Last update:2023,FEB,4

古代

哲学篇

幸福な人生について(幸福論)

big5
「今回のテーマは古代 哲学篇と題しまして、古代ローマの哲学者・セネカが書いた「幸福な人生について(別名:幸福論)」を読みます。」
名もなきOL
「古代ローマの文化やセネカについて、あまり良く知らない方はこちらの本編(古代ローマの文化)をまずは読んでみてくださいね。」
big5
「今回読んだのは、岩波文庫が出している、茂手木元蔵氏が訳した「人生の短さについて 他二篇」に収録されている「幸福な人生について」です。一般に、この書の日本語訳は「仕事と日々」となっています。英語では"Works and Days"です。ページ数でいうと約60ページですので、早ければ1日で全部読める量です。」


big5
「「幸福な人生について」は、作者であるセネカが他家に養子に行った兄のガリオに話をするという構成で始まります。しかし、やがて話し相手はガリオという特定の相手というよりも、一般大衆に対する説諭になり、最後はセネカを批判する人々に対する反論、という構成に変化しています。そもそも、皇帝・ネロの家庭教師であったセネカの社会的地位や政治的な影響力はかなりのものだったので、自然とセネカは資産家になりました。でも、禁欲を良しとするストア派の哲学者自身が大金持ちだと、矛盾しているような気がしませんか?」
名もなきOL
「そうですよね。禁欲を推奨している人が、豪華な暮らしで贅沢三昧だったら説得力ゼロですよね。」
big5
「古代ローマの人々も、そのように感じたようです。なので、セネカはその点を批判されたそうなのですが、その批判に対するセネカの反論が後半に書かれています。そういうところも興味深いですね。
それでは「幸福な人生について」の主だった内容と見どころを紹介していきましょう。」

SenecaELWIスペインのコルドバにあるセネカ像

民衆の特徴

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「まず、セネカは一般庶民の特徴を述べています。それが一番よく表れていると思うのが↓。」

また誰も彼もが、判断することよりも、むしろ信用することを好むかぎり・・・・

big5
「自分で物事を判断する、というのは簡単なようですが、実は時間と勇気が必要です。自分の人生、ひいては国家の命運にかかわるような重大事項を、自分で判断するのはたいへんな勇気が必要ですし、正しい判断を下すために入念な調査も必要になります。なので、こういう難しいことは誰か他の信頼できる人にお任せした方が楽、と多くの人は感じている、というわけですね。民衆とはそういうものなので、民衆の多数が考えていること、が正しいとは言い切れない、と↓のように書いています。」

人生に関する事柄は、多数の者に人気のあるほうが善いというふうにはならない。最悪のものだという証拠は群集なのである。それゆえ、われわれが知ろうとするのは、一体何を行うのが最善であるか、ということであって、何が最も多く世の中に行われているか、ということではない。

名もなきOL
「常に多数派が最善とは言えない、というのは同意できます。でも、「最悪のものだという証拠は群集だ」なんて言い方はヒドイですし、これも100%正しいわけではないと思います。」
big5
「そうですね。また、正しいかどうかの判断は、多数派か少数派かはあまり関係ないと思いますが、政治の世界では「多数派」であることはとても重要です。たとえ最適解であっても、それが少数派である場合は、「政治的に最善」とはならないこともありますね。
納得できない部分もありますが、次にセネカは本題である「幸福な人生とは?」について論じていきます。」

幸福な人生

big5
「さて、ここから本題である「幸福な人生」についての話が始まります。セネカの哲学の重要ポイントです。」

ストア派のすべての人々の間で意見の一致をみているように、私は自然の定めに従う。自然から迷い出ることなく、自然の法則と理想に順応して自己を形成すること、これが英知なのである。(中略)
それゆえ幸福な人生は、人生自体の自然に適合した生活である。そして、それに到達するには次の仕方以外にはない。まず第一に、心が健全であり且つその健全さを絶えず持ち続けることである。第二に、心が強く逞しく、また見事なまでに忍耐強く、困ったときの用意ができており、自分の身体にも、身体に関することも、注意は払うが心配することはない。最後に、生活を構成するその他もろもろの事柄についても細心であるが、何ごとにも驚嘆することはなく、運命の贈物は活用せんとするが、その奴隷にはなろうとしない。こういった仕方である。

名もなきOL
「なんとなくわかりますが、ちょっと長いですね。要するに「強い心を持て」ってことかしら?」
big5
「単純に受け取るとそういうことですね。ストア派は禁欲的なので、自分厳しく律すべし、という考え方が根底にあります。セネカの哲学の場合、強い心を持ち続けることで自分を律することによって、人間は自然の定めに従った幸福な人生をおくることができる、と言っていますね。これは私の解釈ですが、「強い心」とは「強い自制心」とも言い換えられると思います。その強い自制心は「生活を構成するその他もろもろの事柄についても細心であるが、何事にも驚嘆することはなく」となっており、普段の生活の細かい所にも注意し、何が起きても冷静さを保て、と言っています。これは言うのは簡単ですが、実行できる人はほとんどいないでしょうね。
この話の後で、セネカはこうも説明しています。」

幸福な人生の基は、自由な心であり、また高潔な不屈にして強固な心であって、恐怖や欲望の圏外にある。それは徳行を唯一の善とし、背徳を唯一の悪とし、その他のものは価値のない雑物の集まりに過ぎないとする。こんな雑物は幸福な人生の何ものをも奪うこともなく、また加えることもなく、来ようが去ろうが最高の善には増減はないのである。

big5
「この話で、ある程度「幸福な人生の基」について説明がされています。まず、前述のように強い心(自制心)が幸福な人生の基であること。そして、強い心は徳行をただ一つの「善」、背徳をただ一つの「悪」、それ以外は「雑物」で最高の善に一切増減はない(関係しない)、という理屈になっています。」
名もなきOL
「強い心は徳行をただ一つの善とする、というのは理解できるのですが、唯一の悪は「背徳」でその他はすべて「雑物」である、というのはなんだか極端な気がしますね。」
big5
「そうですね。私もそう思います。この背景にあるのは、後述される「財産」の問題であろう、と言われています。冒頭でも紹介したように、セネカは禁欲を良しとするストア派哲学者でありながら、莫大な財産を持っていたと言われており、それについて批判されていました。」
名もなきOL
「なるほど。「財産」は雑物だから、善には一切関係ない、というわけですね。」

最高の善

big5
「さて、幸福な人生の基の話の中で「最高の善」という言葉が出てきました。「最高の善」について、セネカは次のように説明しています。」

最高の善とは、偶然的なものを軽んじ、徳に喜ぶ心である。(中略)
それは心の不屈な力であり、物事に経験が豊かであり、身振りが静かであるとともに、人情に厚く、交際にも思いやりのあることである。

big5
「「最高の善」とは特に喜ぶ心である、とのことです。さらに「偶然的なものを軽んじ」ともあります。セネカは「幸福な人生」の説明で何事にも動じない(強い心)と説明しているように、自分がどうすることもできない外部要因については、良くも悪くも冷静に平然と接すべき、としています。なので、偶然的なものは重要視しない、というのは筋が通っていますね。」
名もなきOL
「あと、経験豊富であること、身振りが静かであること(大げさでないこと)、人情に厚いこと、他者との交際に思いやりがあること、を挙げていますね。この辺りは私もわかります。やっぱり親しい友人が多かったらいろいろ楽しいですからね。」

悪行に唯一残っている善

big5
「セネカは欲望に溺れて堕落した人生を送る者たちを批判し、しかも彼らが「快楽」を良しとする(と思われがちな)エピクロス派の意見を都合よく拾って、開き直ることを批判しています。その中で、こんな話もしています。」

かくして彼らは、悪行の中に残っている唯一の善、すなわち罪を犯すのを恥じる心、までも失ってしまう。

名もなきOL
「なるほど、これはその通りだと思います。罪を犯しても、良心の呵責を感じるならまだ救いようがありますが、それすらも感じなくなったら「悪、極まれり」ということですね。これは納得です。」
big5
「そうですね。セネカはこれに続いて、よく禁欲を良しとするストア派に対比して、快楽を追求する(と思われがちな)エピクロス派について↓のように話しています。」

私はといえば、実は次のような見解を持っている。もっとも、こんなことを言うと、われわれストア派の仲間は嫌がるであろうが、すなわち、エピクロスの説くところは崇高であり、また道徳的にも正しく、間近に寄ってよく見れば、厳格でさえもある。つまり、彼の説く快楽なるものは、結局は小さな狭い範囲に帰着するのであって、われわれストア派が徳のために主張する法則と同じ法則を、快楽のために主張している。彼が命ずるのも、快楽を自然に従わせしめよ、というのである。

big5
「これは、ストア派哲学者としてはかなり思い切った発言だと思います。一見すると、相反する考え方のようなストア派とエピクロス派ですが、実は目指すところのために考えている人生の法則は同じもので、エピクロス派はそれを快楽のために主張しているだけ、というわけですね。言い換えれば、エピクロス派は快楽を追求する欲望を野放しにさせることを言っているのではなく、より厳格で崇高な快楽を得るための話をしているのだ、ということですね。」
名もなきOL
「ちょっと難しいですけど、要するにエピクロス派は欲望に身を委ねて堕落した生活を送るのが真の快楽だ、と言っているわけではない、ということですね。ただ、快楽を主張しているので、そういう話に取られがちである、というのがセネカさんの意見なんですね。」
big5
「これは私の意見ですが、セネカの言う「最高の善である徳行」とは、マズローの欲求段階説でいうところの最高次元の欲求である「自己実現欲求」に近いものだ、と思います。勉強して知恵を磨き、仕事に一生懸命に取り組み、それが認められてローマ社会の支配者階層に入って、ローマ帝国を動かす幹部としてローマを導く、それほどの大役を果たせることで「自己実現欲求」が満たされ、それはこの上ない「快楽」でもある、と考えていたんじゃないか、と思います。」

哲学者と財産

big5
「最後に、セネカが言い訳しているようにも聞こえる「哲学者と財産」の話です。既に「幸福な人生」の章でも話していますが、セネカはストア派哲学者なのに大金持ちでした。なので、それを批判する人々もかなりいたようです。しかし、セネカにとって財産は「雑物」に過ぎず、「最高の善」には影響しないのだ、と↓のように力説しています。」

賢者は財産を愛するのではなく、あったほうがよいと思うだけである。財産を心の中まで受け入れるのではなく、ただ屋敷内に受け入れるだけである。(中略)
私の場合、たとえ財産は流れ去ったとしても、ただ財産だけが消えうせたに過ぎないであろう。

big5
「財産はあったほうがいいけど、なくたって構わない。だから、財産に心を奪われることはないし、なくなってしまっても嘆いたりしない、というわけですね。」
名もなきOL
「強い心があれば、できるかもしれませんが、私には無理だな・・・。でも、財産に心を奪われるのは良くないですね。急にお金持ちになったら、人が変わっちゃって逆に不幸になる、とか宝くじに当たった人の末路とか、いい話は聞かないですからね。分相応がいいんでしょうね。」

まとめ

big5
「以上、セネカの「幸福な人生について」の内容について、要点を抜粋しながら解釈・検討してきました。OLさんはストア派哲学者のセネカの意見を聞いてどう思いましたか?」
名もなきOL
「抽象的なところはあまり実感がわかないんですけど、セネカさんはたぶんマジメな人なんだな、と思いました。たぶん、ストア派の人はだいたいマジメなんでしょうね。こういう人たちが、経営者とか政治家とかになってくれれば、その会社や国は上手く回るんじゃないかな、と思いました。」
big5
「なるほど、面白いですね。確かに、ストア派の哲学は一般庶民向けの話ではなく、政治を担う貴族向けの心構え、みたいなものだ、と私は思っています。公権を乱用して私腹を肥やす役人や政治家が増えたら、その国は傾いてしまいます。そういう行動は恥ずべきことであり、為政者が目指すのはそんな低次元の欲求を満たすことではなく、高い自己実現欲求を満たすことを求めるべきだ、ということですね。
以上で、セネカの「幸福な人生について」の紹介と解説を終わります。興味を持った方は、是非読んでみてください!」


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