Last update:2023,JUL,8

古代

古代ローマの文化

導入

big5
「さて、今回のテーマは古代ローマの文化です。古代ローマの特色としてよく言われているのが
@ヘレニズム文化(ヘレニズム文化 参照)を継承している
A法律、建築などの実用面における独自性
の2点です。
実際、古代ローマ文化の建築物は実用的な物が多いです。特に街道水道橋が有名で、現代にも残っているものがありますね。」
名もなきOL
「あとはローマに残っているコロッセオ(コロッセウム)も有名な建築物ですよね。」

0 Colosseum - Rome 111001 (1)世界遺産に指定されているローマのコロッセオ(コロッセウム)

big5
「はい、コロッセオでは剣闘士試合などの見世物が頻繁に開催されました。これもローマ文化の特徴の一つです。建築物以外では、法律が発展したのも特徴です。」
名もなきOL
「そういえば、他の古代文明では法律の話ってあんまり出てこないですよね。古バビロニアのハンムラビ法典くらいかしら。」
big5
「そうですね、有名なのはハンムラビ法典ですね。他の古代文明にも法律はあったのですが、地中海世界を束ねる大帝国となったローマでは、秩序を保つために普遍的な法制が整備されました。これ以外にも、文学や哲学も発展しています。まずは見た目にもわかりやすい建築物から見ていきましょう。」

古代ローマの建築

コロッセオ(コロッセウム)
big5
「まずは冒頭に紹介したローマに残るコロッセオ(コロッセウム)から始めましょう。ネロの治世に発生したローマ大火の後、72年に時の皇帝・ウェスパシアヌスが着工し、80年に完成。楕円形で長軸が188m、短軸が156m、外壁の高さは48mで推定収容人員はおよそ5万人にも及ぶ、かなり大きな建築物です。」
名もなきOL
「5万人も観客を収容できるなんて、日本武道館がだいたい1万5000人ですから、かなり大きいですね。」
big5
「コロッセオで行われたのは、剣闘士同士の戦いや剣闘士と猛獣の戦い、模擬合戦などの血生臭い闘いが見世物として行われていました。闘技場の一部は板材張りになっており、地下には猛獣などを入れておく檻が設置されていました。今では板がないので、地下部分が野ざらしになっています。
なお、ローマのコロッセオよりも小規模なこ闘技場ならローマの主要都市のあちこちに建設されていました。」
名もなきOL
「ローマって先進的なイメージがありますけど、剣闘士とかは結構野蛮ですよね。私はあまり好きではありません。」

ガールの水道橋
big5
「続きまして人間の生活に重要なインフラの一つ・上水道です。ローマでは水源から水道橋を作って人々が生活する都市まで水を引き込む技術を持っていました。その中でもキレイに残っているのが、↓のガールの水道橋です。フランス南部のガール県にあります。世界遺産に指定されています。」

Pont du Gard FRA 001

名もなきOL
「すごい綺麗な橋ですね!古代ローマの時代に、ここまで立派な水道橋が作られていたなんて、驚きです。」
big5
「ガールの水道橋が建設されたのは50年くらいではないか、と考えられています。全長270m、高さは50m、3層のアーチ形式の橋で、上層が水道、中下層が人間用として使われていました。水は高さ1.85m、幅1.2mの管を流れていました。このような水道管を通って都市まで水が運ばれ、そこで浴場、トイレ、共同の水場に流れついてそれぞれの用途に使われたわけですね。なお、下水に関してはローマではティベレ川に流されていました。」

カラカラ浴場
big5
「さて、水道橋の話の続きで、次は浴場です。古代ローマでは浴場文化も発展しました。とくに有名なのは、カラカラ浴場です。」

Rom Caracalla-Thermen von Sudenカラカラ浴場の遺跡

名もなきOL
「カラカラって、帝政ローマの回にも登場したカラカラですか?」
big5
「はい、そのカラカラです。帝国の全自由民にローマ市民権を与えたことで有名なカラカラです。工事期間は212年から216年の約4年です。記録によると、温湯、微温、水温の部屋があり、1日6000人が利用可能でした。浴場以外にも図書館、体育館、競技場まで併設されていた、単なる浴場ではなく複合的な施設だったみたいですね。」
名もなきOL
「現代のスーパー銭湯みたいですね。こんな施設まであったなんて、ローマの建築技術はかなり高かったんですね。」

街道
big5
「続いて、ローマ文化の代表格である街道です。「すべての道はローマに続く」という有名な諺がありますが、ローマでは街道がきっちりと整備されていました。↓が、117年頃のローマ帝国における主要な街道を示した地図になります。」

Voies-romaines Empire

名もなきOL
「主要な街道は帝国の全域に広がっていたんですね。高速道路が国中に敷かれていた、というかんじかしら。」
big5
「そのとおりですね。上記の地図の時点で、主要幹線の合計は約8万6000kmにもなりました。ちなみに、現代日本の高速道路の総距離は約1万1000kmということなので、ローマ帝国の街道は約8倍の長さになりますね。
街道はローマの貴族(パトリキ)や、時の有力者が資金を出して建設・整備されることが多かったです。そのため、街道の名前には出資者の名前が冠せられました。教科書などによく登場するのは、保存状態もいいアッピア街道などが有名ですね。」
名もなきOL
「水道に浴場、そして街道と、ローマは本当に基本的なインフラが発達していたんですね。だから、古代でこれほど広大な国になったのかもしれないですね。」
big5
「そうですね。ローマ軍が強かった要因は何か、を考えたときに「優れた兵站力」がよく挙げられます。兵站とは、兵士が戦闘から普段の生活に必要な飲食料、武器や鎧などの不足することなく供給することです。ローマ軍は街道が使えるので物資の輸送が早く効率的で、遠征先で兵站に困ることは少なく、兵士は元気な状態で先頭に臨めることが多かったそうです。精神論でなんとかしようとした太平洋戦争後期の日本とはだいぶ違いますね。」
名もなきOL
「インフラって、本当に重要ですよ。現代だったら、ネットワークが重要なインフラですよね。政府にはインフラ整備も頑張ってもらいたいです。」
big5
「さて、次は古代ローマの文学や歴史、自然哲学などを見ていきましょう。」

古代ローマの文学

・キケロ(前106〜前43)
Cicero - Musei Capitoliniキケロ胸像
big5
キケロは古代ローマを代表する文化人の一人です。演説の上手さでも有名だったので、「ローマ最大の雄弁家」とか「ローマ第一の散文家」とも呼ばれています。キケロというと、「元老院の代表格でお爺さん」のイメージが持たれていますが、カエサルよりも6つ上なだけなので、カエサルとほぼ同年代です。
キケロが遺した著作は内容が優れているだけでなく、言葉使いや文章構成が秀逸なので、後の時代にラテン語を学ぶ聖職者らにとって、お手本として広く使用されていました。
著作物も多いですが中でも代表的なのは「国家論」「義務論」「友情論」「法律論」などです。」
名もなきOL
「すみません、散文って何ですか?」
big5
「散文とは、韻を踏むとか文の形式とかの決まりが特にない文章のことですね。平たく言うと「普通の文章」ですね。散文の対義語は韻文で、これは韻を踏むとかのルールがあるものですね。外国語の韻文をそのまま日本語訳すると、かなり読みづらくなりますし、元の言語を知らないと意味もなかなかわかりません。なので、韻文の外国古典を訳す、というのはたいへんな作業になります。」


・ヴェルギリウス(ウェルギリウス、とも 前70〜前19)
big5
「キケロを古代ローマ散文の代表格とするなら、ヴェルギリウスはローマ最大の詩人です。キケロに比べると日本では知名度が低いですが、ルネサンス黎明期のダンテの「神曲」にも登場しており、古代ローマを代表する詩人の一人です。
代表作はローマ建国の叙事詩「アエネイス」です。アエネイスは、ローマ建国の起源の話がトロイア戦争まで遡って始まります。トロイアの王子・アエネアスはトロイア陥落後、カルタゴに落ち延びてそこで女王ディドに迎えられて愛し合います。しかし、アエネアスはイタリアに向かい戦いに勝利してローマの礎を築いた、というお話です。ちなみに未完のままヴェルギリウスは亡くなっています。ヴェルギリウス本人は焼却処分を願ったのですが、アウグストゥスが刊行を命じた、と言われています。古代ギリシアの大詩人・ホメロスの影響を強く受けている、と言われています。」
名もなきOL
「まさに建国神話、という位置づけの作品なんですね。」


原作はラテン語韻文だが、本作は読みやすい散文で訳されている。

・ホラティウス(前65〜前8)
Quintus Horatius Flaccusホラティウス

big5
ホラティウスはアウグストゥスに気に入られて、その庇護を受けた詩人です。特徴的なのは、ギリシアのアテネに留学して、ギリシア文学にとことんのめり込んでいったことです。ホラティウスのように、古代ローマではギリシア文化を好んだ人がたくさんいました。ローマ文化の特色として、ヘレニズム文化の継承を挙げましたが、ホラティウスはその典型的な例ですね。」

古代ローマの哲学

・セネカ(前4頃〜後55頃)
big5
セネカは帝政ローマの本編でも登場したように、ネロの家庭教師を務めた哲学者です。古代ローマの哲学もギリシア哲学の影響を強く受けているので、セネカは禁欲的なストア派の哲学者でした。代表作は宗教的色彩の強い道徳的教訓を書いた「幸福論(幸福な人生について)」です。



big5
「「幸福な人生について」は、↑の単行本に収録されています。約60ページくらいですので、短時間で通読できますので、おススメですよ。」
名もなきOL
「「幸福とは何か?」を考えるなんて、いかにも哲学、っていう内容ですね。」

・エピクテトス(55頃〜135頃)
big5
エピクテトスはローマ人ではなくフリギア(現在のトルコ中部。アナトリア半島の中部。)出身のギリシア人で、しかも元は奴隷だった解放奴隷です。元奴隷という背景があるためか、セネカと同様に禁欲的なストア派の哲学者です。禁欲による精神修養が大事だ、と説いています。」
名もなきOL
「修行僧みたいですね。」
big5
「エピクテトスの代表作としては、自然の法則に合致した生活による魂の自由を説いた「語録」があげられることが多いですが、正確には一つの本としてエピクテトスが書いたものではなく、断片として残っているものが編纂されたものです。なので、現代刊行された本によっては別名になっています。」

・マルクス・アウレリウス・アントニヌス(120〜180)
big5
「帝政ローマの本編でも登場したように、マルクス・アウレリウス・アントニヌスは最後の五賢帝で「哲人皇帝」の異名を持っています。哲人皇帝も禁欲的なストア派でした。ゲルマン民族やパルティアとの戦いの陣中で書いた「自省録」が代表作です。自省録は他人に読ませるために書かれた本ではなく、哲人皇帝の胸中を記した日記のようなものです。これはこれで貴重な史料となっています。」
名もなきOL
禁欲的なストア派の哲学者が皇帝になったら、いろいろとたいへんでしょうね。皇帝だったら、いろいろと誘惑も多いんでしょうけど、その辺はきちんと自分自身で律していくべきだ、と考えているんでしょうし。かなりストレスの多い人生を送ったんじゃないか、と思います。」

古代ローマの歴史・地理

・ポリュビオス(前201頃〜前120頃)
big5
ポリュビオスはローマ人ではなくギリシア人です。そのため、書いた歴史書もギリシア語で書かれています。ポリュビオスは第二次ポエニ戦争で活躍したスキピオ一門に厚遇されていました。それまでのローマの歴史を政体循環史観(国家の政治体制は循環する、という考え)に基づいておよそ40巻にも及ぶ「ローマ史(単に「歴史」とも)」を編纂しました。ポリュビオスはローマの興隆を「史上かつてない大事件」としており、第一次ポエニ戦争から話を起こして歴史書を書きました。当時を調べるうえでの一級史料となっています。」


・カエサル(前100〜前44)
big5
「「内乱の一世紀」にも登場していますが、著名なカエサルは文化面でも事績を残しています。それが、ガリア遠征の記録をまとめたガリア戦記です。内容はもちろんカエサルのガリア遠征なのですが、それだけでなく当時のガリア人・ゲルマン人社会の記述や考察も含まれており、当時のガリア・ゲルマンを研究するうえで貴重な史料となっています。また、キケロと同様に文章構成も素晴らしく、ラテン散文の名文である、とも評価されていますね。」


名もなきOL
「さすがに世界レベルの英雄は違いますね。政治・軍事に優れていただけでなく、文化面でも自省気を残すなんて、ここまでの人はなかなかいないですよね。」

・ストラボン(前64頃〜後21頃)
big5
ストラボンもポリュビオスと同じくローマ人ではなくギリシア人です。ローマ、エジプトに在住し各地の地誌と歴史を記した「地理誌」が代表作ですね。」
名もなきOL
「歴史・地理の分野では、ギリシア人が意外とけっこういるんですね。」
big5
「そうですね。あともう一人、ギリシア人歴史家が登場しますよ。お楽しみに。」


・リウィウス(前59〜後17)
big5
リウィウスはローマ人の歴史家です。ローマ建国から前9年までの歴史を描いた『ローマ建国史』が代表作です。ローマ建国史は142巻にも及ぶ大作なのですが、残念ながら大部分が失われてしまっています。完全に残っているのは1巻〜10巻と21巻〜45巻の合計35巻、他に断片として残っているのがいくつかある、という状況です。もし、リウィウスの「ローマ建国史」の未発見部分を見つけることができたら、それはかなりの大発見になるでしょうね。」


・プルタルコス(46頃〜120頃)
big5
プルタルコスギリシア人の歴史家です。ローマ、アレクサンドリア、ギリシアを旅して見聞を広めました。代表作はギリシアとローマの英雄の列伝を著した「対比列伝英雄伝、とも)」です。」
名もなきOL
「古代ギリシア・ローマの人物に関する詳細篇でも、よく基になる史料ですよね。」
big5
「プルタルコスの対比列伝もたいへん面白いのでオススメですね。全部読もうとすると、大作なのでかなり時間がかかりますが、人物ごとに章が分かれているので、気になる人物の部分だけ読むこともできます。」





・タキトゥス(55頃〜120)
big5
タキトゥスもプルタルコスとほぼ同時代に生きた歴史家ですが、タキトゥス本人については謎が多く、その出自も不明点が多いです。ただ、タキトゥスが著した歴史書には傑作が多く、彼が生きた時代を描いた『同時代史』などは、ネロを始めとした愚帝の統治を批判するなど、自国に厳しい論調になっています。そんなタキトゥスの代要作は『ゲルマニア』です。その名の通り、ゲルマン人の習慣や社会制度、伝承などをまとめたもので、当時のゲルマン民族研究にとっては貴重な史料になっています。」




古代ローマの自然科学

・プリニウス(23〜79)
Pliny the Elder
big5
プリニウスはローマの軍人であると同時に属州総督なども務めた政治家です。様々な分野に探求心を持っていたようで、動物、植物、天文、鉱物、地理、医学など多岐にわたって調査と研究を行っていました。著作は数多いのですが、現存しているのは『博物誌』のみとなっています。」
名もなきOL
「プリニウスさんも多才な方なんですね。軍人かつ政治家で、文化人でもあるなんてカエサルさんみたいですね。」
big5
「そうですね。プリニウスの没年は79年ですが、これはヴェスヴィオス火山が噴火してポンペイの街が埋まってしまった年です。この時、プリニウスは付近を航行していた艦隊を指揮していました。噴火を目にし、住民の救助と自らの研究のために現場に赴きました。その最中におそらく火山ガスを吸い込んでしまって亡くなりました。」

・プトレマイオス(2世紀)
PSM V78 D326 Ptolemy15世紀に描かれたプトレマイオスの想像図
big5
プトレマイオス天動説を唱えた天文学者として有名ですね。」
名もなきOL
「地球を中心として太陽とか星が回っている、っていう昔に信じられていた説ですよね。」
big5
「そうですね。そこだけを見ると、プトレマイオスは結果的に間違っていたわけですが、それだけでプトレマイオスの業績を貶めることはできません。プトレマイオスは数々の天体の運行を観察して記録し、その運動を分析しました。後世の天文学者は、プトレマイオスがやった仕事の上に立って研究活動を行っていますので、後世に与えた影響はとても大きいです。プトレマイオスの天動説は、16世紀、宗教改革の頃にポーランドのコペルニクスによって地動説が発表され、それが普及するまでの間、一般に正しいと信じられていました。
プトレマイオスはアレクサンドリアで天文学を研究していたことはわかっているのですが、それ以外のことはほとんどわかっていません。上に紹介した肖像画も15世紀に描かれた想像図に過ぎません。」

と、言ったところで今回はここまで。ご清聴ありがとうございました。次回もお楽しみに!」
名もなきOL
「今日もありがとうございました。」

大学入試 共通テスト 過去問

big5
「大学入試共通テストでは、古代ローマ文化のネタはたまに出題されています。試験前に復習しておけば、運よく出題されるかもしれません。」

平成31年度 世界史B 問題12 選択肢A
・カエサルが、『ガリア戦記』を著した。〇か×か?
(答)〇。基本知識なので、これは正答したい問題です。

令和2年度 世界史B 問題23 b
・ストラボンは、『地理誌』を著した。〇か×か?
(答)〇。基本知識なので、これは正答したい問題です。

令和2年度追試 世界史B 問題3 選択肢C
・古代ローマで、アッピア街道が建設された。〇か×か?
(答)〇。基本知識なので、これは正答したい問題です。

令和2年度追試 世界史B 問題12 選択肢A
・リウィウスが、『ローマ建国史』(ローマ史)を著した。〇か×か?
(答)〇。基本知識なので、これは正答したい問題です。




古代 目次へ戻る

この解説は、管理人の趣味で作成しております。解説が役に立ったと思っていただければ、下記広告をクリックしていただくと、さらなる発展の励みになります。



参考文献・Web site