Last update:2016,Feb,20

最初の独立戦争

サトウキビ生産植民地 キューバ
big5
「キューバ島は1492年にコロンブスが発見したことでヨーロッパ人に知られることになりました。(参考:コロンブスの発見)。コロンブスはキューバ島のことを
『人間の目が見た最も美しい土地』
と、記しているそうです。」
名もなきOL
「そういえば、キューバに遊びに行った友達が、海岸線の景色がとてもキレイだった、って言ってたました。」
big5
「そうみたいですね。私はキューバに行ったことはありませんが、キューバの観光業の売りの一つは、景色の美しさ、みたいですね。
ただ、当時のキューバ島は無人島ではなく、シボネイ族と呼ばれる先住民がおよそ10万人ほど住んでいて、農業をして生活していたそうです。シボネイ族にとっては、コロンブスがキューバ島を発見したことは破滅の始まりとなりました。野心溢れる人々、探検家とも征服者とも言えるヨーロッパ人がキューバ島を軍事力で支配し、一儲けしようとする人がやってきたわけです。1511年にスペインのディエゴ・ベラスケスが軍を率いてキューバ島に上陸。シボネイ族らを軍事力で圧倒して追い散らしていきました。ちなみに、後にアステカ帝国を征服するエルナン・コルテス(26歳)は、ベラスケスの部下としてキューバ島遠征に参加しています。」
名もなきOL
「あの、すみません、質問なんですけど、ベラスケスってもしかして、スペインのバロック美術の巨匠と言われるベラスケスですか?」
big5
「いえ、別人です。スペインバロック美術のベラスケスが活躍したのは17世紀、つまり1600年に入ってからの話なので、この時から見るとおよそ100年後のことになります。ちなみに、バロック美術のベラスケスは1599年生まれなので、この時はまだ生まれていませんね。ベラスケス、というのは日本人の名字みたいなものなので、同姓の別人はいっぱいいます。」
日本史好きおじさん
「1511年というと、日本では戦国時代の前半くらいですね。当時の日本の軍事力は、まだ弓、槍、刀が中心でしたが、この時のスペイン軍はどんな武器を使っていたのですか?」
big5
「う〜ん、この時のベラスケス率いるスペイン軍の武装についてはまだ調べていませんので、今度機会があったら調べてみますね。推測になりますが、当時のヨーロッパ本土の戦争では、火縄銃が普及し始めた頃ですが、鎧を着た騎士もまだいましたし、長槍装備の歩兵隊も主力となっていましたので、おそらくベラスケス軍もこれと同程度だったのではないかと思います。あと、大砲は既に実戦投入されていましたので、大砲も持ち込んでいたかもしれません。」
日本史好きおじさん
「そうなると、おそらくシボネイ族という先住民では到底かなわなかったんでしょうね。」
big5
「はい、そのようです。シボネイ族は山に逃れて抵抗を続けたようですが、1514年にはベラスケス軍はキューバ全島をほぼ制圧し、生き残ったシボネイ族は奴隷としてスペイン人にこき使われるようになりました。スペイン人は、当初は金山を探していたようですが、キューバ島では金はほとんど採れなかったので、代わりにサトウキビの栽培地として使い始めました。これが、キューバの主力産業となっているサトウキビ栽培の始まりです。こうして、キューバはスペインの植民地としての歴史が始まりました。」
高校生A
「その辺の話は、センター試験に出ますか?」
big5
「ちょっとマイナーな知識だと思いますので、あまり細かいことは出題されないと思います。ただ、キューバが当初はスペインの植民地だった、という知識を問う問題は出てくると思いますし、キューバがスペインの植民地だったことを知っていれば、選択肢を絞ることができる、という問題は出てくると思います。」
名もなきOL
「奴隷にされたシボネイ族はどうなったんですか?」
big5
「その後間もなく絶滅しました。」
名もなきOL
「え?絶滅って・・」
big5
「キューバ島を征服したスペイン人達は、シボネイ族をサトウキビ畑栽培に酷使したそうです。現代日本のブラック企業もびっくりするぐらいの長時間労働に加えて、最低限の食事しか与えられず、狭い奴隷小屋に大人数が収容されていた、という劣悪極まりない環境だったそうです。当時のスペイン人達にとって、シボネイ族は家畜と同じ存在だったようです。厳しすぎる労働と劣悪な生活環境に加え、スペイン人から持ち込まれたヨーロッパの疫病に拠り、本当に絶滅してしまったそうです。なので、現在のキューバ人に、先住民であるシボネイ族の子孫である、という人はいないそうです。」
名もなきOL
「そんな、酷すぎる・・」
日本史好きおじさん
「やっぱりな。日本史にもむごい話はそれなりにあるが、外国の民族を根絶やしにしたり、人間を家畜同様の奴隷として扱う奴隷制で社会を維持するなんて話は出てこない。アメリカのインディアン弾圧も酷い話だが、スペインのこの悪事はそれ以上だな。ヨーロッパの歴史はそんな話ばっかりだ!」
big5
「気持ちはわかりますが、まぁ落ち着いて。今回はスペインや黒人奴隷に関わった国を糾弾することが目的ではありません。キューバの歴史を学ぶことが目的です。
ただ、シボネイ族絶滅という話は、あまり有名ではありませんが、スペインの汚点の一つであることは間違いないでしょう。かなり昔の話ではありますが、スペインという国を深く考える時に、このような歴史を持った国であることは、考えに入れておいた方がいいと思います。」
高校生A
「シボネイ族が絶滅した後はどうなったんですか?」
big5
「そこが重要なところです。新たなサトウキビ畑の労働力として、スペイン王室は1527年に、絶滅したシボネイ族の代わりにサトウキビ畑を栽培する新たな労働力として、アフリカの黒人奴隷を送り込むことを決めました。現在もいまだに完全解決していない大きな影響を与えている黒人奴隷の使用は、アメリカだけではないんです。キューバでは、およそ300年後の1880年代までに累計で100万人の黒人奴隷をキューバに送り込んだ、と考えられています。
スペインはキューバ島の主要地に都市を建設していきました。例えば、現在のキューバ首都であるハバナは1514年に建設され、1519年に現在の地に移転。以後、本国スペインと植民地を行き来する船の停泊地として発展していきました。しかし、当時のスペインによる植民地支配は苛烈極まる内容で、アフリカから輸入された黒人奴隷をほぼ無料の労働力として酷使していました。(参考:黒人奴隷貿易)」
名もなきOL
「ただ働き。。本当にブラック企業よりもヒドイんですね。」
big5
「そうですね。そういう背景もあって、植民地キューバの主要作物は、サトウキビになりました。サトウキビというのは、名前の通り、砂糖の原料です。温暖なカリブ海の気候でよく成長するので、キューバは絶好のサトウキビ生産地といえるでしょう。そして、キューバの産業はほとんどがサトウキビになりました。この影響は現代まで続いています。現代のキューバも、国の一番の産業はサトウキビ生産なのです。もちろん、キューバ農業の100%がサトウキビではありません。コーヒーやタバコも生産されていました。それでも、サトウキビがキューバの主要産業であることは間違いありませんでした。
1514年にキューバ中部に建設された都市・トリニダード(Trinidad)は、サトウキビの生産の中心地となり、サトウキビ農園主は巨万の富を得ることができました。なにしろ彼らのサトウキビ農園経営は、ブラック企業もビックリするほど、黒人奴隷をほぼ無料といえるほどの低コストで長時間酷使していたため、利益率は現代の企業よりもはるかに高かったと思われます。現在でも、当時のサトウキビ農園主の超豪華大邸宅が残っているそうです。
このように、サトウキビの生産地としての役割を課せられたキューバの社会は、巨万の富を誇る少数のスペイン人支配者層と、ひたすら酷使される多数の黒人奴隷層という、極端な貧富の差がある二層構造になっていました。」

最初の独立戦争 十年戦争
big5
「スペインによる植民地支配が始まっておよそ350年の年月が過ぎた19世紀中盤になると、キューバの植民地支配体制が揺らぎ始めました。植民地政府は無能、怠惰、汚職と、ダメな政府の三要素をしっかり備え、黒人奴隷の解放や減税案など、支配体制の根幹を変えるような意見や運動は軍事力で弾圧していました。そのため、サトウキビ農園主など支配者層の一部にも、植民地政府を改革しようという動きが起ります。当初は、使節団をスペイン本国へ送り、スペイン本国議会にキューバ代表を送り込むことで、植民地政府を改革しようとしましたが、本国政府は使節団に耳を貸そうとはしませんでした。」
高校生A
「それって、アメリカ独立革命の最初の時と似ていますね。」
big5
「そうですね、よく似ていると思います。そして、本国の対応もよく似ています。そんな中、急進派はついに独立戦争の火蓋を切りました。1868年10月10日、オリエンテ地方のヤラの町でサトウキビ農園を経営していたカルロス・マヌエル・デ・セスペデス(Carlos Manuel de Cespedes 49歳)は、自分が所有していた黒人奴隷を解放すると共に、奴隷解放と普通選挙の実施を求めてキューバの独立を宣言しました。この宣言はヤラの叫び(Grito de Yara)と呼ばれています。こうして、最初のキューバ独立戦争が始まりました。」
日本史好きおじさん
「1868年は、日本でも明治新政府が五カ条の御誓文を発表し、新国家の樹立を宣言している年ですね。同時に、戊辰戦争の始まりの年でもありました。日本とキューバは同じ年に、大きな事件があったんですね。」
big5
「はい。セスペデスの蜂起に加わる人々はどんどん増え、翌1869年に集結した革命軍の支持を得たセスペデスは、独立キューバの大統領に選ばれました。この勢いでキューバは独立を勝ち取るように見えましたが、話はそう簡単に進みませんでした。革命軍は政治方針の折り合いが合わないなどの様々な理由で内部分裂し、セスペデスは独裁的だと批判する派閥も現れ、1873年にセスペデスは辞任に追い込まれてしまいました。そして、翌年の1874年、山中に隠れていたところをスペイン軍が発見し、殺害されてしまいました(享年 55歳)。」
名もなきOL
「かわいそう。最初に勇気を持って独立のための戦いを始めた人なのに。。」
日本史好きおじさん
「こういうことは、日本史でもよくあるんですよ。最初に始めた先駆者が、その後の権力闘争で敗れ去ってしまう、という話は。古今東西共通の法則なんだと思います。」
big5
「セスペデスが始めた第一次キューバ独立戦争ともいえるこの戦いは十年戦争と呼ばれ、名前の通り10年間続きました。十年戦争は、たいへん悲惨な内戦であったと伝えられています。スペイン軍は、革命に加わった黒人奴隷らを容赦ない残虐行為で殺害し、革命側もその報復として無差別殺戮を行うなど、10年間の戦争の結果、革命軍、政府軍両者の死者は20万人にも膨れ上がり、物的損失は7億ドルと計算されています。
1876年にスペイン本国が送り込んだ2万5000の軍が上陸すると革命軍は活動縮小せざるをえなくなり、1878年、スペインが政治犯の釈放や革命に加わった奴隷の解放、奴隷制廃止などを約束したエルサンホン和約が締結され、十年戦争は終結しました。キューバの代表がスペイン国会へ参加することも認められたため、独立はできなかったものの、キューバが抱える社会問題の解決の糸口はつかめた、かのように見えました。しかしスペイン政府は約束を守らず、逆に増税と貿易制限という懲罰でキューバに報いたため、1895年にはリターンマッチともいえる2回目の独立戦争が勃発することになります。」

キューバ独立への道 略年表                
1492年

コロンブスがキューバ島を発見
1511年

ディエゴ・ベラスケスがキューバ島を征服し、スペイン植民地とする
1519年

ハバナが建設される
1868年
10月10日ヤラの叫び 十年戦争 開戦
1869年

セスペデスがキューバ革命軍の大統領に就任
1873年

セスペデス大統領が辞任に追い込まれる
1874年

セスペデスがスペイン軍に発見され、殺害される
1878年

エルサンホン和約締結 十年戦争 終結

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