Last update:2020,May,10

日本近代史

明治維新

1.版籍奉還と廃藩置県は何のため?

big5
「江戸幕府が滅んだ後、明治新政府は『富国強兵』のスローガンの下、日本の近代化を推し進めていきました。この改革で、日本はちょんまげを結った侍や町人たちの時代から、近代へと変貌していきます。今回は、その中でも初期に行われた「版籍奉還」と「廃藩置県」について見ていきます。」
名もなきOL
「言葉は知ってます。中学校で習った覚えがありますね。」
big5
「そうですね。2つとも、歴史用語として中学校の歴史の授業に出てきます。ところで、用語はわりと有名なこの2つですが、そもそも何を目的として、どのようなことをしたのでしょうか?例えば、「廃藩置県」。字が内容を表現していますが、これってどういう話でしたっけ?」
名もなきOL
「藩を廃止して、新しく県を置いた、んですよね?読んで字のごとく。」
big5
「そのとおりです。では、なぜ廃藩置県を行ったのでしょうか?
名もなきOL
「え・?なぜ・・??う〜ん・・・・・」
big5
「答えは、『明治新政府が日本全国を直接統治するため』です。」
名もなきOL
「『日本全国を直接統治する』って、江戸時代から日本は統一されていたんじゃない?」
big5
「徳川将軍家のもとで、統一されていたとは言えますが、徳川将軍家は、日本全国を直接統治していたわけではないんですよ。それでは、そこから解説していきましょうか。」


big5
「この図は、江戸時代の幕府の統治の仕組みを単純に表現したものです。将軍は、自分の領地は自分で統治します。例えば、当時の税金である年貢は、自分の領土から集めますし、領内で揉め事が起こったら、裁判を開いたりして解決したりします。治水工事を行ったり、農地開拓を進めたりとかの内政を行うのも、全部自分の領地に限定されています。将軍から領土を与えられた大名も、自分の領地で同じようなことをします。そのため、例え日本のトップの将軍といえでも、家臣である大名の領地の政治を代わりに行うことはできなかったんです。」
名もなきOL
「そういえば、水戸黄門も、各地の藩で悪事を働く悪者を懲らしめる、という話ですもんね。悪事が行われているのは、黄門様の領地じゃなくて、大名の藩でしたね。」
big5
「そうです。例え水戸黄門であっても、悪政を働く大名を懲らしめることはできますが、大名の代わりに政治を行うことはできないんですよ(笑)
こんなかんじで、将軍は日本最大の大名としてトップに君臨していたものの、日本全国を直接統治してなかったんです。そのため、欧米諸国の脅威に備えて改革しようとしても、直接統治している領地以外には、間接的にしか影響力を持っていなかったんです。
『これでは、諸外国に対抗することはできない。』
と考えた明治政府は、日本全国を統治する仕組みを作ることを考えました。それが、大名がそれぞれの領地を独自に統治するのではなく、政府が送り込んだ「知事」に各地を統治させる、という方法です。そして、そのためには藩を取りつぶす必要がありました。」
名もなきOL
「へ〜。それで、藩を潰して日本全国を明治政府が直接統治しましょう、という話だったんですね。わかりました。
でも、これだと潰される藩の大名たちは、自分の領土を失うわけですから、反乱を起こしたりなかったんですか?
big5
「そうですよね。まず、明治政府は1869年に「版籍奉還」を行いました。形式上、諸藩の領土と領民を朝廷に返還し、藩主は「知藩事」に任命されて引き続き領土の統治をおこないました。版籍奉還は形式的な意味合いが強く、実質的には従来の体制と似たようなものだったので、大きな抵抗はあまりありませんでした。ところが、藩を取りつぶすとなると、話は大きくなります。実際、廃藩置県に踏み切るにあたって、明治政府は反乱発生を警戒していました。そのために、薩摩藩・長州藩・土佐藩が軍を献上する、という形で兵数約1万から成る新政府直属の軍隊(御親兵(ごしんぺい))を編成しました。反乱を起こした藩は武力で鎮圧する準備もしていたんです。ところが、実際には反乱は起きなかったんですよ。」
名もなきOL
「なんか意外。ほら、武士ってプライド高いじゃないですか。プライドの高い武士たちが、『先祖代々受け継がれてきた領地を手放すことはできない!』って言って、勝つ見込みが無くても反乱起こしそうな気がしたんですが。。」
big5
「理由はいろいろあると思いますが、一番の理由は当時の藩に、反乱を起こすほどの力は残っていなかった。ということだ、と考えられています。
ほら、江戸時代の武士って、生活苦しい人が多かったですよね?」
名もなきOL
「そうですね。下の身分のはずの商人に頭を下げてお金を借りたりしたとか、内職で傘作ったりとか、副業してなんとかしのいでた、って話は聞きますよね。」
big5
「幕末の頃はほとんどの藩が財政難で、経営状況は火の車でした。例えていうなら、借金まみれの中小企業みたいなものでしょう。そんな状態では、反乱を起こそうと思っても、かなり厳しかったんじゃないか、と想像できます。祖先から受け継いできた倒産寸前の藩経営を続けて苦労するよりも、明治政府に渡しちゃった方が生活は楽になる、と考える藩が出てきても、不思議ではないですよね。実際、各藩が抱えていた借金は、明治政府が引き継いだんです。」
名もなきOL
「借金苦かぁ・・・。現実は厳しいですもんね。わかりました。」
big5
(なんか、実感あるような言い方だな。。。)
「廃藩置県が行われたのは1871年です。覚え方は「一発(18)泣い(71)てもらうぜ廃藩置県」です。」




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