small5
「今回のテーマはベルギー レオポルド1世の治世だ。本編ではほとんど触れられていない話だが、詳細篇の「ベルギー独立の続きにあたるな。」」
big5
「詳細篇の聞き役はいつもどおり私・big5です。今日もよろしくお願いします。」
small5
「さて、まずはいつもどおり年表から見ていこうか。」
年月 | ベルギーのイベント | その他のイベント |
1830年 | ベルギー音楽革命 | (仏)七月革命 |
1831年 | レオポルド1世がベルギー初代国王として即位 | |
1832年 | レオポルド1世がフランス王の娘ルイーズ・マリーと結婚 | |
1835年 | メヘレンーブリュッセル間に蒸気機関車の旅客鉄道開通 大陸では初 | |
1861年 | (米)アメリカ南北戦争 開戦 | |
1864年 | (墨)マクシミリアンがメキシコ皇帝に即位(レオポルド1世の義理の息子) | |
1865年 | 12月16日 レオポルド1世死去 | |
small5
「さて、まずは言語問題から始めようか。現代でも変わっていないのだが、ベルギーで使われる原語はオランダ語とフランス語だ(正確には、東部の一部地域でドイツ語が話されている)。ベルギーはだいたい真ん中で線を引いて北部と南部の2つにわけることができる。北はフランデレン地方といい、オランダと接していることもあって、オランダ語話者われることが多い。南はワロン地方といい、フランスと接していることもあって、こちらはフランス語だ。」
big5
「1832年、レオポルド1世は、フランス王ルイ・フィリップの娘のルイーズ・マリーと結婚しています。この目的は、未だにベルギー独立を認めようとしないオランダに対する備えでもありました。しかし、この件を言語問題から見ると、王家はフランス寄りになった、ということになります。そのため、オランダ語話者の一部は、反発するようになりました。」
small5
「フランス語優位の状況は、軍隊でも明らかだった。1833年、将軍エヴァンが騎兵隊、歩兵隊の訓練マニュアルを作成した際、フランス語版のみを作成して配布した。オランダ語は無しだ。」
big5
「明らかにフランス語優位ですね。」
small5
「この状況を緩和しようとしたのが、他ならぬレオポルド1世だった。レオポルド1世は、このマニュアル配布にあたって「フランス語を理解できない部下に対する寛容」と題した書簡と「処罰しないこと」という手紙を添えて配布させたんだ。「オランダ語のマニュアルも作れ!」と命令したわけではないが、オランダ語話者に配慮を示したわけだな。」
レオポルド1世 制作者:George Dawe (1781〜1829) 制作年:1818年〜1850年
big5
「言語問題に関するレオポルド1世の配慮を示す話は他にもあります。1834年、フランデレンの町へ―ルを訪問した際に、オランダ語教育が無視されてはならない、と力説しています。また、オランダ語文学の復興を支援する奨学金を設立しています。」
small5
「もうひとつ、レオポルド1世時代のベルギーで特筆すべきことは、産業革命の進展だな。これまで見てきたように、1831年になって独立間もないベルギーだったが、1835年5月5日、メヘレンとブリュッセル間に蒸気機関車の旅客鉄道が開通した。これは、ヨーロッパ大陸では初の旅客鉄道なんだぜ。これに続いて、1837年アントワープとリエージュ間が開通、1838年オーステンデとリエージュ間が開通している。」
big5
「ヨーロッパ大陸で最初に旅客鉄道が開通したのがベルギーだなんて、ちょっと意外ですよね。
鉄道以外にも、産業革命の発展を示す尺度として用いられるのが、蒸気機関の数です。ベルギーでは1830年時点で蒸気機関は428機でしたが、1880年には11,760機と約25倍に増加。ワロン地方の石炭産出量は230万tが1700万tと約8倍に増加しています。また、製鉄業も始まっており、他のヨーロッパ諸国よりも早い時期から産業革命が進展していることが示されていますね。」
small5
「次に、国王と政治の関係について見ていこう。まず、ベルギー王の権力はあまり強くない。何しろ、レオポルド1世は即位の式典で、国王といえどもベルギー憲法に従う、という誓約をしているくらいだ。だが、レオポルド1世は国王が政治にまったく関与できないことは望まなかった。そこで、レオポルド1世は、実質的な首相任命権を持つ道を選んだ。」
big5
「ベルギーで内閣が組閣されるにあたり、国王は「組閣担当者」という非公式な役職に誰かを任命します。この組閣担当者が各大臣を選出して内閣メンバーを揃え、国王の了解を得てから議会にはかり、議会の信任が得られると組閣担当者が首相となる、というシステムです。これはつまり、ベルギー首相を誰にするか、国王が最初に選ぶ権利を持っている、ということになります。」
small5
「ただ、これは法律で定められたプロセスではない、ということだ。あくまで「慣例」だな。一時期は、組閣担当者が内閣メンバーをまとめきれず「調整担当者」みたいな人が各政党の利害調整に奔走したりしたこともあったそうだ。」
big5
「このように、ベルギー王の権力はそれほど大きくはないものの、政治にはある程度関与しているのが特徴ですね。現代日本の天皇は、形式的に総理大臣を任命していますがあくまで儀礼的なもの。総理大臣を選ぶことはできません。ここはベルギーとの違いですね。
small5
「レオポルド1世が亡くなったのは1865年12月10日。生まれは1790年なので、75歳になる年だ。当時としては、けっこうな長寿だったな。後継者となったのは、レオポルド1世の長男(正確には次男。長男は10か月で夭逝。)であるレオポルド2世だ。独立したばかりの新国家・ベルギーの国王に選ばれ、言語問題などを抱えつつも、産業革命を進展させ、ベルギーを国家として安定させることができたのは、れポポルド1世によるところも大きかったと言えるだろう。また、レオポルド1世が死去した時代、ウィーン体制は崩壊し、は欧米列強が世界を舞台に勢力争いを繰り広げる時代であった。レオポルド1世の死は、新たな時代の始まりを告げるものでもあったぜ。
なお、レオポルド1世にはシャルロットという娘がいた。」
small5
「シャルロットは、オーストリアのフランツ・ヨーゼフ1世の弟のマクシミリアンで、1864年にメキシコ皇帝に即位している。マクシミリアンとシャルロット夫妻は、レオポルド1世を物心両面で頼りにしていたのだが、マクシミリアンがメキシコ皇帝に即位して間もなく亡くなったため、二人はおおいにショックを受けた。そして、後の悲劇に続くことになるのだが、それはまた別の機械だな。」
big5
「今回はここまで。ご清聴ありがとうございました。次回もお楽しみに!」
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