは違うんだよ。これらの天才は、将軍としては当然天才的だたったが、平時は政治家としてもかなり有能だった。カール12世の場合、思考が軍事に向きすぎているんだよ。軍事以外は注目に値しません、的な。その辺のバランス感覚に欠如している、と思うぜ。」
big5
「14歳で国王に即位して、間もなく大北方戦争ですからね、カール12世が望んでそうしたわけではないですが、確かに軍事一辺倒ではなくて、戦後処理や政治面の才能があったら、大北方戦争もポルタヴァで負ける前に講和して、スウェーデン勝利で終わらせることは可能だったんじゃないか、って思います。」
small5
「それか、本人がそういうの苦手というなら、それを補佐できる参謀とか大臣がいれば、結果は変わっていた、と思うぜ。当時のスウェーデンは、国王に権力が集中するシステムだから、国王の性格で国家方針がほぼ決まってしまう。この辺は、個人の能力うんぬんだけじゃなくて、国家の仕組みの問題に拠るところが大きいんじゃないか、と思うぜ。」



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