Last update:2022,Jun,4

しのぎを削る列強

拡大するアメリカ

あらすじ

big5
「さて、今回のテーマは「強国となったアメリカ」です。現代人の感覚では、アメリカは世界の大国というイメージがありますが、そんなイメージが付き始めたのはわりと最近のことで、少なくとも20世紀に入ってからのことです。19世紀時点では「独立してからほどない、ヨーロッパからは一歩距離を置いた開拓者の国」というイメージの方が実態に近いと思いますね。」
名もなきOL
「西部劇とかに出てくるカウボーイとかのイメージですよね。」
big5
「しかし、南北戦争が終結した後、アメリカでは産業革命が進行し、工業化が進んでいきました。発明家として有名なエジソンが活躍したのも、この時代です。アメリカの領土が太平洋岸に到達し、未開の土地がなくなるとフロンティア消滅宣言が出され、開拓時代は完全に幕を閉じました。この時代は、ヨーロッパ列強がアフリカやアジアを侵略していく帝国主義の時代です。米西戦争ハワイ併合などを経て、帝国主義国家の一員となっていきます。
ここでは、そのあたりのアメリカの歴史について見ていきましょう。まずは、いつもどおり年表から見ていきますね。」

年月 アメリカのイベント 世界のイベント
1889年 第1回パン=アメリカ会議
1890年 フロンティア消滅宣言
ウーンデッドニーの虐殺
1893年 アメリカ人入植者らがハワイ王国をクーデターで打倒
1898年 米西戦争 開戦
ハワイ併合
ファショダ事件
1899年 国務長官ジョン=ヘイが中国に関する門戸開放宣言
フィリピン=アメリカ戦争 開戦
南ア戦争 開戦
1900年 北清事変
1901年 セオドア=ローズヴェルトが大統領に就任
キューバ憲法にプラット条項の追加を要求
1902年 キューバ独立
フィリピン=アメリカ戦争 終結 フィリピンはアメリカ領となる。
日英同盟成立
1903年 コロンビアからパナマ独立 パナマとパナマ運河はアメリカの属国となる

アメリカ合衆国の変容

big5
「最初の話題は1889年に開催されたパン=アメリカ会議です。「パン=〇〇」というのは、ちょくちょく出てくる世界史用語ですね。「全ての〇〇」という意味合いです。パン=アメリカ会議は、アメリカ合衆国をリーダーとして、ラテンアメリカ諸国全てを対象とした会議、ということになります。北部を中心に工業化が進んでいたアメリカ合衆国にとって、ラテンアメリカ諸国は自国製品の市場としても、原材料の調達先としても、重要な取引相手になりつつありました。そこで、ラテンアメリカ諸国と定期的な会議の場を設け連携を深めていく、という目的ではじまったのが、パン=アメリカ会議です。」
名もなきOL
「わりと、平和的な内容の会議だったんですね。」
big5
「元々の理念や、表向きはそうだったかもしれません。ですが、パン=アメリカ会議は間もなく、アメリカ合衆国がラテンアメリカ諸国を従属させるような仕組み変容していきます。それを示しているのが、下の挿絵です。」

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The Big Stick in the Caribbean Sea 制作者:トーマス・ナスト 制作年代:1904年

big5
「これは、ガリバー旅行記を模した風刺画です。大きなこん棒(Big stick)を持って、船を引っぱっている巨人がアメリカ合衆国大統領のセオドア=ローズヴェルトです。巨人周囲の島には、キューバ、メキシコ、パナマ、サント・ドミンゴなどのラテンアメリカ諸国の名前が書いてあります。この絵に示されているように、パン=アメリカ会議は、巨人のように強大なアメリカ合衆国が、武力・経済力を武器にラテンアメリカ諸国を従わせる一つの道具になってしまったんです。これは、アメリカ合衆国の性質が、帝国主義的性質に変わっていたことを示している、とよく解釈されています。」
名もなきOL
「この時代って、こんな話ばっかりですね。。でも、なんでアメリカも帝国主義国家になってしまったんでしょうね?」
big5
「要因はいろいろあると思います。世界史でよく挙げられるのは、1890年のフロンティア消滅宣言です。独立間もない頃のアメリカは、モンロー教書に代表されるように、「ヨーロッパの争いごとには関与しない」という姿勢でした。それよりも、広大な西部を開拓していくことに注力していたわけですね。しかし、開拓が進んでいくと、そのうち未開拓の土地が無くなってしまいます。未開発の土地はもうない、と宣言されたのが「フロンティア(開拓地)消滅」宣言なわけですね。これは「開拓者の国・アメリカ」はここで終焉を迎えたことを意味している、という考え方ですね。」
名もなきOL
「なるほど、開拓者とかカウボーイが活躍する時代ではなくなった、ということですね。」
big5
「そうですね。そして、アメリカ開拓の歴史は、先住民族であるインディアン迫害の歴史でもあります。1890年に起きた重要事件として、フロンティア消滅宣言に加えてウーンデッドニーの虐殺も忘れてはならない歴史事件ですね。」
名もなきOL
「ウーンデッドニー、って聞き覚えがあります。」
big5
「ウーンデッドニーの虐殺の経緯をまとめると以下のようになります。1890年の冬、合衆国に抵抗を続けていた平原インディアンのスー族は、合衆国騎兵隊との戦いに敗北。生き残ったスー族約350人、といってもこのうちの半数以上は女子供ですが、この350人を逮捕すべく、騎兵隊が追い掛けてこれを補足。ウーンデッドニーのキャンプ地に連行し、武器を捨てるように命じたが、一人のインディアンがこれを拒否。命令した騎兵隊の士官ともみ合いになった時に、銃が誤射されて士官に命中。これがきっかけとなって、騎兵隊がインディアンを無差別に銃撃、砲撃し、わずかな生き残りを除いてほとんどが殺される、という実に痛ましい事件です。」
名もなきOL
「ひどい!無差別殺戮じゃないですか!」
big5
「その通りです。ほとんど女子供の集団に、砲撃を行うところは完全に虐殺目的だったとしか考えられないですね。ウーンデッドニーの虐殺については、合衆国側の記録とスー族側の記録で違う所もあります。合衆国側は150〜200人ほどだった、としていますがスー族側は350人以上だ、としているそうです。」 名もなきOL
「数字が多少違うだけですね。」
big5
「悲惨な事件となったウーンデッドニーの虐殺ですが、これが合衆国によるインディアン弾圧は、これでほぼ終焉しました。フロンティアの消滅により、インディアンが自由に生活できる地域はもう無くなったわけですね。イ生き残ったインディアンは、居留地(Indian Reservvation)と日本語で呼ばれる地域に収容され、そこで生きることは許されました。
余談ですが、居留地のインディアンに市民権が与えられたのは1924年、投票権が与えられたのは1948年になってからです。」

帝国主義への道

米西戦争

big5
「さて、上述のように、1889年の第一回パン=アメリカ会議と、1890年フロンティア消滅とウーンデッドニーの虐殺は合衆国における一つの時代の終焉を告げる事件でした。そんな合衆国が歩んでいった先が、当時のヨーロッパ列強と同様の帝国主義です。強国となったアメリカが、文明が未発達の弱国を支配していくわけですね。最初の標的となったのが、合衆国の南、カリブ海に浮かぶキューバです。
この頃のキューバは、大航海時代以来のスペイン植民地でした。1895年から、2回目となる大規模な独立戦争が始まっており、合衆国の世論は「キューバを助けてスペインを倒すべし」という論調が強くなっていました。詳しくは、「キューバ独立への道 2.米西戦争とアメリカ従属」で解説していますので、そちらをご覧いただきましょう。一言でいえば、キューバ独立を支援するという名目で参戦し、独立したキューバは合衆国の保護国にする、ということです。
こうして、1898年に合衆国がスペインに宣戦布告。米西戦争(Spanish-American War)開戦です。大航海時代で全盛期を迎えたスペインでしたが、この頃にはヨーロッパの中堅国という立ち位置でした。「列強」にも加えられないことがけっこうあるくらいです。米西戦争は、合衆国優勢で進んで年内に終結。重要なことは、米西戦争の講和条約で、合衆国が
・フィリピン
・グアム
・プエルトリコ
をスペインから奪い取ったことですね。このうち、フィリピンはアメリカ支配を拒否して戦争になりましたが(フィリピン=アメリカ戦争)、1902年にフィリピンの敗北が確定し、合衆国の支配下に置かれています。また、キューバは名目上は独立しましたが、合衆国の要求でキューバの憲法にはプラット条項と呼ばれる内容が盛り込まれました。プラット条項の主な内容は、キューバに自由な外交を行う権利はなく、常に合衆国の同意を得なければならない、など、実質的にキューバは合衆国の保護国となる、というものです。」
名もなきOL
「スペイン植民地から、アメリカの保護国になったわけですね。結局、この時点では独立はできなかったんですね。」

ハワイ併合 1898年

big5
「キューバやフィリピンの支配だけではありません。米西戦争が始まった1898年、合衆国はアメリカ人入植者が実験を握るハワイ共和国を併合しました。これは、少し説明が必要ですね。
元々、ハワイはその島々に住んでいたネイティブ・ハワイアンによるハワイ王国がありました。有名な王様としては、カメハメハがいますね。カメハメハは「大王」と呼ばれていますが、それはオアフ島やハワイ島など、それまで島ごとに分裂していた国を、一つの王国に統一したから、なんです。」
名もなきOL
「それでカメハメハ大王と呼ばれるわけですね。」
big5
「カメハメハがハワイ統一に成功した要因の一つが、欧米諸国から銃器を採用したことでした。古代や中世のような武器で戦う相手に銃器を使って対抗したので、統一に成功した、ということですね。」
名もなきOL
「そういう背景があったわけですね。そうなると、カメハメハ大王の功績というのも微妙なかんじに見えてきましたね。。」
big5
「未統一の状態で19世紀に入ったとしたら、おそらくバラバラのハワイは列強に分割されていたでしょう。カメハメハがその前にハワイ王国として統一し、「ハワイ国民意識」を持たせることができなかったら、現在と状況は違っていたのではないか、と思います。と、話が脱線したので戻しましょう。
19世紀になると、ハワイ王国にもアメリカ人らが入り込み、サトウキビ農園を経営したりしていました。やがて、アメリカ人入植者らは、ハワイ王国の統治に不満を持つようになり、1893年にクーデターを起こしてハワイ王国を打倒します。ハワイ王国の最後の女王となったのがリリウオカラニです。」

Frontispiece photograph from Hawaii's Story by Hawaii's Queen, Liliuokalani (1898)
リリウオカラニ女王  撮影:1898年

名もなきOL
「厳しい時代ですね。弱い国は生き残ることができないんですね。。」 big5
「はい。弱肉強食、これが帝国主義時代です。」

パナマ運河支配

big5
「帝国主義アメリカを象徴するもう一つのイベントが、1903年のパナマ独立です。パナマ運河があるパナマです。「パナマ独立」と書くと、パナマが独立国になった、という意味に見えますが、実態はキューバと同様に合衆国の保護国でした。このあたりは説明が必要ですね。
OLさん、スエズ運河を作った人の名前を覚えていますか?」
名もなきOL
レセップスさんですね。こないだ『しのぎを削る列強 分割されたアフリカ』で登場しましたね。」
big5
「その通りです。スエズ運河建設に成功し、名を上げたフランス人実業家のレセップスは、スエズ運河の次はパナマ運河の建設に挑戦しました。レセップスはパナマを領有するコロンビア政府の許可を得て、1880年から工事を開始。ところが、スエズ運河とは異なりカリブ海側と太平洋側の水位が違うことや、熱帯雨林の厳しい気候に悩まされて工事は難航。最後は、会社運営資金を調達するためにフランス政府の要人が絡む汚職事件にまで発展してしまい、大失敗に終わりました。これはフランス第三共和政の基礎を揺るがす大事件として、フランスの歴史に残っています。」
名もなきOL
「フランスの国策に関わる大工事ですもんね。大規模建設工事、政府の重鎮、汚職、日本でもちょくちょくニュースになりますもんね。わかります。」
big5
「レセップス(とフランス政府)が失敗した後、パナマ運河建設権をフランスから買い取ったのが、アメリカ合衆国でした。ところが、コロンビアはアメリカ合衆国が工事を行うことを認めません。「権利を買い取ったのに、なぜ工事を認めないのか?」アメリカは怒ります。」
名もなきOL
「なんかもっともらしく聞こえますけど、他人の土地を工事するんだから、工事する業者同士で勝手に取引して施工業者を変えるのはおかしいと思います。」
big5
「もっともですね。コロンビア政府を通して交渉するのが筋でしょう。しかし、当時はそのような時代ではありませんでした。帝国主義の時代です。強国と力が正義です。時のアメリカ大統領・セオドア・ローズヴェルト
「工事を認めないならパナマをコロンビアから独立させてしまえ」
ということで、アメリカは艦隊をパナマに派遣。コロンビアを威嚇しながら1903年にパナマを強制的に独立させました。これが、冒頭の風刺画のネタになったアメリカ合衆国の「棍棒外交」ですね。」
名もなきOL
「なんて強引な・・」
big5
「パナマ独立の13日後の1903年11月18日、アメリカ合衆国とパナマはパナマ運河条約を締結。名前は運河条約ですが、この条約でパナマは独立国とは名ばかりで、事実上アメリカの属国という扱いになりました。

最後に、帝国主義アメリカを象徴する歴史事件として、国務長官のジョン・ヘイが発表した、中国における門戸開放宣言があります。ただ、これについては、こちらのページで解説しますので、こちらをご覧ください。

本日もご清聴ありがとうございました。」
名もなきOL
「今日もありがとうございました。」



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