「さて、ここからは第二次世界大戦後の歴史を見ていきます。「現代史」とも呼ばれる時代になりますね。現代史を学んでいくうえで欠かせない存在が国際連合(国連)です。国連は21世紀に入っても重要な組織であり、世界情勢を考える時にはほぼ必ず関係してきます。というわけで、まずは国連について学んでいきましょう。」
「まずは成立過程を確認します。国連の話が登場し始めるのは第二次世界大戦後であることが多いので、なんとなく(国連が発足したのは第二次世界大戦の後だ)と思っている人が多いです。確かに「国際連合」として発足したのは1945年なので、この理解は間違いとは言い切れないのですが、国連の前身となる組織は既に第二次大戦中から存在していました。ちなみに、第一次大戦後に発足した国際連盟ではありませんよ。
国連の構想は、第二次世界大戦中である1941年8月の大西洋憲章とされています。(参考:第二次世界大戦 後期)この時点でまだアメリカは第二次大戦に参戦しておらず、2か月前の1941年6月に独ソ戦が始まっています。日本人にとっての「戦争」である太平洋戦争はこの年の12月開戦なので、まだ始まってもいません。
1941年6月の大西洋憲章は、ドイツと戦っているイギリス首相のチャーチルとアメリカ大統領のルーズベルトが大西洋上で行った会談の中で、第二次大戦後の戦後処理の構想と国際協調体制の在り方について意見をまとめたものでした。大西洋憲章の内容は、第一次大戦後にウィルソンが提案した平和十四原則とほぼ同じです。
(参考:世界大戦と平和への試み ヴェルサイユ体制)
この流れに、政治思想的に対立しているソ連のスターリンも、独ソ戦の緒戦はドイツ軍優勢だったこともあり、イギリス・アメリカと提携することを決断。1941年12月には太平洋戦争も始まったため、1942年1月、米、英、ソ、中4カ国を中心として、26カ国が日本、ドイツ、イタリアの枢軸国に対して連携して対抗するという連合国共同宣言が発表されました。この「連合国」が国連の前身となります。ちなみに、英語名はUnited Nations。国際連合もUnited Nationsと同じ名前です。この名前からもわかるように、国連は第二次大戦の「連合国(United Nations)」を基にした組織であるわけですね。日本語では、言葉を分けることで別組織のように認識されていますが、英語では同じ名称なので、わざわざこんな説明をしなくても「国連の前身は連合国」であることは自然に発想できるわけです。
その後、連合国はまだ戦争が終わっていない頃から、戦後の国際協調のあり方をめぐってたびたび会議を開いてきました。この中でも、国連という観点から見て重要なのが、1944年7月に開催されたブレトン=ウッズ会議です。ブレトン=ウッズとは、アメリカのニューハンプシャー州の都市の名前です。そして1944年7月というのは、第二次大戦の趨勢が連合国勝利で決まりかけている頃でした。約1か月前の1944年6月6日に、連合国軍がノルマンディー上陸作戦に成功しており、ドイツ軍はかなり追い詰められ始めた頃です。そして太平洋戦争は、この月にアメリカ軍がサイパン島を占領しており、日本軍も旗色が明確に悪くなってきた頃でした。
ブレトン=ウッズ会議では、主に戦後の経済体制について協議が行われました。というのも、第二次世界大戦が始まった原因の一つは、世界恐慌という」国際経済の問題だったからです。1944年7月の時点で、連合国はそんな会議もしていたわけですね。この会議によって、戦後に国際通貨基金(IMF:International Money Fund)が設立されることになります。
そして翌月の1944年8月からダンバートン=オークス会議で国連憲章の草案作りが始まります。まだ、ドイツも日本も抗戦していますが、連合国は戦後の準備を着々と進めていました。そして年が明けて1945年5月にドイツが降伏。日本はまだ抗戦していましたが、この間にサンフランシスコ会議で国連憲章が採択され、9月2日に日本が戦艦ミズーリ上にて降伏文書に調印(※注:8月15日ではありません。8月15日は日本がポツダム宣言を受諾して無条件降伏を決めた日です。まだ戦争は終わっていません。)。その翌月の1945年10月24日、正式に国際連合が発足しました。重要なのでもう一度言いますが、組織の名称はUnited Nationsのままで変更ありません。」
「次に、国連の組織を見ていきましょう。現在でも、ニュースなどでしばしば見かけたり聞いた入りする名称ばかりですので、しっかりと覚えていきましょう。
@総会
名称自体は普通名詞ですが、ニュースなどで「国連総会」と呼ばれたりする会議です。国連加盟国全体の会議で、議題については一国一票で投票。一般決議は過半数以上で可決、重要決議は3分の2以上で可決、となります。重要なのは、国連総会の決議は法的拘束力を持たないという特徴があります。例えば、ある国が国連総会に反した行動を取ったとしても、それを法的に懲罰することはできないわけですね。それなら国連総会決議に意味なんかない、という意見もあります。ですが、国連総会決議は「世界中の国々の過半数の意見」ですので、いわゆる「大義名分」という意味合いを持つわけですね。
ちなみに、国連総会の決議第一号は、国際原子力委員会(IAEA:International Atomic Energy Agency)」の設置と核兵器・大量破壊兵器の廃絶を目指すこと、です。IAEAは設立されましたが、核兵器の廃絶はいまだ未達です。国連総会で決議されたにも関わらず、です。この問題は非常に難しい、ということです。」
A安全保障理事会
「続いて、国連の肝となる組織である安全保障理事会(Security Council)です。日本では「安保理」という略称が使われることが多いですね。安全保障理事会の目的は「国際平和」です。これに尽きます。そして、平和維持のために安全保障理事会の決議は、国連加盟国すべてが履行義務を負うことになっています。国連総会決議を無視しても、法的な罰則はありませんが、安保理決議に反すると、その国は合法的に処罰対象となるわけですね。安全保障理事会は強い権限を持たされています。そんな安全保障理事会を構成するのは常任理事国と非常任理事国です。常任理事国は「常任」の名前のとおり、常に理事国として安全保障理事会に参加する国で、具体的にはアメリカ、イギリス、フランス、ソ連(今はロシア)、中華民国(今は中華人民共和国)です。重要なことは、この常任理事国は拒否権を持っていることです。そのため、加盟国に履行義務を課す安全保障理事会決議は、この常任理事国すべてが拒否権を行使しないことが条件となります。1国でも拒否権を行使すれば、安全保障理事会は何も決められないわけですね。2022年に常任理事国であるロシアがウクライナに侵攻して戦争が始まりましたが、安全保障理事会は止めることができませんでした。理由は簡単、ロシアが拒否権を行使できるからです。
なお、安全保障理事会決議には、常任理事国5か国と非常任理事国10か国の計15カ国のうち、9カ国以上の賛成を必要としています。安全保障理事会というと常任理事国の力が強い、という点が強調されます。確かにその通りなのですが、非常任理事国の存在も軽く見てはいけません。常任理事国の賛成だけでは、安全保障理事会の決議はできないので。
このように、安全保障理事会は平和維持のための組織であり、結成当初は各地の紛争を事前に止めるという機能を果たしていました。しかしその後、冷戦などの常任理事国同士が対立するようになり、平和維持という機能は果たせないことが増えてきました。前述の2022年のロシアのウクライナ侵攻はその事例です。これを補うために、平和維持活動(PKO:Peace Keeping Operations)があります。PKOは、比較的小規模な軍を派遣して紛争の進行を止めることを目的としています。」
B事務局
事務局は名前のとおり、国連の運営を担当する部署です。事務局のトップが事務総長です。事務総長は総会で選出されるのですが、慣例として安保理の理事国からは選ばれず、中小国から選ばれます。というのも、事務局長の役割はたいへん重要であり、安保理でも「16番目のメンバー」と呼ばれることがあるからなんです。なので、理事国から事務局長が選ばれると、安保理において特定の国が贔屓される恐れがあるので、それを未然に防止しているわけですね。
ここからは特定の分野を担当する組織を順に見ていきます。
C信託統治理事会
名前の通り信託統治(trusteeship)を担当する組織です。まだ独立していない地域を、国連が特定の国に暫定措置として統治させる場合、その国は国連の監視下で統治を行います。これが「信託統治」と呼ばれる方法です。前身である国際連盟の時から「信託統治」の仕組みは存在していました。例えば、第一次大戦後のパラオは、国際連盟から日本に信託統治させていました。ただ、当時の信託統治は形式ばかりで、実質的にはその国の領土という色合いが強かったんです。そこで、国連では監視機能を強化しています。
ただ、21世紀に入ってからは信託統治の事例がゼロになっています。最後の信託統治は、1994年に終了したアメリカによるパラオの信託統治です。
D国際司法裁判所(ICJ : International Court of Justice)
名前の通り、国と国の揉め事を法的に解決するのが国際司法裁判所(ICJ)です。これも、国際連盟の時から同様の裁判所は設置されていました。本部はオランダのハーグです。
各国にある裁判所とは異なり、原告・被告は個人ではなく国家になります。また、裁判の実施には訴えられた方の同意が必要とされているため、何かトラブルがあっても、差国際司法裁判所で審議されるケースは残念ながら少ないです。」
F世界保健機関(WHO : World Health Organization)
1948年設立。本部はスイスのジュネーヴ。おそらく、国連関連組織の中で最も有名な組織。1980年5月8日に天然痘根絶を宣言したことが実績として挙げられているが、まだまだ課題は多い。
Gユニセフ(UNICEFF)
1946年発足。募金活動などで有名。当初の目的はヨーロッパにおける戦争孤児の救済を目的としていた。現在では、開発途上国児童の救済が主になっている。
Hユネスコ(UNESCO : United Education, Scientific and Cultural Organization)
1946年設立。本部はパリ。教育と文化の振興が目的。世界遺産の登録と保全事業の他、主に発展途上国における教育の充実事業などに取り組んでいる。
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