センター試験 世界史B 2014年

第1問

問1(通し番号:1)
唐の時代末期の説明文の空所に入る正しい用語を選ぶ問題です。解答の鍵になるのは「黄巣の乱」と「唐を滅ぼした人物」です。まず、黄巣の乱は唐末期の875年に発生した大規模反乱でした。黄巣は、反乱の首謀者の名前です。一時は長安、洛陽を占領して「大斉」を建国宣言しますが、それから間もなく鎮圧されます。もうひとつの選択肢「呉楚七国の乱」は、前漢の時代に起きた皇帝に対する王の反乱なので、時代がまったく異なります。
もう一つの鍵は、唐を滅ぼした人物。正解は朱全忠ですが、三国志が好きな人でしたら「張角」が後漢末の黄巾の乱の首領であることは明確なので、これは誤りと判断できます。というわけで、正解はCとなります。

問2(通し番号:2)
「危機」について誤っている文を選ぶ問題、となっていますが、要するに正誤判定問題です。@は正しい文章で、金は北宋の首都・開封を占領し、宋は中国南部に逃げざるを得ませんでした。この事件を「靖康の変」といいます。1127年のことです。Aは世界恐慌の発端となった、ウォール街の株価暴落のことなので正しいです。Bの「第1次中東戦争でイスラエルがエジプト領シナイ半島を占領した」は、細かい点で誤りです。4回にわたって行われた中東戦争ですが、シナイ半島が占領されたのは第2次中東戦争です。これはやや難しいと思います。Cはたいへん有名な原発事故なので、ここで改めて説明する必要もありませんが、旧ソ連支配下のウクライナにあるチェルノブイリ原子力発電所が爆発を起こし、各地に放射性物質が飛散した事故が発生しましたので正しいです。従って、Bが正解となります。

問3(通し番号:3)
両税法についての説明文の正誤判定問題です。両税法は、安史の乱の後、租庸調制がほとんど破綻してしまったために、その代替税制として導入された税制でした。従ってまずaは正となります。そして、両税法を提案したのは時の宰相・楊炎です。従ってbは誤となり、正解はAとなります。ちなみに、両税法の名前は、6月の夏税と、11月の秋税という名前で年2回徴収したことが由来になっています。
さらにちなみに、司馬光は北宋時代の保守派政治家で、革新派代表・王安石のライバルとして知られる人物です。そもそも唐の時代の人物ではありません。

問4(通し番号:4)
東南アジアの出来事を発生順に並べ替える問題です。まずaのラタナコーシン朝の成立ですが「ラタナコーシン朝」って何の王朝だろう?と思いました。だからといって、ここで諦める必要はありません。続いてbのスハルトのインドネシア大統領就任は、第二次大戦後、インドネシア独立を指導したスカルノ大統領が失脚した後のことなので、具体的な年がわからなくても、1950年以降の事件だと推定することができます。続いてcのインドシナ共産党成立は、ベトナム独立の父・ホーチミンが第二次大戦前に結成した組織です。インドシナ共産党は、第二次大戦で日本が降伏した直後に武装蜂起し、植民地支配を復活させようとするフランスを相手に第1次インドシナ戦争、その後はアメリカを相手にベトナム戦争と、外国勢力を相手に独立戦争を戦い抜いてきました。したがって、インドシナ共産党成立の具体的な年がわからなくても、第二次大戦前であると推定できます。となると、bとcの順番は「c→b」と考えられます。これに該当する選択肢はAかEとなります。残ったaが、bの後なのかcの前なのかを決めなければなりませんが、これはあまり迷わずともcの前だと考えられるでしょう。というのも、ラタナコーシン朝という王朝が成立したのですから、第二次大戦以降の事件とは考えにくいです。もう少し昔の事件だと考えられます。以上より、選択肢Aが正解となります。
なおラタナコーシン朝とは、現在のタイの王朝で別名はチャクリ朝、バンコク朝です。成立は1782年で、その後東南アジアが欧米勢力に次々と植民地支配されていった中、なんとか独立を保ち続けた歴史を持っています。

問5(通し番号:5)
ジャワの歴史について誤っているものを選ぶ問題です。ジャワの歴史は教科書などでも記載が少ないため、多くの受験生にとってはかなり難しかったと思います。正解はCのパガン朝です。パガン朝は、ジャワではなくミャンマーの王朝です。その他の選択肢については、@の元が遠征軍を送ったかどうかについては、おそらく正しいと判定できた受験生は少なかったでしょう。Aについては、バタヴィアはオランダの東南アジア貿易の拠点となったのは、ヨーロッパ史でも触れている部分なので、これは正しいと判断できてほしいです。Bのワヤンも、おそらく知っている受験生はごくわずかだったと思います。

問6(通し番号:6)
貿易に関連する歴史事項の説明の正誤判定問題です。aの琉球王国が明に朝貢貿易を行った、というのは正しいです。琉球王国は小さな島国国家でしたが、周辺国家と貿易することで繁栄していました。bのGATTは「保護貿易を強化する目的で」という部分が誤りで、正しくは「自由貿易を強化する目的で」となります。貿易を大別すると保護貿易と自由貿易に分けることができます。保護貿易は、自国の産業を守るために輸入品に高い関税をかけるなどして、貿易に制限をかける方法です。それに対して、自由貿易とは、関税などを撤廃して貿易に制限をかけない方法です。どちらが良いか、を一概に判定することはできませんが、一般的には自由貿易の方がメリットが高いと考えられています。しかし、自由貿易は格安の輸入商品が国内に出回るようになり、国内産の商品が売れにくくなるため、自国の産業力がダメージを受けるという懸念があるため、そう簡単には認められるものではありません。その辺の国家間調整を行う役割を担ったのがGATTでした。
以上より、正解はAとなります。

問7(通し番号:7)
戦後の西ドイツに関する問題です。西ドイツの首相名を選んだり、ECやEU以外の組織名を判断したりと、これはなかなか難しかったのではないかと思います。まず、Aにあてはまる西ドイツ首相はアデナウアーです。アデナウアーは西ドイツの初代首相に就任し、徹底した反共産党方針のもとで西ドイツを西側陣営に参加させました。コールはベルリンの壁が崩壊し、東西ドイツが統合された時の西ドイツの首相です。
次の選択肢は、ユーラトム(EURATOM)とEFTAですが、ほとんどの受験生は現在のEUの前身組織がECであることは知っているかと思いますが、ECの前身はユーラトム(EURATOM)と他2つが合体してできた組織だ、ということは知らなかったと思います。知っていれば、ユーラトム(EURATOM)を選べると思いますが、そう考えた人は少数派でしょう。ここでポイントになるのは、EFTAについてです。EFTAは問題文記載のとおり自由貿易連合ですが、自由貿易を目指す連合体とは、現在のEUと役割が重複していることに気づきます。EUは自由貿易どころか、域内での通貨までも統一させています。そう考えると、EUとEFTAが両立されるのはやや矛盾していると考えることができます。そこで、EFTAとEC、EUは両立できないと考えて、EFTAの選択肢を消去できます。なお、EFTAは1960年にイギリスが設立した加盟国間での経済共同体ですが、ECの設立時に多くが脱退しており、今ではわずかの国しか残っていません。
以上より、正解はAとなります。

問8(通し番号:8)
問題文にベルリンの略図のようなものが描かれており、第2次大戦後にソ連が管轄したベルリンの地区を選ぶという、珍しい問題です。ほとんどの人が、ベルリンの分割図を見たことはないと思いますので、推測で解くしかありません。単純に考えると、東側がソ連、西側が英米と考えられます。問題文の地図は北が上になっていますので、ソ連側の部分(東側)が右であることはわかります。方向的に東側のdがソ連管轄分、と考えるのが自然でしょう。というわけで、正解はCとなります。なお、aはフランス、bはイギリス、cはアメリカの管轄となっていますが、この件に関して再度出題される可能性は低いと思われます。

問9(通し番号:9)
EUで導入された通貨を選ぶ問題です。説明するまでもなく、正解はAのユーロです。@のドルはアメリカの通過、Bのポンドはイギリスの通過、Cのマルクはドイツの通過で、ユーロ導入前まで使用されていました。非常に簡単な点上げ問題です。

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