センター試験 世界史B 2014年

第4問 A

問1(通し番号:28)
「迫害を逃れたムハンマドが新たな共同体(ウンマ)を建設した都市の位置は、地図の4地点のうちどれか?」

big5
「地図を見て、正解の場所を選ぶ問題です。これは比較的簡単な問題なので、確実に取りたい問題ですね。」


高校生A
「世界史って、範囲が広くて、都市名とか地名とか覚えにくいんですよね。」
big5
「世界史を勉強するときは、地名・都市名とかが登場するたびに、地図を見て位置を確認する習慣をつけておくことをオススメします。特に最初のうちは、出てくるたびに確認したほうがいいよ。それを繰り返せば、だんだん頭にインプットされてきますので。実際、センター試験でも地図から選ぶ問題は毎年出てます。」
高校生A
「え〜、毎回確認するのはめんどくさいな。」
big5
「『勉強』という感覚で地図を見ると、めんどくさいって思うかもしれないけど、海外旅行でどこに行くかを考える、なんて考えてみたらどうかな?例えば、聞いたことがある現代の都市の位置と比較するとか、自分が知っている情報と比べていくと、自分なりの覚え方もできるようになります。」
高校生A
「そういえば、この問題はbが答えだ、ってわかったけど、それはメッカがだいたいこの辺、って覚えていたから解けました。」
big5
「そうですね、そうやって考えて解くこともできます。ただ、この問題で聞いているのは、イスラム教の聖地・メッカではなく、ヒジュラ(聖遷)の地であるメディナの位置なんですね。というわけで、この問題にヒジュラ(聖遷)について、概要を確認してみましょう。
イスラム教の教祖・ムハンマドは、もともとメッカの商人だったのですが、ある日神の声を聞き、イスラム教の布教をメッカで始めました。しかし、否定・迫害されてメッカから逃げざるを得なかったんです。それで逃げて落ち着いた先がメッカの北方300kmくらいにあった都市・メディナだったんですね。ここで、ムハンマドはメディナを拠点としてイスラム教徒らを増やして一大勢力に成長し、自分を迫害したメッカに攻め込んで占領しました。
こういう経緯があるので、イスラム教ではムハンマドがメディナに移ったことを「ヒジュラ」と呼んで特別視しています。イスラム暦も、ヒジュラの年から始ってるくらい、重要イベントなんです。
メディナの位置が正確にわからなくても、教科書とか地図帳とかを見た時に、メッカに近い、という印象をつかんでおけば、正解できたと思います。」
高校生A
「ちなみに、他の選択肢の都市は何ですか?」
big5
「aはエジプトのアレクサンドリア。マケドニアのアレクサンドロス大王が建設した、という都市ですね。地中海に面していて、大きな灯台があったことでも有名です。cは私も断言できませんが、おそらくイラク南部の中心都市・バスラかな。dはイランの首都・テヘランですね。」
高校生A
「すご・・。俺はそんなに覚えられない・・・」
big5
「たぶん、地図を見ている回数が違うんですよ。」

問2(通し番号:29)
「「イスラーム神秘主義」を表す語はどれか?」

big5
「これは歴史用語、特にイスラーム用語の問題ですね。知っていれば確実に取れる問題ですが、知らないと勘に頼ることになります。」
高校生A
「これは何だろう・・?とりあえず、@のジハードは違います。ジハードは、異教徒との戦い、という意味なので。」
big5
「そのとおりですね。「ジハード」は、「聖戦」という訳語が使われることが多いですね。イスラームを守るための異教徒との戦い、を意味しています。となると、残り3つのうちどれになるかな?」
高校生A
「わからないです。。Cのシャリーアという言葉は聞いたことがあるような気もしますが・・・。」
big5
「シャリーアは、イスラームの法律のことです。聖典「コーラン(クルアーン)」などを基にして、イスラーム教徒が守るべきルールが定められています。
正解は、Bのスーフィズムです。」
高校生A
「その辺は覚えるしかないんですね。ちなみに、神秘主義とはどういう意味なんでしょうか?言葉からなんとなくわかるような気もするのですが・・・。」
big5
「イスラーム神秘主義=スーフィズム、という関係は確かに覚えるしかないかも。。神秘主義というのは、簡単に言うと、修行することで人間は神との一体感を得ることができる、という考え方です。たいていの宗教に、神秘主義的な考え方はあるみたいですね。仏教でも、お坊さんが悟りを開くために修行するとか、神秘主義的な考え方、と言えるかもしれません。イスラーム神秘主義の場合、礼拝や踊りで無我の境地に至り、それによって唯一の神・アッラーとの一体感を得る、というのが特徴的ですね。これを「スーフィーダンス」と言ったりします。中でも、長いワンピースのような服を着てクルクル回って踊るスーフィーダンスは「旋回舞踊」と言って、今では観光資源になったりしています。下のように、You tubeでも見ることができますので、一度見てみると記憶に残りやすいと思います。」



高校生A
「ああ、これはなんか見たことがあります。」
big5
「そうそう、そういう「見たことがある」とかを、「このスーフィーダンスは、イスラーム神秘主義の踊りなんだ」という記憶に変えていけば、「イスラーム神秘主義=スーフィズム」という式を暗記しようとするよりは、ずっと覚えやすいですし、応用が効きやすくなります。」
高校生A
「最後に、残ったAのバクティとは何ですか?」
big5
「これは、インドのヒンドゥー教の信仰の一種で、日本語では「絶対帰依」とか「無条件の献身」という訳語になっています。スーフィズムに似ていて、ひたすら信仰に徹することで、ヒンドゥーの神との一体感を得ることができる、という信仰です。バクティ信仰、と言ったりもします。バクティ信仰は、厳しい修行や難しい問答などは一切必要ないので、一般庶民にも受け入れやすい考え方だったので、インド各地の地元宗教などと融合して広まりました。そして、イスラームがインドに入って来た時、スーフィズムと共通する点が多かったので、この2つが融合したシク教が生れる母体にもなりました。」

big5
「なお、この問題には出てきませんでしたが、センター試験などに出そうなイスラーム関連の用語と意味は、知っておけば得点源になるので、特に以下の用語は覚えておくといいです。」
1.ヒジュラ:訳語は「聖遷」。メッカで迫害されたムハンマドが、メディナに移ったこと。
2.ラマダン:断食、あるいは断食月のこと。イスラム暦(ヒジュラ暦)の9月をラマダンといい、この月は日の出から日没まで食事ができない「断食」が行われる。
3.ハラール:イスラム教徒が食べてもよい食物。例えば、イスラム教徒は豚肉を食べることはできない。他の肉でも、処理方法が異なると食べてはいけないなど、けっこう細かい。

問3(通し番号:30)
「「理想化された過去との対話」に関して、次のaとbの正誤を判定しなさい。」
a) 人文主義(ヒューマニズム)においては、ゲルマン人の古典文化が重視された。
b) 王莽は、明の時代を理想とする政治を行った。


big5
「過去を理想化する、という共通点で2つの文章の正誤を判定させる問題ですね。問題文の流れとかは関係なく、aとbのそれぞれの正誤を個別に判定する問題です。」
高校生A
「こういう問題、正直苦手です。正しいようにも見えるし、間違っているようにも見えるし・・。」
big5
「歴史が苦手な人には、嫌われる問題ですね (^^;)。ただ、これも29番と同様に、比較的簡単な歴史的事実を知っていれば答えられる問題なので、背景をふまえながら勉強していきましょう。
まずはaの人文主義(ヒューマニズム)から。人文主義は、言うなれば「文学のルネサンス」でしょうか。ルネサンスは、いつの時代の芸術や美術を理想としていたか、覚えていますか?」
高校生B
古代ギリシャとローマです。この時代の彫刻品や絵画のレベルはかなり高かったと思うんですけど、中世になってからはかなり衰退しました。中世の絵とか見ると、正直レベルが低いと思います。」
big5
「レベル低い、とまで言うと語弊があるかもしれません(^^;) この時点で答えは出ましたね。aは誤りです。人文主義が重視したのは、ゲルマン人の古典文化ではなく、古代ギリシャ・ローマの文化です。
ここからは補足説明になります。古代ギリシャ・ローマ時代は人間を活き活きと描くことが普通でした。ところが、キリスト教が絶対的な権威を持ち、神をいただくローマ・カトリックが人間の精神面を支配する中世ヨーロッパでは、人間を活き活きと描写するなんてことは流行らなかったのは事実です。ルネサンスは、しばらく続いた中世の美術・芸術から脱却し、かつての古代ギリシャ・ローマの画風を復活させたわけですね。人文主義は、文学のルネサンスなので、文学面においても、神が支配する人間を描くのではなく、古代ギリシャ・ローマのように描く、つまり、キリスト教が人間の精神面を支配する前の描き方を取り入れていったことが特徴です。」
高校生B
「だから、人文主義は宗教改革の下地になった、と言われているんですね。」
big5
「その通りです。神に支配されない人間を描くようになると、ローマ・カトリックが神の名の下に支配している現状と比べるようになり、人々は「ホントに今の当たり前は正しいのか?」という疑問が生じてきました。それが、ルターの宗教改革が引き金となって、ヨーロッパ全体に宗教改革の嵐が吹いた、という流れです。
次はbですが、まず王莽(おうもう)は何をした人か覚えていますか?」
高校生A
「わからないです。名前を聞いたことがあるような気もしますけど・・。」
big5
「そうですね。正直なところ、王莽を知っている日本人はほとんどいないと思います。一部の古代中国史ファンや受験生が覚えているくらいでしょう。王莽は、漢王朝を乗っ取った人物です。漢は前漢と後漢に分けられていますよね。なぜ分けられているのか?その理由は、王莽が漢を乗っ取って「新」という王朝を一時的に作ったから、なんです。そして、漢の時代よりもはるか昔の「周」王朝の時代を理想として、現状にそぐわない政策を強行しました。これに対して、各地で反乱が起ったために、新は間もなく崩壊し、王莽も殺されてしまいました。
というわけで、bは誤りです。以上より、a,bともに誤りなのでCが正解となります。」
高校生A
「こんな知識まで覚えなければいけないんですね。やっぱりたいへんだな。」
big5
「ここまでの知識がなくても、答えを予測する推測はできるので、考え方をいくつか紹介しておきましょう。闇雲に知識をつめこもうとするよりは、かなり楽になると思います。
まず、王莽がいつの時代の人物なのか知っていれば、この説明は誤りであることがわかります。例えば、「教科書の最初の方に名前を見た」という記憶があれば、古代や中世の人物ですから、明の時代を理想とすることはそもそも不可能ですよね。なので、周の時代を理想としたことまで知らなくても、この説明が誤りであることは推測できます。
もう一つは、「明の時代を理想とする⇒清、清崩壊後の争乱時代、中華人民共和国時代の話でなければならない」という考え方です。明の次は清、清崩壊後は軍閥が抗争を続け、最後は中国共産党が勝利して中華人民共和国ができた、という知識があれば、明を理想とするのはこの時期でなければならない、と考えることができます。この時期の話に、王莽という人物が出てきたかどうか考えてみて、記憶がなければ「誤り」と推測できます。ただ、これだと正確性には欠けますが、完全に勘に頼るよりはいい考え方ですね。」
高校生A
「言われてみれば、確かにそうですね。」
big5
「こういう考え方ができるかどうかは、問題練習をしないとなかなかできないと思います。世界史であっても、やっぱり問題練習は大事なんですよ。」

この解説は、管理人の趣味で作成しております。解説が役に立ったと思っていただければ、下記広告をクリックしていただくと、さらなる発展の励みになります。

2014年 第1問
2014年 第2問
2014年 第3問
2014年 第4問 B
2014年 第4問 C
センター試験 世界史Bを解く 目次へ戻る

トップページへ戻る


マクロミルへ登録   ライフメディアへ登録