センター試験 世界史B 2015年

第2問

問1
民族・国家と交易に関する問題。上から見ていくと、@のアラム人と海上交易という組み合わせが疑問点です。アラム人について「古代のメソポタミアあたりで繁栄していた民族」というかんじで覚えていれば、海上交易で栄えるというのはかなり可能性が低い、と考えられます。陸の中継貿易なら十分考えられますけどね。そこで、@が怪しいとなります。Aのガーナ王国の金と岩塩の交換については、知識として持っている人は少ないと思います。アフリカの王国では金がしばしば産出されたので、金を貿易資源としていたことは、押さえておきたい知識です。したがってAは△。Bのマラッカ王国は、マラッカ海峡のあたりで栄えた王国なので、当然海上交易とは縁が強いと考えられます。よってこれはハズレ。Cのイスラム教の聖地メッカも、砂漠地帯に位置する都市なので、隊商交易とは縁が強いと考えられます。よってこれもハズレ。
以上より、怪しい@が答えと、導きました。

問2
中国沿岸の貿易港と位置の正しい組み合わせを選ぶ問題。中国も日本と同様に、欧米諸国との貿易は一部の限られた港、それも首都とはだいぶ遠いエリアでのみ許可していました。中国の場合、南部の沿岸都市が外国との貿易港として開かれ、その後中部や北部の沿岸都市が開港されていくことになります。そのため、18世紀後半(1700年代後半)は、アヘン戦争前の時期であり、清の没落はまだ始まっていません。したがって、中部のaはまだ開港されていないのでは、と考えることができます。よって@とBはハズレ。bの都市の名前ですが、古くから貿易港として栄えていたのは広州だということ、あるいは寧波の位置がa付近であることを知っていれば、Aが正解と導くことができます。


問3
アフリカ東海岸の港町について、正しい組み合わせを選ぶ問題です。出てくる都市はマリンディとポンディシェリという、それほど有名でもない都市なので、ここで既にわからなくなった受験生も多かったと思います。
まず、マリンディはアフリカ東岸、現在はケニアの都市の一つです。マリンディが世界史に登場するのは、大航海時代にバスコ・ダ・ガマが、インドに向かう途中で寄港した港です(本ページ 大航海時代 2.コロンブスの発見 参照)。彼は、マリンディでインドへの航路を知っている案内人を見つけて、インドのカリカットに到達することに成功しました。したがって、aは正しいと考えられます。bのポンディシェリは、インド東岸のフランスの貿易拠点です。アフリカ東岸ではありませんので、bは誤り。したがって、Aが正解となります。

問4
ポルトガルに関連する選択肢を選ぶ問題。上から見ていくと、@のトルデシリャス条約が正解になります。トルデシリャス条約は、大航海時代に、スペインとポルトガルが結んだ、新大陸アメリカにおける両国の縄張りを決めた条約として、高校世界史ではわりと有名な条約ですね。Aのフォークランド紛争は、アルゼンチンの南にイギリス領フォークランドの争奪戦、Bのカルマル同盟は、中世デンマークがスウェーデン、ノルウェーと同君連合を結成した同盟、Cについては、ポルトガルは第二次大戦中は中立を保っており、後半になってから連合国に加わっていました。

問5
前問に続いてポルトガル関連の問題。インドにおけるポルトガル拠点の名前と位置の正しい組合わせを選ぶ問題です。ポルトガルのインド拠点といえば、インド西岸のゴアが有名ですが、@がまさに正解の選択肢になります。B、Cのカルカッタはポルトガルの拠点ではなく、イギリスの拠点なので、そもそも間違いです。

問6
イタリアの歴史について、誤りを選ぶ問題です。センター試験の問題では、正しい文章を選ぶ問題と、誤りを選ぶ問題の両方が出題されますので、何を選ぶかは間違えないようにしましょう。選択肢を上から見ていくと、@はやや難しく感じた人も多かったと思いますが、これは正しいです。古代ギリシア人の特徴として、地中海沿岸の各都市に植民都市を建設したことが挙げられます。イタリアのシチリア島の都市シラクサなどがその代表例です。Aのランゴバルド王国は、西ローマ帝国が滅んだ後の混乱期に、異民族が侵入して建国した王国の一つで、イタリア半島北部に成立しました。ランゴバルド王国はその後、フランク王国に征服されて滅んでいます。残ったCが正解となりますが、Cの誤っている部分は「ヴィットーリオ=エマヌエーレ2世」と「ローマ進軍」のつながりです。「ローマ進軍」は事件の名称です。第2次世界大戦が始まる前に、ムッソリーニ率いるファシスト勢力がイタリアを制覇する過程で、ローマを占拠した事件をいいます。一方、ヴィットーリオ=エマヌエーレ2世は、イタリア統一をほぼ成し遂げたサルジニアの国王なので、時代的にもローマ進軍とは合っていません。

問7
繊維の原料や製品に関して正しい選択肢を選ぶ問題です。下線部は「イラン産生糸やアナトリア産綿花」に引かれていますが、どの選択肢にもほとんど関係ありません。また、後述しますが、この問題には正答が2つあるという、受験シーズンに話題になる出題ミスの一つです。
さて、選択肢を上から見ていくと、@の(中国の)江南地方における綿織物業の発展については、ひとまず「保留」としました。おそらく、ほとんどの受験生が「(中国の)江南地方⇒綿織物業」という連想はできないと思います。私もできませんでした。このように、正誤の判断がつかない選択肢は、他の選択肢を見てから考えた方がいいです。続いてAのジョン=ケイと紡績機の改良ですが、産業革命時代に登場した様々な機械類の中に、ジョン=ケイが発明した「飛び杼(とびひ)」があります。これは、織物を織る時に使う機械で、従来は人が手で投げていたものを、機械が投げるようにしたことで、織物製作の効率が上がった、という機械です。紡績(原材料から糸を作り出すこと)とは違うのでこれは誤り、というのが、いわゆる「受験世界史」の答えになります。しかし、実際にはジョン=ケイという別の人物がほぼ同じ時代に存在しており、しかも紡績機の改良に貢献している、というオチがついていました。私も詳細はよくわからないのですが、紡績機を改良したのはアークライトとされていますが、実際に技術面での協力が大きかったのはジョン=ケイの方らしく、特許をめぐって二人は争いになったそうです。
と、話が脱線しましたが、続いてBのアメリカ南部における綿花のプランテーション。これが正解になります。開拓時代のアメリカは、黒人奴隷の一大市場であり、奴隷の多くは南部の州で綿花やサトウキビなどのプランテーションで酷使されていたことが、現代アメリカまで引きずっている人種問題の根源になっていることは、是非とも知っておきたい歴史事実です。最後にCですが、ナイロンが発明されたのは20世紀に入ってからのことです。選択肢に「石油を原料とした人工繊維」という補足がついていることもヒントになります。18世紀に石油工業が実用化されているとは、とても考えられません。
以上より、Bが正解と導けます。これは、B以外の選択肢について知識がなかったとしても、Bが正しい事実であることから正答を導いてほしい問題です。

問8
ヨーロッパ諸国の通商に関する問題です。下線部は「フランス人、イギリス人などの外国商人」に引かれていますが、これも解答にはほとんど関係ありません。まず、aのヴェネツィアの繁栄は、記載の通り東方貿易を仲介することで繁栄していました。よって、aは「正」となります。ただ、東方貿易仲介による繁栄は大航海時代までのことでした。大航海時代に、インド航路が発見されると、次第に東方貿易の仲介は衰退していきます。
続いてbですが、これは「誤」です。カピチュレーションとは、オスマン帝国がヨーロッパ商人らに与えた特権です。問題分に記載されているような「ヨーロッパ諸国」が与えたものではありません。ちなみに、カピチュレーションとは一種の治外法権のことです。オスマン帝国に滞在する外国商人の生命と財産の安全を保証することで、オスマン帝国の商業活動を活発にさせる狙いがあったそうです。

問9
ギリシアがオスマン帝国から独立した時期を選ぶ問題です。ギリシア独立戦争が1829年に始まり、その後まもなく独立を達成したことを知っていればAのbが正解だと導けます。この問題については、ギリシア独立戦争の年(おおよそでも)知らないと、正答はなかなか導けないです。

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