Last update:2023,JAN,21

古代

古代エジプト 詳細篇

エジプト中王国(Middle Kingdom of Egypt)

small5
「さて、今回は「古代エジプトの詳細篇」いうことで、本編では省略したエジプト中王国(Middle Kingdom of Egypt)のより深い話を紹介していくぜ!まだ本編を見ていない、っていう人や大学入試共通試験の勉強がしたいという人は、こちらの本編から見てくれよな。」
big5
「詳細篇はいつもどおり、OLさんの代わりに私が聞き役になります。」
small5
「まず、エジプト中王国の期間について確認しておこう。古代史なので、年代については正確に特定することが難しいの現状だ。そこで、ここでは前2040頃に第11王朝のメントヘテプ2世が南北エジプトを統一した時点から、第13王朝の後期に下エジプトで別政権が樹立される前1650年くらいを「エジプト中王国の時代」とするぜ。それ以降は第2中間期に分類することにする。
このように、時代区分がかなり曖昧になってしまうのも、古代史の特徴の一つだな。」

<目次>
1.地方官吏の地位向上
2.繁栄した第12王朝
3.謎だらけの第13王朝


地方官吏の地位向上

small5
「中王国時代の特徴の一つとして、古王国時代よりも地方官吏の地位が向上しているということが挙げられているぜ。これの根拠は、地方で出土される芸術品だ。古王国時代、外国産の芸術品を買うことができるのはファラオと一部の高官くらいだった。しかし、中王国時代になると地方の官吏であっても外国産の芸術品を所有するケースが増えてきているわけだ。おそらく、地方官吏の権限や経済力が古王国時代よりも強くなったのだろう、と考えられているぜ。」
big5
「地方官吏の地位が向上した理由としては、古王国時代はファラオに集中していた権力が、第1中間期を経て徐々に弱くなり地方分権が進んだのではないか、という説が有力です。あるいは、農業と経済がさらに発展しエジプト全体の経済力が底上げされたのではないか、という説も考えられますね。」
small5
「ファラオの権力が古王国時代よりも弱くなったのはおそらく事実だろうな。ピラミッドも中王国時代にはあまり建築されなくなったし、建築されたとしても小さくて脆い建物で崩壊してしまったりと、クフ王のピラミッドのような、権力の象徴を作る力はなかったのではないか、と推測できるよな。」

繁栄した第12王朝

small5
「上下エジプトが再統一されてから約50年後、前1990年頃に第11王朝最後のファラオとなったメントヘテプの宰相であったアメンエムハト1世がファラオとなって、第12王朝が始まった。この第12王朝のもとでエジプト中王国は最盛期を迎えることになるぜ。
アムネヘムト1世は治世の晩年に、息子のセンウェスレト1世をもう一人のファラオとして「二重王制」を古代エジプトの歴史の中で最初に始めたことがわかっている。「共同統治」といってもいいな。これは、後継者への継承をスムーズにするための工夫だ。前任者がまだ健在なうちに、後任者もファラオとしてその仕事を部分的にさせることで、後任者の実践教育もできるわけだ。実際、アムネヘムト1世はセンウェスレト1世を遠征軍の司令官に任命し、ヌビア遠征に送り出している。この遠征は成功したそうだぜ。」

SesostrisI-AltesMuseum-Berlinセンウェスレト1世

big5
「第12王朝はヌビア方面への遠征を積極的に行っていたようですね。第12王朝の5代目ファラオ・センウェスレト3世はヌビアへの遠征を4度行っていずれも成功し、エジプト中王国の領土を最大にしています。新たに征服した地域は下ヌビアと呼ばれる地域で、この地域には要塞を建設して支配の恒久化を図っています。また、カナン方面へも遠征して、対外貿易を行う隊商路の交易路も確保しました。これらの遠征に成功したセンウェセレト3世は後のエジプト王朝でもその功績を称えられており、新王国時代のトトメス3世に神の一人として神殿が建築されたりするほどでした。」
small5
「センウェセレト3世は、エジプトを4つの行政区画に分割し、それぞれに高官会議を設置して、強大化を続ける地方の豪族の力を抑え込むことにも成功したようだ。第12王朝は、センウェセレト3世時代に最盛期に至った、と考言われているが、まさにそのとおりだな。
だが、この時点で最盛期ということは、後は衰退していくことになる。センウェセレト3世の孫で2代後のアメンエムハト4世は祖父や父の方針を受け継いで、軍事遠征や交易の発展に尽力した。特に、レバノンのビブロスとの交易が活発で、エジプトは大いに繁栄したそうだ。だが、アメンエムハト4世は男子の後継者がいなかったそうで、妹(叔母の可能性もあり)のセベクネフェルが後継者となった。ただ、このあたりの詳細は史料不足でほとんどわかっていないぜ。」
big5
セベクネフェルは史上初の女性ファラオだと考えられていますね。つまり、セベクネフェルの即位は異例中の異例だったのでしょう。おそらく、後継者争いの結果だったのではないかと思いますね。セベクネフェルの治世はわずか4年で終わり、繁栄した第12王朝も終焉となります。」

Louvre 0320O7 01ルーヴル美術館にあるセベクネフェルの胸像

謎だらけの第13王朝

small5
「さて、第12王朝の後を継ぐことになる第13王朝なんだが、謎だらけで実態がほとんど見えてきていない。第13王朝は前1800年頃から前1650年頃までの約150年間続くのだが、この間にファラオが70人くらいいたそうだ。平均すると、1人あたり2年の治世だな。当然、親子間での継承だけではなく、ファラオ位の争奪戦の結果でそうなったんじゃないか、と考えられているが、あまりにも史料がなくて、推測の域を出ていないそうだ。」
big5
「にも関わらず、第13王朝の時代、政治はわりと安定していたそうですね。コロコロとファラオが入れ替わるなら、実力主義の戦国時代となっていたとか、あるいは政治は乱れに乱れてメチャクチャになるとかしそうですが、そうはならなかったそうです。その理由として、センウェセレト3世が組織した官僚機構が機能したからではないか、という説が昔から言われていますが、定かではありません。本当に謎が多いですね。」
small5
「最近の発掘調査の結果によると、第13王朝の途中から下エジプトには非エジプト様式の宮殿跡が見つかっており、これが非エジプト人の王朝である第14王朝の宮殿だったのだろう、と考えられています。少なくとも、第13王朝はある時点から下エジプトの支配力を失っていたことは間違いないですね。
このように、中王国は第12王朝で繁栄したものの、第13王朝に交代してからは謎だらけになってしまい、下エジプトは異民族の王朝に支配されて、エジプトは再び分裂してしまう第2中間期と呼ばれる時代に入っていくわけですね。」


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参考文献・Web site
面白いほどよくわかる古代エジプト 著者:笈川博一