big5
「さて、今回は前回「アレクサンドロス大王の遠征とヘレニズム時代」の続きで、ヘレニズム文化です。まず、ヘレニズム文化の重要ポイントとして以下の2つを覚えましょう。
@ヘレニズム文化=ギリシア風文化
Aアレクサンドロス大王の遠征でギリシア国内のみならず、東は日本にまで影響を与えた
」
ということです。これについては、彫刻なんかがわかりやすいですね。古代ギリシアの所で勉強したような写実的な彫刻が、インドのガンダーラ美術のような写実的な仏像が、ヘレニズム文化の影響を受けているものの代表例ですね。そして、インドのガンダーラ微実が中国を経て日本にも入り、天平文化となっています。」
名もなきOL
「本当に広い範囲に影響を及ぼしたんですね!」
big5
「はい、広範囲に影響を及ぼしたというのもヘレニズム文化の特徴の一つです。ヘレニズム文化の特徴としては、以下のポイントも知っておくと、より理解が深まります。
@ポリス社会が崩壊し始め従来の価値観が変化 ⇒ 哲学の分野などで世界市民主義や個人の幸福を追求する個人主義の風潮が高まる。
Aヘレニズム文化の中心地として、エジプトのアレクサンドリアや小アジアのペルガモンが発展。特に、アレクサンドリアのムセイオンには大量の文書が保管され、知識が集成された。
さて、それではまずは見た目にもわかりやすい美術の分野から見ていきましょう。」
big5
「ヘレニズム文化にもいくつかの分野がありますが、まずは美術から見ていきましょう。美術が一番見た目にもわかりやすいので。ヘレニズム時代の美術の特徴としてよく言われるのは
・古代ギリシア時代の調和・均斉が失われ、自由な作風が広まった。
・性格描写や感情表現などに優れた技巧を持っている。
という点です。最初に登場するのはミロのヴィーナスです。」
名もなきOL
「これは私も見たことあります。超有名な彫刻ですね。」
big5
「ミロのヴィーナスとは、エーゲ海のメロス島(ミロ島)で1820年に偶然発見されました。この像は、おそらくギリシアの愛と美の女神・アフロディーテだろう、と考えられています。作者は前130年頃に活動していたアンティオキアのアレクサンドロスではないか、と推測されていますので、ヘレニズム時代中期頃の作品ですね。」
名もなきOL
「そういえば両腕がないですけど、これは元々そうだったんですか?」
big5
「発見された時から両腕は無かったそうですよ。断面を見ると、表面が荒いのでおそらく取れてしまったのでしょう。ただ、両腕が無いことが、より人々の想像力を掻き立てることになりました。これまでに、いくつもの想像復元像が発表されています。ただ、どれも証拠不十分で推測の域を出ていません。」
名もなきOL
「無い部分を想像して楽しむ、という感覚は私もわかります。仮面をかぶっていた方が、より美しく見えるとかありますしね。」
big5
「次はラオコーンの群像です。ヘレニズム文化の特徴である「感情表現」の技巧が一番わかりやすいと思います。」
名もなきOL
「これも資料集に載ってましたね。ちょっと怖かった像です。でもこれって、どういう題材なんですか?」
big5
「題材はトロイ戦争です。トロイ戦争の話については「エーゲ文明」の回で紹介していますので、あまりよく知らない方は是非ご覧ください。ラオコーンは、トロイに仕える神官です。長引いたトロイ戦争の決着をつけたのは、ギリシア軍の木馬、いわゆる「トロイの木馬」でした。トロイはこの木馬を神の使いと考えて城内に引き入れてしまったのが運の尽きだったのですが、この木馬を城内に入れることに大反対したのがラオコーンだったんです。ところが、それでラオコーンはトロイの神々の怒りを買ってしまい、二人の息子と共にウミヘビに食べられてしまうんです。この像は、そのシーンを表現しています。特に、苦痛に歪むラオコーンの表情が劇的になっていますね。」
名もなきOL
「ラオコーンの反対は正しかったのに、それが理由で神々に殺されてしまうなんて、ラオコーンさんもたまらないですね。でも、確かにこの像はインパクトありますね。」
big5
「ラオコーンの群像と同じくらい、歴史資料集などによく出てくるのが↓の「瀕死のガリア人」です。」
名もなきOL
「ガリア人って、確かローマのカエサルに討伐された民族じゃなかったでしたっけ?この時代に登場するのは変なような・・・?」
big5
「そこはよくある勘違いなので、説明が必要ですね。ガリア人というと、確かにOLさんが言うように、現在のフランスあたりに住んでいた民族のことを指しますね。共和政ローマの後期にカエサルによって征服され、カエサル自身がその記録として残した『ガリア戦記』でも有名です。ただ、ガリア人はけっこういろいろな所に移動していて、小アジアに移住していたガリア人もいました。なので、小アジアのガリア人はガラティア人と呼ばれて区別されることもあります。『瀕死のガリア人』のガリア人は、このガラティア人を指しています。ペルガモン王国のアッタロス1世が、ガラティア人と戦って勝利したことを記念して作られた像なんです。なお、制作当初はもっと多くの敗れたガリア人が作られていた群像となっていたみたいですね。」
名もなきOL
「なるほど。それなら、「瀕死のガラティア人」という名前にしてほしいですね。」
big5
「紹介するヘレニズム美術の彫刻作品は次で最後です。最後に紹介するのはサモトラケのニケです。」
名もなきOL
「これも見たことあります。翼が生えているんですけど、顔とか腕がなくて、ちょっと怖いですが神秘的ですよね。」
big5
「サモトラケとはエーゲ海の島の一つで、ニケとは勝利の女神です。前200年〜190年の間に、エーゲ海南東のロードス島の人々がセレウコス朝のアンティオコス3世との戦いに勝利したことを記念して、サモトラケのニケを作ったそうです。ミロのヴィーナスと同様に腕が欠けてしまっていることに加え、頭もないので損傷が多いのですが、残っている部分だけでもたいへん神秘的ですよね。特に翼の部分が印象的な作品です。なお、現在はパリのルーヴル美術館にあります。」
名もなきOL
「ヘレニズム時代の彫刻って、どれも有名なものですね。私は、ヘレニズム文化のものとは知りませんでしたが、どれも資料集とかで見たことありました。」
big5
「そうですね。古代ギリシアの彫刻も美しいですが、ヘレニズム文化の彫刻は勢いがあるというか、豪華で目立ちやすいですからね。
このような美術に代表されるヘレニズム文化の中心地として栄えたのが、エジプトのアレクサンドリアと、小アジアのペルガモンです。ペルガモンは「アレクサンドロス大王の遠征とヘレニズム時代」で、後半に登場するアッタロス朝ペルガモンの首都です。プトレマイオス朝やセレウコス朝と比べると知名度がやや低いですが、文化的な発展度ではかなりのものだったと考えられています。このペルガモンに建設されたゼウスの大祭壇を復元したものが、ドイツのベルリンにあるペルガモン美術館にあります。こちらです。」
名もなきOL
「これも凄い豪華で華麗ですね。完全な状態を見てみたいですね。」
big5
「ヘレニズム文化のイメージはつかめてきたでしょうか?次は、古代ギリシアの流れを受け継いでいる哲学の話をしますね。」
big5
「古代ギリシアで発展した哲学ですが、ヘレニズム文化でも引き続き発展していきました。ただ、その考え方は時代の変化に合わせて変わり始めました。まずはゼノンとゼノンからはじまったストア派(禁欲主義派)についてです。」
名もなきOL
「ストア派ってお店みたいな名前ですね。禁欲主義、っていうことはなんとなく想像できますが、これはどういう思想なんですか?」
big5
「まず「ストア」というのはお店ではなく、古代ギリシアの列柱廊のことをいいます。あの円柱の柱が並んでいる廊下のような場所で、ゼノンらが熱く論じていることが多かったので、「ストア派」という名前が付けられたそうです。
「ストア派」の考え方はこのようなものです。これまで、古代ギリシアのたいていの人は、自分が生まれたポリスの中で一生を終えるのが普通でした。外国に行って、その国で生活するとかは、一部の人だけの人生でした。ところが、アレクサンドロス大王がはるかインドまで領土を拡大したことにより、世界各地にギリシア人が支配者側として活躍の場を広げ始めたんです。ギリシア人から見た世界は、一気に広がっていったことでしょう。もう、「古代ギリシア人=ポリスの人」という図式は成り立ちません。大きく広がった新しい環境で、ポリスと言う古い枠組みにとらわれない新しい市民、つまり世界市民(コスモポリタン)としてどのように生きていくのが、個人の幸福に繋がるのだろうか?それは、自分の理性に従って生きることで、心の平安を得ることだ、という考え方です。」
名もなきOL
「理性で制御すべき、ということですね。」
big5
「英語で「禁欲的」を意味するストイック(stoic)は、ストア派が語源になっているそうですよ。ストア派の考え方は、ギリシアがローマの支配下に入った後も、ローマ人の哲学者らによって受け継がれていきました。
理性による制御を重んじるストア派に対して、もっと自然な人間の状態を理想としたのがエピクロスらのエピクロス派(快楽主義派)です。快楽主義派というと、遊び呆けているのを想像するかもしれませんが、遊び呆けているわけではありません。人間にとって理想的な状態とは、肉体的な苦痛が無いことはもちろん、精神的な苦痛も無い状態である、と考えました。そのため、ストア派のように「理性で制御する禁欲的な」のは精神的な苦痛を伴うので理想的な状態ではない、という考えになります。エピクロス派の考え方は、視点が人間個人に集中しているため、個人主義とも呼ばれます。
アレクサンドロス大王の遠征によって、世の中は大きく変わりました。哲学の世界でも、その影響を大きく受けて新たな考え方が生まれたわけですね。」
big5
「ヘレニズム時代には、自然科学の分野も発展を遂げています。世界的に有名な学者も多いです。まずはエウクレイデス(英語名は「ユークリッド」)から見ていきましょう。」
名もなきOL
「エウクレイデスは私も覚えています。私が学生の頃は「ユークリッド」で教えられましたね。」
big5
「エウクレイデスは幾何学を体系的にまとめたことでたいへん有名です。現代でも「ユークリッド幾何学」という名の学問体系になっていますからね。エウクレイデスには謎がたいへん多いのですが、プトレマイオス朝エジプトを開いたプトレマイオス1世が治めていたアレクサンドリアで活動していました。なので、ヘレニズム時代の中でも初期に活躍していることになりますね。
続いては天文学者のアリスタルコスです。」
big5
「アリスタルコスはエーゲ海の島々の一つであるサモス島の人なので、「サモスのアリスタルコス」と呼ばれることもあります。前310〜230年人なので、エウクレイデスとほぼ同じくヘレニズム時代前期の人ですね。アリスタルコスは宇宙の中心は地球ではなく太陽だ、という「太陽中心説」を唱えました。」
名もなきOL
「それ、当たってますね。凄いじゃないですか、アリスタルコスさん!・・でも、他の人に比べると知名度があまり無いのは何故なんでしょうか?」
big5
「理由はいくつかあると思いますが、一番の理由は「当時はほとんど受け入れられなかったから」だと思います。ア当時はまだまだ「地球こそが宇宙の中心」という考え方が主流でした。アリスタルコス自身も、当初は「地球が宇宙の中心」と考えて、観測や検証を行った著作を残しています。ただ、アリスタルコスは観測を続けた結果、「宇宙の中心は地球ではなく太陽なのではないか?」と考えるに至ったそうです。ただ、当時の考え方の主流にはなりませんでした。」
名もなきOL
「古代ギリシアの文化で原子論を唱えたデモクリトスさんのケースに似ていますね(古代ギリシア文化参照)。」
big5
「さて、次は地球の大きさを測定したエラトステネスです。紀元前275年〜194年の人なので、ヘレニズム時代の中頃に活躍した人です。」
パブリック・ドメイン, リンク
名もなきOL
「エラトステネスさん・・・う〜ん、知らないです。。」
big5
「エラトステネスも多才な人なのですが、特に有名なのは地球は球形になっているとし、地球の円周の長さを計算したことです。南の街では夏至の日に太陽が井戸の底まで届く、つまり南中高度が90度となることを知ると、これを利用できると考えました。夏至の日にアレクサンドリアで地面に対して垂直に立てた棒と棒の影が作る角度が緯度の差によるものと考えたんです。棒と影の角度は7.2°、つまり360°の50分の1でした。なので、南の街とアレクサンドリアの距離を50倍したものが地球の周の長さに相当する、と考えたわけですね。」
名もなきOL
「なるほど、理屈はそんなに難しくはないですね。でも、影の角度の違いで地球の円周の長さを計算できるなんて思いつくとなんて、やっぱり学者さんは凄いと思いました。」
big5
「エラトステネスはアレクサンドリアのムセイオンの館長を勤めており、上記のような天文学だけでなく、数学や地理にも通じていました。当代きっての学者と言えるでしょう。
さて、最後は世界的にも有名なアルキメデスです。」
名もなきOL
「アルキメデスは私でも知っています。お風呂に入った時に溢れたお湯の量で体積が図れることがわかる「アルキメデスの原理」に気づいて、裸で飛び出した話で有名ですよね。」
big5
「アルキメデスは前287年頃の生まれで亡くなったのは前212年なので、エラトステネスとほぼ同時代の人ですね。アルキメデスも有名な割には謎が多いのですが、彼が活動拠点としていたのはシチリア島のギリシア人植民都市・シラクサでした。OLさんが言及したお風呂から溢れる体積の測定方法の話も、元々はシラクサの僭主・ヒエロンが注文した金の冠に、正しく金が使われているかどうかを調べる方法だったんです。そして、アルキメデスが生きた時代、ローマでは第二次ポエニ戦争が勃発していました。シラクサも戦争に巻き込まれ、ローマ軍の攻撃を受けます。この時、アルキメデスはいくつかの防衛用兵器を作ってローマ軍を苦戦させました。しかし、ローマ軍は強くシラクサはついに陥落します。アルキメデスはローマでもたいへん有名だったので、特別に保護する命令が出ていました。ローマ軍がシラクサに乗り込んだ時、アルキメデスは戦争など意にも介せず地面に円を描いていろいろと考察していました。ローマ兵が近づこうとして円を踏むと、考察の邪魔をされたアルキメデスは怒って「私の円を踏むな!」と叫んだところを、ローマ兵に斬り殺されました。ローマ兵は、まさか地面に円を描いてブツブツ言っている老人がかの有名なアルキメデスだとは思わなかったそうです。」
名もなきOL
「戦争ってやっぱり怖いですね。アルキメデスは殺してはいけないと命令されていたのに、結局殺されてしまったんですね。」
big5
「まさにその通りです。どんな大義名分があっても、戦争の現場は弱肉強食、破壊と殺戮の惨劇の場でしかないです。アルキメデスの最期は、それを端的に示していると思いますね。」
big5
「ヘレニズム文化、最後のテーマは文学です。見た目にもわかりやすい美術(彫刻)や、有名な自然科学者、哲学者に比べるとヘレニズム時代の文学は知名度がだいぶ下がりますが、後のローマ時代に大きな影響を与えています。まず、ギリシア新喜劇作家のメナンドロスです。」
big5
「ギリシア喜劇といえば、ペロポネソス戦争時代に活躍したアリストファネスが有名ですね。その時代から100年近く経った後も、ギリシアでは演劇が盛んでした。メナンドロスはアテネの人で、多くの喜劇を作って人気作家となっています。特に、市民の日常生活や恋愛を描くものが多かったようです。メナンドロスの作品は人気が高く、ローマ時代の作家もメナンドロスの作品を引用したり、セリフが使いまわされたりと、ローマ文化へ与えた影響が大きいです。」
名もなきOL
「確かに知名度はあまり無いですけど、後の時代に、しかも同じギリシアではなく外国のローマ人に影響を与えるなんて、なかなかできないことですよね。」
big5
「文学は目に見える「有形物」では無いので、その価値や影響力はわかりにくい面がありますが、人間の生活に大きな影響を与えることができます。特に、近世以降の文学は、現代にも残る名作が多いので、文学を楽しむのも歴史の楽しみ方の一つですよ。
と、言ったところで今回はここまで。ご清聴ありがとうございました。次回もお楽しみに!」
名もなきOL
「今日もありがとうございました。」
big5
「大学入試共通テストでは、アレクサンドロス大王とヘレニズム時代のネタはたまに出題されています。古代史は、最初の方で習うので試験前には内容を忘れがちです。他の分野に比べて優先度は低いものの、試験前に復習しておけば、運よく出題されるかもしれません。」
令和2年度 世界史B 問題6 選択肢b
・ガンダーラ美術は、古代ギリシアの美術(ヘレニズム美術)に影響を与えた。〇か×か?
(答)×。文章の意味を確認するのにちょっと時間がかかって迷うかもしれませんが、これは逆です。ヘレニズム美術がガンダーラ美術に影響を与えているので、この文は誤りとなります。
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