Last update:2023,SEP,23

広がる世界・変わる世界

対抗宗教改革

big5
「今回のテーマは宗教改革の第4回、対抗宗教改革(反宗教改革)です。宗教改革が始まり、プロテスタントが定着したのを見たカトリック教会は、これに対抗すべく綱紀粛正と、アメリカ、アフリカ、アジア方面へのカトリックの布教を強化しました。これを「対抗宗教改革」とか「反宗教改革」(Anti reformation)と呼んでいます。」
名もなきOL
「カトリック教会も手を打ってきたわけですね。」
big5
「対抗宗教改革について、まず押さえておくべき重要ポイントはこの2つです。
1.イエズス会の設立
2.トリエント公会議

さて、まずはいつも通り年表から見ていきましょう。」

年月 対抗宗教改革のイベント その他のイベント
1534年 イグナティウス・ロヨラがイエズス会を設立 ヘンリ8世が首長法を発布 イギリス国教会成立
1536年 カルヴァンが『キリスト教綱要』を著す
1540年 イエズス会が教皇に承認される
1541年 カルヴァンがジュネーヴの実権を握り神政政治を開始
1545年 トリエント公会議開催 〜1563年まで
1549年 イエズス会のフランシスコ・ザビエルが来日
1555年 アウグスブルクの宗教和議
1559年 エリザベス1世が統一法を公布 イギリス国教会確立

イエズス会設立

big5
「さて、まずは対抗宗教改革の重要ポイントその1、イエズス会から。イエズス会を設立したのはスペインのバスク地方出身であるイグナティウス・ロヨラ(1491頃〜1556年 以後、略して「ロヨラ」と記載)です。」

Ignatius Loyolaイグナティウス・ロヨラ 制作者:不明 制作年:16世紀

名もなきOL
スペインといえば熱烈カトリック国。そのスペイン人のロヨラが、カトリック布教のためにイエズス会を設立した、というのはわかりやすい話ですね。」
big5
「ロヨラは騎士だったのですが、ある戦闘で負傷。療養中に宗教の道に目覚め、個人的に修道生活に入っていきました。パリ大学で学んでいた間の1534年(この年ロヨラ43歳くらい)、数人の同志と共にイエズス会を設立しました。この時の創設メンバーの一人に、日本にキリスト教を布教しに来たフランシスコ・ザビエルがいたんです。」

Franciscus de Xabierフランシスコ・ザビエル 制作者:不明 制作年:16世紀

名もなきOL
「ザビエルさんですね、覚えています。1549年に日本にキリスト教を広めに来たんですよね。
以後よく(1549)広まるキリスト教
のゴロで覚えました。ザビエルさんってイエズス会の人でしかも創設メンバーの一人なんですね。」
big5
「実はそうなんです。小学校や中学校の歴史の授業では、ザビエルはキリスト教を広めに来た、ということを教えますが、もうちょっと詳しく覚えるなら
ザビエルはイエズス会の一員としてカトリックを広めに来た
となりますね。そしてこれは、イエズス会のある性格を実によく表しています。その性格とは
アジア、アフリカ、アメリカ新大陸などキリスト教が広まっていない地域への積極的な布教活動
」 です。ザビエルも、日本に来る前にはインド、東南アジアで布教活動をしていました。
このように、まだキリスト教が広まっていない地域へ宣教師を送り込み、信者を増やすことがイエズス会の主要な活動でした。そして、この活動は1540年に教皇パウルス3世によって正式に承認され、対抗宗教改革の一翼を担ったわけですね。」

トリエント公会議

big5
「さて、対抗宗教改革のもう一つの目玉であるトリエント公会議(1545~1563年)の話をしましょう。まず最初に言っておかなければならないのは、トリエント公会議は20年間にわたり断続的に開催された、ということですね。古代ローマ帝国の時期に何度か公会議は開催されましたが、その多くは単発ものが多かったですね。それらの公会議と比べると、長期にわたって開催された、ということがトリエント公会議の特徴です。」
名もなきOL
「トリエント公会議ではどんなことが話し合われたんですか?」
big5
「長期にわたって開催された会議なので、多くの議題があったのですが、基本的にはカトリック教会組織の綱紀粛正と布教活動について話し合われました。主なポイントは以下の通りです。
・教皇の無謬性・至上性の確認(つまり、神の代理人たる教皇に誤りはなく、教皇が教会組織のトップである)
・宗教改革の直接の引き金となった贖宥状(免罪符)の販売禁止
・聖職の売買禁止
・禁書目録を制定
・芸術は大衆教化のための手段として正当であり、聖像、宗教画を奨励⇒荘厳・盛大なバロック美術へ

です。」
名もなきOL
「贖宥状の販売禁止は、まぁ、当然ですよね。それだけじゃなくて、聖職自体の売買も禁止された、ということはそれまでは行われていた、ということですね。そんなのは確かに組織が利権化して腐敗している証拠だと思います。」
big5
「その通りですね。ルネサンス期にカトリック教会の腐敗は頂点に達し、その結果が宗教改革だったわけです。その部分は反省して襟を正したわけですね。

と、言ったところで今回はここまで。ご清聴ありがとうございました。次回もお楽しみに!」
名もなきOL
「今日もありがとうございました。」


大学入試 共通テスト 過去問

big5
「大学入試共通テストでは、対抗宗教改革のネタはわりと出題されています。試験前に復習しておけば、運よく出題されるかもしれません。」

令和3年度 世界史B 問題2 選択肢A
・エフェソス公会議で教皇の至上権が再確認され、禁書目録を定めて異端弾圧が強化された。〇か×か?
(答)×。エフェソス公会議ではなくトリエント公会議です。エフェソス公会議は、帝政ローマ時代後期に、ネストリウス派が異端と決められた公会議です。(参照 古代 帝政ローマ

令和4年度 世界史B 問題31 選択肢C
「カロリング・カペー両家の血筋を引く〇〇からルイ9世までの3代の国王たち」の治世に起こった出来事として
・トリエント公会議が開催された。〇か×か?
(答)×。トリエント公会議は対抗宗教改革の目玉の一つとして、1545~1563年に開催されています。時代がまったく違います。

令和5年度 世界史B 問題8 選択肢C
・イグナティウス=ロヨラがイエズス会を結成した。〇か×か?
(答)〇。上記の通りです。

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