big5
「今回のテーマは第一次大戦後のイギリスです。第一次大戦の戦勝国となったイギリスですが、総力戦で疲弊して、莫大な戦費を賄うために、多額の戦債をアメリカなどに買ってもらったイギリスは、世界中に植民地を持つ一代帝国の割には苦しい状況に置かれていました。」
名もなきOL
「国際連盟も設置されましたし、アメリカの方は随分栄えていますもんね。」
big5
「そうなんです。第一次大戦後から平和への道筋を歩んできた1920年代は、イギリスにとっては新時代に自国を適合させていくための変化を起こす重要な準備期間だった、といえるでしょう。
と、あらすじはこれくらいにしておいて、本編に入りましょうか。まずは、いつもどおり年表から見ていきましょう。」
年月 | イギリスのイベント | それ以外のイベント |
1918年 | イギリスで第4回選挙法改正 | |
1919年 | アイルランド独立戦争 開戦 | ヴェルサイユ条約 調印 |
1922年 | アイルランド自由国 成立 | |
1924年 | 第1次マクドナルド労働党内閣成立 ソ連を承認 | ドーズ案成立 |
1925年 | ロカルノ条約 締結 | |
1926年 | イギリス帝国会議 | ドイツが国際連盟に加盟 |
1927年 | ジュネーヴ軍縮会議が失敗に終わる | |
1928年 | 第5回選挙法改正 完全普通選挙実現 | パリ不戦条約 締結 |
1929年 | 第2次マクドナルド労働党内閣 成立 | 世界恐慌 始まる |
1931年 | ウェストミンスター憲章制定 イギリス連邦(英領コモンウェルス)発足 | フーヴァー=モラトリアム 満州事変 |
big5
「まず、1920年代に起きたイギリスの大イベントの一つが1922年のアイルランド自由国の成立です。一言で言うと、これまでイギリスの直轄領として厳しく支配されてきたアイルランドが、「自治領」ではあるものの一国として認められた、ということですね。
これまで、アイルランド独立を望む運動はことごとく抑圧されてきましたが、第一次大戦が始まった1914年にアイルランド自治法がようやく成立したものの、第一次大戦を理由に実施は延期されました。多くのアイルランド人は「やむを得ない」と納得していたのですが、アイルランド自由主義同盟(IRB)という急進派は納得できず、1916年2月のイースター明けにダブリンで武装蜂起しました。これをイースター蜂起と言います。」
名もなきOL
「急進派の人の気持ちは理解できます。もう法案は合法的に可決されているのに、いつ終わるかも知れない戦争を理由に延期されていたら、イライラするのも当然ですよね。」
big5
「イースター蜂起はイギリス軍が出動して鎮圧されました。この時、首謀者のパトリック・ピアスら16人は裁判も無しですぐに処刑され、他にも関連しているとされた人々が多数処刑されました。イギリス軍の横暴なやり方には、多くのアイルランド人の怒りを買うことになりました。
そんな中、1918年に後述する第4回選挙法改正が行われ、総選挙でアイルランド選挙区からは、アイルランド独立を目指すシン=フエィン党(アイルランド語で「我々自身」という意味)が当選します。そのリーダー格となったのがデ・ヴァレラ(de Valera この年37歳)でした。デ・ヴァレラはイースター蜂起にも参加しており、その目的はアイルランドの完全独立にありました。」
big5
「デ・ヴァレラは当選したものの議会への出席は拒否し、さらにダブリンで勝手に議会を開設して1919年1月21日、アイルランドの独立を宣言しました。」
名もなきOL
「ここでまた実力行使に出たんですね。気持ちはわかりますが、これではイギリスも到底納得しないでしょうね。」
big5
「はい、当然のようにイギリスはアイルランドの独立は認めず、戦争となりました。アイルランド独立戦争です。この時、アイルランド軍の主力となったのがアイルランド共和国軍(IRA)です。」
名もなきOL
「IRAって、数年前にテロ活動で有名になった組織ですよね?」
big5
「そうです。現代ではテロ組織、というイメージが強いですが、この時はまだテロ組織ではありませんでした。アイルランド独立戦争は泥沼化しました。そもそも、第一次大戦が終わったばかりですからね。両軍ともに決定打が見いだせなくなり、話し合いの結果、以下のように決まりました。
@イギリス国教徒が比較的多いアイルランド北部6州は北アイルランドとしてイギリス領に残す。
Aそれ以外の南部26州はアイルランド自由国として、イギリス帝国内の自治領(ドミニオン)とする。
こうして、1922年にアイルランド自由国が誕生しました。」
名もなきOL
「これでほぼ現在の形になったわけですね。なるほど、それでイギリスの正式名称は「グレートブリテン及び北アイルランド連合王国」なわけですね。納得です。」
big5
「しかし、これに納得できない人々もいました。アイルランド島の完全な独立を目指すデ・ヴァレラらです。シン=フェインもアイルランド自由国で良しとするグループと、デ・ヴァレラの主張する完全独立派に分かれてしまい、今度は両派の間で内戦まで勃発しました。内戦は1年ほどで終わるのですが、アイルランド問題はこの後も尾を引くことになります。」
名もなきOL
「イギリスって、広大な領土を持って世界帝国として君臨していた一方で、本国のすぐそばにアイルランドという不安要素を抱えていたんですね。なんだかちょっと意外です。」
big5
「第一次大戦後のイギリスの歴史でもう一つ重要なイベントが、普通選挙制の実現でしょう。」
名もなきOL
「普通選挙制というのは、財産の条件とかが無い、大人だったら国民皆が選挙権を持っている選挙制度のことですよね。」
big5
「そのとおりです。議会の力が強いイギリスでも、普通選挙制の実現は20世紀に入ってからです。まず、第一次大戦中の1918年に、第4回選挙法改正がありました。第一次大戦は総力戦となり、国民一人一人の協力が不可欠となったことを受けて、男性は21歳以上、女性は30歳以上でいくつかの条件を満たしている場合に選挙権が与えられたました。」
名もなきOL
「女性に付いている「一定の条件」っていうのは何ですか?」
big5
「戸主あるいは戸主の妻、というものです。当時の女性の大多数は結婚して「戸主の妻」になっているケースが多いので、かなりの数の女性が選挙権を持ったことになります。この第4回選挙法改正の影響は大きかったです。有権者の数は750万人から約2000万人に倍増し、この後の総選挙で労働者の支持を集めた労働党が議席を増やしました。上のアイルランド自由国の話でも述べたように、アイルランド選挙区ではシン=フェイン党の議員も誕生しています。第4回選挙法改正は従来の「ジェントルマン資本主義」の下で成り立っていた自由党・保守党の2大政党体制に労働党が食い込んでいく、という政治勢力に大きな変化を生じさせました。」
big5
「労働党の躍進の結果、1924年には自由党と労働党の連立与党政権が成立し、首相には労働党の党首・マクドナルド(MacDonald この年58歳)が就任しました。第一次マクドナルド労働党内閣、と呼ばれています。ちなみに、ハンバーガーで有名なマクドナルドとは、ほとんど関係ありません。」
名もなきOL
「労働者の支持を受けた労働党の初舞台ですね。どんな政治をしたんですか。」
big5
「それが、第一次マクドナルド内閣は約9カ月で終わってしまったんです。ポイントは、ソ連を承認したこと、ですね。労働党なので、労働者の国(という名目)であるソ連とは、通じるところがあるわけです。なので、労働党政権がまずはソ連の存在自体を承認しよう、というのは自然な流れと言えるでしょう。しかし、このような考え方は連立相手の「ジェントルマン資本主義」の自由党とは相容れず、短期で終わってしまったんです。」
名もなきOL
「まだまだこの頃は政治変化の過渡期だったんですね。でも、第一次ということは、第二次があるわけですね。マクドナルドさんの復帰に期待です。」
big5
「1928年、第5回選挙法改正が行われ、男女ともに21歳以上の国民全員に選挙権が与えられました。これで、普通選挙制が完全に実現したわですね。これにより、労働者階級の参政権者の数がさらに高まり、翌年の1929年には第二次マクドナルド労働党内閣が成立しました。今度は、連立政権ではなく労働党の単独政権です。」
名もなきOL
「ついに自由党も保守党も野党に降りてしまったんですね!これは大きな変化だわ。でも、1929年ということは・・・」
big5
「はい、第二次マクドナルド労働党内閣が成立してから間もなく世界恐慌が始まりました。かつてない規模の経済危機に対し、労働党はなんとか対応しようとするのですが・・・その話はまた次回にしましょう。」
名もなきOL
「そのかんじだと、あまり良くないことが起きたんでしょうね・・。世界恐慌って、本当にいろんな国に大きな影響を与えた一大事件だったんですね。」
big5
「第一次大戦後のイギリスの変化点としてもう一つ大事なのが、イギリス連邦(英領コモンウェルス)への変化です。イギリスは、熾烈な植民地争奪戦で勝者となり、世界のあちこちに広大な植民地を持っていました。アメリカは激しい独立戦争の末に独立してしまいましたが、今では国際秩序を担うパートナーのような位置づけです。国際連盟も設立され、イギリスは20世紀におけるイギリス帝国の在り方を変える戦略に出ました。それはカナダやオーストラリアなど、主に白人入植者で構成されている自治国を独立させて、イギリス王を中心とした新たな集まりに編成する、というものです。」
名もなきOL
「それは、自治国側にはいい話だと思うのですが、イギリス本国は領土も減ってしまって、損ばかりになるのでは?」
big5
「確かにそれは懸念点ですが、メリットは他にもあります。それは、新しい国際秩序を担う国際連盟の中で、自分の仲間の国を増やすことができる、というメリットです。例えば、国際連盟である議題について、イギリスは賛成して通したい、と思ったとします。もし、国際連盟に加盟しているのがイギリス帝国1国であれば1票しかありませんが、カナダ、オーストラリアなどを独立国として国際連盟の一員にすれば、イギリスの味方が増えて動かせる票数が増えます。」
名もなきOL
「なるほど。将来を見据えた策、というわけですね。」
big5
「1926年に開かれた帝国議会で、カナダやオーストラリアが本国イギリスと対等な関係を築くことを望んでいることを受け、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、ニューファンドランドの4自治国に南アフリカ連邦と最近自治国になったばかりのアイルランド自由国を加えて、新たなチームを作ることになりました。1931年にウェストミンスター憲章が制定され、イギリスと上記6か国はイギリス連邦(最近は英領コモンウェルス、とも呼ぶ)として緩やかなまとまりを作りました。これは、それぞれは完全な独立国であるものの、イギリス王に対して忠誠を誓っている国々、というこれまであまり見ない珍しいタイプのチームになります。」
名もなきOL
「なんか、あまり強そうなイメージがないですね。でも、イギリス王の影響力は強いんだな、ということはわかります。ちなみに、「最近は英領コモンウェルスとも呼ぶ」というのはどうしてですか?」
big5
「昔は複数の国連合なので「イギリス連邦」という訳語が使われていました。しかし、「連邦」といっても複数の国が集まって作られた一つの国ではありませんし、連邦議会というような共有される政治組織もありません。共有されているのは「イギリス王への忠誠心」くらいです。なので「連邦」という言葉の意味とは違った存在なんですね。英語も"British Commonwealth"となっているので、これをカタカナに直して「英領コモンウェルス」という言葉が表現されることが増えてきています。今後は、「英領コモンウェルス」と呼ばれる方が多くなるかもしれませんね。
このように、第一次大戦後のイギリスは、アイルランドの自治を承認するなど、20世紀に相応しい新たな国家を形成する方向に舵を切りました。広大なイギリス帝国を「イギリス本国 ⇒ 植民地」という従来の形式で維持するのではなく、20世紀に相応しい新たな関係を構築する方向へ切り替えていったわけですね。
と、言ったところで今回はここまで。ご清聴ありがとうございました。次回もお楽しみに!」
名もなきOL
「今日もありがとうございました。」
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