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18世紀欧州戦乱

スペイン継承戦争(War of the Spanish Succession)

スペイン継承戦争 あらすじ

big5
スペイン継承戦争は、その名前のとおり、スペイン王位をめぐって起こった戦争です。1700年、時のスペイン王カルロス2世(39歳)が後継ぎを残さないまま死去したため、ヨーロッパ政界では誰が後継者になるかで揉めました。候補は何人かいましたが、主要候補の1人はフランスの太陽王ルイ14世の孫のフィリップ、もう一人は神聖ローマ皇帝レオポルト1世の次男・カールでした。」
名もなきOL
「スペインの王様の話なのに、フランスとかオーストリアが出てくるなんて、ヨーロッパも複雑ですね。」
big5
「当時のヨーロッパ各国の王家は、政略結婚が何度も行われて、お互い親戚同士、なんてのが普通でしたからね。
こうして、フランス vs オーストリアという対立を軸にして、ヨーロッパ諸国が参戦します。まず、ルイ14世のライバルであるイギリス、オランダはオーストリア側に。神聖ローマ帝国諸侯もオーストリアに味方しますが、バイエルンだけはルイ14世の外交が功を奏して、フランス側で参戦しました。また、アメリカ大陸ではフランスとイギリスが植民地争奪戦を繰り広げています。アメリカ大陸での戦争は、当時のイギリス女王の名前からとってアン女王戦争と呼ばれています。大同盟戦争におけるウィリアム王戦争と同じですね。なお、後継問題当事国のスペインは、1枚岩ではなかったものの、大方フランスについています。図にすると、こんなかんじですね。」

名もなきOL
「それで、スペイン継承戦争はどうなったんですか?」
big5
「開戦当初は、強大な軍事力を有するフランスが優勢だったものの、しばらくすると、オーストリアの名将・オイゲンとイギリスの名将・ジョン・チャーチルという2人の名将の活躍が目覚ましいです。
ところが、オーストリアが推していたレオポルト1世の次男・カールが神聖ローマ皇帝に即位すると、状況は一変。フランスを倒しても、代わりにオーストリアがスペインを丸ごと獲得することになり、今度はオーストリアがヨーロッパ最強国になります。それをよしとしないイギリスが戦争に消極的になってしまい、フランスが劣勢を挽回しました。
結局、開戦から11年経った1712年に休戦。その後、1713年にユトレヒト条約が、1714年にはラシュタット条約が締結され、スペイン継承戦争は終結しました。」
名もなきOL
「スペイン王は誰になったんですか?」
big5
「ルイ14世の孫のフィリップが、フェリペ5世としてスペイン王として認められました。これにより、スペイン王家はブルボン家になりますので、「スペイン・ブルボン朝」となります。その代わり、フェリペ5世はフランス王の継承権は放棄すること、となったので、近い将来にフランスとスペインが同君連合になる可能性はありません。」
名もなきOL
「ということは、戦争の勝者はフランスですか?」
big5
「そこは微妙なところですね。ルイ14世の元々の狙いは、スペインを丸ごと獲得することでした。フィリップをスペイン王に就けることはできたものの、同君連合はできないので、微妙な結果です。しかも、これまでスペインが領有していた南ネーデルラント(後のベルギー)や、ミラノやナポリといったイタリアの有力都市はオーストリアに割譲されました。イギリスは、地中海の出入り口であるジブラルタルをスペインから獲得し、フランスからはニューファンドランド(現在のカナダ)など、アメリカ大陸における領土を獲得しています。この辺の結果を見ると、フランスが得られたものは、同君連合できないスペイン王位だけですので、実質的にはフランス敗北でしょう。
スペイン継承戦争で最も利益を得たのは、イギリスですね。この頃から、イギリスは世界の帝国としての道を歩み始めます。それから、オーストリアで参戦した神聖ローマ諸侯の一つであるプロイセン公国が、王国に昇格となりました。後に、プロイセンはどんどん力をつけてヨーロッパ列強の一角となり、やがてはドイツ統一を成し遂げますので、重要ですね。
次に、スペイン継承戦争の年表を見てみましょう。」

できごと 他地域のできごと
1700年 スペイン王カルロス2世死去(38歳) 大北方戦争 ナルヴァの戦い
1701年2月 アンジュー公フィリップがマドリードに入城
フェリペ5世として即位
1701年9月 オーストリア・イギリスが対フランス同盟を結ぶ
スペイン継承戦争 開戦
1702年 ウィリアム3世死去・アン女王が即位
マールバラが4万の軍を率いて大陸に上陸
赤穂浪士の討ち入り
1704年 ブレンハイムの戦いでイギリス・オーストリア連合軍が勝利
イギリスがジブラルタルを占領
1705年 マラガの海戦
バルセロナ包囲戦
同盟軍が擁立するカルロス3世が即位
1706年 カール大公率いるオーストリア軍がマドリードに一時入城
トリノの戦い オイゲンが北イタリアを制圧
ラミイの戦い マールバラがネーデルラントを制圧
1707年 イングランドとスコットランドが合同し、グレートブリテン王国成立
ラミイの戦い マールバラがネーデルラントを制圧
1708年 アウデナールデの戦い マールバラがフランスを破る 南インドでマラータ同盟結成
1709年 マルプラケの戦い マールバラ・オイゲンがフランスに辛勝 大北方戦争 ポルタヴァの戦い
1711年 マールバラが軍資金横領疑惑で失脚
オーストリアのヨーゼフ1世が死去 カール6世が即位
1712年 ドゥナの戦い フランスが勝利
和平交渉始まる
ロシアがペテルブルクに遷都
1713年 ユトレヒト条約締結
カール6世が国事詔書を発布
1714年 ラシュタット条約締結
アン女王死去 ステュアート朝断絶

名もなきOL
「1702年って、忠臣蔵で有名な赤穂浪士の討ち入りがあった年なんですね。日本は江戸時代真っただ中だったんですね。なんかこう、この頃になると、ヨーロッパの方が日本よりもいろいろ進んできてたんですね。」
big5
「そうですね。もう少し時が経つと、ヨーロッパ列強によるアジアの植民地化が進む「帝国主義」時代になっていくわけです。さて、概要がつかめたので、次は詳細を見ていきましょう。」




カルロス2世の死

big5
「まず、スペイン継承戦争の直接の発端となった、スペイン王カルロス2世から見ていきましょう。カルロス2世が生まれたのは、1661年11月6日。父はスペイン王フェリペ4世、母はマリアナ王妃でした。マリアナ王妃は、神聖ローマ皇帝フェルディナント3世の娘で、時の神聖ローマ皇帝レオポルト1世の姉です。大事なことですが、カルロス2世の父母は、伯父と姪の関係になりました。」
名もなきOL
「え!?本当ですか?」
big5
「本当です。母マリアナ王妃の父はスペイン王フェリペ3世で、夫であるフェリペ4世は母の兄なんですよ。要するに、マリアナ王妃は、お母さんのお兄さんと結婚したんです。」
名もなきOL
「えぇ〜!?それって、思いっきり近親婚じゃないですか!?」
big5
「そうですね。そのためか、伯父と姪になる両親から生まれたカルロス2世は、生まれた時から病弱でした。10歳まで自力歩行ができなかったとか、知能の発達が遅かったために教育がなかなか進まず「服を着た動物」と揶揄されたとか、あまり長くは生きられないだろう、と周囲から思われていました。」
名もなきOL
「うーん、当の本人は何も悪くないのに・・・」

King Charles II of Spain.jpg
Don Juan Carreno de Miranda - Don Juan Carreno de Miranda, パブリック・ドメイン, リンクによる

big5
「なので、フランスのルイ14世やオーストリアのレオポルト1世ら外国の有力者らは、カルロス2世亡き後のスペインを誰が手に入れるか、ということで外交交渉を行っていたりしました。後継者候補の一人は、カルロス2世の姉を妃としていたルイ14世の孫、アンジュー公フィリップです。カルロス2世のお姉さんの孫だから継承権がある、という主張ですね。その一方で、オーストリアのレオポルト1世は妃がカルロス2世の妹なんです。2人の間に生まれた次男のカールが後継者の候補に上がりました。こちらは、カルロス2世の妹の子ですね。」
名もなきOL
「血縁の近さで考えるなら、甥っ子にあたるカールさんの方が適当な気がします。」
big5
「そんなこんなで、周辺諸国は既に対立ムードでいっぱいでした。そんな中、1700年にカルロス2世の体調が悪化。カルロス2世は、遺言でルイ14世の孫であるアンジュー公フィリップを後継者に指名し、11月1日に死去しました。」
名もなきOL
「カルロス2世って、遺言は残したんですね。それなら、ルイ14世のお孫さんが後継者、ということで決まりなんじゃないでしょうか?」
big5
「そうですね。ところが、実際にはそうなりませんでした。1701年2月、アンジュー公フィリップはマドリードに入城し、フェリペ5世として即位します。ところが、フェリペ5世のフランス王位継承権は放棄されず、そのまま残されていました。これは、周辺諸国にとっては大問題です。近い将来、フェリペ5世がフランス王位も継承してしまうと、フランスとスペインは同君連合となり、ヨーロッパの一大強国となってしまいます。これは避けなければなりません。オーストリア、イギリス、オランダなどが同盟を組んでフランスに宣戦布告。スペイン継承戦争の火ぶたが切って落とされました。」





戦争経過

big5
「こうして始まったスペイン継承戦争、開戦当初は、ヨーロッパ最強最大の常備軍を抱えるフランスが、ネーデルラント戦線、ドイツ戦線、北イタリア戦線の3つの戦線で、イギリス、オランダ、オーストリアの同盟軍を相手に優勢に戦っていました。」
名もなきOL
「大同盟戦争の時もそうでしたけど、ホントに当時のフランスって、強かったんですね。」
big5
「さすが太陽王ルイ14世のフランス、というところですね。ところが、フランス軍は次第に劣勢になります。というのも、同盟軍には「名将」と謳われる2人の優秀な指揮官がいたんです。1人は、イギリス軍の総司令官であるジョン・チャーチル

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リンクによる

big5
「後に出世して初代マールバラ公爵として叙勲されます。それから約200年後、第二次世界大戦中のイギリスのチャーチル首相のご先祖様ですね。もう一人は、大トルコ戦争でオーストリアを勝利に導いたオイゲンです。」

Prinz Eugene of Savoy.PNG
<リンクによる


名もなきOL
「あ、この人覚えてる。大トルコ戦争のページで、big5さんが熱く語っていた人ですよね。」
big5
「そうそう、よく覚えていてくれました!!チャーチルとオイゲンという、当時を代表する2人の名将が同盟を組んでフランス軍と戦ったことが、ルイ14世の野望の最大の障害になった、といえると思います。
2人が共同して指揮を取って、フランス・バイエルン連合軍と戦った1704年のブレンハイムの戦いで、同盟軍はフランス軍に大勝。ドイツ戦線を一気に同盟軍優勢に持ち込みます。さらに、イギリス軍が地中海の入り口であるスペインのジブラルタルを占領し、1705年には同盟軍がバルセロナを占領。カルロス2世後継者のもう一人の候補である、レオポルト1世の次男カールが、スペイン王カルロス3世として即位しました。その後も、チャーチルとオイゲン率いる軍が各戦線でフランス軍に勝利し、同盟軍の優勢が明らかになってきます。」
名もなきOL
「ルイ14世は自信過剰だったのかしら。周囲が敵だらけで、さすがのフランス軍も手が回らなくなってきたみたいですね。」
big5
「しかし、フランス軍も挽回してきます。1709年のマルプラケの戦いで、チャーチルとオイゲンはフランス軍に勝利するものの、同盟軍の損害も甚大になってしまい、同盟軍の優勢が揺らぎ始めました。
さらに、1711年、イギリスで反チャーチル派が、チャーチルを軍資金横領の疑いで告発するという事件が起き、チャーチルが総司令官を解任されます。そして、同盟軍の結束が崩壊する一大事件が起きました。オーストリアのヨーゼフ1世が亡くなり、カルロス3世がカール6世として即位したんです。」
名もなきOL
「??それが、どうして同盟軍の崩壊につながるんですか?」
big5
「同盟軍がスペイン王に推していたカルロス3世は、レオポルト1世の次男でした。その理由は、長男にはヨーゼフ1世がいたので、カルロス3世が神聖ローマ皇帝に即位する可能性は低かったんです。ところが、事態は予期せぬ方向に動きます。まず、レオポルト1世が1705年に亡くなりました。その後、予定通りヨーゼフ1世が後継者となるのですが、ヨーゼフ1世は後継者の男子を残さないまま、1711年に33歳の若さで病死してしまったんです。そのため、カルロス3世が、カール6世として神聖ローマ皇帝に即位しました。そうなると、どうなると思います?」
名もなきOL
「あ!もし同盟軍が勝ってカルロス3世がスペイン王になったら、カルロス3世(カール6世)が神聖ローマとスペインの両方を支配することになります!」
big5
「そうです、そうなると、フランス・スペインの連合ではなく、ハプスブルク家によるドイツ・スペインの連合という、これまた一大勢力ができることとなり、イギリスやオランダなどの他の同盟諸国には面白くない事態になります。そういうわけで、優勢だった同盟軍は、同盟する意味を見失い、戦争継続は難しくなりました。1712年に、ドゥナの戦いでフランスがオイゲン率いるオーストリア軍に勝利したことが決め手となり、スペイン継承戦争は和平交渉が本格的に始まりました。」
名もなきOL
「最後の結末は、意外な終わり方ですね。まさか、同盟軍が推していたカルロス3世が神聖ローマ皇帝に即位してしまったことで、同盟する意味を失ってしまうなんて。。人生はどうなるかわかりませんね。」




講和条約とその後

big5
「こうして、スペイン継承戦争は和平へと向かいます。まず、オーストリアを除く同盟軍(イギリス、オランダ、プロイセンなど)はフランスとユトレヒト条約を締結。オーストリアは、それより遅れて1714年にラシュタット条約を締結し、スペイン継承戦争は幕を閉じました。
あらすじでも述べたように、スペイン継承戦争の勝利者は同盟軍ですが、その中で一番利益を得たのはイギリスです。イギリスは、戦争中に占領したジブラルタルをスペインから割譲させ、地中海の出入り口を抑えました。これは、イギリスと敵対する国の海軍の動きを大きく制限することになり、海上でのイギリス優位が確立されたことになります。さらに、イギリスはアメリカ植民地でもフランスとの戦い(アン女王戦争)に勝利していたため、アカディア、ニューファンドランド島、ハドソン湾周辺を獲得し、大きく領土を広げました。アメリカ植民地の状況は、下の地図がわかりやすいですね。紫が、フランスからイギリスに割譲された土地です。」

Nouvelle-France map-en

big5
「そしてもう一つ重要な案件が。イギリスは、フランスから黒人奴隷貿易権(アシエント)を獲得しました。これにより、アメリカ植民地に黒人奴隷を送り込む奴隷貿易を、自ら推進して利益を得ることが可能となっています。これが、後の「大英帝国」の礎となったわけです。人類史上、最大の負の遺産ともいわれる黒人奴隷貿易ですが、当時のヨーロッパ世界では、国家がしのぎを削って奪い合う一大事業でした。」
名もなきOL
「黒人奴隷貿易・・・。現代まで続く、根深い問題の原因ですね。」
big5
「その通りです。さて、せっかくなので、ヨーロッパ諸国のその後の話もお伝えしておきましょう。
― イギリス ―
1714年8月1日、アン女王が後継者を残さないまま死去し、ステュアート朝は断絶しました。アン女王は、17回妊娠したのですが、そのうち死産が6回、流産が6回、生まれた5人の子供も幼児のうちに病気で亡くなっていたため、子供がいなかったんです。後継者となったのは、アン女王の又従兄にあたるドイツのハノーファー選帝侯であるゲオルク・ルートヴィヒが、ジョージ1世(当時54歳)として即位しました。ハノーファー朝の始まりですね。これに伴い、議会ではトーリー党が勢力を失って、代わりにホイッグ党が与党に復帰。チャーチルも復帰しました。」
名もなきOL
「アン女王って、家庭的には本当に不幸だったんですね。近親婚の影響だったとしても、かわいそうですよね。。」
big5
― フランス ―
1715年9月1日、ルイ14世がついに亡くなりました。77歳という、当時としてはかなりの長生きだったこともあり、後継者となったのは曾孫のルイ15世(当時5歳)です。フランスは、ルイ14世の治世でヨーロッパの一大強国となっていましたが、スペイン継承戦争の敗北など、後半は度重なる戦争と敗北で力を失っていきました。特に赤字体質となってしまった国家財政はにっちもさっちもいかなくなり、これがフランス革命への序曲となっていきます。」
名もなきOL
「ルイ14世って、「凄い人」というイメージだったんですけど、こうやって勉強してみると、戦争にはあんまり勝ってないし、領土はあまり広がってないし、財政赤字体質にしちゃってるし、国の指導者としてはイマイチだったんでしょうね。」
big5
― オーストリア(神聖ローマ帝国) ―
カール6世が引き続き統治していましたが、今度は彼に後継者となる男子がいない、という問題に直面することになります。そこで、カール6世は娘を後継者にしようとします。その娘が有名なマリア・テレジアで、後継者問題は最終的にオーストリア継承戦争を引き起こすことになります。

― プロイセン ―
スペイン継承戦争で王国へと昇格したプロイセンは、「兵隊王」というあだ名を持つ、フリードリヒ・ヴィルヘルム1世という風変わりな国王の下で、軍事強国としての道を歩んでいきます。その息子であるフリードリヒ2世は、プロイセンの名君としてオーストリア継承戦争に臨むことになっていきます。

その他の国も、もちろん変化はあったのですが、歴史の表舞台には出てこないので省略。また機会があったら、詳細篇で扱うことにしましょう。ともあれ、スペイン継承戦争が終わったことにより、西ヨーロッパ世界には束の間の平和が訪れました。そう、束の間の、です。」
名もなきOL
「18世紀のヨーロッパって、本当に戦争ばっかりだったんですね。この時代に生まれた人たちは、本当にたいへんだったと思います。」


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