Last update:2023,JUL,22

古代

古代ローマの社会文化 詳細篇

戦争捕虜

big5
「古代ローマでは古くから奴隷制が敷かれていたのは本編でも説明したとおりです。奴隷というと、アメリカの黒人奴隷のように、農園で働かされているイメージがありますよね。確かに、古代ローマでも農業労働力として使われる奴隷は多かったのですが、それ以外にも奴隷の職業は多岐にわたっていました。特徴的なのは「剣闘士奴隷」ですね。」
名もなきOL
「コロッセオとかで開催された、血生臭い闘いのショーですよね。古代ローマって、そういうところは本当に野蛮ですよね。」

Jean-Leon Gerome Pollice Verso指し降ろされた親指 制作者:ジャン=レオン・ジェローム 制作年:1872年

big5
「上の絵画は19世紀に描かれた想像図ですが、これが剣闘士のイメージですよね。剣闘士になった(させられた)のは、基本的に戦争で捕えられた捕虜でした。戦争捕虜は奴隷市場で売られるのですが、そのうち剣闘士養成所の経営者に買われた捕虜は、剣闘士奴隷とさせられたわけですね。
セネカの『幸福な人生について』によると、捕虜が売られるときに花輪をかぶせる、という習慣があったそうです。そのため、奴隷のことを「花輪をかぶった連中」、捕虜を奴隷として売ることを「花輪をかぶらせて売る」などと表現している記録が残っています。」
名もなきOL
「花輪をかぶせた理由は何なのでしょうね?おちょくっているようにも思います。」

美食とアピキウス(アピシウス)

big5
「さて、次に古代ローマの食文化、特に美食の話をしましょう。帝政ローマの五賢帝の時代(1世紀〜2世紀)は古代ローマの中の最盛期で、通常の食事が充実していたのはもちろん、上流階級では美食(グルメ)も流行するようになりました。中でも、特に美食家として有名なのがアピキウス(アピシウス、とも ラテン語:Marcus Gavius Apicius 1世紀頃)です。アピキウスは歴史書などにもたびたび登場しています。セネカの「幸福な人生について」でも、美食家の代表として登場しています。ですが、アピキウスが最も有名になったのは、ローマ時代の料理レシピをまとめた本『アピキウス』が発見されたことでしょう。」
名もなきOL
「へ〜、古代ローマ時代の料理レシピが残っているんですね。グルメのアピキウスが書いたのかしら?」
big5
「長らくそう信じられていたのですが、最近の研究ではおそらく名前だけいただいたもので、実際には後の時代に書かれたものだ、と言われています。ただ、一部のレシピは本当にアピキウスが書いたものではないか、とも言われており、真相は不明のようですね。
ちなみに、本のアピキウスは日本語訳も出ていますので、興味がある人は一度読んでみるのがおススメです。」





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