Last update:2022,FEB,26

武士の台頭

朝廷の官位の基本

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「さて、今回のテーマは「朝廷の官位の基本」ですね。日本史モノの本やマンガ、解説書などを読んでいると、よく登場するのが朝廷の官位です。有名どころでは、摂政関白右大臣左大臣、それから征夷大将軍とかですね。他には、源平合戦に登場する源頼政は、従三位(じゅさんみ)に叙されたので「源三位(げんざんみ)」と呼ばれた、というような話も出てきますね。
これらの官位に関する話は、なんとなくわかれば詳細まで知らなくても問題にはならないのですが、もうちょっと官位の基本的な知識を持ったうえで話を聞くと、物事がもう少しよく見えるようになりますので、ここで官位の基礎知識を紹介しておきましょう。このコーナーを読み終えた後、それから忘れた時には、また見てみてください。歴史がもっと面白くなりますよ。」
名もなきOL
「この話、ちょくちょく気になってたんです。よろしくお願いしまーす!」

<目次>
1.官位とは?
2.官位相当制
3.官位と貴族制度


官位とは


big5
「さて、まずは基本的な用語から確認しましょう、まずは題名にもなっている「官位」。官位とは、官職位階(いかい)のことです。」
名もなきOL
「ふむふむ。官職っていうのは朝廷の役職のことですよね。位階というのは・・??」
big5
「位階とは、個々の人につけるランクのことです。いわゆる「エライ人」は高い位階を与えられており、「エラクナイ人」は低い位階を与えられているわけですね。ちなみに、昔の日本人の大多数は位階なんて持っていません。位階を持っている人は、いわゆる「貴族」ですね。そして、貴族の中でも上中下、のランク付けがされていました。
位階の始まりは、有名な聖徳太子が603年(推古11年)に定めた冠位十二階なんですよ。」
名もなきOL
「冠位十二階!小学生の時に勉強しましたね。そうか、あれは位階の制度の始まりだったんですね。」
big5
「その後、位階の制度は何回か変更が入り、大宝律令で定められた正一位(しょういちい)から少初位下(しょうそいのげ)までの30ランクでほぼ確定しました。
朝廷がある人に位階を授けることを叙位(じょい)と言います。なので、「平清盛は従一位に叙せられ、事実上の天下人となった」という具合に、位階を与えられることを「叙せられる」と表現したりしますね。
「官職」とは、OLさんが考えたとおり、朝廷の役職のことですね。左大臣や右大臣、大納言(だいなごん)や少納言(しょうなごん)とかが有名ですね。それでは次に、官職と位階の関係について見ていきましょう。」

官位相当制

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「官職と位階は無関係ではありません。位階が高いのに、低い役職に就くというのはバランスが悪いので、位階が高い人は自動的に高い役職に就くことになります。これを官位相当制と呼びます。ただ、これはあくまで原則です。位階と官職の関係は厳密に決められているわけではないので、例外的なものも存在します。ただ、たいていの場合は官位相当制に沿った叙位任官が行われていました。位階と、それに対応する主だった役職を表にすると、以下のようになりますね。」

位階 主な官職 備考
正一位
(しょういちい)
関白 太政大臣 原則として関白や太政大臣、征夷大将軍などの死後に追贈する
従一位
(じゅいちい)
事実上の最高位階
正二位
(しょうにい)
左大臣 右大臣 左大臣の方が右大臣より上
従二位
(じゅにい)
内大臣 内大臣は令外官 二位尼の平時子は従二位に叙せられた
正三位
(しょうさんみ)
大納言 左近衛大将 右近衛大将
従三位
(じゅさんみ)
中納言 源三位の異名をとった源頼政は従三位に叙せられた 三位
正四位上
(しょうしいのじょう)
参議 参議に相当する位階は実は決まっていない
正四位下
(しょうしいのげ)
宮内卿 大蔵卿 式部卿
従四位上
(じゅしいのじょう)
左大弁 右大弁
従四位下
(じゅしいのげ)
修理大夫 検非違使別当 左近衛中将 右近衛中将
正五位上
(しょうごいのじょう)
左京大夫 右京大夫 大膳大夫 太宰大弐 左衛門督 右衛門督
正五位下
(しょうごいのげ)
左近衛少将 右近衛少将 刑部大輔
従五位上
(じゅごいのじょう)
内匠頭 左兵衛督 右兵衛督 検非違使佐 大和守(大国の守)
従五位下
(じゅごいのげ)
少納言 治部少輔 左京亮 右京亮 修理亮 大炊頭 掃部頭 太宰少弐 相模守(上国の守)
正六位上
(しょうろくいのじょう)
大内記 弾正大忠 左近将監 右近将監
正六位下
(しょうろくいのげ)
隼人正 弾正少忠 左兵衛佐 右兵衛佐 大和介(大国の介) 能登守(中国の守)
従六位上
(じゅろくいのじょう)
内蔵助 掃部助 検非違使大尉 相模介(上国の介)
従六位下
(じゅろくいのげ)
伊豆守(下国の守) 検非違使少尉
正七位上
(しょうしちいのじょう)
少外記
正七位下
(しょうしちいのげ)
陰陽博士 大和大掾(大国の大掾)
従七位上
(じゅしちいのじょう)
暦博士 大和少掾(大国の少掾) 相模掾(上国の掾)
従七位下
(じゅしちいのげ)
医師
正八位上
(しょうはちいのじょう)
隼人祐 能登掾(中国の掾)
正八位下
(しょうはちいのげ)
検非違使大志
従八位上
(じゅはちいのじょう)
大和大目(大国の大目) 検非違使少志
従八位下
(じゅはちいのげ)
算師 大和少目(大国の少目) 相模目(上国の目)
大初位上
(だいそいのじょう)
大初位下
(だいそいのげ)
能登目(中国の目)
少初位上
(しょうそいのじょう)
伊豆目(下国の目)
少初位下
(しょうそいのげ)

名もなきOL
「こうやって表にして見てみると、聞いたことある官職もちらほらありますね。でも、これを全部は覚えられないな〜。」
big5
「全部覚える必要はありません。気になった時にまた見ればOKです。それに、官位相当は時代が違うと実情が異なってくることもあるので、こちらの表はどの時代でも常に正しい、という絶対のルールではないことに注意です。」

官位と貴族制度

big5
「それでは、官位に基づく日本の貴族制度について見ていきましょう。
30ある位階は、待遇の違いで3つに大別することができます。1番待遇がいいのは三位以上の者で「貴」と呼ばれます。2番目は五位以上の者で「通貴(つうき)」と呼ばれました。「貴族」という言葉は、この「貴」と「通貴」から来ているわけですね。そして、最後が六位以下の者です。現代風に言うと、三位以上が上級貴族、五位以上が中級貴族、六位以下は下級貴族、というかんじでしょうかね。
待遇の違いの一つは、収入です。五位以上になると、位禄・位封と呼ばれる給料が支給されました。六位以下の下級貴族にはそんなものありません。」
名もなきOL
「うわ、わかりやすい大きな違いですね。」
big5
「違いは収入だけではありません。五位以上になると、自分の地位をある程度子供に引き継げる蔭位(おんい)の制がありました。蔭位(おんい)とは、五位以上の者の子と孫は、父・祖のお蔭で21歳になると授けられる最初の位のことです。これはつまり、五位以上に叙せられると、その地位を子や孫にある程度継承することができる、ということですね。例えば、一位の者の嫡子は成人するといきなり従五位下に叙せられます。六位以下の者の嫡子は無位無官から始まるので、大きな違いです。官位相当制の原則もありますので、位階がある程度世襲できる以上、位階に対応する官職に就くこともほぼ確定していました。そういう意味で、特に上級貴族は問題を起こしさえしなければ、凡庸でも高い地位を維持することができたわけですね。」
名もなきOL
「生まれで、だいたい人生設計がほぼ決まってしまうんですね。現代でも、まだそういうところは残ってますけど、この頃は「家柄」の重要性が現代よりもハッキリしてたんですね。」
big5
「次に、古典でもよく登場する用語・殿上人(てんじょうびと)について。殿上人とは、昇殿(しょうでん)を許された人のことです。昇殿とは、内裏清涼殿の南廂にある殿上の間に上がることを言います。昇殿制度の始まりと考えられているのは、9世紀初頭、嵯峨天皇の頃から天皇の秘書官である蔵人(くろうど)が設置されたことです。天皇が政治を行うための秘書官は、当然普段から天皇の側で仕事をすることになります。これに伴い、天皇の身辺に仕える者を選択する制度として昇殿制が定められ、9世紀後半の宇多天皇の頃には制度として完成しました。宇多天皇の頃の殿上人はおおよそ30名ほどだった、と考えられています。その後次第に増え、院政期には80名を超す時期もあったそうです。そんな中、官位の世襲化が進むと、自然と殿上人も世襲化されるようなっていきました。言い換えれば、殿上人になるかどうかは家柄で決まっていたわけですね。後に、殿上人になりうる家を堂上(とうしょう or どうじょう)家、なりえない家を地下(ぢげ)家と呼ぶようになりました。昇殿が許されるのは
@公卿(三位以上のもと参議のいわゆる上級貴族)
A蔵人(天皇秘書官)
Bその他、天皇が昇殿を許した者
です。Bはよほどの運に恵まれないとできませんので、@かAが殿上人となる要件となります。そういった背景がわかると、源義家平忠盛が昇殿を許される、つまり殿上人となったことは、異例の出世であることが、より理解しやすくなりますね。」
名もなきOL
「なるほど。世襲貴族の目から見たら、まさに「新参者」なわけですね。」
big5
「平安時代までは、このような貴族制度に基づく貴族たちが、政治の中心だったわけですね。ところが、武士の台頭によって貴族たちは徐々に力を失い、鎌倉時代になって政治権力を武士に奪われることになります。その結果、このような官職は名称だけになって中身がなくなっていき、戦国時代には完全に名称だけになってしまうわけですね。戦国武将の一部は、自分自身の箔付のために「〜〜守」と、勝手に名乗るのが普通になっていました。」

弁官

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「さて、ここからはたくさんある官職のうち、主だったものを簡単に紹介しましょう。まずは、弁官(べんかん)です。
弁官は左大弁・右大弁・左中弁・右中弁・左小弁・右小弁の6官職がありました。ちなみに唐での名は「尚書(しょうしょ)」です。」
名もなきOL
「あ、それ聞いたことあります!」
big5
「弁官(尚書)は国家の重要実務を扱う部署でした。左弁官局は中務・式部・治部・民部の四省を担当し、右弁官局は兵部・刑部・大蔵・宮内の四省を担当するとなっていましたが、実際には厳密に区分されていたわけではないみたいようです。実務をこなさなければならないので、実力がある人が弁官に任官されることが多かったそうです。そして、左中弁以上になると、参議に昇進する資格を得ることができます。将来、三位以上に昇進する道が開かれる登竜門とされていました。
養老令官位令によると、官位相当は
大弁:従四位上
中弁:正五位上
小弁:正五位下
となっています。参議と大弁を兼任したり、蔵人頭と大弁 or 中弁を兼任する者もいて、彼らは頭弁(とうのべん)と呼ばれました。」
名もなきOL
「弁官になる、って凄いことなんですね。仕事とか難しそうだな〜。」
big5
「はい、かなりの事務処理能力が求められると思います。「お役所」ですしね。
弁官の中でもとくに有名なのが、866年(貞観8年)の応天門の変で、応天門に放火した犯人の伴善男(とものよしお)ですね。伴善男は、従五位下で右少弁に任じられてから、同僚の弁官を高度な法理論で失脚させるなどして昇進し、正三位大納言まで昇進しています。そのため、伴大納言(とものだいなごん)と呼ばれます。応天門の変を描いた伴大納言絵巻(とものだいなごんえまき)は、歴史史料としても有名なので、資料集などで一部を見たことがある人は多いと思いますね。」

Ban dainagon ekotobaL
伴大納言絵巻 応天門炎上  制作者:常盤光長(?)  制作年代:12世紀

Ban Dainagon Ekotoba - Childrens fight D
事件の真相発覚の原因となる子供のケンカ

Ban Dainagon Ekotoba - police D
伴大納言逮捕に向かう検非違使一行

名もなきOL
「子供のケンカの絵は、国語の資料集で見た記憶がありますね。上の絵が先で下の絵が後のことを描いている、って話ですよね。伴大納言って、弁官で出世した人だったんですね。全然知りませんでした。」
big5
「官位の話を知っておくと、わりと有名な話や史料なんかを、もっと深く知ることができるわけですね。」



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