Last update:2023,SEP,9

広がる世界・変わる世界

イギリスの宗教改革

big5
「今回のテーマは宗教改革の第3回、イギリスの宗教改革です。ルターの宗教改革が始まった後、イギリスでは国王・ヘンリ8世によって宗教改革が進められました。」
名もなきOL
「ルターさんやツヴィングリさん、カルヴァンさんらと違って、イギリスでは国王自らが改革を指導したんですね。」
big5
「そうですね、この時代に国王自らキリスト教改革に取り組んだのはヘンリ8世のみです。ただ、重要なのは、ヘンリ8世の宗教改革は、信仰心から生じたものではなく、極めて政治的な事情から生じたものだった、ということです。
そして、最終的にはヘンリ8世の娘であるエリザベス1世によってイギリス国教会(アングリカン・チャーチ)が確立されました。
さて、まずはいつも通り年表から見ていきましょう。」

年月 イギリス宗教改革のイベント 他地方のイベント
1517年 ルターが95箇条の論題を掲示
1519年頃 ツヴィングリがチューリヒでカトリック批判を開始
1521年 ヘンリ8世がルターを批判 教皇から「信仰の擁護者」の称号を受ける
1524年 ミュンツァーが指導するドイツ農民戦争 始まる(~1525年)
1526年 第1回シュパイエル帝国議会 ルター派容認される
モハーチの戦いでスレイマン大帝がハンガリーを破る
1527年 ヘンリ8世が王妃離婚問題で教皇クレメンス7世と対立
1529年 第2回シュパイエル帝国議会 ルター派が禁止される ルター派は抗議 「プロテスタント」の始まり
1534年 ヘンリ8世が首長法を発布 イギリス国教会成立
1536年 カルヴァンが『キリスト教綱要』を著す
1541年 カルヴァンがジュネーヴの実権を握り神政政治を開始
1549年 エドワード6世が一般祈祷書を制定
1555年 メアリ1世がカトリック復帰政策を推進 アウグスブルクの宗教和議
1559年 エリザベス1世が統一法を公布 イギリス国教会確立

ヘンリ8世の宗教改革

big5
「さて、最初に登場するのはやはりこの人・ヘンリ8世(1491~1547年)です。イギリスの宗教改革は非常に特徴的で、ルターやカルヴァンのような神学者が「正しい信仰」を求めて動いたのではなく、きわめて政治的な理由から始まっているところです。ヘンリ8世宗教改革の重要ポイントは、
後継者となる男子を産むために王妃を離婚して若い女と結婚しようとした
これにつきます。」

Henry-VIII-kingofengland 1491-1547ヘンリ8世 制作者:ホルバイン 制作年:1537年頃

名もなきOL
「国王である以上、後継者を育てることも大事なお仕事だとは思いますが、そういう理由で王妃を離婚して捨てる、っていうやり方は全然賛成できませんね。王妃がかわいそうです。」
big5
「そうですね。高校世界史の授業でヘンリ8世の話をすると、たいていは女子生徒から「サイテー男」と評されますね。まぁ、仕方ないと思います。もっと皮肉なのは、ヘンリ8世自身、当初はルターの考え方にかなり反発して、1521年(この年30歳)にはルターを非難。これで教皇に喜ばれ「信仰の擁護者」という称号を授けられました。ただ、結果としてヘンリ8世はイギリスの教会をカトリックから分離独立させているわけですから、なんとも皮肉な称号になってしまったわけですね。」
名もなきOL
「そういえば、離婚させられた王妃様はどんな人だったんですか?」
big5
「結婚によってスペイン王国を成立させたフェルナンドとイサベルの娘、キャサリンです。スペイン王の娘です。名門中の名門ですよ。しかも、神聖ローマ皇帝のカール5世(スペイン王カルロス1世)の叔母(カール5世の母・フアナはキャサリンの姉)にあたります。そんなに簡単に離婚を認めていいわけがありません。1527年、時の教皇クレメンス7世はヘンリ8世の離婚申請を却下。これにより、イギリスと教皇の対立は決定的となり、ヘンリ8世はイギリスの教会をカトリックから独立させる準備を始めました。1533年には、教皇の意向を無視して愛人であったアン・ブーリンと結婚(結婚式はカンタベリー大司教が実施)し、キャサリンを宮廷から追放。これを知った時の教皇・パウルス3世は激怒してヘンリ8世を破門しました。」
名もなきOL
「本当に、ルターさんやカルヴァンさんの時と違って、政治的(個人的)な理由で、イギリスは宗教改革が進められたんですね。」
big5
「1534年、ヘンリ8世は首長法(国王至上法 Act of Spremacy)を発布しました。首長法が定めた最も重要なポイントは
イギリスの教会は、国王を唯一最高の首長とすること
です。今までは教皇が教会組織のトップに君臨していたのですが、イギリスでは首長法に従って教会のトップはイギリス国王である、と定めたわけですね。これをもって、カトリックから分離独立したイギリス国教会(アングリカン・チャーチ)が成立した、と考えられています。
この後、ヘンリ8世は修道院を解散させてその土地を没収し、その土地は貴族やジェントリ、有力商人に払い下げて国の臨時収入としました。また、土地が有力商人らの手に渡ったことにより、新興勢力の台頭のきっかけとなった、と分析されています。」
名もなきOL
「そういえば、ヘンリ8世はお望み通り男子の世継ぎが生まれたんですか?」
big5
「生まれました。ですが、話は単純ではありません。まず、再婚したアン・ブーリンとの間には女子が一人生まれました(のちのエリザベス1世です)が、その後は男子が生まれませんでした。挙句の果てに、アン・ブーリンを姦通罪の名目で処刑しています。その後、3番目の妻であるジェーン・シーモアと結婚し、ようやく世継ぎの男子(後のエドワード6世)が誕生しました。しかし、ジェーン・シーモアは産後間もなく産褥熱のために死去するという悲劇に見舞われます。その後、婚姻同盟目的でドイツ貴族の女性と4回目の結婚をするもすぐに離婚。5人目は若いイギリス貴族の女性と結婚しますが、姦通が発覚して処刑。6回目の結婚が最後の結婚となり、ヘンリ8世は1547年(この年56歳)に死去しました。」
名もなきOL
「男子の世継ぎが生まれたんですね。それにしても、ヘンリ8世は節操が無さすぎると思います。私も「サイテー君」だと思いますよ。」
big5
「否定はしません。女性に対してのみならず、ヘンリ8世は自分が気に入らいない人物を次々に処刑したことも知られています。有名なのは、1535年にはイギリスの人文主義者として有名な大法官のトマス・モアを、首長法や離婚に反対したことを理由に「国王に反逆した罪」で処刑していることですね。」

エドワード6世の一般祈祷書

big5
「さて、ヘンリ8世の死後跡を継いだのが、3番目の王妃ジェーン・シーモアが産んだエドワード6世(1537〜1553年)です。即位時点でまだ9歳なので、現代日本なら小学校4年生ですね。少年なので、政治は側近たちが権力闘争を繰り広げながら行われたのですが、ヘンリ8世が切り開いた宗教改革路線は継続されました。エドワード6世の治世で重要なのは1549年に出された一般祈祷書です。」
名もなきOL
「一般祈祷書って何ですか?」
big5
イギリス国教会における礼拝の様式やルールなどを定めたものですね。例えば、カトリックの聖職者は結婚禁止ですが、イギリス国教会の聖職者は結婚可としたり、ルターの信仰義認説やカルヴァンの教義を取り込んだりと、新教と旧教をそれぞれ取り込んだような宗派になったのが特徴ですね。
しかし、エドワード6世は1553年に病気で急死。事態は急展開することになります。」

メアリ1世(ブラッディ・メアリ)のカトリック揺り戻し

big5
「エドワード6世の死後、後継者をめぐって争いが起きましたが、結果としてヘンリ8世と最初の王妃キャサリンとの間に生まれたメアリ1世(Mary 1553年で37歳)です。ちなみに、イギリス史上最初の女王です。」

Maria Tudor1メアリ1世 制作者:Antonis Mor 制作年:1554年

big5
「メアリ1世の即位は、イギリス政治に多大な影響を与えました。メアリ1世は熱心なカトリック教徒で、母を追放した父・ヘンリ8世を恨んでいました。当然、その父が始めた宗教改革など推進するはずがなく、カトリック復帰政策を推進していきました。首長法は廃止し、イギリス国教会の聖職者約300名を火刑にしたり、その他不埒な振る舞いがあったという理由でイギリス市民の男女を処刑したりと、徹底的に弾圧しました。そのため、民衆から「ブラッディ・メアリ(Bloody Mary 血みどろのメアリ)というあだ名を付けられて恐れられたんです。余談ですが、トマトジュースと使ったカクテル「ブラッディ・メアリー」はメアリ1世につけられた異名に由来しています。」
名もなきOL
「ヘンリ8世も相当な人ですが、メアリ1世もけっこう苛烈な人だったんですね。史上初の女王と聞いてちょっと期待したのですが・・・・」
big5
「メアリ1世は独身だったので、後継者を残すためにも結婚が必要です。即位時点で37歳なので、急ぐ必要があります。そして選ばれた相手が、一大カトリック国であるスペインの王子・フェリペ(後のフェリペ2世 メアリ1世の11歳年下)でした。周囲は大反対しましたが、メアリ1世は強引に押し切って結婚しています。しかし、二人の間に子供が生まれることはなく、フェリペ2世はスペイン王として即位するためにスペインに戻ってしまいました。
その後も、イギリスはスペインの同盟国としてフランスと戦いましたが敗北しています。メアリ1世の治世のポイントの一つである
大陸に残った最後の拠点であるカレーを失った。
のはこの時ですね。
その後間もない1558年、メアリ1世は病死しました。メアリ1世は子供がいなかったので、イギリス王位は異母妹であるエリザベスに継承されることになります。」

エリザベス1世の統一法とイギリス国教会の確立

big5
「そんなこんなでイギリス史上2人目の女王として1558年に即位したのが、有名なエリザベス1世(Elizabeth 1538~1603年 1558年時点で20歳)です。ヘンリ8世とアン・ブーリンの間に生まれた子ですね。」

Elizabeth1Englandエリザベス1世 制作年:1585年頃?

big5
「メアリ1世のカトリック復帰政策は、過酷な弾圧を伴って進められたので、国民にはたいへん不評でした。また、政治面でもカトリック勢力の復活を恐れる貴族やジェントリなどの新興勢力には不評でした。そんな中で即位したエリザベス1世は、即位して間もなく首長法を復活させて、再びイギリスの教会を国王の管理下に置き、さらに1559年に統一法(Act of Uniformity)を制定し、イギリス国教会の礼拝法を確定させました。これにより、ヘンリ8世によって成立したイギリス国教会の地位が確立された、と分析されています。というわけで、エリザベス1世の統治の最初の重要ポイントは
統一法を発布してイギリス国教会の地位を確立した。
です。
こうして、ヘンリ8世によって始められたイギリスの宗教改革は、そのきっかけとなったアン・ブーリンから生まれた娘のエリザベス1世によって完了しました。エリザベス1世は65歳まで在位45年間という長期政権になり、その後もイギリス史の重要イベントも経験することになりますが、それはまた別の章で説明します。」


と、言ったところで今回はここまで。ご清聴ありがとうございました。次回もお楽しみに!」
名もなきOL
「今日もありがとうございました。」


大学入試 共通テスト 過去問

big5
「大学入試共通テストでは、イギリス宗教改革のネタはほぼ毎年出題されています。試験前に優先的に復習しておくといいでしょう。」

平成30年度 世界史B 問題21 選択肢A
・エリザベス1世が、審査法を制定した。〇か×か?
(答)×。エリザベス1世が制定したのは審査法ではなく、統一法です。審査法は、チャールズ2世時代にカトリックを認めようとしたチャールズ2世に対し、議会がイギリス国教徒でなければ公職に就けない、と制限をかけた法律です。

平成31年度 世界史B 問題22 選択肢@
・メアリ1世治世下で、イングランドとスコットランドが合同して、グレートブリテン王国が成立した。〇か×か?
(答)×。イングランドとスコットランドの合同はアン女王の治世下の出来事です。メアリ1世ではありません。

令和2年度追試 世界史B 問題33 選択肢A
・19世紀にイギリスで、国王が国教会の首長であることを宣言した国王至上法(首長法)が制定された。〇か×か?
(答)×。首長法はヘンリ8世が発したものなので、世紀でいうと16世紀になります。19世紀ではありません。

令和3年度 世界史B 問題8 選択肢B
・(1852年にイギリスで鋳造されたソブリン金貨に肖像が打刻されている君主の事績として)
統一法を制定した。〇か×か?
(答)×。統一法はエリザベス1世が発したものなので、世紀でいうと16世紀になります。1852年に打刻されているイギリスの君主はヴィクトリア女王なので、この選択肢は誤りです。

令和3年度 世界史B 問題14 選択肢C
・ヘンリ3世は、修道院を解散し、その財産を没収した。〇か×か?
(答)×。ヘンリ3世ではなくヘンリ8世です。

令和5年度 世界史B 問題8 選択肢B
・ヘンリ7世が、国王至上法(首長法)を制定した。〇か×か?
(答)×。国王至上法(首長法)を制定したのはヘンリ7世ではなくヘンリ8世です。

令和5年度 世界史B 問題28 選択肢B
・コンスタンティヌス帝は、勢力を増したキリスト教徒を統治に取り込むために、統一法を発布した。〇か×か?
(答)×。統一法を制定したのはエリザベス1世です。コンスタンティヌス帝がキリスト教徒を取り込むために発布したのはミラノ勅令で、これはローマ帝国がキリスト教を公認したものでした。(古代 帝政ローマ 参照

令和6年度追試 世界史B 問題1 選択肢B
・(空欄アの人物の治世に起こった出来事について述べた文として)フェリペ2世との結婚で、カトリックの復活が図られた。〇か×か?
(答)×。上記の通り、メアリ1世はスペインのフェリペ2世と結婚し、カトリックの復活を図っています。しかし、空欄アの人物は名誉革命で夫のオランダ総督ウィレム(ウィリアム3世)と共にイギリス女王となったメアリ2世なので、この選択肢は×です。

広がる世界・変わる世界 目次へ戻る

この解説は、管理人の趣味で作成しております。解説が役に立ったと思っていただければ、下記広告をクリックしていただくと、さらなる発展の励みになります。



参考文献・Web site