big5
「今回のテーマは17世紀前半の文化です。だいたい1600年〜1650年くらいまでに登場した文化を見ていきましょう。今回の題名はどうするか、だいぶ悩みましたが、世界的に有名な人物やエピソードが多いのが文学と科学の分野です。特に、この時代の科学は従来ものから飛躍的に進化を遂げる基礎となった時代なので、科学革命と呼ばれたりしますね。」
名もなきOL
「「科学革命」・・きっと凄いことがあったんでしょうね。でも、1600〜1650年くらいって、日本だった江戸時代が始まった頃ですよね?私の中ではけっこう昔の時代、っていうイメージくらいであんまり馴染みが無いです。。」
big5
「そういう人は多いので大丈夫です。きっと人物の名前や用語を聞けば「聞いたことある!」って思いますよ。」
年月 | 関連イベント | 世界のイベント |
1547年 | セルバンテス 誕生 | |
1564年 | シェイクスピア 誕生 ガリレオ 誕生 |
カルヴァン 死去 |
1571年 | レパントの海戦 セルバンテス従軍 ケプラー 誕生 |
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1588年 | (西・英)アルマダの海戦 スペイン無敵艦隊がイギリスに敗北 | |
1590年 | (日)豊臣秀吉が日本を統一 | |
1592年 | ガリレオがピサ大学の教授に復帰 | |
1596年 | デカルト 誕生 | |
1598年 | (仏)ナントの勅令 | |
1605年 | 『ドン・キホーテ』前編 刊行される | |
1609年 | ケプラーが「新天文学」で天体運行の法則(ケプラーの法則)を発表 ガリレオが望遠鏡を用いて天体観測を開始 |
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1615年 | 『ドン・キホーテ』後編 刊行される | (日)大坂の陣で豊臣家滅亡 |
1616年 | セルバンテス 死去 シェイクスピア 死去 ガリレオが最初の宗教裁判にかけられる |
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1618年 | ドイツ三十年戦争 開戦 | |
1620年 | フランシス・ベーコンが「新オルガヌム」を発表 | |
1626年 | フランシス・ベーコン死去 | |
1628年 | ハーヴェイが「血液循環説」を発表 | |
1630年 | ケプラー死去 | |
1632年 | ガリレオが「天文対話」を発表 | |
1633年 | カトリック教会がガリレオの説を異端と断定 | |
1637年 | デカルトが方法序説を発表 | |
1642年 | 1月 ガリレオ死去 12月 ニュートン 誕生 |
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「まずは文学から始めましょう。1番手はスペイン一の文豪・セルバンテス(Cervantes 1547-1616年)が書いたドン・キホーテです。」
名もなきOL
「ドン・キホーテは私も聞いたことあります。もちろん、お店のドンキとは別物だって、わかってますよ。ちなみに私はお店のドンキ、好きなんです。と、そんなことは置いておいて、お供のサンチョを連れた珍道中のお話なんですよね?」
big5
「その通りです。なので、ジャンルとしては喜劇(コメディ)でしょうね。せっかくなので、ドン・キホーテの概要をもうちょっとだけ詳しく紹介しますね。
1.主人公のドン・キホーテは田舎にわずかな土地を領有する50代の下級貴族。当時流行していた騎士道物語を読み過ぎて頭がおかしくなり、自分自身で遍歴の騎士となって旅をし、世の不正を正して悪を討つ、と旅に出る。
2.風車を見て怪物だと誤解し、愛馬ロシナンテを駆って突撃して負傷する。
3.馬車で移動している裕福な家の婦人の一行を、悪の手先にとらわれた姫と誤解して、同行者を攻撃して婦人を怖がらせる。
4.ドン・キホーテが作り上げた絶世の美女ドルシネアが世界一の女性だと、他の人に認めさせるために決闘する。
などなど、他にも面白いネタはいっぱいあるのですが、キリがないのでこれくらいで。ドン・キホーテは滑稽な笑い話の中に、当時の社会問題や宗教問題などに対する風刺や批判が盛り込まれていると言われ、スペインのみならず世界中で大ヒットし、その後の文学作品に大きな影響を与えることになりました。スペイン国内でも、作者のセルバンテスは偉大な文豪と評されて、今でもすぐれた文学作品に贈られる賞の名前は「セルバンテス賞」であるそうです。」
名もなきOL
「世界中で受け入れられて広まるって、本当にすごいですよね。でも、上の2番の風車に突撃くらいならともかく、3番なんかは全然関係ない他人を襲撃していて、ドン・キホーテは遍歴の騎士どころか、山賊とかと同じなんじゃないか、って思ってしまいますね。」
big5
「その辺は小説なので、なんとかうまく片が付きますし、その方の付け方がポイントなんじゃないか、と私は思っています。ドン・キホーテは面白い本なので、ぜひ読んでみてください。
セルバンテスが『ドン・キホーテ』を世に出したのは1605年(この年セルバンテス58歳)。出版されてからたいへん人気だったこともあり、1615年に続編を出したました。なので、『ドン・キホーテ』は最初に出たのが前編、後に出たのが後編、となっています。」
名もなきOL
「セルバンテスさん、けっこう年を取ってからドン・キホーテを書いたんですね。経験を積み重ねた結果が、『ドン・キホーテ』に集大成されたんでしょうね。」
big5
「私もそうなんじゃないか、と思います。セルバンテスは『ドン・キホーテ』の作者として有名ですが、若い頃から作家をやっていたわけではありません。当初はスペインの兵士となり、1571年のレパントの海戦に加わって負傷したりしています。その後も、苦労を重ねてきているけっこうな「苦労人」なんです。詳しいことは、別途「詳細篇」で扱います。」
big5
「ちなみに、OLさんも好きなお店の「ドンキ」の名前は、セルバンテスのドン・キホーテから取った、と公式サイトのQ&Aに書かれています。このようにです。
"Q.ドン・キホーテの名前の由来は何ですか?
A.スペインの文豪「セルバンテス」の名作にちなんで名付けたものです。行動的理想主義者であり、既成の常識や権威に屈しないドン・キホーテのように、新しい流通業態を創造したいという願いを込めています。"
総合ディスカウントストア ドン.キホーテ FAQ」
big5
「次に登場するのは、これまた世界的な知名度がある、イギリスの文豪・シェイクスピア(Shakespeare 1564-1616年)です。」
名もなきOL
「シェイクスピアって、セルバンテスさんとほぼ同世代に活躍した人物だったんですね。」
big5
「はい。高校世界史の教科書や資料集では、紙面の都合上でルネサンス後期に含まれていたりしますが、レオナルドやミケランジェロが活躍したいわゆるルネサンス盛期よりもだいぶ後に生まれて活躍しています。日本人でいうと、徳川家康と同世代になります。この二人と徳川家康は関係無いのですが、同時期に活躍していた人、と覚えておくと役に立つと思います。ところでOLさんは、シェイクスピアの作品といえば何を連想しますか?」
名もなきOL
「実は私、シェイクスピア作品ってあんまり読んだことなくて・・(焦)。でも確実に覚えているのは、中学校の時に社会の先生が話していた『ヴェニスの商人』ですね。」
big5
「有名ですね、『ヴェニスの商人』。代表作の一つです。他には『ロミオとジュリエット』もシェイクスピア作品で非常に有名です。他には、シェイクスピアの4大悲劇として『ハムレット』、『マクベス』、『オセロー』、『リア王』が有名ですね。シェイクスピア作品は他にもありますが、とりあえずはこの6つを覚えておけば、世界史対策はだいたい大丈夫でしょう。
イギリスでは、劇場で演じられる演劇がたいへん人気な娯楽になっており、時の女王・エリザベス1世も、お忍びで時々見に行っていたそうです。それくらい、演劇が盛んだったんですね。シェイクスピアはそんな時代に登場し、次々と名作を書いて上演していったわけですね。その数は劇が36本、それ以外に多くの詩を残しています。まさに、イギリスが誇る大文豪ですね。」
名もなきOL
「シェイクスピアさんは、若い頃からずっと劇作家だったんですか?」
big5
「はい、おそらくそうだっただろう、と考えられています。実は、シェイクスピアも知名度のわりにはその人生には不明点も多く、特に青少年期や劇作家として有名になるまでの足取りは不明点が多いんです。最近の研究によると、1592年くらいにはロンドンに出て、演劇界で仕事をするようになった、と考えられています。劇作家として有名になってからは、約20年間活躍し、死の直前くらいに引退して1616年、セルバンテスや徳川家康と同じ年に亡くなっています。52歳になる年でした。
というわけで、この時代の文学については、セルバンテスとシェイクスピアの2人を抑えておけばOKです。一般にも有名な人名と作品名なので、しっかり覚えてくださいね。」
big5
「さて、ここから科学革命の話を始めます。まず、当時の哲学から見ていきましょう。というのも、この時代の哲学は、その後の自然科学の発展の基礎としてたいへん重要な役割を果たしていたからです。」
名もなきOL
「どうして「哲学」が科学革命の基盤になったんですか?哲学にそんなイメージがあんまりなくて・・・」
big5
「一言でいうと、「論理的なモノの考え方」を考えるというのが、この時代の哲学の特徴の一つだったからです。現代人にとっては、ごく普通の「科学的な考え方」だと感じる人が多いでしょうね。
まず最初に登場するのはイギリスの哲学者・フランシス・ベーコン(Francis Bacon 1561〜1626年)です。」
名もなきOL
「フランシス・ベーコンって、もしかしてお肉のベーコンを開発した人、とかですか?」
big5
「いえ、違います。フランシス・ベーコンが生まれるもっと前からお肉のベーコンは存在していました。ちなみにスペルは同じbaconです。
フランシス・ベーコンはイギリス経験論(British empricism)の端緒を切り開いた哲学者、とよく言われます。特に、現実に発生している事象から、仮説を立てて自然界の法則を見つけ出そうとする「帰納法」の重要性を説きました。」
名もなきOL
「帰納法って・・・どんなのでしたっけ?」
big5
「簡単な例を出しましょう。例えば、「昨日は夕焼けがキレイな日だった。今日はよく晴れて気分がいい」と思った人がいたとします。思い出してみれば、以前もキレイな夕焼けを見た次の日はよく晴れていました。そうなると、その人はこんな風に思うわけですね。「夕焼けの翌日は晴れる」と。」
名もなきOL
「あ、なるほど。自分の経験に基づいて法則を見つけ出していますね。」
big5
「このように、いくつかの事実に基づいて結論を導き出すのが帰納法です。ベーコンは人間が経験した物事の中から世の中の心理や法則を見つけ出すことができると考え、観察と実験を重ねることを重視しました。この考え方は、自然科学の歴史の中でもたいへん重要です。現代の科学でも、観察と実験によって自然界の法則を導き出していく、という方法は基本的なもので、たいへん重要なんです。」
名もなきOL
「理科の勉強みたいですね。理科の勉強の基本的な考え方を広めていったんですね、ベーコンさんは。地味ですけど、重要ですね。」
big5
「はい、とても重要です。ベーコンの有名な著作は1620年に発表した「新オルガヌム」、有名な言葉は「知は力なり」です。詳細は省きますが、この2つもベーコンに関連付けて覚えておくといいです。
経験論や帰納法に大きく得教を受けて実績を残した人物の一人が、イギリス人医師のハーヴェイ(William Harvey 1578〜1657年)です。ハーヴェイはベーコンの友人でもありました。」
名もなきOL
「ハーヴェイさんは何を発見したんですか?」
big5
「血液は人間の体を循環している、という現代では小学校でも教える一般的な知識です。ですが、当時はこれが新たな発見で、発表当初は「バカげた学説」などと批判されることも多かったそうですよ。ハーヴェイはイギリス王ジェームズ1世とその子・チャールズ1世の侍医となった人物で、名医と評されていました。ハーヴェイは自らの経験に実験と観察を追加し、人間の血液は心臓が送り出し、全身をめぐって再び心臓に戻ってきている、という説を発表しました。重要なことは、結論となった「血液は循環している」ということはもちろんですが、歴史的に重要なのは、この説が実験と観察という、科学的な手法に基づいて唱えられた、ということです。」
名もなきOL
「自然科学が発展していくきっかけになったわけですね。実験と観察って重要ですね。」
big5
「実験と観察の賜物、という点では、ドイツのケプラー(Johannes Kepler 1571〜1630年)も有名ですね。」
名もなきOL
「そういえば、ケプラーの法則って聞いた覚えがあります。どんな法則なんでしたっけ?」
big5
「私もあまり詳しくないのですが、わかりやすいのは惑星の運行軌道は円形ではなく楕円形で、焦点の一つに太陽がある、というものです。ケプラーの凄いところは、望遠鏡を使わずに肉眼で観測を続けたところだと、私は思います。そうやって得た膨大な観測データを基に、数学的な方法で惑星運行の法則を導き出したところが、科学的にも重要なポイントです。ケプラーが自説を発表したのは1609年なので、前述のフランシス・ベーコンやハーヴェイよりも少し早めに世の中に出ていますね。」
名もなきOL
「ケプラーさんの説って地動説なんですか?」
big5
「地動説が正しいことを支持する法則、というかんじだそうです。直接的に地動説を唱えたわけではありません。なので、ケプラー自身は一時代前のコペルニクス(参考:)のように死の直前に自説を発表するなどはしていません。ただ、ケプラーの説を知って、地動説が正しいことを証明してカトリック教会に処罰されたのが、有名なガリレオ・ガリレイ(Galileo Galilei 1564〜1642年)です。ガリレオの表記方法はいくつかありますが、ここでは「ガリレオ」で通します。」
名もなきOL
「ガリレオさんってこの時代の人なんですね。なるほど、科学革命の時代の人なんですね。納得できます。」
big5
「そうですね、ガリレオは科学革命の時代を代表する科学者の一人でしょう。それと同時に、カトリック教会の政治的圧力で自説を撤回させられた、という、当時まだ根強かったカトリックの政治力を象徴する人物ですね。
ガリレオはイタリアのトスカナ方面で生まれました。いわゆるイタリア人ですね。子供の頃から頭脳明晰だったガリレオは大学で学び、特に数学と物理に熱心に取り組みました。ガリレオは1609年、発明されたばかりの望遠鏡を天体観測用に自ら追加加工した望遠鏡を使って天体観測を開始。これまで肉眼でしか見えていなかった星の世界を、望遠鏡で見ることで様々な事実を目にすることになりました。」
名もなきOL
「そっか、ガリレオさんはケプラーさんが頑張って肉眼で観察した結果をふまえて、さらに望遠鏡で観測を始めたわけですね。」
big5
「そうです、ガリレオは自分が望遠鏡で観測した結果を基に、コペルニクスの地動説は正しいと確信を持ちました。しかし、ガリレオの活動拠点はイタリアです。イタリアと言えばカトリック総本山のお膝元。地動説が正しいと言いまわっているガリレオは1616年に宗教裁判にかけられ、自説の撤回を強要されました。しかし、納得いかないガリレオはその後も地動説の普及に努め、1632年にはイタリア語で書いた「天文対話」を発表。地動説が正しいことを一般民衆にも訴えました。」
名もなきOL
「ガリレオさん、頑張っていますね!」
big5
「このようなガリレオの動きにカトリック教会は再び激怒。1633年にガリレオの説は異端と断定し、ガリレオは禁固刑(実際には軟禁だった)となりました。ガリレオ裁判を描いた絵や、裁判の後にガリレオが「それでも地球は動いている」と言った、という話が有名ですね。」
big5
「軟禁状態に置かれた老人・ガリレオは1642年1月に死去。この年78歳になる年でした。この1642年12月24日、イギリスでニュートンが生まれています。なので、「ガリレオのバトンをニュートンが受け継いだ」なんて言い方をする人もいますね。科学史的にもおおむね正しい見方ですし、時代感覚を身につけるためにも、この話は知っておいた方がいいと思います。」
big5
「さて、科学革命の時代を勉強するうえで、もう一人重要な人物がフランスの哲学者・デカルト(Rene Descartes 1596年〜1650年)です。」
big5
「デカルトは、その著書「方法序説(方法叙説、とも)」で使った表現「我思う、ゆえに我あり」が有名ですね。」
名もなきOL
「そのセリフ、私も知っているんですけど、どういう意味なんですか?」
big5
「デカルトは世の中の真理を見つけ出すためには、一見確実なことでも改めて疑って考えてみよう、という方法を取りました。こうしていくと、「当たり前だ」と思っていたことも、本当に当たり前なのか、と考え始めるわけですね。そのように疑って考えていく中で、唯一確実だと言えることが「いろいろ疑っている私がここにいるということは、私は確実に存在するのだ」という意味です。
ベーコンの経験論よりも、もっと哲学的な話ですね。デカルトのように論理を重視する考え方はイギリス経験論に対して大陸合理論と呼ばれています。大陸合理論では、帰納法に対して理論を重ねて結論を見出す演繹法(えんえきほう)が重視されます。」
と、言ったところで今回はここまで。ご清聴ありがとうございました。次回もお楽しみに!」
名もなきOL
「今日もありがとうございました。」
big5
「大学入試共通テストでは、「近世文学」や「科学革命」のネタはほぼ出題されません。試験前は他の分野の復習がオススメです。」
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