宗教改革 (Reformation)


宗教改革は、ヨーロッパ世界を大きく変えた一大事件でした。どう変えたかと言うと、「プロテスタント」と呼ばれる新キリスト教勢力を生みだしたのです。キリスト教には、大別すると2つの派閥があります。一つは、教皇(ローマ法王、ともいう)をトップに頂くピラミッド型の組織である「カトリック」、そしてもう一つが、カトリックとは別の組織である「プロテスタント」です。宗教改革以前にも、キリスト教の世界では考え方の違いによりいくつかの派閥が生まれていましたが、ローマ教皇を頂点とするカトリック教会は、そのたびに「この考え方はただしいが、この考え方は異端(誤り)」と断定し、異端とされた考え方を支持する人は、同じキリスト教であるにも関わらず破門されたり、迫害を受けたりしていました。彼らはいわば少数派であり、実際に世の中を大きく変えるほどの力は持っていませんでした。しかし、1517年にルターによって火蓋を切られた宗教改革は、少数派では済まされないほど多数の「プロテスタント」を生みだしました。そしてしばらくの間、カトリックかプロテスタントであるかの違いが重要な対立軸となりました。
ここでは、1517年から1563年までを宗教改革の時代とし、その流れを見ていきたいと思います。

宗教改革 略年表                              
1517年
10月31日ルター(34)が95箇条の論題を発表
1521年
1月5日教皇庁がルター(38)を正式に破門する
5月3日ザクセン選帝侯フリードリヒがルターをヴァルトブルク城にかくまう
1522年
9月帝国騎士の乱(騎士戦争) 始まる
1524年

農民戦争 始る
1525年
5月15日農民戦争 終結
1527年

イングランド王ヘンリー8世(36)が王妃離婚問題で教皇と対立
1529年

ルター派諸侯が第2シュパイエル国会の決定に抗議(プロテスト)し、国会の決定を受け入れないことを宣言。信仰による分裂が生じる。
1532年

ヘンリー8世(41)がイングランド聖職者に自らを教会の長として認めることを強要し、カトリックから離脱。
1534年

ヘンリー8世(43)が国王至上法発布
8月15日イエズス会が結成される
1545年

トリエント公会議(第1期) 開幕
1555年
9月25日アウグスブルクの宗教和議
1559年
4月イングランドのエリザベス1世(26)が信仰統一法発布 国教会確立
1563年

トリエント公会議(第3期) 閉幕


1.ルターの宗教改革
2.騎士戦争と農民戦争
3.プロテスタントの始り
4.スイスの宗教改革
5.イングランドの宗教改革
6.アウグスブルクの宗教和議
7.反宗教改革

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