センター試験 世界史B 2015年

第3問

問1(通し番号:19)
ドイツ三十年戦争に登場する人物の中から正しい組み合わせを選ぶ問題です。ドイツ三十年戦争の中では、とても基本的なポイントなので、スウェーデン国王はグスタフ=アドルフ、神聖ローマ皇帝の傭兵軍を指揮官はヴァレンシュタインと、すぐに出てくればCが正解だとわかります。
他の選択肢に登場する「ミハイル=ロマノフ」はロシアの王家ロマノフ朝の創始者です。三十年戦争にはほとんど関与していません。「リシュリュー」は、三十年戦争の頃のフランス宰相で、ドイツの弱体化を図って新教徒側を様々な形で支援するなどして関与してきました。ちなみに「三銃士」に登場する悪役「リシュリュー宰相」は、まさに彼のことです。「三銃士」は、いろいろなバージョンで映画などが作られていますので、史実とはかけ離れたモノもありますが、時代設定はだいたいこの頃になっています。

問2(通し番号:20)
フランスが関与した戦争について、正しいものを選ぶ問題。@のクレシーの戦いは、百年戦争初期のイギリスとフランスの戦いで、イギリスの長弓部隊が活躍してフランス騎士軍を破った戦いです。よって@は誤り。知名度としてはやや低いかもしれないので迷った人も多かったと思います。Aのクリミア戦争は、黒海北部のクリミア半島を中心に起きたロシアvsトルコの戦いで、ロシアの南下を防ごうとするイギリス・フランスが連合してトルコを支援し、セヴァストーポリ要塞で激戦が繰り広げられた戦いです。ナイチンゲールが、看護婦を率いて負傷兵の手当と看護を行ったことでも有名です。よってAも誤り。Bの普仏戦争はプロイセンがフランスに完勝し、プロイセンによるドイツ統一が成し遂げられた世界史では超重要事件です。よってBも誤り。Cのディエンビエンフーの戦いは、フランスが支配するベトナムが独立のために戦ったインドシナ戦争の最終ラウンドで、フランス軍が立てこもるディエンビエンフーをベトミンが攻略し、インドシナ戦争は終結。フランスによるベトナム支配は幕を閉じました。よって、Cが正解となります。
@はややマイナーな戦いかもしれませんが、他の3つは重要度が高い戦争なので、これは確実に取っておきたい問題です。

問3(通し番号:21)
税制に関する問題です。ややマイナーな分野なので、難しかったと思います。まず、消去法で消したいのはAとC。Aの賦役黄冊は、魚鱗図冊と共に明の時代に作られた台帳です。北宋ではないので×。Cの権利章典は、イギリスで名誉革命が行われた後、「議会」の権利を定めたものです。そのため、国王が議会の承認無しで勝手に課税できるわけがありません。ここまでは絞り込みたいところです。@のイクター制とは、君主が軍人に給料を払うのをやめる代わりに、軍人にある土地における徴税権を付与する、というものです。「給料払わないけど、この土地で税金取っていいよ」という制度です。イクターとは、徴税権のことを指しています。イクター制が始まったのは、ブワイフ朝なので後ウマイヤ朝ではありません。よって×。残ったBの「植民地インド=ザミンダーリー制」が正解となります。ザミンダーリー制とは、イギリス東インド会社が税金を集めるために採用した仕組みで、それぞれの土地の所有者(ザミンダール、という)に徴税権を与えて、ザミンダールに税金を集めさせる、という制度です。

問4(通し番号:22)
問題文の空欄アとイに当てはまる正しい用語の組み合わせを選ぶという、センター世界史にしては珍しく問題文を読まないと解けない問題です。まずアに当てはまるのが「南宋」か「明」かですが、清が戦った相手なので答えは「明」です。「南宋」が戦った異民族の代表はモンゴルですね。これは確実に絞り込みたいところです。続いてイにあてはまる清の主力部隊ですが、これは「八旗」です。「猛安・謀克」は、中国北部の異民族王朝の一つ「金」の軍事・行政制度で、普段生活を共にしている各部族から兵士を集めて軍隊を組織する、というものでした。
というわけで、答えはCとなります。

問5(通し番号:23)
「都市」について、正しい説明文を選ぶ問題です。これはやや難しい問題だったと思います。正解は@で、アズハル大学はアレクサンドリアではなくカイロにあります。Aのアンコール=トムはカンボジアで有名な遺跡の一つで、Bの第1インターナショナルとは、ヨーロッパ各地の社会主義者が、新しい国家の体制について話し合った会合です。Cの景徳鎮は、地名がブランドにもなった陶磁器の産地です。消去法で、BとCは消し、@かAかで迷った人が多いかと思います。

問6(通し番号:24)
「遊牧国家」について、説明文を歴史順に並べる問題です。おそらく、それぞれの選択肢が何年に起きたことか、すべて暗記している受験生はいなかったと思います。この手の問題は、具体的に「○○年」とわからなくても、おおよその年代さえわかれば解答できることも多いので、あきらめてはいけません。まず、aの西遼(カラ=キタイ)。西遼は「遼」の名前のとおり、中国が北は遼、南は宋(南宋)の時代の後にできた遊牧国家なので、おおよそ「南宋」の時代、と推定できます。bの突厥がエフタルを滅ぼした時期は、突厥は唐の時代の代表的な異民族、と覚えていると、唐の時代の頃と考えられます。ちなみに、覚え方は唐も突厥も「ト」で始まるのが共通点です。したがって、aとbでは、bの方が先になります。cは、西ローマ帝国末期のゲルマン民族大移動の頃の話なので、西ローマ帝国滅亡の475年の前くらい、と推定できます。以上より、順番はc→b→a、と考えられるので、答えはEとなります。

問7(通し番号:25)
第一次世界大戦に関して、説明文の正誤を判断する問題です。まずaの「日本は日英同盟を理由に参戦した」というのは、まさにその通りです。問題分にもあるように、イギリスの主要敵国となったドイツの中国領を攻撃しています。bの「アメリカ合衆国は真珠湾攻撃をきっかけに参戦した」は、第二次世界大戦(太平洋戦争)の話なので、確実に誤りと判断できます。よって、正答はAとなります。これは多くの人が正答できたと思います。配点は2点なので、他より少ないですが、確実に取りたい問題です。

問8(通し番号:26)
オーストリア・ハンガリー帝国領の歴史について、正しい説明文を選ぶ問題です。まず、@の「オーストリアはソ連に併合された」ですが、そんな事実はないので誤りです。Aの「チェコスロヴァキアはミュンヘン会談を経て解体された」。これが正解です。ミュンヘン会談は、ヒトラー率いるナチスドイツが、チェコスロヴァキア領のズデーテン地方にドイツ人が多く住んでいたことを理由に、ズデーテン地方のナチスドイツへの譲渡を要求し、それが認められた会談です。ここまでは知っている人も多かったと思いますが、その翌年にチェコスロヴァキアはナチスドイツに併合されてしまっていることは(選択肢の「解体された」)盲点だったかもしれません。Bのハンガリーは、第二次大戦後にソ連の共産主義圏に組み込まれたので、1920年代ではありません。よって誤り。Cの「ボスニア・ヘルツェゴビナは青年トルコ革命をきっかけに独立した」ですが、これは論理がちょっとおかしいです。オーストリア・ハンガリー帝国領のボスニアが、やや離れた国のトルコでの革命をきっかけに独立できるでしょうか?絶対ありえないとは言えませんが、少々無理があるようにも感じます。実際、ボスニア・ヘルツェゴビナが独立国となるのは1992年3月なので、やはり誤りです。

問9(通し番号:27)
捕虜の処遇に関する条約についての説明文の空所補充の問題です。が、解答の鍵は「ハーグ密使事件」の概要についての知識となります。おそらく、捕虜の処遇に関する条約について知っている受験生はあまりいなかったと思います。したがって、アを見た段階でこれがジュネーヴなのかハーグなのかは判別できないでしょう。選択肢の正誤を判断できるのは、イに関して「イの皇帝である高宗が、密使を送り、日本による保護国化の不当性を訴えようとした。」というところです。「高宗」が誰かわからなくても、1907年の時点で日本が保護国化しようとしていた国が清なのか韓国なのかは、韓国だと判断できます。清の末期は欧米列強+日本に浸食されていましたが、それでも清はどこかの国の「保護国」となったことはありません。また、1910年に日本が韓国を併合した、という知識も答えの助けになります。これで、AかCか、ということになります。最後は「ハーグ密使事件」という言葉や、韓国が日本の保護国化に対して国際世論を味方につけようとして密使を送った、というような知識があれば、正解はCと判断することができます。
ちなみに、韓国の訴えは無視されました。なぜかというと、欧米列強の間では、韓国が日本の従属国であることが事実上承認されていたためです。弱肉強食の時代であった当時の価値観では、この会議は強者のための会議であり、弱者を救うための会議ではありませんでした。

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