Last update:2023,JUN,3

中世

元代の文化

big5
「今回のテーマは13世紀〜14世紀に中国を支配したモンゴル人王朝・の時代の文化です。この章だけでも話がわかるように解説していきますが、本編を元の盛衰先に見たほうが話がわかりやすいと思います。それでは、早速始めましょう。」

特色

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「元の文化の特徴は、やはりなんといっても西方のイスラム文化を重視し、儒教などの伝統的な中国文化は軽く扱われたことでしょう。」
名もなきOL
「中国はモンゴル人に支配されていたわけですし、そうなっても仕方のないことだと思います。」
big5
「元の治世の風潮を表現する言葉として、九儒十丐(きゅうじゅじゅっかい)があります。九と十はランクの順番意味し、儒は儒者のこと、丐は乞食のことを指すそうです。つまり、儒者の位置づけは乞食の一つ上、という意味ですね。それくらい、儒教は冷遇されていました。
モンゴル帝国はユーラシア大陸を股にかける大帝国となり、駅伝制(ジャムチ)が整備されて、人もモノの東西交流が従来よりもたいへん活発になりました。その国を治めたモンゴル人にとって、中国の伝統は一被支配地域の地元の伝統、くらいな位置づけだったのでしょう。
公用語は当然のようにモンゴル語で、公文書は表音文字として新たに作られたパスパ文字が使われており、独特で国際色豊かな文化だった、と分析されています。」

宗教

big5
「次に元代の宗教について見ていきましょう。まず一つの特徴は、宗教には比較的寛容であったことでしょう。キリスト教圏やイスラム教圏とは全く異なる特徴ですね。キリスト教は、モンテコルヴィノが大都司教として布教活動に励んでいましたし、モンゴル人と共に支配者階級にあった色目人らは従来と同様にイスラム教を信仰していました。中国では、全真教と呼ばれた道教教団の一派も活動していました。」
名もなきOL
「信教の自由が守られていた、というのはとてもいいですね。キリスト教もイスラム教も、その点は融通がきかないで、様々な悲劇が起こっていますからね。」
big5
「そうですね。ただ、フビライはチベット仏教の法王・パスパを深く信用し、「帝師」と仰いでいましたので、チベット仏教は手厚く保護されました。なので、チベット仏教がいわゆる「国教」的な存在でした。チベット仏教の寺院も各地に次々と建設されました。ただ、これらのチベット仏教保護政策はやがて行き過ぎてしまって財政危機を招き、元滅亡の一因となった、と考えられています。」
名もなきOL
「チベット仏教を保護しすぎて財政危機を招くだなんて、相当だったんでしょうね。お寺とか建てすぎちゃったんでしょうか。日本でも、2022年から統一教会の信者が生活を破綻させるくらい寄付をしている(させられている)問題が表面化していますけど、こういうところは宗教の怖いところかな、と思います。」

科学

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「次は科学の話です。元代では、科学も大きく進歩しました。特に重要なのが、郭守敬授時暦(じゅじれき)でしょう。「元の盛衰」でも説明しましたが、これはかなり画期的で正確な暦です。郭守敬はフビライの命により、イスラム伝来の器械(羅針盤など)を用いて洛陽近郊に「観星台」を建設し、太陽の運行を厳密に観測しました。その結果、1年の長さを365.2425日と算出しています。これは、現在使われているグレゴリオ暦と同じ数値です。」

Guo Shoujing-beijing郭守敬記念館の胸像
名もなきOL
「グレゴリオ暦よりも200年くらい早く、1年の長さを正確に計算したわけですね。郭守敬さん、すごいですね!」
big5
「郭守敬の授時暦以外にも、様々な技術が発達しています。まずは、攻城兵器の一つである回回砲(かいかいほう)ですね。これは大型の投石器で、主に南宋攻略の際に籠城する南宋軍を攻撃するために用いられました。ちなみに「回回」とは西アジアのことを指しており、イル・ハン国が地元のイスラム勢力が使用していた投石器を、元に持ち込んで改良したものが回回砲と呼ばれて採用されました。」
名もなきOL
「回回砲は元のオリジナルではなく、イスラム圏のものだったんですね。」
big5
「他には数学では李治(りや)が「測円海鏡」を著し、や地理学では朱思本が精度の高い中国の地図を作製するなど、一定の成果が出ています。」

文芸

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「次に文芸面の話です。元で流行したのは元曲(げんきょく)と呼ばれる歌劇が大流行しました。元曲は曲(歌)、科(しぐさ)、白(セリフ)の3つからなるミュージカルのような演劇です。元曲は宋の時代から既に存在していたのですが、元の時代になってから大流行し、元を代表する文化の一つになりました。主な元曲の作品と作家、その概要は以下のとおりです。
西廂記(せいそうき) 作者:王実甫
概要:上流社会の圧力に対抗する恋愛物語。旅の書生と宰相の令嬢が恋仲になるものの、身分違いの恋として令嬢の母は断固反対。しかし、侍女の助けもあって二人は身分の垣根を越えて結ばれる。当時一般的だった儒教倫理にとらわれない自由恋愛の物語が斬新だった。

琵琶記(びわき) 作者:高則誠
概要:糟糠の妻が琵琶を弾いて物乞いしながら都に上り、出世した夫に会いに行く物語。宋の時代に支配階級であった士大夫階級を厳しく批判している。

漢宮秋(かんきゅうしゅう) 作者:馬致遠
概要:匈奴の呼韓邪(こかんや)単于に嫁がされた王昭君と元帝の悲恋物語。」
名もなきOL
「けっこう恋愛物語が多いんですね。西廂記は、現代でもたびたび取り上げられるテーマですよね。琵琶記なんかはけっこう特徴がありそうな印象を受けました。」
big5
「他にも日本で有名な三国志演義水滸伝西遊記などの歴史物語も人気になり、現代に伝わるお話の原型が整いはじめたのも、元代の文化の特徴ですね。」

陶芸

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「元代では陶芸もたいへん盛んでした。特に青花(せいか 染付(そめつけ)とも)と呼ばれる、白地に青で模様を描いた陶気が大人気となりました。↓はホノルル美術館蔵の元代の青花です。

Chinese dish, Yuan dynasty, 14th century, porcelain with glaze, Honolulu Academy of Arts

名もなきOL
「こういうの、見たことあります。色合いがとてもきれいですよね。特に、青が綺麗だと思います。」
big5
「この青は、ペルシア方面から輸入された酸化コバルトを使って出しています。中国では取れないので、輸入するしかなかったそうです。白磁に釉薬(ゆうやく)と呼ばれた酸化コバルトの顔料をかけて高温で焼いたものです。青花は外国でも大人気となり、特産地であった景徳鎮(けいとくちん)は世界で知られる陶器のブランドとなりました。」

駅伝制(ジャムチ)

big5
「最後に、遊牧民族国家らしい、駅伝制(ジャムチ)について。モンゴル帝国はもちろん、元でも領土は広大でしたので、情報の伝達速度を上げるために駅伝制が整備されました。約10里ごとに駅が設けられ、使者の証である書類を持っている使節や功臣は駅の施設を利用できました。駅では無料で馬や食料が供給されたそうです。この駅伝制のおかげで急使はなんと1日で500kmを移動することができたそうです。」
名もなきOL
「1日で500kmって、本当ですか?12時間走り続けたとしても、平均して時速40kmで走り続けることになります。いくらなんでも早すぎるんじゃないか、と思いますが・・」
big5
「OLさんの言う通りですね。私も、1日500kmはかなり大げさな表現だと思います。ただ、中国ではなんでも表現が大げさになりがちなので、それも紹介したくてこの数値を持ち出しました。実際のところは、平均時速30kmで10時間走った300kmくらいが妥当なのではないか、と思います。それでも、かなりの距離を移動していますね。

と、言ったところで今回はここまで。ご清聴ありがとうございました。次回もお楽しみに!」
名もなきOL
「今日もありがとうございました。」

大学入試 共通テスト 過去問

big5
「大学入試共通テストでは、元代の文化については時折出題されています。試験前に復習しておけば、運よく出題されるかもしれません。」

平成30年度 世界史B 問題25 選択肢1
・景徳鎮は、陶磁器の代表的な生産地であった。〇か×か?
(答)〇。上記の通り、景徳鎮は優れた陶磁器の代名詞になるほど有名になりました。

令和2年度 世界史B 問題7 選択肢1
・イスラームの天文学を取り入れて、唐代の中国で、授時暦が作られた。〇か×か?
(答)×。上記の通り、郭守敬がイスラムの天文学を取り入れて授時暦を作ったのは元の時代です。唐ではありません。




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