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自由と革命の時代

自然科学篇 ジェンナーと種痘法

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「さて、今回は「自由と革命の時代」の自然科学篇ということで、ジェンナー(本名はエドワード・ジェンナー Edward Jenner)と種痘法について紹介していくぜ。」
名もなきOL
「はーい、よろしくお願いしまーす!」
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「1796年のジェンナーの種痘法は、高校世界史でも基礎として学ぶ知識だから、多くの人は名前は聞き覚えがあると思う。ジェンナーは、恐ろしい流行り病の一つであった天然痘を牛の病気である「牛痘」を用いて予防する方法を考案したんだ。ポイントは、「治療法」ではなくて「予防法」ってことだ。これが、現代のワクチンと予防接種の始まりになったんだぜ。」
名もなきOL
「なるほど。ジェンナーさんはすごく重要な発見をしたわけですね。」
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「高校世界史や大学受験目的なら
ジェンナー 種痘法発明 1796年
という3つの情報を合わせて記憶すれば終わりだが、この話はこの3つの情報の暗記で終わらせてはもったいなさすぎる。なので、ジェンナーと種痘法の開発の話を見ていくことにするぜ!」

Edward Jenner
エドワード・ジェンナー  画:ジョン・ラファエル・スミス  作成:18世紀

エドワード・ジェンナー(Edward Jenner) 年表

ジェンナーのイベント 世界のできごと
1749年5月17日 イギリス グロスター州のバークレーにてジェンナー誕生
1754年 (5歳)両親を失う
1757年 (8歳)学校に通い始める
1761年 (12歳)学校を卒業し、外科医のダニエル・ルドローに弟子入りする
1770年 (21歳)ロンドンの外科医のジョン・ハンターに弟子入りする
1773年 (24歳)バークレーで開業
1774年 (25歳)ベンジャミン・ジェスティが家族に牛痘種痘
1775年 (26歳) アメリカ独立戦争 開戦
1788年 (39歳)カッコウの論文を提出 キャサリンと結婚
1789年 (40歳)長男エドワードらに小痘瘡接種 フランス革命勃発
1792年 (43歳)セント・アンドルーズ大学より医学博士号取得
1796年5月14日 (47歳)使用人の子ジェームズ・フィップス(8歳)に牛痘を接種 ナポレオンが第一回イタリア遠征開始
1798年 (49歳)牛から取った牛痘を接種する実験を行う
王立協会で種痘法を発表
ナポレオンがエジプト遠征開始
1802年 (53歳)イギリス議会より賞金1万ポンドが贈られる アミアンの和約 イギリスとフランスが和平
1804年 (55歳)ナポレオンより勲章を贈られる ナポレオンが皇帝に即位
1807年 (58歳)イギリス議会より賞金2万ポンドが贈られる
1811年 (62歳)長男エドワードが結核で死去
1813年 (64歳)オックスフォード大学より名誉医学博士号を贈られる
1814年 (65歳) ナポレオンが退位
1815年 (66歳)妻キャサリン死去
1823年1月26日 (74歳)死去

天然痘ってどんな病気?

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「さて、ジェンナーの種痘法の話の前に、まずは天然痘という病気を簡単に説明しよう。日本では「痘瘡」とか「疱瘡」と呼ばれることもあるが、今は「天然痘」でほぼ統一されているな。」
名もなきOL
「確か、かなり怖い感染症なんですよね。」
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「ああ、怖い感染症だ。原因となるのは天然痘ウィルスで、人から人へうつる感染症だ。感染すると、一般的に以下のような経過をたどる。
(1)7〜16日の潜伏期間を経たのち、40℃近い高熱と頭痛・腰痛などの初期症状が出る。
(2)発熱して3日くらい経つと熱はいったん下がるが、この頃に全身に赤い斑点(紅斑)が出始める。やがて紅斑は盛り上がり(丘疹という)、丘疹はおでき(痘胞)となり、顔や手足に大量に現れる。痘胞は、最初は水を含んだ水疱だが、時間が経つと膿を持つ膿疱となっていく。
(3)7〜9日目くらいに再び40℃あるいはそれ以上の高熱に患者は苦しむ。ここが一番危険な時期で、最悪の場合は死に至る。理由は、発疹は体の表面だけでなく、実は内蔵にも生じており、それが臓器に致命的なダメージを与えると、患者は死に至るわけだ。
(4)これをなんとか乗り越えると快復に向かう。膿疱はやがて乾燥してかさぶたとなった剥がれ落ちる。この時、膿疱がキレイに消えずに「あばた」として残ることがよくある。他の後遺症としては「失明」「脳炎」「骨髄炎」「男性不妊症」などが知られている。

天然痘の症状の写真などは、日本感染症学会のサイトでも紹介されているが、かなりショッキングな内容なので、見るときは気を付けてほしいぜ。ただ、これを見れば、昔の人が天然痘に恐怖した理由も理解できると思うぜ。

さて、天然痘にかかった患者は免疫を獲得するので、二度と天然痘にかかることはない、とされている。患者の死亡率は20〜50%で、ペストに比べれば死ぬ可能性は低いのだが、後遺症も含めて考えると怖い病気であることに変わりはないぜ。歴史上の人物でも、けっこう有名な人がかかっていたり、天然痘で亡くなったりしているんだ。参考までに、ここに挙げておくぜ。」

日本
戦国武将 伊達政宗:幼児の時に天然痘にかかる。命は助かったが、後遺症で右目を失明。
徳川幕府 徳川吉宗:1705年(21歳になる年で感染。顔にあばたが残った。
夏目漱石:3歳の時に天然痘にかかる。右頬にあばたがのこっていた。

外国
イギリス女王・メアリー2世:名誉革命で夫のウィリアム3世ともにイギリス王に迎えられた。1694年に天然痘で死去。
オラニエ公ウィレム2世:ウィリアム3世の父。1650年、ウィリアム3世が誕生する前に天然痘で死去。
ルイ15世:フランス王。1774年に天然痘で死去。
順治帝:清朝第3代皇帝。1661年に天然痘で死去。

名もなきOL
「「好きになったらあばたもえくぼ」の「あばた」は、元は天然痘から来ていたんですね。それにしても怖い病気だわ。治療法はないんですか?」
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「残念ながらない。対症療法で、患者が自力で克服することを支援するだけだ。だがOLさん、心配する必要はたぶんない。なぜかというと、天然痘は絶滅したと言われているんだ。最後に報告されたのはソマリア人のアリ・マオ・マーランで、これが1977年。1978年に、イギリスのバーミンガム大学の研究所で、ジャネット・パーカーという人が、事故で漏洩した天然痘ウィルスに感染してしまい亡くなってしまう、という事件「バーミンガム事件」があったが、彼女が天然痘で死んだ最後に人間と言われている。そして、1980年5月8日に、WHOが天然痘根絶宣言を出し、それ以来天然痘は報告されていない。おそらく、自然界には存在しないのだろう、と言われているんだ。」
名もなきOL
「凄いですね!天然痘はもう過去の話なんですね!よかったぁ〜」
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「なので、天然痘は「人類が勝利した唯一の病気」と言われることもあるんだぜ。だが、油断はできないぜ。天然痘のウィルスは、アメリカとロシアの研究所にまだ保管されているそうだ。バイオテロに使われる可能性が高いウィルスの一つに数えられているぜ。あるいは、地球にいなくても宇宙にいるかもしれないし、誰かがどこかで隠し持っているかもしれない。それに、サルがかかる「サル痘」なんかはまだあるから、これらが変異してヒトに感染するかもしれない。
ともあれ、現代人の普段の生活から天然痘が消えた、という成果を挙げることができた要因を作ったのはジェンナーの種痘法なんだ。」

幼少期〜青年期

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「さて、天然痘についてわかったところで、ジェンナーの話に入ろう。まず、ジェンナーが生まれたのは1749年5月17日、イギリスのグロスター州のバークレーという町だ。」

Gloucestershire UK location map
グロスター州 バークレーの位置

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「父はステファン(Stephen)、母はサラ(Sarah)という。父はバークレーの街の牧師だった。ジェンナーは6人兄弟の末っ子で、兄弟は上から順に、長男・ステファン、次男・ヘンリー、長女・メアリー、次女・サラ、三女・アン、そしてエドワード・ジェンナーだ。ジェンナーの生年月日ははっきりしている一方で、兄弟の生年月日は不明だ。ただ、ジェンナーは5歳の時に両親を失うという不幸に見舞われている。その後は、父と同様に牧師となった長兄のステファンが父親代わりとしてジェンナーを養育した、ということなので、おそらく長兄ステファンとは15歳くらいの年齢差があったのではないか、と俺は思っている。ジェンナーの家は裕福で、土地もいくつか保有していたので、経済的にはほとんど困らなかったそうだ。
さて、この頃のヨーロッパは、1748年にオーストリア継承戦争がプロイセン勝利で終結し、やがて七年戦争を迎えることになるから、近世の終わり頃に生まれたことになるな。ジェンナーは、8歳の時に学校に通い始めた。バークレーは丘が連なる自然豊かな農村で、酪農が盛んだったそうだ。少年時代のジェンナーは、動物の生態や化石発掘が好きだった他、詩を作ることも好きだったそうだ。「こまどりに(Address to a Robbin)」や「雨のしるし(The sign of Rain)」といった作品が残されている。また、フルートも吹いていたそうだ。
学校を卒業したジェンナーは、医師を志してソドバリー(Sodbury)というブリストルの近くの街で外科医をしていたダニエル・ラドロウ(Daniel Ludlow)に弟子入りした。この時、彼の成果につながる重要なヒントに出会うことになる。」
名もなきOL
「どんなヒント?」
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「ジェンナーの師匠のところに、農家で牛の乳しぼりの仕事をしている女性が診察を受けに来た。手にできものができたので、それを診てもらいに来たそうだ。その時、彼女が「私は牛痘にかかったから、天然痘にはかからないよ。」と言ったそうだ。その一言は、まだ見習いだったジェンナーの心に残ったそうだ。
ここで説明が必要なのは「牛痘」だな。牛痘というのは、古くからイギリスの酪農地帯でたびたび流行る、牛がかかる病気だ。牛痘にかかった牛は、体表面のいろいろなところに痘疱ができる。この痘疱が天然痘に似ていたので「牛痘」と呼ばれていた。ただ、人間の天然痘に比べれば症状はだいぶ軽く、乳牛の乳房や乳頭部に炎症や水疱ができる程度で非常に軽い。乳しぼりをする人が牛の痘疱に触ったりすると、その人間も牛痘にかかってしまう。だが、これも症状は比較的軽く、軽度の発熱と発疹が主症状だ。天然痘とはエライ違いだな。そして不思議なことに、牛痘にかかった人々は、天然痘にはかからない、ということが経験則として知られていたんだ。」
名もなきOL
「なるほど。つまり、牛痘にかかれば天然痘に対する免疫ができるのではないか、ということですね。」
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「そうだな。ただ、当時はまだ現代のように「免疫」の仕組みは知られていない。それどころか、天然痘の原因がウィルスであることも、まだ発見されていなかった。なので、「牛痘にかかると天然痘にはかからない」というのは経験則のままだった。ジェンナーは、そこから科学的に牛痘による予防接種を開発していくことになるわけだ。
ちなみに、予防接種という発想はジェンナー以前から既に存在していたんだ。天然痘にかかって快復した人は、その後は天然痘にかからない、ということも経験則として知られていたからな。例えば、トルコでは天然痘患者の膿疱から膿をとりだして、それを健康な人につける「人痘法」という予防接種が行われていたんだ。この方法は、1721年にイギリスの外交官夫人であったメアリー・モンタギューが紹介し、「トルコ式天然痘接種法」と呼ばれて、しばしば実施された。ジェンナー自身も、子供のころにトルコ式天然痘接種を受けているんだ。」
名もなきOL
「そっちの方が、直接的でわかりやすいですよね。天然痘は一度かかれば二度かからない、ということなら、人の天然痘をもらえばいいわけですよね。あれ?でもそうなると、予防のつもりが本当に天然痘を発症しちゃうことになるんじゃ・・・」
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「だよな。実際、人痘法はかなりリスクの高い方法だった。多くの場合、天然痘を接種しても、接種部分周辺に痘胞ができるだけで、症状が重くなるケースは少ないんだが、まれに天然痘を発症してしまうことや、重篤な副作用を発することもあり、死亡リスクは2%ほどだった。しかも、その人から他の人に天然痘がうつる、といったこともあった。リスクと効果を天秤にかけると微妙なところだったようだぜ。
さて、そんな状況の中、ジェンナーは1770年にロンドンで有名な外科医であるジョン・ハンター(John Hunter)に弟子入りすることになった。ジェンナーとハンターは、仲の良い師弟関係だったそうだ。二人とも医師の仕事のかたわらで博物学に興味を持っていた。ジェンナーは、自分の考えをいろいろとハンターに相談していたのがだ、牛痘を天然痘の予防に用いるというアイディアも相談したらしい。そんなやり取りの中で、ハンターがジェンナーに言った言葉がわりと有名だ。
「あまり考えることはやめて、とにかく実験してみることだ。辛抱強く、正確にね。」 (Don't think, but try : be patient, be accurate)
1773年、ジェンナーは故郷のバークレーに戻って医院を開業する。ハンターとの交流は、その後も手紙で続いたんだ。ある時、ジェンナーは研究のことで悩んでいることを伝えると、ハンターは
「なぜ考えてばかりいるんだ。なぜ実験して確かめてみないのか?」
(But why think, why not try the experiment.)
と激励している。」
名もなきOL
「ハンターさんって、実践的な人なんですね。でも、科学者ならこういう姿勢が大事ですよね。」
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「それもわかるが、これは人命に直接関わる問題だからな。ジェンナーが慎重になるのも当然だと思うぜ。
さて、ジェンナーが牛痘のアイディアを温めている一方、趣味の博物学では進展があった。1788年、ジェンナーは鳥のカッコウの生態を研究してまとめた論文を、当時のイギリス学会ともいえる王立協会に提出した。王立協会は、ニュートン篇でも述べたように、現在でも非常に権威がある学会だ。カッコウが、実は他の鳥の巣に卵を産んで、他の鳥にヒナの子育てをさせるだけでなく、カッコウのヒナは元の鳥の卵やヒナを巣から落とす、という習性を発見したんだ。この論文は非常に好評で、王立協会によって論文が出版された。さらに、ジェンナーは王立協会の会員になったんだ。また、この年にキャサリン・キングストンという地元の名家出身の女性と結婚している。」

いよいよ実験

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「さて、王立協会の会員となり、奥さんも迎えたところで、いよいよ牛痘に関する研究が本格的に進むことになる。その年、1788年の終わりから翌年1789年の初めにかけて、グロスター州で天然痘に似た病気が流行した。天然痘に比べるとだいぶ症状が軽かったのがこの病気の特徴だ。この病気は「豚痘(とんとう)」という名前がつけられた。「豚痘」患者の診察をしたジェンナーは、豚痘=軽症型の天然痘、ではないかと考えた。もしそうなら、豚痘を人々に接種すれば、天然痘そのものを接種するトルコ式天然痘接種よりもはるかに安全なのではないか、と考えた。そこで、ジェンナーは実験にふみきった。1789年12月17日、この年に生まれたばかりである息子である長男・エドワード(0歳)と、他2人の少女に豚痘患者から取った膿を接種した。3人とも豚痘にかかって痘胞ができたが、やがて治癒した。そして、次はこの3人に天然痘の膿を接種したんだ。結果、3人とも痘胞はできなかった。つまり、天然痘を発症しなかった、ということなんだ。これが意味するところは、豚痘接種が天然痘を予防した、ということだな。」
名もなきOL
「いい結果が出て良かった。でも、これを1番最初に自分の子どもに試すなんて、相当な勇気が必要ですよね。」
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「そうだよな。そして次はいよいよ牛痘にチャレンジすることになる。この頃、次兄ヘンリーの息子・ヘンリー(親と同じ名前なので混同しがちだが、このヘンリーは兄の子なので甥)が、ジェンナーの家に住み込みの弟子となっていたので、ヘンリーと共にこれまでに牛痘にかかったことがある、という19人の村人に天然痘患者の膿を接種してみた。すると、19人全員が接種部位が赤くなるだけで、天然痘を発症することはなかった。「牛痘にかかると、天然痘にはかからない」という経験則を確かめたわけだ。このように、牛痘に関する様々な観察を経たジェンナーに、ついにその時が来ることになる。1796年5月14日、サラ・ネルムズ(Sarah Nelmes)という乳しぼりを仕事とする若い女性の右手の刺し傷に牛痘がうつり、痘疱ができていた。ジェンナーはサラの痘疱から膿を取り、それをジェイムズ・フィップス(James Phipps)という8歳くらいの少年の腕に接種した。すると、フィップス少年の接種部位には、サラと同様の痘疱ができた。この痘疱は2週間ほどでかさぶたとなり、その後自然に剥がれ落ちて治った。これで、フィップス少年に天然痘に対する抵抗力が付いただろうか?ジェンナーはそれを確かめるために・・・・」
Jenner phipps 01 (cropped)
8歳の少年ジェームズ・フィップスに最初のワクチン接種を行うジェンナー医師 1796年5月14日 画:Emest Board 作成:1910年

名もなきOL
「あれ?ちょっと待ってください。牛痘にかかれば天然痘にかからない、のは確かなんだから、当然天然痘にはかからないですよね?」
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「そのとおりだな。だが、それはもっと正確にいうと、「自然に牛痘にかかった人は、天然痘にはかからない」となる。フィップス少年の場合、自然に牛痘にかかったのではなく、牛痘の膿を接種することで人為的に牛痘にかからせたわけだから、自然に牛痘にかかった人とは条件が違うんだ。だから、これは本当にそうなのか、を確かめる必要がある。」
名もなきOL
「なるほど。科学って奥が深いですね。」
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「7月1日、接種から48日が経過してから、ジェンナーは天然痘患者から膿を取ることができた。そして、それをフィップス少年に接種したんだ。結果、フィップス少年に痘疱はできなかった。つまり、天然痘は発症しなかったわけだ。数か月後にもう一度天然痘の膿を接種したが、結果は同じだった。これで、牛痘接種によって天然痘に対する抵抗力が備わっていることを確認したんだ。」
名もなきOL
「よかったですね。でも、成功したからよかったけど、これで失敗だったら大問題ですよね。」
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「そうだな。これも時代の違いによる常識の違いなんだと思う。さて、牛痘接種の関する実験はまだ続きがある。1797年、2つの牧場で牛たちに牛痘が流行した。そして、乳しぼりをしている人たちにも、牛痘が流行り始めた。ジェンナーがこれを調査してみると、興味深いことがわかった。牛痘にかかった人たちは、みんな天然痘にかかったことが無い人たちだった。そして、天然痘にかかったことがある人たちは、ほぼ牛痘にはかかっておらず、かかった人も他の人より軽症だった、という結果だったんだ。つまり、これが意味するところは、天然痘にかかった人は、天然痘だけに抵抗力がつくのではなく、牛痘にも抵抗力がつく、ということだ。天然痘と牛痘が、極めて類似性が高い病気、ということを裏付けるデータを得たわけだな。」

A physician inspects the growth of cowpox on a milking maid' Wellcome V0011690
搾乳婦の牛痘を調べる科学者の図 

名もなきOL
「ジェンナーさんって、本当に詳しく調べているんですね。」
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「ジェンナーが「近代免疫学の父」と呼ばれるのは、結果だけではなく結果に至るプロセスも含めてのことなんだと思うぜ。この調査結果をふまえてジェンナーは再び実験を行う。次の実験は、牛痘にかかった牛から膿を採取して、それを人に接種しても予防効果が得られるかどうかというものだ。」
名もなきOL
「え!?それはもうフィップス少年の実験で明らかになってるんじゃ?」
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「いや、明らかにはなっていないな。というのも、フィップス少年の場合、牛痘の膿を取ったのはサラという女性からだ。つまり、人に感染した牛痘を接種したんだ。これまでの実験や観察結果から、牛痘には天然痘を予防する力があるだろう、ということは言えるな。しかし、牛から直接取った牛痘の膿で、同じ予防効果が得られることはまだ確かめていないんだ。もしかしたら、いったん人を介在する、つまり牛痘にかかった人から膿を取らないと効果が得られないかもしれない。そこは、実験して確かめる必要があるな。」
名もなきOL
「なるほど。本当に科学って奥が深いんですね。改めて実感。」
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「1798年3月16日、5歳の少年に牛から直接取った膿を接種した。少年の腕には、しっかりと牛痘の痘疱ができた。そして、この5歳の少年の痘疱から膿を取り、それを別の人へと接種した。5歳の少年を第1代とすると、この少年からとった膿を接種された人は第2代だ。ジェンナーはこうして、第5代まで人から人へと接種を繰り返し、そしてすべての人に天然痘を接種したところ、天然痘にかかった人は誰もいなかった。つまり、牛から直接取った牛痘を接種しても効果は得られるし、牛痘にかかった人の膿からでも、他の人に接種すれば同じように予防効果が得られることを確認したんだ。
この年、ジェンナーは49歳。少年の頃に得た着想を、時間をかけてしっかりと検証し、実験してそれを確かめることができたわけだ。」
名もなきOL
「その根気の良さに頭が下がります。偉い人と凡人の違いは、根気よく続けられるかそうでないか、にあるのかも。。」

種痘法普及までの道のり

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「ジェンナーはこれまでの調査結果、実験結果をまとめた論文を王立協会に提出した。ところが、ジェンナーの論文は王立協会のほとんどの人に理解されず、何のコメントも付されずにジェンナーに送り返されてしまったんだ。」
名もなきOL
「え〜、なんでですか?頭の固いお爺さんたちには理解できなかったんですか?」
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「まぁ、だいたい当たっているかもしれない。それと、王立協会のメンバーは必ずしも「お爺さんばかり」ではないぜ。返送にあたってのコメントがないので、拒絶された理由は明確ではないのだが、おそらく「牛の病気で人の病気が防げる」という発想が、斬新すぎたんだろう。トルコ式天然痘接種は既に知られていたから、予防接種の概念は知られていたはずだ。だが、それはあくまで天然痘自身を使って行う、という固定観念になっていたのかもな。そうなると、牛痘でも予防接種できるししかも安全、という論文は「そんなわけないだろ」と思わせることもあったかもしれない。当時はまだ、細菌やウィルスの存在も発見されていなかったからな。
しかし、ジェンナーはこれで挫けなかった。王立協会が出版しないのなら自費で出版する、ということで1798年に自費で出版したんだ。この論文は「イギリス西部のいくつかの州、特にグロスター州で見出され、牛痘と言う名前で知られている病気、すなわち牝牛の天然痘の原因と効果に関する調査(An inquiry into the causes and effects of the variolae vaccinae, a disease discovered in some of the western countries of England, particulary Glouscestershire, and known by the name of the cow pox)」という長い題名で自費出版されたんだ。全75ページで、手や腕にできた牛痘の痘疱の挿絵も入っている、きれいな論文だそうだぜ。」
名もなきOL
「革新的なものって、最初は受け付けられない、っていうのは古今東西共通なんですね。」
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「そうだな。自費出版した後、ジェンナーは牛痘の普及に尽力するが、一般民衆には恐れられた。「牛痘の膿を接種したら牛になってしまう」、という話が半ば本気で信じられたりした。この絵が一番有名だな。」

The cow pock
牛痘という、素晴らしい効果を持つ新たな接種  画:James Gillray 作成:1802年

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「こんな迷信以外にも、ジェンナーの方法が正しく理解されなかったために、有害だとか無効だとかの報告を上げてくる医師もいた。例えば、接種に使う道具は当然消毒されていなければならないが、この時代はまだ「消毒」という概念が薄かった。そのため、接種を繰り返す過程で別のウィルスや細菌が混じって、失敗したり副作用を起こしたりする事例や、牛痘の膿を正確に取れなかったために無効だった、という事例も生じた。そのため、論文発表の翌年1799年に、ジェンナーは注意事項をまとめた論文を発表している。
そんなこんなで苦労したジェンナーだったが、やがて天然痘が流行しても、牛痘接種者は感染しないという事例が生じ始めると、牛痘接種は徐々に受け入れられはじめた。1802年には、イギリス王と政府から賞金として1万ポンドが与えられた。これはつまり、イギリス政府が公式にジェンナーの功績を認めた、ということだな。イギリス政府からはもう1回、1807年に2万ポンドが贈られた。さらに、かの有名なナポレオンも、ジェンナーの功績に対して勲章を贈ったんだ。ナポレオン時代、イギリスとフランスは敵国だったんだが、ナポレオンは敵国の人間に勲章を贈ったわけだ。さらに、ジェンナーの要請にこたえて、2人のイギリス人捕虜を解放してもいる。ナポレオンは「人類に利益をもたらした人物の一人には拒否できない」と言ったと伝えられている。実際、ナポレオンは自軍の兵士たちに牛痘接種を行わせたんだ。」
名もなきOL
「よかった。ジェンナーさんの功績は認められたんですね。」
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「こうして、ジェンナーの牛痘接種法は種痘法とも呼ばれ、全国に広まっていくことになった。日本には、幕末の頃にやってきて、蘭方医と呼ばれる外国医学を学んだ緒方洪庵らの医師たちによって少しずつ普及していった。こうした活動がWHOに引き継がれ、ついには天然痘の根絶宣言に至るわけだな。ジェンナーは1801年に書いた論文の中で「種痘法が広まっていけば、やがて天然痘は根絶されるだろう」と予言していた。そして、それは現実になったわけだな。ちなみに、ワクチン(vaccine)の名前は、フランスの学者・パストゥールが提案したのが始まりなんだ。パストゥールは、ジェンナーの牛痘を研究して、より安全性を高めるためにウィルスを弱毒化したワクチンを開発した。この時、ジェンナーの牛痘は牝牛(ラテン語でvacca)を使ったことに敬意を表し、予防接種に用いる接種材料をワクチンと呼ぶことにしたんだぜ。」

晩年のジェンナー

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「さて、こうして業績を讃えられたジェンナーだが、晩年は故郷のバークレーで静かに過ごしたそうだ。まず、最初に牛痘接種実験に協力してくれたフィップス少年には、彼が大人になった時、自分の家の近くになんと家を購入してプレゼントした。」
名もなきOL
「ジェンナーの恩返し、スケールが違いますね。」
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「晩年のジェンナーは、趣味の博物学の研究を進めていた。渡り鳥に関する研究を行って、渡り鳥が季節によって過ごす場所を変える、という習性に関する論文を発表したりしている。」
名もなきOL
「ジェンナーさんは鳥が好きなのかな?王立協会に出した最初の論文も、鳥でしたもんね。」
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「鳥に限らず、生物全体に興味があったんだぜ。ちなみに、首長竜の化石の一部も発見したそうだ。さて、ジェンナー自身の家族だが、ジェンナーと妻キャサリンの間には、軽症型天然痘(豚痘)を接種した長男エドワード、長女キャサリン、次男ロバートの3人の子どもが生まれたが、長男エドワードは1810年に結核にかかって死去した。21歳という若さだった。1815年には妻のキャサリンが死去した。息子と奥さんに先立たれたのはショックだっただろうな。
それからもう一つ、ジェンナーの功績について触れておかねばならないことがある。それは、ジェンナーは種痘法の特許をあえて取らなかったということだ。ジェンナーは、特許を取ったら種痘を受ける費用が高くついてしまい、貧しい人が受けられなくなる=天然痘を防ぐことができない、と考えて、周囲から勧められた特許取得を拒否したそうだぜ。」
名もなきOL
「すごい!ジェンナーさん、いい人すぎる!」
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「そんなジェンナーに敬意を表して、このコーナーはいったんここで終わることにするぜ。
もっと詳しい話や、余談については詳細篇で扱うので、こっちも読んでくれよな。」


・自然科学篇 ジェンナーと種痘法 詳細篇

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参考文献・Web site
・国立感染症研究所(NIID) 天然痘(痘そう)とは



small5のオススメ
全体で143ページで、ジェンナーを扱った第1部が101ページ、残りの第二部で、幕末日本で種痘の普及に尽力した緒方洪庵ら医師たちの話を扱っている。小学校高学年くらいでも読めるように、フリガナと理解しやすい解説と豊富な挿絵でコンパクトに説明されている1冊。



small5のオススメ
2015年1月20日第1刷発行。全体で202ページで、天然痘の歴史から始まり、ジェンナーの師匠であるハンターの話、ジェンナーの話、その後の天然痘撲滅宣言までの話がまとめられている。筆者の山内一也氏はウィルスを研究している医師で、豊富な歴史史料を調査がまとめられている貴重な一冊だ。