センター試験 世界史B 2015年

世界史Bを解くにあたって、まず押さえておきたい基本的なテクニックがあります。
<センター世界史 基本テクニック>
大問の導入文は読まなくても解ける ⇒ 内容がチンプンカンプンだったとしても、諦めてはいけない。

世界史は、数学などの理系科目と異なって、問題を解くのに時間が足りない、とうことはあまりありません。ところが、大問の導入文が自分の知らない内容だったり、知っていてもあまり知らない話だったりすると、その時点で諦めてしまう人もいます。それはあまりにもったいないです。導入文がチンプンカンプンでも、落ち着いてそれぞれの問題文を読みましょう。

第1問

問1
2世紀に起った出来事として、正しい選択肢を選ぶ問題。そもそも2世紀の期間は紀元後100年〜199年であることは理解しておきましょう。
@については、ややマイナーな知識かもしれません。管理人もいつの時代かまでは覚えていません。そこで、これは保留とします。Aの赤眉の乱も、年号を覚えている人はあまりいないでしょう。赤眉の乱の内容は、中国の前漢と後漢の間にできた王莽の「新」への反乱だということをおさえておけば、新の時代だと絞り込むことができますが、新王朝の年代が1世紀か2世紀か、区別することは難しかったかもしれません。そこでこれも保留。Bが、ハズレだということは基本的な知識としておきたいです。ローマ帝国でキリスト教が公認されるのは、コンスタンティヌス帝の時代です。コンスタンティヌス帝の時代はいつかというと、ローマ帝国の東西分裂の少し前くらいと覚えていればだいたい200年〜400年くらいの出来事、と考えられます。ローマ史が好きな人なら、導入文に出てくるセプティミウス=セウェルスのずっと後の話だ、と考えることができますので、ハズレということが導けます。最後にC。「大秦国王安敦」がローマの最期の五賢帝マルクス=アウレリウス=アントニヌス(以下、哲人皇帝)のことだとわかれば、ぐっと正解に近付くことができます。五賢帝の時代は、ローマが帝国となって、一時的な混乱期を経て築かれた最盛期の時代です。なので、年代的にはだいたい2世紀(100年〜199年)、と推定することができます。また、これを補強する知識としては、導入文のコンモドゥスとは哲人皇帝の息子だということを知っていれば、年代を特定するもう一つの補強材料になります。
以上を考えて、Bはハズレ、@とAは保留だが、Cが正解の可能性が高いので、Cを選びました。

問2
現在のイラン辺りに栄えたペルシアの王朝・パルティアに関する問題です。誤っているものを選ぶので、残り3つは正解になります。これは選択肢を見て、明らかに間違いである「ダレイオス1世の時代に最盛期」としているBが答えだとわかりました。ダレイオス1世はアケメネス朝ペルシアの王で、古代ギリシャの一大トピックであるペルシア戦争の時のペルシア王の名前です。残りの選択肢@、A、Cはいずれもパルティアに関する基本的な知識なので、これは正解したい問題です。

問3
まずはブリテン島がどこだか確認しておきましょう。簡単にいうと今のイギリスがある島です。イギリスのことを"Great Britain"と書くこともありますが、そのブリテン島です。なので、この問題はイギリス(古い時代の)の問題ということになります。まず@は完全にハズレ。ポエニ戦争はローマvsカルタゴというのは基礎なので、これがわからなかったという人は、古代ローマ史をもう一度勉強しなくてはならないと思います。
Aはアングロ=サクソン人という部分はブリテン島と関係が深いのですが、ノルマンディー公国というのが間違いなのでハズレです。キーワードは「ノルマンディー」です。後の時代に、ノルマンディー公がイギリスを征服してウィリアム1世を名乗り、ノルマン朝を開いたということ、第2次世界大戦のノルマンディー上陸作戦は、連合国軍がドイツ支配下の旧フランス領に大軍で上陸した戦いであったことなど、ノルマンディーは現フランスに位置していることから類推しても、ノルマンディー公国はブリテン島には作られていない、ということが導けます。やや引っ掛け要素がありますね。
Bのアルフレッド大王は、アングロ=サクソン人の偉大な王として有名なので、この部分は正しいのですが、侵入したのはアヴァール人ではなく、デーン人なのでハズレ。したがって、Cが消去法で正解と導けます。ヘンリ2世がプランタジネット朝の創始者かどうかはわからなくても、プランタジネット朝がイギリスの王朝の一つであることは知っておきましょう。
このように、消去法で選択肢を絞っていくことが、問題を解くうえでたいへん役に立ちます。

問4
ハプスブルク家の王を選ぶ問題。答えは@のヨーゼフ2世ですが、彼はマリア=テレジアの息子なのですが、ややマイナーな君主かもしれません。仮にヨーゼフ2世を知らなかったとしても、他の選択肢がハプスブルク家の話ではないことから、消去法で@を選べるかと思います。Aエドワード3世はイギリス王家なので、当然ハズレ。Bフリードリヒ2世はプロイセンの名君として有名。ハプスブルク家の実質女王マリア=テレジアとオーストリア継承戦争、七年戦争を戦ったのは基礎知識になるので、これはハズレと確定したいところ。Cフリードリヒ=ヴィルヘルム1世はフリードリヒ2世の父で「軍人王」とも呼ばれる、ちょっと変わり者のプロイセン王です。彼もややマイナーかもしれません。

問5
「旅行」という言葉に、「旅」をテーマにした文学作品と作者名の正しい組み合わせを選ぶ問題です。導入文はハプスブルク家とオーストリアの話ですが、選択肢にはほとんど関係ありません。さて、この手の問題は単純な知識を問う問題なので、知らなければ正答は難しいと思います。答えはAの「ガリヴァ―旅行記 作者:スウィフト」です。おそらく、誰もが子供の頃に絵本などで見たことがあると思いますので、ついでに作者名も覚えておきましょう。。ちなみに、絵本は小人の国の話で終わっていますが、原作ではその後様々な国を巡る話になっています。発行されたのは18世紀ですが、その頃から人気小説となり多くの人に読まれたそうです。

問6
冷戦について誤りを述べている選択肢を選ぶ問題です。答えはBの「ポツダム会談によって、冷戦が終結した。」です。これはかなり容易な問題だと思います。ポツダム会談が行われたのは、冷戦中ではなく、第2次大戦末期。日本降伏を呼び掛ける「ポツダム宣言」が発せられた会議です。日本は原爆が投下された後、ポツダム宣言を受け入れて降伏しました。また、冷戦が終結した時は、ソ連が崩壊した時とされているので、こちらの観点からも誤りです。@の金日成は北朝鮮建国の英雄ですね。今の北朝鮮の首脳である金正恩の祖父にあたります。Aはドイツ民主共和国とはいわゆる東ドイツです。冷戦時代の象徴のような国ですね。Cのトルーマンは、第2次大戦末期に病死したルーズベルト大統領の後を継いで大統領となった人物です。トルーマン・ドクトリンは、ギリシア・トルコの共産主義化を防ぐために経済援助を行うという宣言で、これがNATO創設などにつながっていったため、事実上の冷戦の始りと言われています。

問7
オーストラリア連邦が成立した時期を選択する問題です。オーストラリアという国はほとんどの人が知っています。オーストラリアがイギリスの流刑地として使われていたことを知っている人は、世界史受験者ならたいていは知っているでしょう。しかし、「オーストラリア連邦」という国家として成立したのはいつか、覚えている人はほとんどいないと思います。私も、問題を解いている時点では覚えていませんでした。そこで、選択肢を考えることになります。考える前提となるのは、「オーストラリア連邦」成立の意味です。連邦とは、いくつかの州(国ともいう)が集まって作る国家です。つまり「植民地」ではないわけです。オーストラリア連邦が成立するというのは、イギリスの植民地ではなく、一つの国家となることを意味します。それを踏まえて、オーストラリアが一国となる時期を考えてみると、まず、@aは違います。この時期はアメリカが独立する以前の時期なので、オーストラリアが一国となるとは思えません。Abも可能性は低いです。アメリカが独立した後も、イギリスは世界各地に植民地を持つ「大英帝国」であり続けました。そうなると、BcかCdとなります。ここまで来ると、BとCどちらを選ぶかは、かなり難しいです。そこで、1877年のインド帝国成立よりも前か後かで考えてみます。インド帝国の皇帝はイギリス王なので、インド帝国はイギリスに支配されているのとほぼ同じですが、名目上は一国となっています。インドはイギリス植民地の中でも、とても重要で広大でしたから、インドが一国として扱われる始めたら、その他の植民地も一国の地位に上げてやって、広い意味での「イギリス連邦」を形成するようになった、という推測でCを選びました。
なお「オーストラリア連邦」の成立は1901年です。

問8
ビザンツ帝国とムガル帝国の公用語についての問題。これは私もわかりませんでした。ビザンツ帝国(東ローマ帝国)は、元々がローマなので、公用語はラテン語でしたが、ローマ帝国の東西分裂後、支配地域の多数派言語となったギリシア語が公用語となりましたので、a)は誤り。ムガル帝国の公用語はペルシア語だったそうです。ムガル帝国は、インドを征服したイスラム王朝の国です。イスラム世界では、文化水準の高かったペルシア人が政府の役人として採用されることが多かったため、ペルシア語が公用語にふさわしかったそうです。

問9
植民地に関連する人物と活動内容の正しい組み合わせを選ぶ問題です。有名どころから見ていくと、@のジョゼフ=チェンバレンは、イギリスの植民相なので×。そもそも、アメリカにはそれほど大きな植民地はありませんでした。Cのネルーは、インド独立を指導した有名人なので、これも×。したがって、AかBとなります。私はここまで絞れましたが、この先は特定できませんでしたので、まだまだ勉強が足りません。正解はBでした。

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