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18世紀欧州戦乱

大北方戦争(Great Northern War)

大北方戦争 あらすじ

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大北方戦争は、北欧の覇者の座を、ロシアがスウェーデンから奪った戦争です。17世紀、デンマークから独立を果たしたスウェーデンは勢力を伸ばしてバルト海沿岸を領土とし、北欧の覇者として君臨していました。一方、その頃のロシアはまだまだ中世社会を引きずったままで、まさに北のはずれの田舎国家でした。ところが、ピョートル1世が登場し、ロシアの近代化をどんどん推し進め、その勢いはまさに新興勢力にふさわしいものでした。というわけで、この話の主役はロシアのピョートル1世と、スウェーデンのカール12世になります。」
名もなきOL
「スウェーデンっていうと、イケアのイメージですよね。自然豊かで、お洒落で。そのスウェーデンが、昔はかなり強かった、っていうのは驚きです。」
big5
「確かに、現在のスウェーデンのイメージとはだいぶ違いますね。まずは、年表と概要から見ていきましょう。」

できごと 他地域のできごと
1700年 デンマークがスウェーデンに侵攻開始するも敗北
ナルヴァの戦いでスウェーデンがロシアを破る
1702年 カール12世がポーランドに侵攻しワルシャワ占領 赤穂浪士の討ち入り
1703年 ピョートル1世がサンクトペテルブルクの建設を開始
1704年 カール12世がポーランド王としてスタニスワフ・レシチニスキを擁立 スペイン継承戦争 ブレンハイムの戦い
1706年 フラウシュタットの戦いでスウェーデンがロシア・ポーランド連合軍を破る
アウグスト2世がポーランド王位から追われる
1707年 スウェーデン軍がロシア遠征を開始
コサックの首長マゼーパがロシアに反旗を翻す
1709年 ポルタヴァの戦い ロシアがスウェーデンを破る
カール12世はオスマン帝国に逃亡
アウグスト2世がポーランド王に復位
1710年 オスマン帝国がロシアに宣戦布告
1711年 プルート川の戦い オスマン帝国がロシアを破る
1713年 カール12世がオスマン帝国に捕らえられる ユトレヒト条約
1714年 カール12世がオスマン帝国を脱出してスウェーデンに帰国
ロシアがフィンランドに侵攻開始
ラシュタット条約 スペイン継承戦争終結
1715年 プロイセンが同盟側で参戦
スウェーデン領のシュトラールズントが陥落
ルイ14世死去
1716年 カール12世がデンマークに侵攻するも撤退
1717年 アウグスト2世がポーランド王に復位。ポーランドはロシアの保護国となる
1718年 カール12世がノルウェーで何者かに狙撃され死亡
ピョートル1世の長男アレクセイが獄中で死去
1721年 ニスタット条約締結
ピョートル1世がロシア皇帝に即位

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「まず、当時のスウェーデンの勢力範囲を確認してみましょう。こちらの地図を見てみてください。緑系の色で塗られている部分が、開戦当初のスウェーデンの領地です。」

Swedish Empire (1560-1815) en2
出典:Wikipedia

名もなきOL
「今のスウェーデンよりもだいぶ広かったんですね。バルト海の北、西、東はほとんどスウェーデン領になってるし、まさに「バルト海は我らが海」ってかんじですね。」
big5
「そうですね。この頃がスウェーデン史上、最も領土が広かった時代です。軍事面でも、ドイツ三十年戦争で有名なグスタフ・アドルフが鍛えた精強な軍隊と徴兵制システムが充実しており、バルト海の覇者の名に相応しい軍事力を持っていました。
次に、大北方戦争を戦ったスウェーデン王、カール12世について簡単に紹介しておきます。カール12世が生まれたのは1682年6月17日。父はスウェーデン王カール11世で、母はデンマーク=ノルウェー王フレデリク4世の娘のウルリカ・エレオノーラでした。カール12世には、4人の兄弟がいたのですが、成人したのはカール12世のみ。女子では、姉と妹がいます。カール12世は、幼い頃から帝王学と肉体の鍛錬に熱心に取り組み、4歳で乗馬を覚え、11歳の時には熊を銃で撃って倒し、父のカール11世から賞賛されています。そのため「熊殺し」の異名を取っています。」

Karl XII 1697

カール12世肖像画 ダーフィト・エーレンシュトラール画 1697年 出典:Wikipedia

名もなきOL
「なんだか、王様っていうよりも、軍人ってかんじの方だったんですね。肖像画は、わりと優雅な感じしますけど、足元にいるのライオンですか?それが、彼の性格を表しているのかもしれないですね。」
big5
「そんなカール12世ですが、1692年、10歳になる年に母を病気で亡くし、1697年、15歳になる年で父王カール11世までも病没。14歳と10か月で、スウェーデン王に即位しました。現代日本でいうと、中学3年生で国王になった、ということですね。少年カール12世の即位に、周辺諸国との情勢はきな臭くなってきます。中世に繁栄していたデンマーク、ポーランド・リトアニア、そしてロシアが、スウェーデンを狙って同盟を組み、戦争の準備を始めました。」
名もなきOL
「ヒドイ!これは、スウェーデンのカール12世を応援したいですね。」
big5
「ちなみに、この時のポーランド=リトアニア王はアウグスト2世。OLさんが「キン肉マン」と呼んで嫌っているあの方ですね。大トルコ戦争のとこでも書いたように、ロシアのピョートル1世は、1698年、欧州視察旅行の帰りにアウグスト2世と会談し、この時にデンマーク・ポーランド・リトアニアの同盟に加わって、スウェーデンを打倒してバルト海への進出を決めたそうですよ。」
名もなきOL
「あの女たらしのキン肉マン!絶対にカール12世に勝ってほしい!でも、ピョートルさんまで敵か〜。あの人、デキル男だからなぁ・・。ちょっと厳しいかも。」
big5
「OLさん、いい読みしてますね。だいたい、そのとおりの結果になりますよ。前半は、カール12世がスウェーデン軍を率いて奮戦。デンマークを破り、ロシアのピョートル1世率いるロシア軍も、1701年のナルヴァの戦いで壊滅させる、という大勝利を収めました。」
名もなきOL
「すごい!カール12世って、この時まだ18歳19歳ですよね!デキル男も破るなんて、強いんだなぁ・・。」
big5
「そうです。なので、カール12世を「軍事の天才」と評価する歴史家もいます。ポーランドにも攻め込んで、OLさんが嫌いなアウグスト2世を1706年に退位させました。」
名もなきOL
「やった!天罰が下ったんだわ!!」
big5
「OLさんのアウグスト2世嫌いも、かなりのものですね(^^;。さて、これでスウェーデンに宣戦布告した同盟のうち、デンマークとポーランド・リトアニアが脱落。残るは、ピョートル1世のロシアのみとなりました。1707年、カール12世はロシア遠征に出陣。しかし、ピョートル1世はナルヴァの敗北から学び、ロシア軍を刷新していました。1709年、ポルタヴァの戦いで、カール12世はピョートル1世率いるロシア軍に大敗。その後も、カール12世は戦いを続けますが、ピョートル1世の勝利で勢いを盛り返した同盟軍が反撃に転じ、スウェーデンは苦戦。1718年、ノルウェー戦線で、カール12世が何者かに撃たれて戦死してしまいます。」
名もなきOL
「あぁ、やっぱりピョートルさんには敵わなかったのね。カール12世、カッコよかったのに。。」
big5
「1721年、二スタット条約が締結され、大北方戦争はロシアをはじめとした反スウェーデン同盟の勝利で幕を閉じました。二スタット条約で、スウェーデンは現在のバルト三国の領土のほとんどと、バルト海の島のいくつかをロシアに割譲しています。これは、スウェーデンの「バルト帝国」が崩壊したことを意味すると同時に、ロシアが北欧の覇者となることを意味していました。実際、この年にピョートル1世は「皇帝」を名乗り、以後ロシアは「ロシア帝国」となったんです。北欧における勢力図が、大きく書き換えられた戦争だったわけですね。
それでは、あらすじをふまえたところで、本編を始めましょうか。」


大北方戦争 前半戦


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「さて、反スウェーデンで団結したデンマーク、ポーランド=リトアニア、そしてロシアですが、その足並みは最初からそろっていませんでした。1700年2月、デンマークはスウェーデンの同盟国である、北ドイツのホルシュタイン・ゴットルプ公国に攻め込み、ポーランド=リトアニアのアウグスト2世はバルト海西岸を北上してリガを攻撃していますが、この時点でロシアはまだオスマン帝国と大トルコ戦争の講和会議(コンスタンティノープル条約)の最中だったんです。」
名もなきOL
「ピョートル1世はきっと「おいおい、お前ら早すぎ」って思ったでしょうね。」
big5
「たぶん、カール12世のことを青二才と侮っていたんだと思います。しかし、カール12世はただの青二才ではありませんでした。むしろ、その人生をすべて軍事に費やしたような、軍人気質の若い国王だったんです。開戦からおよそ5か月が過ぎた7月、カール12世は1万5千のスウェーデン軍を率いて出陣。デンマークの首都、コペンハーゲンに迫ります。この素早い動きにデンマークはほとんど対応できず、コパンハーゲンを守り抜くことは到底不可能でした。こうしてあっという間にデンマークは敗北し、スウェーデンと単独講和して同盟から脱落しました。」
名もなきOL
「カール12世って強いですね!」
big5
「これで残る敵は、OLさんが嫌いなポーランド=リトアニアのアウグスト2世、そしてロシアです。ロシアのピョートル1世は、オスマン帝国とコンスタンティノープル条約を結んで戦争を終わらせ、休む間もなく大北方戦争に参戦することになりました。それでも、4万の兵を出陣させて、スウェーデンとの国境の街・ナルヴァを包囲しました。
これを見て、カール12世はまずナルヴァの救援に向かいます。そして11月、ナルヴァ要塞を包囲していたロシア軍に奇襲をしかけて粉砕。スウェーデン軍1万2000〜5000に対し、4万近かったロシア軍が惨敗するという結果でした。ピョートル1世は、スウェーデン軍が接近していることを知った時点で、早々に退却したため、一命をとりとめています。この戦いはナルヴァの戦いと呼ばれ、大北方戦争の最初の山場ですね。」

Victory at Narva
ナルヴァの戦い グスタヴ・セーデルストレム画 1910年作成
左側がスウェーデン軍、右側は降伏したロシア軍 右奥にナルヴァ要塞が見える


名もなきOL
「凄い!カール12世ってカッコいい!」
big5
「カール12世の快進撃はまだまだ続きますよ。続いて、リガを包囲しているポーランド=リトアニアのアウグスト2世を攻撃しに向かいます。年を越して1701年7月、カール12世は、南下してポーランド=リトアニアとザクセンの連合軍を破ってリガを救出。さらに翌1702年にはポーランドの首都ワルシャワを攻略。戦下手なアウグスト2世は和平をしようとしますが、カール12世はこれを断固拒否。アウグスト2世が退位するまで戦いをやめない、と突っぱねます。」
名もなきOL
「そうよ!あのキン肉マンは、そもそも正当なポーランド王じゃないわ!カール12世の言う通りよ!」
big5
「カール12世はアウグスト2世との戦いを継続。1704年には、スタニスワフ・レシチニスキをポーランド国王として即位させました。」
名もなきOL
「そのスタ何とかっていう人、よくわかんないけど、キン肉マンよりはだいぶマシに違いないわ。それで、どうなったんですか?」
big5
「ロシアのピョートル1世が、ナルヴァの敗戦からわずか4,5年で、以前よりも大規模な軍隊を整えて反撃に出てきました。しかし、ポーランドの戦いでは、アウグスト2世とロシア軍はあまり連携が取れず、1706年にはスウェーデン軍がアウグスト2世の出身地であるザクセンに侵攻。ついに、アウグスト2世はポーランド王、それからリトアニア大公の地位を放棄することでようやく許してもらうことができ、ポーランド=リトアニアも同盟から脱落しました。これで、戦争はスウェーデンのカール12世 vs ロシアのピョートル1世、という構図になりました。」
名もなきOL
「やったわ!ついにキン肉マンは追放されたのね!カール12世、凄い!カッコいい!!」


大北方戦争 中盤戦


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「さて、ここから大北方戦争は中盤戦です。カール12世の快進撃に、さすがのピョートル1世も焦り、和平を提案します。しかし、カール12世は和平の条件としてロシアの占領地をすべて返還すること(実は、ピョートル1世はナルヴァの敗北から短期間で体勢を立て直し、反撃に転じていた。)を要求し、交渉は決裂。1707年、カール12世が25歳になる年、スウェーデン軍はロシア遠征に出陣しました。」
名もなきOL
「勢いに乗ってますね、スウェーデン軍とカール12世。これには、さすがのピョートル1世も厳しいのでは?」
big5
「遠征開始当初は、スウェーデン軍の進撃が続きました。これに対し、ピョートル1世はロシアの広大な土地を活用した「焦土作戦」を展開し、スウェーデン軍は戦闘で勝っても、補給が遅れ始めて戦力不足に陥ってしまいます。」
名もなきOL
「焦土作戦ってなんですか?」
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「敵軍に土地を明け渡す代わりに、その土地にある食料や家やらを徹底的に破壊して、敵軍が利用できるものは何も無い状態にする作戦のことです。敵軍は何もない焼け野原を占領するだけになるので、占領地での食料の補充などは不可能になり、長距離の補給に頼らざるを得なくなります。その結果、戦力は次第に減少していく、という理屈ですね。」
名もなきOL
「えぇ!そんなことしたら、その土地に住んでる人々が生活できなくなるんじゃないですか?」
big5
「そうですね。その土地の住民にとっては、迷惑甚だしいですよね。自分の家とかも、無くなってしまうわけですから。焦土作戦は自国を荒廃させてしまう諸刃の刃です。それに、効果が出るまで時間を要します。なので、ロシアのように広大な陸の領土が無いとできない作戦ですね。ただ、この作戦は確実にスウェーデン軍を弱らせました。1708年の夏、さすがのカール12世も途中で進軍不可能になり、モスクワ攻略を断念。食料などの物資補給のために、ウクライナ方面に南下して補給を得ると同時に、ロシアに対抗するコサックの首長・マゼーパと合流します。
そして1709年、スウェーデン軍がウクライナ東部のポルタヴァ要塞を包囲すると、ピョートル1世は救援のために出陣。スウェーデン軍&マゼーパ vs ロシア軍の2度目の戦いが始まりました。ポルタヴァの戦いです。」

Marten's Poltava

ポルタヴァの戦い Pierre-Denis Martin 画 1726年作成

名もなきOL
「今回、スウェーデン軍は焦土作戦のせいで、だいぶ弱ってるんですよね。だから、厳しい戦いになるかな。でも、マゼーパさんという援軍が加わってるなら、なんとかなるかも・・・」
big5
「OLさんが最初に思った通り、ポルタヴァの戦いはスウェーデン軍の敗北に終わりました。スウェーデン軍の兵力約2万に対し、ロシア軍は約4万2000、さらに大砲72門を準備し、兵力差は2倍近くありました。戦上手のカール12世といえども、この戦力差を覆すことはできなかったんです。カール12世とマゼーパは命からがら逃走し、敗残兵に紛れて南のオスマン帝国へと逃げていきました。ポルタヴァの戦いで、これまで優勢だったスウェーデンは一転して劣勢になります。」
名もなきOL
「オスマン帝国に逃亡したカール12世は、どうなったんですか?」
big5
「オスマン帝国の保護を受けてモルドバで反撃の機会を伺っていました。当然、ピョートル1世はこれが気に入りません。オスマン帝国に対し、カール12世の立ち退きを求めますが、オスマン帝国はこれを拒否します。」
名もなきOL
「こないだ、戦争したばっかりですもんね(大トルコ戦争)。アゾフも取られましたし。」
big5
「そうです。なので「敵の敵は味方」の理論ですね。カール12世はオスマン帝国を説得し、ロシアを共通の敵として組んだわけです。1710年、オスマン帝国はロシアに宣戦布告。ロシアとオスマン帝国の間で戦争が始まりました。1711年、ピョートル1世は約4万の兵を率いて出陣。意気揚々と、オスマン帝国に攻め込みます。」
名もなきOL
「大トルコ戦争で勝ってますから、自信満々だったでしょうね。」
big5
「ところが、ピョートル1世はオスマン帝国を甘く見て油断しすぎたのか、大敗します。1711年7月、プルート川の戦いで、ロシア軍とオスマン帝国軍が激突。ロシアはなんと敗北し、ピョートル1世は危うく捕らえられるところだったところを、なんとか逃げ延びた、というほどの大敗を喫してしまいます。その結果、ロシアはオスマン帝国にアゾフの返還、カール12世の帰国を認めるなどの条件を飲んでオスマン帝国と和平しました。」
名もなきOL
「あらら、せっかく勝ち取った不凍港のアゾフを返してしまったんですね。ピョートル1世らしくない。」
big5
「ただ、敵をスウェーデンだけに絞る、という目的は達成できました。カール12世は、オスマン帝国に対して、ロシアとの戦いを継続するように働きかけますが、ロシア軍に圧勝してアゾフ要塞も取り返したことでオスマン帝国はすっかり満足してしまったようで、むしろカール12世はうるさい外野になってしまったんです。両者の主張の違いはついに武力衝突に発展してしまい、1713年、オスマン帝国はカール12世を拘束してしまいます。ただ、カール12世は1714年に脱走に成功し、馬で2週間かけて、スウェーデンまで帰国しました。スウェーデンの劣勢は明らかですが、大北方戦争はまだまだ続きます。」

大北方戦争 後半戦 そして終戦


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「さて、カール12世はなんとかスウェーデンに帰国しましたが、形勢はスウェーデンが圧倒的に不利でした。ポルタヴァの戦いで大敗した後、ポーランドとデンマークが盛り返して再び参戦。ポーランドは、スタニスワフが退位させられて、アウグスト2世が国王に復帰しています。」
名もなきOL
「チッ、あのキン肉マン、無駄にしぶといわね。」
big5
「それだけではありません。1710年には、ハノーファー(神聖ローマ帝国の有力諸侯)が同盟側について参戦、1713年にはプロイセンも同盟側で参戦。1715年にはイギリスも同盟側で参戦し、まさに四面楚歌の状態になります。」
名もなきOL
「開戦当初よりも敵が増えちゃったんですね。やっぱり、ポルタヴァで大敗したのが決め手になっちゃったのかな。」
big5
「まさにその通りだと思います。ポルタヴァの大敗は、スウェーデン敗北の決定打となったと言えるでしょう。しかし、カール12世は諦めません。冬に、凍結した海峡を渡って、デンマークの首都・コペンハーゲンを強襲しようとしたり、外交交渉で敵を減らそうとしたりしましたが、残念ながら成果は得られず。そして1718年、カール12世はデンマーク領ノルウェーにある街を攻囲している際に、何者かに銃撃されて亡くなりました。カール12世、36歳になる年でした。」
名もなきOL
「18歳の時に大北方戦争が始まって、そして36歳で戦争中に亡くなるなんて、本当に大北方戦争にささげた人生だったんですね、カール12世は。」

Karl XIIs likfard (1884), malning av Gustaf Cederstrom (1845-1933)
『カール12世の葬送』 グスタヴ・セーデルストレム画 1884年作成

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「そうですね、軍人気質あふれるカール12世らしい最期だと思います。
さて、カール12世が亡くなった後も戦闘は継続しましたが、もうスウェーデンに戦争を続ける力は残っていませんでした。スウェーデンは相手国と個別に和平交渉を始め、最後に1721年、ロシアとニスタット条約を結んで和平したことで、21年という長期にわたって戦われた大北方戦争はようやく終結しました。
ニスタット条約により、ロシアはエストニアを始めとしたバルト三国の地域の多くをスウェーデンから獲得。ついに、バルト海に念願の不凍港を獲得することに成功しました。大北方戦争を勝ち抜いたピョートル1世は、ロシアの元老院から「皇帝」の称号を贈られ、ここに「ロシア帝国が成立します。ロシアが北欧の覇者となった瞬間ですね。」
名もなきOL
「なるほど、それでピョートル1世は「ピョートル大帝」と呼ばれたりするんですね。ちょっと強引で乱暴なところもあるけど、確かにデキル男、だと思います。戦争上手のカール12世にも、最終的には勝ってますし。オスマン帝国に大敗した、というのは意外でした。」
big5
「古き良きロシアを良しとする保守派から見れば、ピョートル1世は「伝統の破壊者」ですけど、はた目から見るとやはり「大帝」と呼ばれるのに相応しいと思いますね。ちょっと変人ですが。

さて、21年間にわたる大北方戦争、いかがでしたか?本編で満足できないという歴史ファンの方には、さらに詳細を扱う
「詳細篇」
も見てくださいね!

大北方戦争の終結により、しばらくの間、ヨーロッパ世界では大きな戦争はお休みになります。小さな戦争は頻発していましけどね。次は、大北方戦争から約20年が経過した18世紀半ば、ハプスブルク家の後継者問題に端を発した大戦争、オーストリア継承戦争を見ていきます。乞うご期待!!」

大学入試 共通テスト 過去問

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「大学入試共通テストでは、大北方戦争のネタはたまに出題されています。試験前に復習しておけば、運よく出題されるかもしれません。」

令和5年度 世界史B 問題1 選択肢1
・ピョートル1世が、北方戦争でイギリスを破った。〇か×か?
(答)×。上記の通り、ピョートル1世が破ったのはイギリスではなくスウェーデンです。



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