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「今回のテーマは古代メソポタミアです。メソポタミアというのは、ユーフラテス川とチグリス川の二つの大河流域にまたがる地域の名前です。古代エジプト文明がナイル川流域で発展したのと同じように、ユーフラテス川とチグリス川の流域でも古代文明が発展しました。」
名もなきOL
「大河の流域では古代文明が発展しやすいんですね。古代文明が発展したこのあたりのことを肥沃な三日月地帯って呼ぶんですよね。」
big5
「だいたい合っていますがもう少し細かく言うと、「肥沃な三日月地帯(英語:Fertile Crescent)」=エジプト+シリア+メソポタミア、となりますのでメソポタミアだけが「肥沃な三日月地帯」というわけではありません。ちなみに、似たような地域を示す用語として「古代オリエント」という用語があります。「オリエント」は元々ローマの言葉で「東」を意味しました。つまり、ローマから見て東の方、ということですね。なので、肥沃な三日月地帯に加えて、アナトリア半島(現在のトルコ)やペルシアも含めた広い範囲を指します。
「古代エジプト」で扱った古代エジプト史はここでは割愛して、メソポタミアとシリアの古代文明時代の歴史を見ていきます。まずはいつもどおり年表から見ていきましょう。ただし、ここに記された年代は「おおよそ」です。「古代エジプト」と同じで、余りに古すぎたり史料不足でおおよその年代までしか特定できないことが多いです。資料によっては、違う年代を記していることもあることはご留意ください。」
年月 | 古代メソポタミアのイベント | 他地方のイベント |
前3000年 | シュメール人の都市国家成立 | エジプトで都市国家(ノモス)成立 |
前2700年 | エジプトで古王国時代始まる | |
前2500年 | ウル第一王朝成立 | |
前2250年 | アッカド王国成立 | |
前2200年 | エジプト古王国崩壊し、第一中間期始まる | |
前2050年 | ウル第三王朝成立 | エジプト中王国時代の始まり |
前1830年 | 古バビロニア王国成立 | |
前1780年 | エジプト中王国崩壊し、第二中間期始まる | |
前1700年 | ヒッタイト王国成立 | |
前1567年 | エジプト新王国時代の始まり | |
前1550年 | ヒッタイトが古バビロニア王国を滅ぼす | |
前1530年 | カッシート王国成立 | |
前1450年 | ミタンニ王国成立 | |
前1350年 | エジプト イクナートンの宗教改革 | |
前1286年 | ヒッタイトがエジプトと交戦 カデシュの戦い | |
前1200年 | 海の民の侵入 ヒッタイト滅亡 | |
前1085年 | エジプト新王国崩壊 第三中間期の始まり | |
前922年 | ヘブライ王国がイスラエル王国とユダ王国に分裂 | |
big5
「最初にメソポタミアに人類の文明を築いたのがシュメール人です。シュメール人は民族系統不明で謎が多いのですが、メソポタミア文明の基礎的な文化を築きました。中でも重要なのが楔形文字(くさびがたもじ)です。」
名もなきOL
「三角形を組み合わせたかんじの文字ですね。見たことあります。」
big5
「楔形文字はシュメール人のものでしたが、シュメール人の文明が滅んだ後もメソポタミア方面で使われ続けました。文字の重要性がわかりますね。もう一つ、シュメール人が遺した貴重な文化がギルガメシュ叙事詩です。」
名もなきOL
「ギルガメシュって、ファイナルファンタジーという有名なゲームにも登場した、あのギルガメシュですか?」
big5
「その通りです。ファイナルファンタジー5に登場するギルガメシュは、シュメール文化のギルガメシュから来ています。ギルガメシュは、シュメール人の伝説に伝えられている王で、ギルガメシュ叙事詩の主人公です。内容は割愛しますが、ギルガメシュ叙事詩はシュメール文化を今に伝える重要な神話ですね。」
big5
「シュメール人の都市国家はやがて統一が進み、前2500年頃に一つの国としてまとまりました。この国は都市国家・ウルに都を置いたのでウル第一王朝と呼ばれています。
ウル第一王朝は、遺跡がいくつか残っています。都のウルの他に、今のところ最古の遺跡とされているウルクが有名ですね。シュメール文明を特徴づける建築物がジッグラトです。日本語では「聖塔」と訳されることもあります。エジプトでいうとピラミッドのような建物ですね。ジッグラトの復元図がこちらです。」
名もなきOL
「なんか、昔見たアニメとかにこんな建物が出てきたような・・・ピラミッドよりも複雑な構造をしていますね。これは神殿ですか?」
big5
「神殿ですね。ジッグラトによって祀られている神は違ったようです。かなり大きな建築物なので、一部は現代でも残っています。旧約聖書に登場するバベルの塔は、メソポタミア地方の都市・バビロンにあったジッグラトだったのではないか、とも考えられています。」
big5
「さて、シュメール人の国として栄えていたメソポタミア方面でしたが、東方のシリア砂漠方面からアッカド人がメソポタミア方面に侵入し、アッカド王国を建国しました。これは諸説ありますが、前2334年頃と考えられています。アッカド王国を建国した王として、サルゴン1世が有名ですね。「アッカドのサルゴン1世」と覚えておきましょう。古代オリエント史では、後の時代にサルゴン2世が登場しますが、1世と2世は時代がまったく異なっているので血のつながりはありません。誤解しやすいので要注意です。
アッカド人は文字を持たない民族でしたが、シュメール人の楔形文字を使ってアッカド語を記録するようになりました。文化的にも、シュメール文化を引き継いで繁栄したようです。アッカド王国は東西に領土を広げましたが、国家としての歴史は150年くらいで、それほど長くありません。前2230年頃にグディ人に滅ぼされたそうです。」
big5
「アッカド王国が滅んだ後、前2112年頃にシュメール人の将軍であるウル=ナンムがウルに新しい王朝が築かれました。この王朝は、ウルに開かれた3番目の王朝だったのでウル第三王朝といいます。」
名もなきOL
「第3王朝?第2王朝って出てきましたっけ?」
big5
「いえ、出てきてないです。調べたところ、ウル第2王朝は存在する、と考えられていたので、この王朝は第3王朝と名付けられたのですが、その後調査しても第2王朝の存在を裏付ける史料がまだ発見できていない、ということみたいですね。まぁ、こういうこともあるのが古代史の特徴だったりします。」
名もなきOL
「ふ〜ん、やっぱり時代が古すぎると、調査するのも大変なんでしょうね。」
big5
「ウル第3王朝は5代の王のもと、約100年存続しましたが、イラン高原から侵入してきたエラム人に滅ぼされました。王朝の歴史としては短めですが、ウル第3王朝時代の粘土板が数多く出土しており、行政、財政、裁判などの膨大な記録が残されたことがわかりました。また、シュメール人の最初の法典整備が行われたことも明らかになりました。この法典は、シュメール法典(ウル=ナンム法典)と呼ばれ、たいへん有名なハンムラビ法典の基となっています。」
big5
「ウル第3王朝が滅んだ後、前1850年くらいにシリア砂漠の遊牧民であるアムル人(アモリ人、とも)がメソポタミアに進入して建国したのが古バビロニア王国です。都をバビロンに置いた最初の王朝となったので、バビロン第一王朝とも呼ばれますが、ここでは「古バビロニア王国」と呼びますね。」
名もなきOL
「わざわざ「古」とつけるということは、後で「新」バビロニア王国が登場するんですね?」
big5
「はい、その通りです。ただ、新バビロニア王国が登場するのはもっと後になります。
さて、古バビロニア王国で最も重要で、最も有名なのがハンムラビ王ですね。ハンムラビは古バビロニア王国の第6代目の王で、在位期間は前1792年〜前1750年頃と推定されています。ハンムラビ王を有名にしたのが、先ほども登場したハンムラビ法典です。」
名もなきOL
「ハンムラビ法典は私も知っています。「目には目を、歯には歯を」の復讐法なんですよね。」
big5
「ハンムラビ法典で最も有名な部分ですね。OLさんが言われた通り、「誰かの目を潰した者は、その目を潰すべし」という、復讐原則に基づき、たいへんわかりやすい古代の法典として有名です。ただ、ハンムラビ法典は単純な復讐法ではなく、弱者救済や施政者の責任など、現代の法律でも定められていないようなことも定めている部分もあり、法学の視点からも学ぶことが多いそうですよ。
ハンムラビ王の時代に官僚機構と軍隊が整備された他、灌漑設備の充実や用水路建設などによって農業・商業共に発展し、古バビロニア王国は最盛期を迎えた、と考えられています。しかし前1595年、アナトリア半島に興ったヒッタイトに攻め込まれて古バビロニア王国は約300年に渡る歴史を終えました。」
big5
「古バビロニア王国を滅ぼしたヒッタイトは、古代メソポタミアの歴史でたいへん重要です。ヒッタイトは「ハッティ」とも呼ばれ、ヒッタイト人が小アジア方面に築いた国です。首都はハットゥシャといいます。特に、広く鉄器を使用していたことで有名です。ヒッタイトの軍はたいへん強かったのですが、その原因の一つは鉄器の使用にあったのだろう、と言われています。実際、エジプトや古バビロニアはまだ青銅器時代だったので、ヒッタイトは製鉄技術を持っていたことで他の国よりも頭一つ抜きん出ていました。」
名もなきOL
「周囲が持っていない技術を持つ、というのは強みの一つですね。現代でも通じる話だわ。」
big5
「ヒッタイトはエジプトとも激しく争い、前1286年くらいにカデシュの戦いが発生しています。しかし、その後はエジプトと講和条約を結んで両国は友好国となりました。
このようにヒッタイトは有力な古代オリエントの国だったのですが、前1200年ごろ、後に述べる海の民の侵入によって滅亡した、と考えられていますが、詳細は不明です。ただ一つ言えることは、ヒッタイト滅亡によって、製鉄技術が周辺に広まっていき、製鉄はヒッタイトの専売特許ではなくなった、ということが重要ポイントです。」
big5
「古バビロニア王国を滅ぼしたヒッタイトでしたが、メソポタミアの地を長く支配し続けることはできませんでした。前1530年頃、民族系統不明のカッシート人がメソポタミアにカッシート王国を建国しました。カッシート王国も首都をバビロンに置いたのでバビロン第3王朝と呼ぶこともありますが、ここではカッシート王国と表記しますね。」
名もなきOL
「あれ?これも第2王朝がないような・・古バビロニア王国は第1王朝ですよね?第2王朝はないんですか?」
big5
「バビロン第2王朝はあります。ハンムラビの死後、衰退期の中で一時的にバビロンに新しい王朝が開かれた時期があるので、それがバビロン第2王朝です。ただ、これは専門家の扱う領域になりますので、高校世界史では省略されています。
カッシート人は以前からバビロンに住んでいた人々から見ると「異民族」ですが、カッシート王国は古くから伝わるシュメール文化を吸収しました。そのため、カッシート王国もシュメール文化の国として発展しました。」
名もなきOL
「中国史で、漢民族の中国王朝を異民族が占領して支配した時に、異民族が中国文化を取り込んだのと同じですね。」
big5
「支配者側が被支配者側に同化した方が、その後の統治がやりやすかったんでしょうね。カッシート王国は約300年続き、滅んだのは前1200年くらい。イラン高原に住むエラム人に滅ぼされました。ウル第3王朝を滅ぼしたのと同じエラム人です。」
big5
「メソポタミア方面にカッシート王国が成立してからしばらく経った前1450年頃、メソポタミア北西部からシリア方面にかけて、コーカサス方面から移住してきたと考えられるフルリ人(フリ人、とも)がミタンニ王国を建国しました。ミタンニ王国の成立により、古代オリエント世界はほぼ4分されました。西のアナトリアにヒッタイト、シリアからメソポタミア北西部にミタンニ、メソポタミアにカッシート、そして、エジプトにはエジプト新王国、という配置です。この4国は、時に同盟し時に戦い、という具合に一進一退の攻防と和平を繰り返しながら時が流れました。ミタンニ王国は中央に位置し、地理的には敵に囲まれて不利な面もありましたが、ヒッタイトやエジプトと互角に戦い、強勢を誇っていました。↓の『世界の歴史まっぷ』さん作成の地図で確認しましょう。」
名もなきOL
「ミタンニって初めて聞いた名前なんですけど、けっこう強い国だったんですね。」
big5
「隠れた実力者、といったところでしょうね。しかし、建国から約100年が経った前1350年頃には、ヒッタイトとの戦いに敗れて没落し、表舞台から去ることになりました。最後は、別ページで紹介するアッシリアに滅ぼされたのであろう、と考えられています。」
big5
「ヒッタイト、ミタンニ、カッシート、エジプトの4強からミタンニが脱落して古代オリエントは3強となりましたが、この均衡を打ち破ったのは場外からの乱入者である海の民(Sea People)です。」
名もなきOL
「「海の民」だなんて、ゲームとか小説に出てきそうな名前ですね。どういう民族だったんですか?」
big5
「それが謎だらけなんです。おそらく、ギリシア方面在住の複数の民族のことだったのではないか、と考えられていますが、それ以上の詳細はわかりません。海の民は地中海から海を越えて、ヒッタイトやエジプト、シリア・パレスチナ方面を襲撃しました。海賊みたいなものかと思います。民族系統不明で謎だらけの「海の民」ですが、古代オリエントの世界に大きな影響を与えました。まず、前1200年くらいに4強の一角であったヒッタイトを滅ぼしてしまいます。さらに、エジプトに攻め込みましたが、これはラムセス3世によって撃退されました。しかし、海の民の襲撃はエジプトにも大ダメージを与えたのか、ラムセス3世の死後は次々とファラオが交代する混迷の時代が始まることになりました。」
名もなきOL
「3強のうちの1つを滅ぼし、1つに大打撃を与えるなんて、相当強かったんでしょうね、海の民は。」
big5
「そうですね。また、今回は登場しませんが、ギリシア方面で栄えたミケーネ文明もこの頃に原因不明で滅亡しています。このように、前1200年くらいのオリエント世界は従来の強国が滅亡したり弱体化したりする激動の時代となりました。そのため、前1200年のカタストロフと呼ばれたりします。」
名もなきOL
「ミケーネ文明が滅んだのは原因不明、とのことですが、海の民の侵入は原因ではないんですか?」
big5
「もちろん、一つの説として考えられています。ただ、ミケーネ文明の滅亡は自然災害なのではないか、という説もあり、どれも決め手に欠けるため、今のところはまだ「原因不明」ですね。
海の民が古代オリエント世界に多大な影響を与えたのは上記の通りです。これによって、古代オリエントは一つの転換を迎えることになります。まず一つは「製鉄技術の普及」です。海の民がヒッタイトを滅ぼしたことで、それまでヒッタイトが国家秘密として抱えていた「製鉄技術」が諸国に流出していったのだろう、と考えられています。結果として、それまで青銅器が主だったエジプトやメソポタミアでも、徐々に鉄が普及していくことになりました。鉄器時代の始まりですね。
また、海の民の一部は襲撃した地域に定住する人々もいました。中でも、シリア・パレスチナ方面に定住した海の民は、ペリシテ人と呼ばれ、後述する古代ユダヤ人の歴史に登場することになります。」
big5
「さて、ここまでメソポタミア方面の古代史を見てきましたが、ここからは視点を西に移して、シリア・パレスチナ方面の古代史を見ていきたいと思います。シリア・パレスチナ方面では、メソポタミアやエジプトとは異なり、広大な領域国家は登場しませんでした。その代わりに、各地にダマスクスやシドン、ティルスといった有名な都市が繁栄しています。また、重要なのはユダヤ人の国が成立したことですね。
ユダヤ人の先祖たちは、この頃はヘブライ人と呼ばれていました。ヘブライ人は前1000年くらいに、この地に定住していた元「海の民」であるペリシテ人との戦いに勝利し、パレスチナの地にヘブライ王国を建国しました。ヘブライ王国は「イスラエル王国」とも呼ばれていますが、ここでは「ヘブライ王国」で統一します。ヘブライ王国の初代国王となったサウルは、多くの部族に分かれていたヘブライ人を初めて統一し、ヘブライ王国を建国しました。サウルはペリシテ人との戦いで戦死しますが、ヘブライ王国は子孫に受け継がれていきます。ヘブライ王国の国王の中で特に有名なのが、ダヴィデとソロモンです。」
名もなきOL
「ダヴィデとソロモンは私も知っています。彼らはユダヤ人の王だったんですね。」
big5
「ダヴィデは前1000年くらいにヘブライ王となり、ペリシテ人やカナン人を倒してヘブライ王国の領土を広げました。旧約聖書で、ペリシテ人の巨人戦士であるゴリアテを倒した、というエピソードが有名ですね。」
名もなきOL
「その話も覚えがあります。そっか、ダヴィデはユダヤ人で、ゴリアテは敵対していたペリシテ人の巨人戦士だったんですね。」
big5
「ダヴィデの後を継いだのは息子のソロモンでした。ソロモンにも、いろいろとエピソードは多いですね。ですが、世界史で重要なのは、首都エルサレムにヤハウェ神殿を建築したことでしょう。ユダヤ人が唯一神と崇めるヤハウェの神殿をエルサレムに作った、ということが、その後エルサレムが歴史的にたいへん重要な存在となったことの始まりだったと言えます。ソロモンの時代にヘブライ王国は繁栄したので、この時代を「ソロモンの栄華」と呼んだりもします。しかし、前922年には内部分裂が起きてしまい、ヘブライ王国は北部のイスラエル王国と南部のユダ王国に分かれることになりました。イスラエル王国とユダ王国は、古代オリエントの激動の波にのまれていくことになるのですが、その話は次の機会にしましょう。ここでは、ユダヤ人の元祖となるヘブライ王国の話を覚えておきましょう。」
big5
「この時代のシリア・パレスチナにはもう一つ、たいへん重要な民族がいました。フェニキア人です。フェニキア人は地中海貿易を担って繁栄しました。巨大な国家は形成していませんでしたが、代わりに交易都市として繁栄したシドンとティルスの2都市を建設しています。フェニキア人は、2つの点でたいへん重要な役割を果たしています。まず一つは、フェニキア文字の発明です。フェニキア文字はアルファベットの起源になった、というのもたいへん重要な話なのでぜひ覚えておきましょう。もう一つは、地中海沿岸に植民都市を築いていったことです。その中でも古代世界で大いに繁栄したのがカルタゴです。」
名もなきOL
「カルタゴって、ローマと戦った国ですよね。元々はフェニキア人の植民都市だったんですね。」
big5
「はい。カルタゴはローマに滅ぼされるので、「やられ役」のような印象を持たれがちですが、ローマ人よりも昔から地中海を舞台に活躍していたのがフェニキア人なんです。単なるやられ役ではありません。
さて、ここまで古代メソポタミアの歴史を見ていきました。ほぼ同時期である古代エジプトと比べると、実に多くの民族と国々が登場し、名前や順番を覚えるだけでもけっこうたいへんだと思います。1つのテーマとしてまとめましたが、これらの事柄は前3000年くらいから前900年くらいまでの約2100年の間に起こったこと、であるわけですね。曖昧でハッキリしない点も多いですが、古代史ファンにはとても興味深い時代だと思います。機会があったら、詳細篇を作って紹介したいですね。
と、言ったところで今回はここまで。ご清聴ありがとうございました。次回もお楽しみに!」
名もなきOL
「今日もありがとうございました。」
big5
「大学入試共通テストでは、古代メソポタミアのネタは時折出題されています。古代史は、最初の方で習うので試験前には内容を忘れがちです。古代メソポタミアについては試験前に復習しておけば、運よく出題されるかもしれません。」
平成30年度 世界史B 問題4 選択肢4
・『ギルガメシュ叙事詩(ギルガメシュ物語)』は、古代エジプトで成立した。〇か×か?
(答)×。上記の通り、ギルガメシュ叙事詩は古代メソポタミアのシュメール文明で成立しました。
平成30年度 世界史B 問題13 選択肢2
・モーセは、ユダヤ教の戒律主義(律法主義、形式主義)を批判した。〇か×か?
(答)×。上記の通り、モーセは出エジプトでヘブライ人を率いてエジプトを脱出した、という伝説上の人物です。モーセではなくイエス(キリスト)であれば〇です。
平成30年度 世界史B 問題13 選択肢3
・ユダヤ教徒は、唯一の神アフラ=マズダを信仰している。〇か×か?
(答)×。上記の通り、アフラ・マズダはゾロアスター教の主神です。ユダヤ教徒の唯一神はヤハウェです。
令和2年度 世界史B 問題20 選択肢4
・アッカド人の発明した楔形文字が、古代オリエントで使用された。〇か×か?
(答)×。上記の通り、楔形文字を発明したのはアッカド人ではなくシュメール人です。アッカド人は文字を持たなかったため、楔形文字を使用してアッカド語を記録するようになりました。
令和2年度追試 世界史B 問題20 選択肢2
・ハンムラビ王は、運河の整備を進めた。〇か×か?
(答)〇。やや細かい知識を問う問題です。ハンムラビの業績には用水路・運河の整備がありますので、この選択肢は〇になります。ここまで知っていて答えられた受験生はかなり少ないでしょう。問題は4択なので、消去法で絞り込めれば、この選択肢が〇だと考えられると思います。
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