アメリカ独立革命


ところで、なぜ「独立革命」
と呼ばれるのでしょうか。私が子供の頃はもっと単純に「独立戦争」と呼んでいたような記憶があります。
その理由はおそらく、アメリカという国家は、イギリスの「植民地」という形で誕生し、「革命」を行って「国家」になった、と考えることができるから、 なのではないかと思います。(注:私見です。) 「革命」というと、フランス革命が最初に連想されますが、その内容を簡単に表現すると「旧体制の破壊と新体制の樹立」と言えると思います。 アメリカは、独立戦争によって「旧体制(イギリスの植民地)」を破壊し、「新体制の樹立(アメリカ合衆国の建国)」を達成した、というわけですね。
さて、まずはアメリカ独立革命の略年表から。
                                                     
1765年
3月22日イギリス議会が印紙税法制定
1766年
3月印紙税法が撤回される
1767年
6月〜秋タウンゼンド諸法 制定される
1768年
1769年
1770年
3月5日ボストン虐殺事件
1771年
1772年
1773年
4月27日茶税法 制定される
12月16日ボストン茶会事件
1774年
9月5日第1回 大陸会議
1775年
4月19日レキシントン・コンコードの戦い(アメリカ独立戦争 開戦
5月10日第2回 大陸会議
6月15日ワシントン(43)が植民地軍総司令官に任命される
6月17日バンカーヒルの戦い 激戦の末、植民地軍は敗北するも戦意は高揚
バリー(30)が最初のアメリカ艦隊を整える
12月31日植民地軍がケベックを攻撃するも失敗
1776年
ワシントンがボストン駐屯イギリス軍を追い払う ニューヨークへ転戦し、連敗しながらニュージャージーへ退却
7月4日アメリカ独立宣言 公布
12月25日トレントンの戦い
1777年
1月3日プリンストンの戦い
8月16日ベニントンの戦い
10月17日サラトガの戦い
11月大陸会議が連合規約を承認
ワシントンがフォージ渓谷の越冬冬営 ワシントン更迭の陰謀のきっかけとなる
フランスの自由主義貴族ラファイエットが義勇軍としてアメリカ側で参戦
1778年
2月6日米仏同盟
1779年
1780年
バリー(35)が洋上でイギリス艦2隻を撃破
ロシアの提唱で武装中立同盟が結成される
カムデンの戦い コーンウォリス率いるイギリス軍がアメリカ軍に勝利
1781年
6月ロシャンボー将軍率いるフランス軍が、ワシントン軍と合流
10月19日ヨークタウンの戦い
メリーランド州が連合規約を批准し、正式に連合規約が成立
1782年
ワシントンを国王に擁立しようとする動きが出るが、本人は断固拒否
1783年
9月3日パリ条約(アメリカ独立戦争 終結

ここでは、1765年の印紙税法制定から話を起こし、1783年のパリ条約締結で終わります。
ちなみに、アメリカ植民地の始りについても、面白い歴史があります。アメリカ先住民とイギリス人の恋愛劇などは、ディズニー映画「ポカホンタス」の題材になったりもしています。

1.印紙税法と巻き起こる反対運動
2.タウンゼンド諸法とボストン虐殺事件
3.茶税法とボストン茶会事件
4.アメリカ独立戦争 開戦
5.アメリカ独立宣言
6.独立戦争の終結

トップページへ戻る