Last update:2023,DEC,30

第二次世界大戦

世界恐慌

導入

big5
「今回のテーマは1929年の世界恐慌です。世界恐慌(World depression)は、第二次世界大戦へと繋がっていく最初の重要イベントです。年号も重要なので、覚えておきましょう。このゴロ合わせが有名ですね。
特に苦(1929)しい世界恐慌
名もなきOL
「世界恐慌が第二次世界大戦の引き金になったんですね。世界恐慌は知っていましたが、それが第二次世界大戦の契機になった、というふうには思っていませんでした。」
big5
「そこはいわゆる「歴史の流れ」ですね。第一次世界大戦後、世界の大国は不戦条約などを結んで平和な世界の構築を目指し、軍縮なども進められてきました。「国際協調」が進められてきたわけです。ところが、1929年に発生した世界恐慌によって状況は一変。国際協調よりも自国の経済改善が優先されるようになり、ドイツ・イタリア・日本におけるファシズムの進展、スペイン内戦などを通して第二次世界大戦へと時代は変化していきました。世界恐慌は、そのきっかけとなった大事件なんです。
というわけで、いつもどおりまずは年表から見ていきましょう。」

年月 世界恐慌のイベント 他地方のイベント
1929年 10月24日 米・ウォール街で株価大暴落 世界恐慌始まる (暗黒の木曜日)
1931年 (米)フーヴァー・モラトリアムを発表
(英)金本位制停止
(日)柳条湖事件 満州事変始まる
1932年 (英)オタワ連邦会議 ブロック経済構築 (日)五・一五事件
1933年 (米)民主党のフランクリン・ルーズベルトが大統領に就任
ニューディール政策を開始
日本、ドイツが国際連盟を脱退
1936年 (米)ケインズが「雇用・利子および貨幣の一般理論」を発表

1929年10月24日 暗黒の木曜日

big5
「世界恐慌の始まりは明確です。1929年10月24日の木曜日、ニューヨークのマンハッタンにあるウォール街の証券取引所にて、株価が大暴落したことが始まりでした。これまで第一次大戦後の好景気で発展していたアメリカ合衆国でしたが(参考:繁栄するアメリカの光と影)、一転して大不況になりました。現代でも、2008年にアメリカ合衆国にて発生したリーマンショックと呼ばれる金融不況がきっかけで、世界全体が一転して不景気になったことは記憶に新しいですね。」
名もなきOL
「リーマンショック、私の会社もリストラでたくさんの社員が辞めさせられて、たいへんでした。アメリカで起きた金融問題で全然関係ない業界のに、あっという間に不況になってしまいましたね。」
big5
「時の合衆国大統領であるフーヴァー率いる共和党政権はは、伝統的な「市場放任主義」政策の立場を変えなかったので、この不況も自然な景気変動の一環と見なし、特に対策を取らなかったことも問題を悪化させた要因だと指摘されています。」

President Hoover portrait
フーヴァー 

big5
「そんな間にアメリカ、イギリス、ドイツなど主要国では失業者数・失業率が大幅に上昇し、1933年時点では以下のような状況でした。
アメリカ:失業者1283万人 失業率24.9%  イギリス:失業者252万人 失業率21.3%
ドイツ:失業者480万人 失業率26.3%  日本:失業者41万人 失業率5.6%」
名もなきOL
「約4分の1が失業しているなんて、相当酷い状況ですね。これほどの状況になったら、歴史の流れが大きく変わるのも納得できます。」
big5
「世界恐慌により、再び問題になったのがドイツの賠償金問題です。経済の悪化によりドイツは再び賠償金が支払えなくなりました(参考:ワシントン体制とロカルノ体制)。そこで、1931年にアメリカ合衆国大統領・フーヴァーはドイツの英仏に対する賠償金の支払い、合衆国に対する負債の支払いを1年猶予するフーヴァー・モラトリアムを発表しています。
しかし、1年の支払い猶予で片付く状況ではなく、各国はそれぞれ独自の方法で対策を執り始めました。」

イギリスのブロック経済

big5
「世界恐慌の煽りを受けたうえに、ドイツからの賠償金も1年とはいえ受け取れなくなったイギリスでは、金融不安が広がってポンドが大量に売られるようになり、金がどんどん国外に流出していきました。これに対応するため、首相・マクドナルド率いる挙国一致内閣は、1931年9月21日、金本位制停止に踏み切りました。金本位制を停止することで、金が国外に流出することを止めたわけですね。同時に、イギリスは管理通貨制度に移行することになりました。
金本位制を停止する、という対策は日本やポルトガル、デンマーク、スウェーデンといった他の国でも採用され、アメリカも1933年に停止しています。世界恐慌によって、金本位制は次々と廃止されていったわけですね。」
名もなきOL
「世界恐慌の影響力って凄かったんですね。」
big5
「イギリスの対策はこれだけではありません。1932年の7月から8月にかけて、イギリス連邦を構成する諸国(カナダやオーストラリアなど)を集めてオタワ連邦会議(オタワはカナダの都市)を開催。これまで採用していた自由貿易政策から、輸入品に高い関税をかけて自国経済の保護を図る保護貿易政策を採用。こうすることで、イギリス連邦は自分たちだけの経済圏(ブロック経済)を構成しました。イギリス経済ブロックは、イギリスの正貨「スターリング」に由来してスターリング・ブロック、あるいはポンド・ブロックと呼ばれています。」
名もなきOL
「そっか、安い輸入品が出回ると自国生産品が売れなくなるから、関税を高くして湯安い輸入品が出回らないようにするんですね。なるほど、理にかなっていますね。」
big5
「ただ、この方法は自国を救う方法としては有効でしたが、国際経済はさらに回らなくなりました。日本の生糸など、外国への輸出で成り立っていた業界はさらに不況となりました。また、ブロック経済が採用できる国は限定されていることも問題です。イギリスやアメリカなど、広い植民地を持っている国や領土が広い国は、自分の経済ブロック内で必需品が入手できるため、あまり困りませんでしたが、日本、ドイツ、イタリアなど植民地が少ない or 無い国にとっては、ブロック経済など不可能な話です。ブロック経済により、国際的には持てる国(イギリス、アメリカなど)と持たざる国(ドイツ、イタリア、日本など)にグループ分けされ、それぞれ異なる歴史を歩むことになりました。」

アメリカのニューディール政策

big5
「1933年3月、合衆国ではこれまで与党だった共和党が選挙で敗れ、民主党のフランクリン・ルーズヴェルト(Franklin Roosevelt)が大統領に就任しました。なお、ルーズヴェルトのカタカナ表記は「ローズヴェルト」となっていることもありますが、ここでは「ルーズヴェルト」と記載します。」

FDR 1944 Color Portrait
フランクリン・ルーズヴェルト 撮影者:Leon Perskie 撮影年:1944年8月22日

big5
「ルーズヴェルトは、早速共和党の伝統政策である「自由放任主義」を止めて、積極的に市場に介入する経済政策を推進しました。それがニューディール政策(新規まき直し政策)です。」
名もなきOL
「ニューディール政策の名前は私も覚えています。有名ですよね。」
big5
「そうですね。せっかくなので、名前だけでなく主だった内容も知っておくとなお良いです。まず、1933年4月19日に金本位制を停止しています。理由はイギリスと同様ですね。
続いて、同年5月には農業調整法(AAA:Agricultural Adjustment Act)を発表。これは、不況で苦しむ農民を救済するために、生産量を削減させる代わりに政府が補助金を出す、というものでした。
同じく5月にテネシー川流域開発公社(TVA:Tenessee Valley Authority)も発足させました。これはいわゆる公共事業です。政府企業がテネシー川流域でダム建設(これは同時に水力発電所も意味している)や治水、植林事業などを行うことで、雇用を創出して失業者救済と同時に南部地域への電力供給を増やすことが目的でした。
同年6月には全国産業復興法(NIRA:National industrial Recovery Act)を制定し、企業を指導する全国復興局(NRA)を置いて、政府による産業統制と労働条件の改善を狙ったものでした。」
名もなきOL
「凄いですね、就任してからわずか3カ月の間にこれだけの新政策を実行しているんですね。」
big5
「そうなんです。実行力の高さはフランクリン・ルーズヴェルトの特徴の一つですね。ちなみに、全国産業復興法は1935年に自由主義の原則に反するということで違憲判決が下されてしまったので、その代わりとして1935年7月に後継となるワグナー法が制定され、労働者の団結権、団体交渉権を認めています。
また、国内経済に目を向けたニューディール政策のみならず、外交方針も一変しました。1933年12月には日本とドイツが国際連盟を脱退したのに対抗するためにソ連を承認し、1934年には1901年から有効となっていたキューバに対する保護権を停止し、独立運動と紛争が頻発していたフィリピンには10年後に独立を認めるなど、善隣外交と呼ばれる方針を採用しています。
これらの政策の結果、合衆国経済はなんとか持ち直し、ルーズヴェルトは1937年に再選されました。今でも、歴代アメリカ大統領の人気投票を行うと、フランクリン・ルーズヴェルトは上位にランクインするそうです。」
名もなきOL
「そういえば、フランクリン・ルーズヴェルトのニューディール政策って、ノーベル経済学賞を受賞したケインズが提案したっていう話を聞いたのですが、そうなんですか?」

Keynes 1933
ケインズ 撮影者:不明 撮影年:1933年

big5
「そういう話は私もたまに聞きます。ただ、おそらく「ケインズがルーズヴェルトにニューディール政策を提案し、それが採用された」という話は間違いだと思います。というのも、ケインズが有名な「雇用・利子および貨幣の一般理論」を発表したのは1936年なので、ニューディール政策が始まってから3年後です。ニューディール政策の方が先なんです。もちろん、発表する前にケインズが自分の理論をフランクリン・ルーズヴェルトに提案したのではないか、という可能性もありますが、これを否定する意見の方が多いですね。
とはいえ、ニューディール政策はケインズの経済理論が説明するように、不況下では積極的な政府支出が経済を良くする、という理論は、その後経済学会で主流になっています。その影響はたいへんなものでした。
と、言ったところで今回はここまで。ご清聴ありがとうございました。次回もお楽しみに!」
名もなきOL
「今日もありがとうございました。」

大学入試 共通テスト 過去問

big5
「大学入試共通テストでは、世界恐慌のネタはしばしば出題されています。試験前に復習しておくのがおススメです。」

平成31年度 世界史B 問題19 選択肢B
・アメリカ合衆国の経済は、テネシー川流域開発公社(TVA)の設立で、雇用の拡大が図られた。〇か×か?
(答)〇。上記の通り、テネシー川流域開発公社(TVA)は、ニューディール政策の一環として発足しました。

平成31年度 世界史B 問題21
(ア)に入る用語として正しいのはどれか?
・世界恐慌に直面したイギリスは、(ア)を開いて、経済ブロックの形成を推進した。
@イギリス連邦経済会議(オタワ連邦会議)
Aダンバートン=オークス会議
(答)@オタワ連邦会議。

令和2年度追試 世界史B 問題33 選択肢@
・(19世紀に)マクドナルドの挙国一致内閣が、金本位制を停止した。〇か×か?
(答)×。上記の通り、イギリスのマクドナルド挙国一致内閣が金本位制を停止したのは世界恐慌の後であり、19世紀ではなく20世紀の出来事です。

令和4年度追試 世界史B 問題26 選択肢A&「B
(グラフ読み取り問題)
(問題)グラフ1・2から読み取れる、1914年〜1939年までに起こった事柄について述べた文の正誤を判定せよ。
Aニューディール政策が実施された時期に、アメリカ合衆国の歳出総額は最大になった。
B「暗黒の木曜日」と呼ばれる、ニューヨークにおける株式相場の大暴落よりも後に、アメリカ合衆国の国内の失業率は最も高くなった。
(答)A×B×。Aについては、連邦政府歳出総額グラフを見ると、連邦政府の歳出総額が最大になっているのは1919年のことでした。ニューディール政策が始まったのは1933年ですので、これは誤りです。
Bについては、「暗黒の木曜日」は1929年で、失業率のグラフを見ると1933年に最高値になっていることがわかります。従って、〇です。

令和5年度 世界史B 問題29 選択肢C
・オタワ会議(オタワ連邦会議)により、スターリング=ブロック(ポンド=ブロック)を廃止した。〇か×か?
(答)×。上記の通り、オタワ連邦会議によりスターリング=ブロック(ポンド=ブロック)が形成されています。

令和5年度 世界史B 問題32 選択肢B
(18世紀後半の時期について)、当時のイギリスにおいて、農業調整法(AAA)が制定され、農産物の生産量が調整された。〇か×か?
(答)×。上記の通り、農業調整法(AAA)はアメリカ合衆国のニューディール政策の一環として定められた制度ですので、時代も地域も異なります。


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