big5
「今回のテーマは古代エジプトです。古代エジプトは、これまで発見されている人類の歴史の中でも、最古の部類に入るくらい昔の話です。ですが、日本でも古代エジプトはけっこう有名で、一般にも良く知られているものがけっこうあります。OLさんは、古代エジプトと言えば何を連想しますか?」
名もなきOL
「やっぱりピラミッドですね。あんなに大きな建築物が、古代に作られただなんて、本当にすごいことだと思います。」
big5
「ピラミッドは古代エジプトの代表ですね。他にはスフィンクスやツタンカーメンの黄金のマスクなんかが、日本でも有名だと思います。まずは、いつもどおり年表から見ていきましょう。ただし、この年表には注意点があります。記載している年代はかなり大雑把なもの、です。私が大雑把に作ったというわけではなく、史料不足で特定できない、というのが実情です。なので、本によっては具体的な年が違っていたりします。あくまで「これくらい」という程度に考えてください。」
年月 | 古代エジプトのイベント | 他地方のイベント |
前3000年 | メネス王が統一 第1王朝の始まり | |
前2700年 | 古王国時代の始まり | |
前2200年 | 古王国崩壊 第1中間期の始まり | |
前2050 | 中王国時代の始まり | メソポタミアにウル第3王朝成立 |
前1830 | 古バビロニア王国成立 | |
前1780年 | 中王国崩壊 第2中間期の始まり ヒクソスの侵入 |
メソポタミアの戦乱始まる |
前1567年 | ヒクソスが撃退され新王国時代の始まり | |
前1350年頃 | イクナートンの宗教改革 | |
前1286年 | ラムセス2世がカデシュの戦いでヒッタイトと戦う | |
前1085年 | 新王国崩壊 第3中間期の始まり | |
前712年 | エジプト再統一 末期王朝期の始まり | |
big5
「古代エジプトの特徴の一つは、他の地域よりも早い時期に統一国家が成立したことです。理由はいろいろ考えられますが、有力なものはナイル川による農業の発展があります。「歴史の父」と言われる古代ギリシアの歴史家・ヘロドトスの有名な表現に「エジプトはナイルの賜物(たまもの)」というのがあります。ナイル川は毎年6月から水位が増え始め、9、10月は洪水の時期でした。その後、1月には川床にわずかに流れるのみ、という変化を周期的に繰り返していました。洪水の時期に、上流から肥沃な土を大量に運んでくるため、ナイル流域での農業は生産効率が高かった、と考えられています。高い農業生産効率が、エジプトの人口増加に繋がったわけですね。また、増えた人口を維持するためには、組織的に農業に取り組む必要があります。これが、人を組織して国家となすことの要因だと考えられます。最初は「ノモス」と呼ばれる小さな集落が生まれ、これらの集落が統合されて「国」となり、紀元前3000年くらいにメネス最初の王(ファラオ)だった、と考えられています。古代エジプトの王のことを「ファラオ」と呼びますので、ここでもなるべく王は「ファラオ」と書きますね。」
名もなきOL
「紀元前3000年って・・・遠すぎて逆に実感わかないですね。」
big5
「古代エジプトの歴史は、このメネスから始まる王朝を「第1王朝」と数えて、前334年にアレクサンドロス大王に征服されるまでに31の王朝があった、と記録されています。また、古代エジプトにも分裂していた時期があったので、約2500年の歴史を古王国、中王国、新王国、後期(末期)王朝と大きく4つに分類し、それぞれの間に3つを「中間期」と呼び、古王国と中王国の間は「第1中間期」というように番号を付けて時代名としています。メネスがまとめた国は史料不足でわからないことだらけなので、「初期王朝」と呼び、古王国には含まれません。実質的には、前2700年頃から始まる第3王朝から古王国と呼ばれ、エジプト古代史が始まります。」
big5
「古王国の特徴は、何といってもピラミッドでしょう。エジプト文明の代名詞ともいえるピラミッドですが、実は古代エジプトの長い歴史の中で、ず〜〜っと偏りなく作られていたわけでなく、ほぼすべてが古王国時代に作られている、というのが特徴なんです。」
名もなきOL
「へ〜、なんか意外。ピラミッドって作るの大変ですよね。そうなると、時代が下った方が技術発展しているだろうから、新王国の時とかにたくさん作られたんじゃないかな、って思いますけど、違うんですね。」
big5
「せっかくなので、有名なピラミッドをいくつか見てみましょう。まずこちら↓」
名もなきOL
「これ、階段みたいになっていますね。最初のピラミッドって、こんなかんじだったんですか?」
big5
「はい、そのとおりです。見た目通り、このピラミッドは階段ピラミッド(Step Pyramid)と呼ばれています。第3王朝2代目のファラオ・ジョセルが築いたもので、建設時期はだいたい前2650年くらいではないか、と考えられています。写真で見ると小さく見えますが、高さ62m、底面は東西125m、南北109mと、近くで見るとかなり大きいです。
階段状になっている理由はいろいろと考察されています。代表的な理由としては、当初はマスタバと呼ばれる大きな石の台のような墓にする予定だったのを、何度も設計変更していくたびに巨大になっていき、最終的にこのような形になった、というものですね。」
名もなきOL
「紀元前2650年くらいに、こんな大きな石の建造物を作れるなんて、古代エジプトの建築技術はかなり高かったんでしょうね。」
big5
「続きましてこちら。これは有名なギザという所にあるクフの大ピラミッドです。」
名もなきOL
「これは知ってます。ピラミッドといえば、これですよね。」
big5
「このピラミッドの主であるクフ王は第4王朝の2代目のファラオで、建設時期は前2570年くらいです。クフのピラミッドは数あるピラミッドの中で最大で、高さ146.6m、底面は230mの正方形になっています。階段ピラミッドの2倍くらいありますね。ちなみに、クフのピラミッドの近くにもう2つのピラミッドがあるので、3つ合わせてギザの三大ピラミッドと呼んだりします。こちらが空撮の写真です。クフのピラミッドは一番左です。」
名もなきOL
「へ〜、3つピラミッドが繋がってるんですね。これは知らなかったです。」
big5
「他にもピラミッドはまだまだあるのですが、全部紹介するとそれだけで1話になりますので、ピラミッド紹介はここまでです。
さて、エジプト古王国のポイントはピラミッド建築ですね。これに尽きます。あと、首都はナイル川流域のメンフィスに置かれました。メンフィスは、古代エジプトの長い歴史の中でよく首都になっていますので、名前を覚えておくのがいいと思います。
古王国は第3王朝から第6王朝まで続きますが、第6王朝は衰退。その後、前2200年くらいにエジプトはナイル上流域の上(かみ)エジプトと下流域の下(しも)エジプトにそれぞれ王朝が併存する第1中間期に入ります。」
big5
「第1中間期は約150年間続きましたが、第11王朝によってエジプトは再統一されました。中王国時代の始まりです。これがだいたい前2050年くらいです。
中王国はネタがあまり無いので、高校世界史などでは「中王国」という名称のみの登場で終わることも多いです。南のヌビア遠征に成功して領土を拡張した、という話もあるのですが、古王国のピラミッドや、国際的な環境で存在感を示した新王国に比べると、地味で目立たない印象はぬぐえないですね。前1780年くらいに中王国が崩壊した後、第14〜17王朝の4つの王朝がエジプトを分割して並立していたのではないか、と考えられています。この中で、高校世界史にも名前が出てくるのは謎の異民族・ヒクソスです。ヒクソスはエジプト北東部で第15王朝を開いたそうなのですが、いったいどこから来た民族なのか、どのような民族なのか、謎に包まれています。これまで長い間、エジプト人の王朝が続いていたのですが、中王国の終わりにヒクソスが異民族として登場したのが、古代エジプト史では重要ポイントですね。」
名もなきOL
「異民族の侵入って、こんな古代からあったんですね。」
big5
「第2中間期は約200年間続きました。前1567年くらいに、エジプト人の第18王朝がヒクソス王朝を滅ぼしてエジプトを再統一することに成功し、新王国時代が始まりました。」
big5
「エジプトが新王国時代を迎えたころ、メソポタミア方面ではまったく異なる民族と王国が勢力を伸ばしていました。これらメソポタミア諸国と戦ったり平和交流したりと、エジプトの外部の世界ともつながりを広く深く持ったのが新王国時代です。
新王国時代のファラオには、何人か有名な人がいます。まずハトシェプストです。ちなみに女王です。古代エジプト史では数人の女王がいるのですが、ハトシェプストは最初の女王だと考えられています。」
big5
「ちょっと意外。古代の時点でもう既に女王がいたんですね。エジプトでは。」
big5
「ハトシェプストが有名なのは、なんといっても現存するハトシェプスト女王の葬祭殿のでしょう。ピラミッドではありませんが、古代エジプトを代表するファラオの葬祭殿としてたいへん有名で、エジプトの観光名所の一つですね。」
名もなきOL
「すごい立派。古代エジプトの繁栄を象徴しているんでしょうね。」
big5
「次に、ハトシェプストの次にファラオになったトトメス3世です。トトメス3世は遠征を行って数々の勝利を収め、メソポタミア方面に大きく領土を拡張し、古代エジプト史上最大の版図を築きました。そのため、トトメス3世は後に「エジプトのナポレオン」というあだ名がついたそうです。
このように、古代エジプトはメソポタミア方面へも進出し、オリエント世界の一員としておおいに繁栄していました。しかし、それと同時に問題もありました。それは、数多くいるエジプトの神々の一つであるアモン神とその神官らの横暴です。この頃、古代エジプトの首都はテーベ(現在のルクソール)にあり、テーベの街の守護神がアモン神でした。王朝の繁栄と共に、アモン神神殿は大いに権勢を奮い、その力はファラオにも影響を与えるようになりました。そんなアモン神を切り離そうとしたのがアメンホテプ4世(アメノフィス4世、とも)です。アメンホテプ4世は、首都をテーベからテル=エル=アマルナに移し、アモン神ではなくアトン神を強く崇拝しました。一種の宗教改革、とも言えます。それに伴って、自分自身の名前もイクナートンと改名しました。」
名もなきOL
「え?なんで名前を変えたんですか?」
big5
「「アメンホテプ」の「アメン」は「アモン神」に由来しているんです。つまり、自分の名前にアモン神の名が含まれているんですね。もうアモン神信仰は捨て去ったので、「アメンホテプ」という名は都合がよろしくないわけです。そこで、新たに信仰することにした「アトン神」に由来して「イクナートン」(「ナートン」の部分が「アトン神」に由来)に改名したわけです。」
名もなきOL
「なるほど、そういうわけだったんですね。自分の名前に神の名前が入っている、ってなんか凄いですね。さすがエジプトのファラオ。」
big5
「イクナートンは、宗教面だけではなく、美術面でも新しい要素を取り入れました。新首都の名前を取ってアマルナ美術と呼ばれる様式です。有名なアマルナ美術の作品は、こちらですね。」
名もなきOL
「これ、テレビで見たことあります。キレイですよね。エジプトの壁画みたいな、平べったい絵とは全然違いますよね。」
big5
「はい、かなり写実的なのがアマルナ美術の特徴の一つですね。このように、イクナートンは様々な面でエジプト文化の変革に取り組みました。しかし、イクナートンの死後、これらの改革は姿を消してしまいました。イクナートンの後継者が、黄金のマスクで有名なツタンカーメンです。」
名もなきOL
「ツタンカーメンって有名ですよね。そっか、新王国時代のファラオだったんですね。」
big5
「ツタンカーメンは幼少でファラオに即位し、若くして亡くなったので、他のファラオと比べると業績は圧倒的に少ないです。ただ、この黄金のマスクが盗掘されることもなく、かなり良好な保存状態で発見されたことで、たいへん有名になりました。ツタンカーメンの時代に、首都はテル=エル=アマルナから古都・メンフィスに戻されました。治績としては、それくらいです。
ツタンカーメンの時代からしばらく後、治績で有名になったのがラムセス2世です。ラムセス2世は当時としては驚異的な長生きでなんと90歳くらいまで生きていた、と記録されています。それだけではなく、ラムセス2世はオリエント諸国に対する遠征も行いました。特に有名なのが、前1286年くらいに小アジアの強国・ヒッタイトと戦ったカデシュの戦いです。」
big5
「カデシュの戦いは、いくつかの点で記念碑的な「戦い」です。一つは、公式な軍事記録に記録された戦いであること、そしてもう一つは成文化された平和条約が残されている、ということです。
ラムセス2世はカデシュの戦いをたいへん誇りに思っていたようで、記録はアブ・シンベル神殿など3カ所に同じ内容を残しており、エジプト軍の編成内容や戦闘経過、さらにラムセス2世の超人的な個人武勇について記録されています。また、ヒッタイトの遺跡でカデシュの戦いの後にエジプト・ヒッタイト間で締結された平和条約を記した粘土板が発見されました。記録に残っている史上初の国際条約ということで、この粘土板のレプリカが国連本部ビルに飾られています。カデシュの戦いについては、詳細篇で詳しく紹介したいと思います。」
big5
「このように、オリエント諸国の中でも存在感を放っていたエジプトでしたが、前1085年頃から衰退し、エジプトには複数の王朝が並立する第3中間期の時代になります。第3中間期はおおよそ350年続き、その間にはリビア系の王朝が存在したり、海の民と呼ばれる異民族が地中海方面から侵入してきたりと、群雄割拠状態となりました。前712年にエジプトは再統一されるのですが、メソポタミア地方で猛威を奮ったアッシリア帝国の攻撃を受けて王朝が目まぐるしく変わるなど、オリエント騒乱時代に巻き込まれて衰退していくことになります。この時代は後期王朝とか末期王朝と呼ばれており、もちろん古代エジプトの王朝なのですが、この時期の話はオリエント世界全体からの視点で説明したいと思います。」
big5
「さて、最後に古代エジプトの特徴的な文化を紹介していきます。
まず最初に宗教について。古代エジプトには実にたくさんの神々がいます。多神教の世界です。多神教の中でも、中心的な神が太陽神ラーです。ファラオは、太陽神ラーの子、と考えられてきました。上述のように、テーベの守護神・アモンや、イクナートンが信仰したアトン神など、かなりたくさんいます。古代らしいですね。」
名もなきOL
「太陽を神様と考えるところは、ほとんど雨が降らないエジプトの気候にマッチしていますね。」
big5
「宗教関連で特徴的なのは、死後の世界の信仰も特徴的です。古代エジプトでは、人は死んだ後、死後の世界で生前と同じような生活を送る、と考えられていました。そのため、死後の世界で困らないように、副葬品を充実させたり、いろいろなおまじないなど色々と準備をしていました。その一例が死者の書です。」
big5
「死者の書は副葬品の一つで、遺体と一緒に葬られます。たいてい、挿絵入りで不思議な呪文が書かれています。これは石の棺や壁に彫られていることもありましたし、パピルスに書かれたりもしました。そして、古代エジプトと言えばミイラです。古代エジプトでは、人間の魂は死後も生き続けており、昼はそこら辺を飛び回っているが、夜は遺体に帰って来てエネルギーを補充している、と考えられていました。そのため、遺体を保存する、という必要性が出てきました。その解決方法がミイラだったんですね。ミイラは、死んだ人から内臓を取り出して、ソーダに長い時間つけて乾燥させてから包帯を巻く、という手順で作られました。」
名もなきOL
「ミイラって、ホラー映画に出てくる怪物のイメージだったんですけど、そういう考えで作られたものなんですね。」
big5
「ちなみに、人間だけでなく犬、猫、ワニ、などの動物がミイラになっているものもあります。ミイラは、古代エジプトの標準的な埋葬方法だったんですね。おそらく、古代エジプト人が日本の火葬を見たら仰天することでしょう。「死者の魂が帰れなくなってしまうではないか!」というかんじで。」
名もなきOL
「あと、古代エジプトの歴史で重要なのは、文字ですよね。文字が無かったら、古代エジプトの歴史はほとんど不明だったと思います。」
big5
「その通りです。古代エジプトで使われていた文字はいくつか種類がありますが、特にヒエログリフ(神聖文字、神官文字、とも)とデモティック(民衆文字)が有名ですね。上の死者の書にもありますが、記号みたいなのもあれば鳥みたいなものもある、象形文字の一種ですね。」
big5
「ヒエログリフやデモティックを解読したので有名なのがフランスの学者・シャンポリオンです。18世紀末のナポレオンのエジプト遠征で偶然発見されたロゼッタ・ストーンを基に、多くの学者が解読に挑んだのですが、あまりの複雑さにことごとく失敗。それを解読してシャンポリオンは歴史に名前を残すことになりました。実際、ヒエログリフが読めるようになったことで、断片的ながらも残されている史跡や遺物に書いてある文章の意味が分かるようになり、古代エジプトの研究は著しく発展したので、その功績は並々ならぬものでしょう。」
名もなきOL
「古代史って、何もかもが現代と違っていて、ミステリアスでちょっと気になりますよね。古代エジプトの話とか、聞いていると面白いな、って思います。」
big5
「そうですね。同感です。古代エジプトについては、別に詳細篇を用意していますので、是非そちらも読んでみてください。古代エジプト史の面白さが少しでも伝われば幸いです。
と、言ったところで今回はここまで。ご清聴ありがとうございました。次回もお楽しみに!」
名もなきOL
「今日もありがとうございました。」
big5
「大学入試共通テストでは、古代エジプトのネタが時折出題されています。古代史は、最初の方で習うので試験前には内容を忘れがちです。古代エジプトについては試験前に復習しておけば、運よく出題されるかもしれません。」
平成30年度 世界史B 問題4 選択肢4
・『ギルガメシュ叙事詩』(『ギルガメシュ物語』)は、古代エジプトで成立した。〇か×か?
(答)×。ギルガメシュ叙事詩はメソポタミア文明のシュメール人の文化です。
平成31年度 世界史B 問題27 選択肢1
・新王国時代に、ファラオの権力を象徴するピラミッドが建造された。〇か×か?
(答)×。上記の通り、ピラミッドが盛んに建造されたのは新王国時代ではなく、古王国時代です。
平成31年度 世界史B 問題34 選択肢a
・古代インドで、太陽神ラーが信仰された。〇か×か?
(答)×。上記の通り、太陽神ラーは古代エジプトで信仰された神々の一つです。
令和2年度 世界史B 問題20 選択肢1
・パピルスには、象形文字を簡略にしたインダス文字が書かれた。〇か×か?
(答)×。上記の通り、エジプトの文字はヒエログリフや民衆文字で、インダス文字ではありません。
令和2年度 世界史B 問題35 選択肢1
・エジプトでは、古王国時代の末期に、ヒクソスが流入し国内を混乱させた。〇か×か?
(答)×。上記の通り、ヒクソスの侵入は中王国時代の末期で、古王国時代の末期ではありません。
令和3年度追試 世界史B 問題12 選択肢4
・メキシコ中央高原の文明では、遺体を「死者の書」とともに埋葬した。〇か×か?
(答)×。上記の通り、遺体と「死者の書」を一緒に埋葬するのは古代エジプトの文化です。
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