Last update:2023,MAR,18

古代

古代オリエントの興亡

あらすじ

big5
「今回のテーマは古代オリエントです。これまで、古代エジプト古代メソポタミアに分けて、この地域の古代文明の歴史を見てきました。これまでにいくつもの民族と国家が登場し、そして退場していきましたが、ここからはエジプトとメソポタミアを一つのエリアとして歴史の流れを見ていきたいと思います。エジプトとメソポタミア、さらにアナトリアやペルシアを含んだ地域をオリエントと呼びます。古代オリエントと言うと、古代エジプトやシュメール人の時代(前3000年くらい)から、アレクサンドロス大王の東方遠征(前300年代)を指します。
下は、古代オリエントと呼ばれる広大な地域の衛星写真に地名を加えたものです。」

Ancient OrientWikipediaより 古代オリエント地域の衛星写真

名もなきOL
「日本からはだいぶ遠い、ほぼ中東エリアですね。」
big5
「古代オリエントの歴史の流れを簡単に示すと以下のようになります。

・アッシリアが古代オリエントを初めて統一

・アッシリア滅亡 エジプト、新バビロニア、リディア、メディアの4王国分立

・ペルシアでアケメネス朝のキュロス2世が勃興 メディア、新バビロニア、リディアを滅ぼす

・カンビュセス2世がエジプトを滅ぼして古代オリエントを再統一

・ダレイオス1世即位 ペルシア戦争開戦

特に重要なのキーワードとなるのは、アッシリア新バビロニアアケメネス朝の3つです。それでは、いつもどおりまずは年表から見ていきましょう。」

年月 古代オリエントのイベント 他地方のイベント
前3000年 アッシリア人が都市国家を形成 エジプトで都市国家(ノモス)成立
前1200年頃 鉄器製造技術が広まる 海の民の侵入 ヒッタイト滅亡
前745年 アッシリアのティグラトピレセル3世即位 諸改革を実施
前722年 アッシリアのサルゴン2世がイスラエル王国を滅ぼし、ユダ王国を服属させる
前663年 アッシリアのアッシュールバニパルがエジプトを征服 古代オリエントを統一
前625年 カルデア人が新バビロニアを建国
前612年 アッシリア滅亡 4王国分立時代となる
前586年 新バビロニアのネブカドネザル2世がユダ王国を滅ぼす(バビロン捕囚の始まり)
前549年 アケメネス朝のキュロス2世がメディアを滅ぼす
前546年 アケメネス朝のキュロス2世がリディアを滅ぼす
前538年 アケメネス朝のキュロス2世が新バビロニアを滅ぼす
前525年 アケメネス朝のカンビュセス2世がエジプトを滅ぼし、古代オリエントを統一
前522年 ダレイオス1世が即位
前500年 ダレイオス1世がギリシア遠征を開始 (ペルシア戦争の始まり

アッシリアの興亡

古アッシリア

big5
「さて、まずは古代オリエントを史上初めて統一したアッシリア(Assyria)から見ていきましょう。突然ポっと出てきたように感じると思いますが、アッシリアの歴史はかなり古く、紀元前3000年くらいから既に民族としての歴史は始まっていました。数ある都市国家の一つであり、歴史の表舞台に登場することはなかったものの、イラン高原そ錫(すず 青銅器の原料)の交易を支配して中継貿易で繁栄していた、と考えられています。前15世紀頃、ミタンニが強勢だった時にはミタンニに服属していたそうです。前1200年頃にヒッタイトが海の民の侵入で滅んだ後は、鉄器製造技術を受け継いで力を蓄えていきました。この時代のアッシリアを古アッシリアと呼んで、オリエントを支配した帝国時代と区別することもあります。」
名もなきOL
「アッシリアって、意外と歴史が古いんですね。私が高校で勉強した時は、とにかく戦争が大好きな「戦闘民族」という印象を持っていました。」
big5
「そのイメージは、これから話すアッシリア帝国のイメージですね。ヒッタイトが滅んだ後、鉄器製造技術が広まると、アッシリアはその力に注目して原料となる鉄鉱石を抑え(アルメニア産の鉄鉱石と考えられている)、どんどん軍事力を増していくことになります。」

史上初のオリエント統一 アッシリア帝国

big5
「前745年にアッシリア王に即位したティグラトピレセル3世は、軍事や行政面でいくつもの改革を行いました。例えば、従来は自由農民や奴隷で構成されていた軍隊を、職業軍人による常備軍にしたとか、2人乗り6本軸車輪のチャリオットを3人乗り8本軸車輪のチャリオットに変えたとか、攻城兵器を開発したとか、考えられています。ティグラトピレセル3世はこうして培った軍事力で戦争を行い、前732年にはダマスクスを占領してアラム人を征服し、前729年にはバビロンを攻略してアッシリアとメソポタミアの王を兼ねました。
ティグラトピレセル3世は、服従した国は属国とし、敵対した国は軍事力で攻め滅ぼすという、実に単純明快な「帝国主義思想」でアッシリアを強国として育て上げました。18〜19世紀に欧米列強がアフリカやアジアを植民地化していったのと似ていますね。「アッシリア帝国」の道筋を決めた王だったと言えますね。」
名もなきOL
「私、そういうの苦手です。もっと平和に共存できたらいいのに・・。でも、古代世界でそれを望んでも、本当に無理なんでしょうね。。」
big5
「アッシリアはその後も周辺勢力への軍事攻勢を続けました。前722年には、サルゴン2世南北に分裂した北のヘブライ人の国・イスラエル王国が滅ぼされ、南のユダ王国はアッシリアへの服属を余儀なくされました。そして前668年にアッシュールバニパルが即位し、前663年にエジプトを征服。これで、アッシリアによって初めてオリエント地方が統一されることになりました。」

Sculpted reliefs depicting Ashurbanipal, the last great Assyrian king, hunting lions, gypsum hall relief from the North Palace of Nineveh (Irak), c. 645-635 BC, British Museum (16722368932)アッシュールバニパルの獅子狩りレリーフ 大英博物館蔵

big5
「オリエント全域にまたがる帝国を治めるためには、情報を迅速に伝達することが大切です。そのため、アッシリア帝国では駅伝制が整備されました。情報の重要さは、軍事でも基本ですので、アッシリアが情報伝達を重視していても不思議はありません。また、アッシュルバニパルは帝国の首都をティグリス川上流のニネヴェ(現在のイラク北部)に置きました。ニネヴェの発掘調査によって、アッシュールバニパルの王宮跡から膨大な量の楔形文字が刻まれた粘土板が発見されました。これは、世界最初の図書館だったのではないか?と考えられています。また、発見された粘土板は解読作業が進められ、古代メソポタミア研究が大きく進みました。そのため、これらの史料の研究することを「アッシリア学」と呼んだりします。それだけ、歴史に与えた影響は大きかったわけですね。」
名もなきOL
「そういえば、文字とか言葉はどうしていたんですか?広大な領土に様々な民族がいて、使う言葉も文字も様々だったらいろいろ大変ですよね?」
big5
「アッシリアでは、公用文字として「楔形文字で粘土板に記録されるアッカド語」と「アラム文字で羊皮紙に記録されるアラム語」の2つが使われていました。そのため、書記も常に2人組で記録を残していました。」
名もなきOL
「なるほど、比較的広い地域で通用していた2つの言語を使っていたんですね。例えていうなら、日本語と英語が公用語になっているみたいなかんじでしょうかね。」
big5
「こうして、史上初めてオリエントを統一したアッシリア帝国でしたが、その座を長く維持することはできませんでした。アッシュールバニパルが前627年に死去すると、後継者をめぐって内紛が勃発。また、アッシリアの力で無理やり屈服させられていた各地の民族も反アッシリア活動を始め、前625年にはカルデア人が独立して新バビロニアを建国。また、イラン高原ではイラン人らがメディアを建国し、エジプトでもエジプト人による第26王朝が独立するなど、あっという間にオリエントは分裂しました。アッシリア帝国の最後は前612年、新バビロニアとメディアの連合軍によって首都のニネヴェを攻略されて滅亡しました。」
名もなきOL
「やはり力に頼った統治は不安定なものなんですね。アッシリアの崩壊は、その表れだと思います。」

4王国分立時代

新バビロニアの特徴

big5
「さて、アッシリア帝国が滅んだ後、オリエントは主に4つの国に分裂しましたので、この時代を四王国分立時代と呼んだりします。四王国とは、エジプト、新バビロニア、アナトリア半島のリディア、そしてイラン方面のメディアです。四王国のうち、エジプト以外は知っておくべきポイントがあるので、まずはそこから見ていきましょう。」
名もなきOL
「エジプトだけポイントが無いなんて、ちょっと可哀想・・。」
big5
「無いことはないんですが、古代エジプトの時と比べるとどうしても見劣りするんですよね。また、同時代の新バビロニアとかの方が、有名なネタが多いのでかすんでしまうんですね。
さて、四王国の中でも絶対に知っておくべきなのが新バビロニアです。新バビロニアを建国したのは、遊牧民のカルデア人だったのでカルデア王国とも呼ばれたりしますが、新バビロニアの呼称が一番多いですね。
新バビロニアの王様で知っておくべき重要人物がネドカドネザル2世です。ネブカドネザル2世が有名になった1番の理由は、前586年にヘブライ人のユダ王国を滅ぼし、一部のユダヤ人をバビロンに連行していったことでしょう。これが聖書が伝えるエピソードとして有名なバビロン捕囚です。」
名もなきOL
「バビロン捕囚、用語は覚えています!でも、どの時代のどの辺の話だったんだろう、って思ってました。新バビロニアのネブカドネザル2世の時の話なんですね。」
big5
「それ以外にも、ネブカドネザル2世を有名にした建築物がイシュタル門,、空中庭園バベルの塔です。まずイシュタル門から見ていきます。バビロンの街は全長18kmにも及ぶ二重の城壁で守られていました。城壁には数カ所の豪華な飾りを持つ門が作られたのですが、そのうちの一つがイシュタル門です。これは、ドイツのベルリンにあるペルガモン博物館に復元された門があります。こちらです。」

Pergamonmuseum Babylon Ischtar-Tor撮影日:2004年3月24日 Author:Raimond Spekking

big5
「空中庭園は、古代の七不思議の一つに数えられています。「空中」というと浮いているイメージがありますが、さすがに浮いてはいません。名前の由来はギリシア語で、「吊り下げられた」という意味を「空中」と訳された、というのが由来みたいですね。空中庭園は、ネブカドネザル2世の王妃であるアミュティスに対し、王が故郷のメディアの緑を思い出して慰めてあげようとした、という理由で作られた、という伝説になっています。ただ、この空中庭園がどこにあったのかは謎に包まれており、実在しなかったのではないか、という説もあります。」
名もなきOL
「王妃のために作った、っていう話はとてもいいですね。でも、私も実在はしなかったんじゃないかな、って思います。」
big5
「バベルの塔は、ネブカドネザル2世がバビロンに築いた巨大なジッグラトがモデルなんじゃないか、と言われていますが、これも推論の域を出ていません。いろいろ謎が多いですね。ただ、昔からこれらの伝説は伝えられていたので、これにまつわる絵もよく描かれました。例えば、下の絵のような構図が空中庭園とバベルの塔の絵として有名ですね。」

Hanging Gardens of Babylon空中庭園と奥に見えるバベルの塔

big5
「こんなかんじで、ネブカドネザル2世の時代に新バビロニアは繁栄を極め、「バビロンの栄華」と呼ばれたのですが、ネブカドネザル2世の死後は急速に衰え、前538年に後述するアケメネス朝ペルシアキュロス2世に滅ぼされてしまいました。」
名もなきOL
「要点をまとめると、新バビロニアはカルデア人が建国した国。ネブカドネザル2世はバビロン捕囚、イシュタル門、空中庭園、バベルの塔で有名な最盛期の王。アケメネス朝ペルシアのキュロス2世に滅ぼされた、というところですね。」

リディアの特徴

big5
「次にアナトリア半島に栄えたリディアです。リディアは首都をサルディスに置きました。」
名もなきOL
「リディアって外国の女性の名前みたいですね。」
big5
「そうですね。英語の綴りも"Lydia"なので、外国人女性のリディアと同じです。たぶん、英語圏の人もリディアの名前を見たら女性を連想するんじゃないでしょうか。なお、古代オリエント4王国のリディアは、特に女性らしい特徴があったわけではありません。リディアの特徴は金貨を鋳造していたことにあります。古代で金貨を鋳造していたのはリディアくらいのもので、これはかなり先進的なものでした。リディアの王・クロイソスは鋳造金貨を用いた経済で交易を円滑化させ、サルディスは飛躍的に発展。クロイソス王も巨万の富を得たそうです。しかし、アケメネス朝ペルシアのキュロス2世が力をつけると、前546年に攻め込まれて敗北。クロイソスは降伏してリディアは滅びました。なお、新バビロニアよりも8年早く滅ぼされていまることになりますね。」
名もなきOL
「要点をまとめると、リディアの首都はサルディス。鋳造金貨を用いてクロイソス王は大金持ち。しかし、アケメネス朝ペルシアのキュロス2世に滅ぼされた、というところですね。アケメネス朝ペルシアのキュロス2世ってこれで2回目の登場ですね。きっと、次の世代の重要人物なんでしょうね。」
big5
「OLさん、鋭いですね。その通りです。アケメネス朝ペルシアのキュロス2世はこの後も登場します。」

メディアの特徴

big5
「最後はイラン方面に栄えたメディアです。首都はエクバタナ(現在のハマダーン)です。」
名もなきOL
「今度は報道機関みたいな名前なんですね。でも、報道機関はあまり関係ないんですよね?」
big5
「英語の綴りも"Media"なので、英語圏の人は報道機関を連想するかもしれない・・・です。それはさておき、メディアはイラン方面を中心に広い地域を領土としていました。特徴としては、ゾロアスター教が広まったことですね。ゾロアスター教は火を神聖視することが特徴で、日本語では「拝火教」と呼ばれることもあります。主神はアフラ・マズダで、聖典はアヴェスターです。アヴェスターはかなり難解で、教義の詳細は不明点が多いそうですが、特徴的なのが善悪二元論と呼ばれる話で、善の神の軍団と悪の神の軍団が戦っており、それが人間世界にも影響与えている、というものです。イスラム教が広まるまで、この辺りではゾロアスター教が一般的な宗教になりました。
メディアは複数の民族を支配していましたが、そのうちの一つがイラン高原に勢力を持つペルシア人で、当時はアケメネス家がペルシアの指導者となっていました。新バビロニア、リディアを滅ぼしたアケメネス朝のキュロス2世とは、このアケメネス家の当主です。メディア王の娘と結婚して娘婿となり、前549年にはメディアに対して叛旗を翻して打倒。新王朝であるアケメネス朝ペルシアを建国しました。」
名もなきOL
「要点をまとめると、メディアの首都はエクバタナ。ゾロアスター教が広まった。アケメネス朝ペルシアのキュロス2世の反乱によって滅ぼされた、というところですね。アケメネス朝のキュロス2世はメディア、リディア、新バビロニアの3国を滅ぼして、オリエントをほぼ統一した、ということですね。」

アケメネス朝ペルシア

オリエント再統一

big5
「さて、最後の章はOLさんの予想通り、アケメネス朝ペルシアです。四王国分立時代の章で見た通り、メディア王の娘婿だったアケメネス朝ペルシアのキュロス2世は反乱を起こして前549年にメディアを滅ぼし、3年後の前546年にはリディアに攻め込んでクロイソス王を降伏させ、さらに8年後の前538年には新バビロニアを滅ぼしました。イラン、メソポタミア、アナトリア方面を支配下に置き、オリエント方面で残った国はエジプトのみとなりました。」
名もなきOL
「キュロス2世はエジプトも滅ぼしたんですか?」
big5
「いえ、エジプトを滅ぼしたのはキュロス2世ではなく、息子のカンビュセス2世です。前525年、カンビュセス2世はエジプト(当時は第26王朝)を滅ぼして自らファラオに即位。こうして、アケメネス朝ペルシアはオリエントを統一した2番目の国になりました。」
名もなきOL
「アッシリアの滅亡が前612年なので、そこから数えるとアケメネス朝ペルシアの再統一まで約90年間あったことになりますね。」

ダレイオス1世とアケメネス朝ペルシアのオリエント統治

big5
「オリエントを再統一したアケメネス朝でしたが、その後間もなく王位をめぐって後継者争いが勃発しました。前522年、この戦いを制して即位したのがアケメネス一族のダレイオス1世です。各地で起きた反乱などを鎮圧したダレイオス1世は、広大な帝国の政治に取り組みました。まず、国内を20州に分けて、それぞれにサトラップ(行政官)を任命して派遣し、統治させました。そんなサトラップたちが任地で不正を働いたり反乱を起こさないように王の目・王の耳と呼ばれる監督官を置いてサトラップたちを監視させました。」
名もなきOL
「なるほど。広い国ですからサトラップだけでも20人いることになりますからね。ダレイオス1世が全国を巡って監視するのも限界がありますもんね。」
big5
「また、王の道と呼ばれる幹線道路も整備したことが有名です。この幹線道路はイランのスサから元リディアの首都だったサルディスを結ぶ長い長い道です。この幹線道路に駅伝制を整備し、スサからサルディスまで6〜8日で到着できるほどの速さだったそうです。他にも、港の建設や貨幣の鋳造、度量衡統一など、古代における大帝国の下地を整備していきました。
また、ペルシアの地に宗教祭儀のための都としてペルセポリスの建設を始めました。アケメネス朝の政治上の首都はスサなのですが、他にも「都」がありました。その一つがペルセポリス、夏の都としてサルディス、冬の都としてバビロンとなっていました。」
名もなきOL
「その辺はアッシリアと共通しているところもありますね。ちなみに、アケメネス朝ペルシアでは何が公用語だったんですか?」
big5
「公用語はペルシア語です。ペルシア人の国ですからね。文字は楔形文字を使いました。アケメネス朝ペルシア時代の有名な史料に・ベヒストゥーン碑文というのがあるのですが、それに書かれているのは楔形文字です。他に、商業用語としてアラム語やアラム文字も広く使われていたそうですよ。
なお、宗教はゾロアスター教が主ですが、その他の宗教も認められていました。このあたりは寛容だったみたいですね。」
名もなきOL
「これらの業績があるから、ダレイオス1世は「大王」とも呼ばれるんですね。確かに、これだけのことができるのは凄いと思います。」
big5
「そうですね。しかし、ダレイオス1世の治世の後半には失敗もありました。ペルシア戦争です(古代ギリシア後編 戦争と没落参照)。ギリシア人のイオニア植民市の反乱から始まったペルシア戦争のうち、イオニア反乱鎮圧(前500年)、第一次遠征(前492年)と第二次遠征(前490年)はダレイオス1世の時代に行われたものです。特に第二次遠征はマラトンの戦いで手痛い敗北を喫し、失敗に終わっています。ペルシア戦争については、上記の「古代ギリシア後編 戦争と没落」で扱うこととします。

と、言ったところで今回はここまで。ご清聴ありがとうございました。次回もお楽しみに!」
名もなきOL
「今日もありがとうございました。」

大学入試 共通テスト 過去問

big5
「大学入試共通テストでは、古代オリエントのネタはよく出題されています。古代史は、最初の方で習うので試験前には内容を忘れがちです。古代オリエントについては試験前に復習しておけば、運よく出題されるかもしれません。」

平成26年度 世界史B 問題34 選択肢4
・新バビロニアがヘブライ人をバビロンに連行した。〇か×か?
(答)〇。上記の通り、新バビロニアのネブカドネザル2世がユダ王国を滅ぼした際にヘブライ人(ユダヤ人)をバビロンに連行した「バビロン捕囚」を行っています。

平成30年度 世界史B 問題13 選択肢3
・ユダヤ教徒は、唯一の神アフラ=マズダを信仰している。〇か×か?
(答)×。上記の通り、アフラ・マズダはゾロアスター教の主神です。ユダヤ教徒の唯一神はヤハウェです。

平成30年度 世界史B 問題23 選択肢4
・アッシリアは、テーベを首都とした。〇か×か?
(答)×。上記の通り、アッシリアの首都はニネヴェです。テーベではありません。

令和2年度 世界史B 問題31 選択肢2
・ヘブライ人は、ミタンニ王国によってバビロンに強制移住させられた。〇か×か?
(答)×。上記の通り、バビロン捕囚をやったのは新バビロニアのネブカドネザル2世です。ミタンニ王国ではありません。

令和2年度追試 世界史B 問題3 選択肢2
・アケメネス朝で、「王の道」と呼ばれる公道が整備された。〇か×か?
(答)〇。上記の通り、アケメネス朝ペルシアのダレイオス1世の時代に王の道が整備されました。

令和4年度 世界史B 問題6 選択肢2
(問題)アッバース朝の下で、キリスト教からイスラム教に改宗する人が増えた要因となった出来事として正しいものを選べ。
・ダレイオス1世によって、ペルセポリスの建設が始められた。〇か×か?
(答)×。選択肢の内容自体は正しいのですが、アッバース朝ではなくアケメネス朝の話なので〇にはなりません。問題文をちゃんと読んでないと間違う選択肢なので要注意です。

令和4年度追試 世界史B 問題23
(問題)ポリュビオスは著書であるローマの「歴史」の中で、ローマと比較すべき過去の大国として3つ挙げている。一つ目はギリシアとの戦争がヘロドトスの史書の主題ともなった(エ)で・・(中略)・・3つ目は(オ)を挙げて次のように述べている。
(オ)はまずヨーロッパ内の支配領域を広げたが、これはヨーロッパ全域のほんの一部分にすぎない。その後、(エ)を滅ぼしてアジアにも覇権を拡大した結果、史上最大の地域と人口を配下に従えたと称賛されるようになったけれども・・・・
(エ)にあてはまる語と、(オ)の国が支配下に入れなかった地域との組み合わせとして正しいものを選べ。
(エ)アッシリア or アケメネス朝
(オ)イベリア半島 or エジプト

(答)(エ)アケメネス朝(オ)イベリア半島。上記のように、ギリシアと戦争し、それがヘロドトスの「歴史」にも描かれたのはアケメネス朝であることは基本的な知識。(オ)については、あてはまる言葉ではなく(オ)が支配していない地域を選ぶという、一ひねり入った問題だが、(オ)は(エ)のアケメネス朝を滅ぼしているのでアレクサンドロス帝国であることがわかる。アレクサンドロス帝国はイベリア半島は支配していないので、(オ)イベリア半島が正解となる。


古代 目次へ戻る

この解説は、管理人の趣味で作成しております。解説が役に立ったと思っていただければ、下記広告をクリックしていただくと、さらなる発展の励みになります。



参考文献・Web site
古代オリエント博物館
東京豊島区にある古代オリエント専門の博物館。公益財団法人として1977年に設立されて今に至ります。

岡山市立オリエント美術館
岡山県岡山市にある古代オリエント専門の美術館。名前の通り、岡山市営の美術館です。